神の酒の効能と摂取時の注意について
酷い頭痛と吐き気で目が覚めた。そのあとすぐ、柔らかい感触を手の平に感じ、それを揉んでいると少し楽になった気がする。
頂上にある小さいボタンを擦るとぴくりと動いた。
目を開けると黒い髪と赤くなった耳が見える。起きたばかりの頭だと言うのに、冷静にその感触を再度確認し人差し指と中指とで円を掻くように何か分かったボタンを押しつぶしては弄ぶ。薄い布越しでなければどれだけよかったか。これ以上は起きているとばれると手を下にずらして腹を撫で引き締まった形の良い尻を撫でてから引き戻す。
「ん……エラ様?」
頭痛と吐き気が戻って来た。今起きたように声をかける。続きをできればきっとこの胸焼けも消えるのだが、できる訳もない。
「しばらく酒は飲むな。全く」
エラ様は何事もなかったかのように起き上がるが、背中を向けたままだ。朝日を受けて、腰のラインが丸見えになっている。
「そのようですね。頭が痛い」
無理をして体を起こす。これもあの男が用意させたのか。酷くいかがわしい格好だ。エラ様には似合わない。だが、目の前にある姿はそうではなかったと証明していた。
「寝なおすなら向こうの部屋に行くってくれ」
「……ご迷惑をかけた事は申し訳ありません。ですが、ここがエラ様にとって無条件に安全と言えない以上、部屋は同じに……私はソファをお借りします」
本当の意味で目が覚めて慌てて釈明する。
「お前、昨日はどれだけ飲んだんだ」
昨日、挑発もあって飲み合いになった。酔い潰し話を漏らすのを狙ってのことだったろう。少なくとも、エラ様の不利となることは口にしていない。部屋に案内されて、エラ様を見て、堪らずに抱きしめた。寝落ちするまでの事は大体覚えている。言ったことと言われたこと。
「部屋に戻った所までは覚えているのですが、ここに入ってからのものは……」
「そうか」
口から嘘が出る。
「着替えたい、夜まで別室とは言わないから、あちらの部屋で少し頭を冷やせ。それに、ちゃんと水を飲んでおけよ」
「はい」
呆然としながらも返事をして、言われるままに続き扉から隣室へ入る。ずるずると扉に凭れ掛かりへたり込む。
そうだ。自分は言ってしまった。
兄のように、目上として、何よりも仕えるものとして、一線を越えぬよう、腹の底にある黒々とした感情を悟られない様に注意を払っていたというのに。高が酒に酔ったせいで言ってしまった。
エラ様に、どんな顔をすればいいというのだ。エラ様を追ってきたのが純粋な忠義と忠誠ではないと、下心があったと、こんな汚い思いを知られた。
美しいエラ・ジェゼロの保護と亡命は受け入れるべきだった。それはイエンが宰相として確約できる範囲の事だった。
そう、エラ・ジェゼロがナサナ国ではなくジェーム帝国に向かうことが真の目的でなければ。
「如何するおつもりですか、ジェーム帝国へくだんの件を話せば侵略国家は大義ありと我々を狩にきますよ。それに、今ではあなたの替えまでいる」
機嫌のいいナサナ国王もエラ・ジェゼロがあのベンジャミンに言ったことは知っている。この際、従者が主人に対する想いを抱いていたことなどどうでもいい程度の事だ。
「ジェゼロは特殊な方法で正式な子供にしか王が継げないようになっていると聞くが、我々ナサナ国にも、少々変わった風習があるだろう」
「……神酒ですね。知っていますとも。囚人の一人に恩赦が出るかわりに同じ神酒を飲まさせる。そしてあなたは王になった。哀れな男は死にましたが」
「あれは伝統だ。それに、王でなくても王族が成人したとき志願すれば受けられる」
「ええ」
王が代々継ぐ毒がある。一説では幼少期から毒に体を慣らしているから耐性があると聞く。王族でも、たまに死亡するが。
「……まさかっ」
いつにも増してにやにやとしているのは悪事を企てたか、実行した後だからだ。
「もし、あの男が死んだなら、エラ・ジェゼロはお前の妻にするといい。まあ趣味としてはましだが、寝首は掻かれるな」
「毒を仕込んでいたのですね。酒に」
「毒などではない。事実を知るための神の意志だ。安心しろ、お前らには飲ませんようにちゃんと気を使った」
「あたりまえでしょうがっ」
彼女が知ればきっと求婚しても受け入れてはくれないだろう。それに、自分の妻には収まらぬ人だと、それくらいはわかる。王の思うような感情は抱いていない。そう、ナサナの男らしく、美しい物をほんの一時、愛でたかっただけだ。
「しかし、生き残ってはますます王位を追われる危険が増します。あの指輪を持っていて神酒を受け入れたとなれば……ベラータ姫は王族には思えないほど聡明で国民受けまでよろしかった。そう、あなたが王になれたのは彼女の死があったからだ」
言ってからはっとする。流石に王に対して言い過ぎた。
「……私はな、見つけたあれがベラータ姉様の子ならばと真に願っているのだ。何せ俺がベラータ姫の親衛隊第一号だ。だから、もしあれが姉の子ならば、自分の子の次の存在くらいにはしてやっていいと思っている」
「ジェーム帝国へ行くことを許すと?」
「恩があるものを売るほどあのお嬢さんは無慈悲にはなれんだろうよ。それに、帝国まで行って逆転の一手が得られるか見ものだ。無論、城から出すのは私が飽きてからだ。あれが本当に姉の忘れ形見ならば見合った慈悲を。もし姉の子でないと言うのにあれを持っていたと言うのならば死を持って罪を償うべきだろう」
フィカス様は異母姉にだけは素直だったと聞いたことがある。その執着を心配し前国王がフィカス様を寄宿舎に追いやるほどだったと。それとあの男の歳を考えれば、少なくともあの男はフィカス様の子ではない。優遇されるは常にベラータ姫だったと言うのに、彼女が病にかかった時から潮目が変わった。病と言いながらどの病か知る者がおらず、質の悪い噂では不義の子を孕み、父君であった前国王の逆鱗に触れたと。もし、本当にベラータ姫が子を産み、それがあの者だったのならば、秘密裏に殺すべきだ。だが、ナサナの国王は未だに姉君を愛している。
自分を王座から追いやれる立場になると分かりながら、この馬鹿王は、それすら受け入れる覚悟があるようだった。
ベンジャミンを世話していた方の双子、上下のどちらかが部屋続きの扉から入ってくる。
「お嬢様、お付きの方が目を覚まされないのですが、先に朝食を食べられますか?」
左右が持ってきた服は昨日ほど酷くはないが、女性物だ。仕方ないが落ち着かない。唯でさえ心が波立っていると言うのに、張本人の体たらくに腹が立ってきた。
「……まったく」
まだ酔いがさめていないのか。できればまだ会いたくなかったが、仕方ない。
「ベンジャミン、水は飲んだのか?」
ベッドに寝転がるベンジャミンは膝を抱えるように小さくなっている。いや、そもそも二日酔いとは違う青ざめた顔に汗がひどい。
「……医師を呼んでくれ。熱もあるな。服を緩めるぞ」
「私どもが来た時には床で寝られていました」
「それでお風邪でも引かれたのでしょうか」
「早くしてくれ」
服を緩めてもぐったりしたままだ。
「左右、すまないが手を貸してくれないか」
向こうの部屋から覗いていた左右が顔を見合わせてから入ってくる。
「また、ご奉仕を許可いただけるなら」
「好きにすればいい」
上下は揃って医師を呼びに行った。手伝ってもらわないと碌に介抱もできない。
疲れが出たか。囚われた間にやはり酷い目に遭っていたのか。
「寝間着をどうぞ」
いつの間にか戻っていた上下のどちらかが渡してくれた服に着替えさせる。
「はいはい、そんなに急かさないで」
上下の片方が医者の手を引っ張って入ってくる。
「ああ、こちらの人? はいはい。ちょっと見せとくれね」
ハザキとは全く違う年老いた医師だった。
「……ああ、ああ……ふんふん。ちょっとそちらのお客さんをお連れして向こうに行ってくれるかな」
「いや、ここにいる」
「何、すぐに呼びますよ」
「行きましょう」
「先生にお任せしましょう」
口々に口を揃える双子には目もむけずじっと医師を見る。
「それは私の従者だ。面倒も私が見る」
わがままに対して困ったように頭をかくと双子に対して手で何かを指示した。
「構わないけれどね。君には何もできないよ」
双子たちは四人してすっと部屋を出た。
「ナサナには初めてかね?」
「いや、彼は何度か入ったことがある」
「首都までかな?」
「それは、わからない……」
「ふむふむ。ナサナの風土に当てられるものが稀にいるのだが、それと同じ症状だ。早ければ今日にも死ぬから神父の用意はどうされる」
何を言われたか理解し難くて口を閉じた。
「まあ、ショックは仕方ない」
「どうすれば助かる」
「……それは、神が決めることじゃから、最後くらいはそばにいるといい。うつる心配もない。どうしても苦しんでいる姿を見ていられないなら、楽にする事もできるが……兎に角。これは医学の領域ではないよ」
医療鞄を早々に閉じて、老医師は出ていこうとする。
「何をそんなに恐れている」
腕を掴み呼び止める。うつらないと言ったのに直ぐにでも出ていきたいように見える。
「お嬢さん。ここはナサナ国だ。わしはナサナの国民じゃ。もう手はない。神に祈るといい。それに、私はここにこなんだ。いいね」
「薬はないのか」
「楽にするものはある。苦しまずに死ねるだろう。それ以外の薬は与えないことが唯一の可能性だ」
逃げ出て行くのを呆然と見届けた。いきなりの宣告を飲み込める訳がない。
ベンジャミンはまだ息をしている。死んでなどいない。
セクハラ、ダメ絶対。
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