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国王陛下、只今逃亡中につき、騎士は弱みに付け込んだ。  作者: 笹色 恵
この感情を知られる事は許されない。 ~ジェゼロ国にて~
1/64

湖の国王は不毛な恋をしている。

登場人物Ⅰ

エラ・ジェゼロ 14代目ジェゼロ国国王

ベンジャミン・ハウス 国王付きの青年 森に捨てられていた。

ミサ・ハウス 国王専属メイド エラの親友

シューセイ・ハザキ 議会院議会院長

エユ・バジー 議会院 前国王の親友

オオガミ 狼犬とともに森に住む男

ホルー 城の馬番 ベンジャミンの友人


シィヴィラ  白い姿をしている。森で見つかる。。

   1  湖の国王は不毛な恋をしている。



 秋の祭りを前にしながら、今日議題として最も時間を割いているのは普段と違った議案だった。それに対して若き陛下は珍しく不機嫌を隠していない。

 既に夕暮れ間近の議会院室では、窓に光がまっすぐに差し込み逆光になった陛下の顔色を正確に読める者はいない。いや、わかっていても見ないふりをしている。

 斜め後ろで待機しているベンジャミン・ハウスは初めから陛下の顔は見えないながらも、その背中が雄弁の物を語っているのが見て取れた。今回の秋の祭りは陛下にとっても重要な儀式がある。こんなくだらない話ではなく有意義な事を話し合うべきだ。そう言いたいが話を終わるには了承しなくてはならない。この議題が上がるのは三度目だが、もう保留にはできない。そして安易に却下もできない。五分ほどだろう沈黙の時間も、この重苦しい空気の中ただ立っているだけでは長く感じる。

「私は……何も私は結婚をしないとも、世継ぎを作らないとも言ってはいない。むしろそれは考える時だ。だがな、ジェゼロの王位継承は他国よりも少々癖がある。つまり、だ。他国の姫だか何だか知らぬが、政治的に面倒な相手との婚儀は向かぬのだ。だからこそ、私は首を縦に振れない」

 これはもう五度は聞いた陛下の逃げ口上だ。

「もし、申し入れがジェーム帝国でなければ、我々も断りましょう。残念なことに相手は帝国、無下に断れば侵略の口実にもなりましょう」

 それまで口を開かなかったシューセイ・ハザキ議会院長、つまりは議会院の長が重々しく言う。これは別の議会員が言ったのと似たセリフだが、彼が言うと重みが違う。それだけ、重大な事であると嫌でもわかる。

「……」

「そうですよ、陛下、別にそれまでの通りに実際の伴侶にしろとは言いません。お好きな方ができれば我々女史議会員は全力で応援いたします」

「そうです。何も恋の相手を押し付けようと言う訳ではありません。この婚姻の間に別の者と恋に落ちても神は理解してくださいます」

「不倫はどんな状況でもいかん」

「男性陣はお黙りください」

 ぴしゃっと言葉を切られて、他の男性陣も口を噤んだ。女性人達は強い目力でじっと陛下を見る。それまでのトウガラシでも舐めさせられたような空気は和らいでいるが、変わりに、陛下に対して国民に対する責任をと言う強い願いを含んでいる。

 まだ王位を継いで一年も経っていない。それでも前王と同じくエラ・ジェゼロ陛下は国民に愛されている。議会員との関係も今回を除けば良好だった。総じて子供のように可愛がっているため、議会員たちも中々に強制ができていない。

「……時代が時代です。ここは一先ず、お会いして、交友から初めてはいかがでしょう。婚姻が無理でも不戦協定くらいは組める方向が妥協点としては妥当かと。我が国はすべての者に対して強制婚を禁止しています。国民からの理解を得る前準備と言う引き延ばしをしてみては? 実際お会いしない事には陛下だけでなく議会院の方々も決めかねる事でしょう」

 陛下の後ろ、外窓の横、定位置で国王付きとして黙って待機していたが口を開く。男性方だけでなく陛下に対して特に甘い女性陣も目を細める。国民に選ばれた議会員と違いベンジャミンにはこの場で発言をする権利はない。解っているが、憎まれ役が必要ならば甘んじて引き受けよう。

「付き人が意見をする場ではないぞ。だが、まあ……あまり向こうの意見を飲み過ぎる事はよくない。交渉の第一歩として、ジェーム帝国が花嫁とする相手を賓客としてご招待いたしましょう。この目で確認もせずに、ジェゼロの妃とするには少々不安もあります故」

 ハザキ議長から思わぬ助けの船と言うべきか、むしろそれを待っていたかのごとく話が転がる。ノーと言えない今、もしその姫がとてつもなく相応しくない相手ならば、議会員から破棄する可能性もある。それが僅かな望みであっても、妥協案としては現段階では最良だろう。

「どちらにしろ、使者を迎える必要はあったろう。これ以上駄々を捏ねるほど子供ではないよ」

 最終的には陛下もこれ以上の妥協点はないとため息をつく。実際、他国から妃を迎えるには我がジェゼロ国は厄介な風習がある。



 疲れた。精神的に疲れた。案外小器用に仕事もできていると妙な過信も出始めていたがこんな形で鼻っ柱を折られるとは。

 十七で前王の他界に伴い王位を継いだ。それよりも前から王位継承に備え準備を始めてくれていたので、前国王がお隠れになった後もとてもスムーズに国政は進んだ。安定したこの状況ならば、早期に結婚し、自分にもしもの事があった時の保険として子孫を残すことを迫られるのはわかっていた。歴代の王も比較的早くに子供をもうけるように努めていた。三十前後での継承者を授かる場合もあったようだが、少なくとも、これまでずっと途切れることなく続いている。だからこそ、重い義務になっている。

「エラ様、眠られるのならば寝所に」

 毛布を掛けるベンジャミンに、執務室の机に突っ伏したまま目だけで見上げる。

「今日は助かった」

 とりあえず、ここに呼んでから向こうが結婚などするかと言う状況に持って行けばいい。好き好んで面倒でしかない外部の、それも他国の王族と結婚などできるものか。ジェゼロの悪しき伝統を考えれば、外部の人間など選ぶ余地すらないと言うのに、議会院も議会院だ。相手が帝国だからと立場を見解を捻じ曲げよって。

「だが、お前はあまり口を出すな。唯でさえ議会員にはやっかまれているんだ」

「今更ですのでご安心を」

 相変わらずしれっと返される。

 ベンジャミン・ハウスが12の頃から自分の付き人と呼ばれるものとして仕えている。王位についてからは直属の護衛であり秘書でもあり、何かと面倒を見させられる可哀想な立場の男だ。これももう二十二になったのか、長く一緒にいるが何を考えているのか相も変わらずよくわからない。

「……それで、どうなさるおつもりですか?」

「どうするもなぁ……ジェーム帝国のイーリス家とはジェゼロの初代国王と所縁ある相手、国交は途絶えたが再び友好関係を結びたいと言うなら、こちらが拒否する必要もない。ただ、末妹を嫁にと言うのは解せないだろう。あの帝国が、だぞ」

 帝国と名の付く前、古くには所縁があっても、今では遠くの他人だ。そして帝国と冠するだけに、国土も民も多く、農地や放牧地も広い。ジェゼロには他にない巨大な水瓶と安定した気候、他から攻めにくい場所に位置するが、なんのこともない小国。向こうから供物付きで言い寄られる立場ではない。神に愛された国などと呼ばれているが、国が小さい事に変わりはない。

「私がジェーム帝国に行きました際、帝王の妹君には巫女と呼ばれる特殊な姫君がいると聞きました。帝国において神官とそれに仕える巫女は帝王に劣らぬ存在として信仰の対象になっています。もしもその巫女を他国の妃に出すとなれば、相応の意味があるのかと。別人であればとも願っておりますが」

「……それは、初耳だが?」

「議会員の耳に入ればさらに厄介かと。もっとも、議長の反応を見れば全くの無知と言うわけではないようでしたが」

 腕に顔を埋めて更に深々とため息を付く。

「お気が進まないのでしたら、破断するように努力しますが?」

 その申し出には顔を上げず手を振るだけにした。

「その巫女とやらなら話はまた変わる。こちらに押し付けて権力の一元化を狙ったものかもしれん。そして民衆の敵意をこちらに向けられれば戦争の大義も作れるだろうからな。ああ、即位と同時にミサと結婚して置くのだった。まあ儀式前では仮でしかないからどちらにしろ無理か……」

「ミサ・ハウスですか。頭は悪いですがそれはいい選択であったとは思います」

 同じ『ハウス』の言わば妹のような相手を相変わらず酷い言いようで評する。

「ジェーム帝国には何人か仕込みがございます。報告を怠らない様に指示しておりますので、何か分かり次第ご報告を」

「ああ。……お前から見てジェームは我がジェゼロにとって危険だと思うか?」

「他の隣国よりも手を組むに値はしても、気を許すことはなされない方がいいかと」

 議会員がベンジャミンを煙たがる理由は自分にあると分かってはいるが、見聞の狭い自分にとって私益なく意見を言ってくれる存在はやはり大きい。

「誰にしろ婚儀を進められるのでしたら、同時に閨の選定も」

 言われた言葉に侮蔑を含んだため息が出る。

「それこそ、議会院に選出させればいい。闇閨であれば後腐れもない」

「縁談はあくまでも政治的なもの。閨に関しては、陛下の……国王の一存での決定が」

「ならばお前が口を挟むな」

 言葉を遮り立ち上がる。かけられた毛布が肩から落ち、寒いと思うのは心的な物も加わったからなのか。

「出過ぎた真似を……夜は冷えますので体調にはお気をかけてください」

 変わらない調子でベンジャミンが首を垂れる。これは八つ当たりだ。わかっている。



 待っている間、休日だと言うのに無駄に執務室の掃除をしてしまった。約束をしたのを我が愛しの国王陛下はお忘れだ。

 選ばれし者のみが開けられる国王の寝室のドアを開ける。開けられる理由は王の寝室を含め身の回りのお世話と掃除をできる選ばれた立場だからだ。自慢ではないがこの立場は自分一人で議会院長ですらここには入れない。言ってしまえば私は陛下の特別だ。

 国王の執務室の奥にある寝室はそれほど広くもなく鍵のかかった本棚にシンプルなベッド、簡単な机があるだけだ。見慣れたが、初めて入ったときはこの質素さに驚いた。天蓋付きの大きなベッドくらいあると思ったのに、自分の部屋よりいくらか大きい程度だ。外観からだともっと大きいく見えるが、隠されていない隠し扉が関係しているのだろう。そっちは流石に自分も掃除管轄外だ。

「こらー、市場に行くって約束したでしょー」

 ベッドですやすや眠るエラ・ジェゼロの毛布を引っぺがして言う。小動物のようにぎゅうっと縮こまる姿が可愛い。だがこのまま寝かせるといつ起きてくるかわかったものじゃない。

「エラから言ったんでしょ! 今日は休みだから外国の行商の市に行きたいって。早くしないと人がいっぱいになっちゃうでしょっ」

「ミサ……朝から五月蝿い」

「五月蝿いとかいいからとっとと用意しろっ寝坊助」

 今日は自分も休日だから、国王ではないエラに対して言う。いくら休暇とはいえ、王位を継いだ彼女にこんな態度をとるのは自分だけかもしれないが、それは幼いころからの友人という特権だ。仕事中はちゃんと弁えているからか、誰も何も言わない。それに、特別なメイドの特権の様なものだ。信頼があるからこそ、国王付きですら入れないこの部屋へ入る事を許されている。

「眠い」

「ほら、仕事じゃないのに服まで準備したから早く早くっ」

 寝ぼけているエラを起こして寝巻を引っぺがして服を着せる。護衛の役割もできるようミサも鍛えているがエラ自身も鍛えられているので細身だが筋肉がしっかりしている。いつも着るのと変わらないあっさりとした麻のシャツに綿のズボンを穿かせて靴の紐を結んでもまだ眠そうだ。もう少し高い服を着てもらいたいが、本人が好きだから仕方ない。

「……ベンジャミンはどこだ? 声をかけずに出たらまたくどい愚痴を言われる」

 ようやく目覚めたと思ったらベンジャミンか。

「職業ストーカーも今日は休暇で朝早くからどこかへ行きましたよ」

 同じハウスの出で、捨て子だったベンジャミンが今では国王付きだ。まあ、あの男には天職だったろう。でなければただの犯罪者だ。

「ハザキ議長が出かけるなら婿養子のホルーを帯同させるって言ってくれますからご安心を」

 日々の報告をするように言われている。ハザキ議長はお堅い人だがエラに関してはかなり過保護だ。もちろん大事な王であるのも理由だろう。自分たちの体術の師でもあるから、信頼がおける相手だともわかっている。それに前王の腹心だ。そうでなければ男に報告なんてしていない。

「わかった。言って置くが無駄遣いはしないからな。王様なんてやってても、休日に使用できる金は正式な成人になるまで精々小遣い程度なんだから」

「朝ごはんくらいおごってあげるわよっ。お姉さんがっ」

 エラのまっすぐの長い黒髪を後ろでまとめ満足して言う。自分の髪はウェーブがかかっているから、性格のまままっすぐのエラの髪を扱うのは楽しい。とても綺麗な髪だ。いつもとは違って、耳より高い位置に括っただけで、仕事時より女の子っぽくなる。

 城の外、城壁のすぐそばにある馬小屋で馬番のホルーが待っていた。

 日に焼け、逞しい筋肉を隠せない身体をしている。確かベンジャミンの数少ない友人でもあったはずだ。たまに酒場に一緒にいるのを見る。

「……ホルー。シューセイ・ハザキの娘に手を出すほどの勇者だったのだな。祝いが遅れてしまったが何か届けておく」

 エラがとても神妙な面持ちで言う。

 ハザキ議長の娘は物静かで美人、しかも父と同じく医師でもある。だが結婚適齢でも嫁に出ていなかった。皆、父親に殺されたくないのだと思っていたが、勇者は実在するらしい。

 気の良すぎる青年が固まっている。そもそもベンジャミンの友人なんてしたのが災難の始まりだ。

「それはそっとしてあげましょう。そんな話をしてたら美味しいものが売り切れになっちゃうから」

 馬に乗らずに歩ける場所だから今日はそのまま徒歩で行く。くだらない話をいつもみたいにしてその少し後ろをハザキの婿養子が付いてくる。

 ジェゼロの城は大きな湖の真横の崖に立っている。裏は勾配の強い坂だ。城の建つ崖の横には急な階段があって下りた先には自分たちが育ったハウスの家と教会、それに学校がある。ハウスから何度も見上げたものだ。この城を。

 湖沿いの道を歩いて、普段は魚市場が開かれる場所とそれに隣接する広場にいくつもの店が並んでいる。城から降りる際にも見えたが、やはり近くに来ると活気が違う。

「ちょっと待ってて」

 起き抜けで何も食べていなエラの為に見たことのない菓子パンを買い付けてくる。

「はい、朝ごはん」

「ここまで大きな市は久しぶりだな。議会で一応話は聞いていたが、実際見ると出店が多い。山向こうの子供も来ているんじゃないか?」

 エラが渡された砂糖のまぶされた揚げパンをはむと口周りに砂糖がついてまだまだ子供っぽい。

「甘いものは正義だな」

「子供じゃないんだから」

 口元を拭うと小さい頃みたいに目を瞑った。

「ついて行くので、好きに見て回ってください」

 ホルーが気を使って言う。本職のベンジャミンならば言うまでもなく、人込みでも絶対にエラを見失わないだろう。

「……半分だが、甘いものは大丈夫か?」

「受け取ると、後で何人かに殺されそうなんでお気持ちだけで」

「うむ」

「じゃあ私がもらう」

 半分に割ったふかふかとしたそれをホルーの代わりに奪う。健康にいいからと雑穀パンばかりの城飯とは大違いだ。

 ジェゼロ名物のマスが塩焼きや燻製で並んでいる。それとは別にジェゼロでは中々お目にかかれない可愛らしい布もたくさん出ている。他にもアクセサリーや安価な宝石店も出ていた。もちろん見たことのない甘いお菓子もいっぱいある。

 仮にも王様だから、護衛を付けずにこういった場にはこられないが、エラに何かあれば街人は誰もが命に代えても助けようとするだろう。ジェゼロにとって王はそれだけ大事な物だった。統治する者以上の存在なのだ。

「おおっ」

 ちょろちょろと見て回っていると、可愛らしい店よりもエラが好きなものを置く店を見つけた。途端に一目散に向かっていく。まったくもって意味の分からない趣味だが、ジェゼロの王は代々変わった趣味を持っている。

 旧文明が残したとされるオーパーツを置いた露店の前で目を輝かせている姿は昔と変わらない。興味のないミサにとってはどれがどうなのかさっぱりだが今の文明では作れない細かい細工の金属だ。昔これをアクセサリーに使ったらエラが静かに絶望していたのをよく覚えている。磨かれない原石を愛好するようなものなのか。化石と変わらない固まりの良さはわからない。

「ご老人、これはどこで発掘されたものだ?」

 かなり歳のいった婦人に問うとしばらく頷いた後ようやく口を開いた。

「北の平地で発見された珍しいものですよ。ここまで状態のいいものは稀ですよ。少々お高いですがひとつどうですか」

 少ししゃがれているが鈍りのない口調だった。これまでジェゼロでは見たことのない外商だ。エラがこの手の店を見つけると立ち止まるから大体の業者は知っている。

「……いや、またの機会に」

 エラはにこやかに返して店を離れる。いつもなら小遣いの範囲で一つか二つは買っているだろうに。あまりにもあっさりと離れる。

「代金が足らないのでしたら、誰かに取りに行かせますよ」

 ホルーが気を利かせるが店から離れて人の少ない水辺まで移動した。水鳥が暢気に漂っている。

「状態がよさそうなものが多かった。普通は露店で売らないようなものだし、値も安すぎる。一度確認した方がいい。露店自体も許可外の店が出ているだろう」

 真面目な顔で言う。口ぶりからして城に戻らなければならないだろう。久しぶりのデートは早々と終了だ。

 無認可の問題は入国審査をどうすり抜けたのかにある。正式出ないなら間者の可能性だってある。半鎖国状態のジェゼロにとっては重大な事案なのは理解できる。質のいいオーパーツを買わない程に重要な事案だ。

「ミサは店を回っていていいぞ」

「かえりますー」

 がっかりしているのをエラが見て言うが、がっかりポイントを理解していないのにがっかりだ。

 城に戻ってホルーが報告に行った。王の執務室の前にある応接室にジェゼロの可愛げのないお菓子とお茶を持って行き、憂さ晴らしにエラの髪で遊んでいるとハザキが来た。

「お休みの所、失礼します。確認はこちらで進めておきましょう。ご心配の通り、いくつか許可していない店は確かにまじっているようです」

 年齢以上に歳を取って見えるのは落ち着きがあるからと先代のサウラ様に苦労を掛けられて老けてしまったかららしい。淡々と報告した後、一つ息をつく。

「それと、本日はお休みですので控えようと思っていましたが……十日から半月程後に例の姫君がこちらに着くこととなりそうです。祭りと合わせて歓迎の準備を行いますので」

 前置きをしてハザキが淡々と言う。最近の元気のなさはこれらしい。

「……もう好きにしてくれ」

 長くため息を付き、エラがうんざりと返す。

「オーパーツは内々に入手しておきましょう。今回の行商のルートの確認も取れ次第ご報告を。ベンジャミン・ハウスは戻りましたら一度顔を出す様にお伝えください」

「ああ」

 それに、いつにも増して寂し気な理由は残念ながらわかっている。



 真っ白い姿の妖精の許へ、嬉しそうなニルナッサに案内された。

 白い髪に白い肌。引き摺られた所為で土と草で塗れ、くたびれた様でもあるが、それでも月明りで白さが目を引いた。

「お前は変なもんばっか見つけてくるな」

 ハッハと息を漏らし、狼犬のニルナッサが手にじゃれてくる。もふもふの胸の毛を撫でながら困り顔で問いかけるも獲物を褒めてと屈託なく示すばかりだ。

「まあ、拾ってきたのは仕方ないか。次は食える物拾って来いよ」

 やけに遠吠えをするこいつらの様子を見に来たが、他にも死体が三体転がっていた。人の味を獣に覚えさせると厄介な事になる。もう一度廃棄場に歩きながらニルナッサに目を向ける。月あかりも木立にさえぎられて闇に近い。夜目が利く体質でなければこの森をこんな時間に歩けばあっという間に道に迷うか崖から落ちる事だろう。

 見た目より随分重い妖精はまだ暖かいが拍動も呼吸もない。さっきの奴らの仲間か、この見た目ならこれが奴らの獲物か、なんにしろ迷惑な話だ。

 大地の裂け目と呼ばれる一画に着く。子供が落ちない様に目印として建てられた柵を跨いで行く。ニルナッサはいつもなら大人しくその前で待っているが鳴き出した。折角の土産を捨てるなとでも言いたいのか。

 大地の裂け目は人ひとりがゆうに落ちれる広さの亀裂がある。底は昼間でも見えない。この手の死骸の処理に使っている穴だ。少なくとも人を襲えるサイズの獣でも落ちれば二度と出てこられないだろう。

「どうした。直ぐ戻っか……」

 抱えていた死体が何の予兆もなく瞬時に動き出す。慌てて距離を取った所で腰に挿していた短刀を奪われたと気付く。頬にぬるっとしたものが伝い、焼け付く痛みで切られたことを理解した。

 成人はしていないだろう体格の妖精だが、中々の動きだ。何よりも抱きかかえられて生きていると諭させないとは驚きだ。どうやったのか。

「…………」

 間には大地の裂け目の口端がある。叩き落とせばそれで勝負がつく。酷く弱い光源の中で、白い姿がおぼろな亡霊の様だ。

 ゆらりと流れるような動き。しかけてくるかと思ったが短刀が手から滑り落ち穴に吸い込まれていく。

「っぶねーな」

 亡霊とは違う実態のあるそれが落ちて行く前に咄嗟に捕まえた。完全な闇の中でお気に入りの短刀が底に当たる音がした。



 ベンジャミンが夜明け間近に城に戻ると陛下の部屋から一羽の鳥が飛び立ったように見えた。嫌な予感を抱きつつ、馬を繋ぎ何事もなかったように寝所に入る。仮眠に入る前に裏窓をノックされる。

 やっぱりかと、ため息が出そうな口をぐっと一度閉じる。無論陛下に対してではない。

「……こんな時間に何用で?」

 王の寝所には三つの扉がある。正式な執務室から続く扉、秘密という名の公然の抜け道へつながる隠し扉、そして陛下付きの寝所である今はベンジャミン・ハウスが寝泊まりをするこの部屋だ。もっとも、陛下との部屋の間には扉と言うよりも小窓程度のものだ。人の行き来はできない。

「オオガミから連絡が来た。何でも妖精を捕まえたから食べ物と救急箱を所望している」

 わくわくとした口調で若き陛下が言う。やはりあの鳥はオオガミの所から来たものか。

「……届ければよろしいので?」

「馬鹿を言え、妖精だぞ。実物が見たい」

 比較的現実主義で勤勉且つ倹約家という良き王だが、幼稚な部分は成長過程なので仕方ない事か。

「ではお借りしてきましょう」

「見に行くぞ。今からなら朝食には間に合う」

 徹夜になるのはベンジャミン自身の所為ではある。何せ陛下の我が儘をばっさりとは切れないのだ。

 ため息をついても仕方がないので服を着替え、馬の用意しに向かう。

 馬小屋の前でハザキ嬢に見初められた哀れな男がいた。

「ホルー。陛下と自分用の馬を二頭使う」

「お前一頭使い倒したところだろ」

 朝早くから馬の世話なんてことをしている労働者が嫌味を言う。

「山向こうのいいところにでも行ってたのか?」

 同学年のノリで昔のように突っかかられる。特別進級を認められたベンジャミンとそうでないホルーとでは同学年でも歳の差がある。子供の三年は大きな差だ。餓鬼大将がいじめっ子から守ってやったと未だに恩に着せているのだ。最終的に進級の世話をしてやったのは忘れたらしい。

「個人的時間をとやかく言われる筋はない。今日のこれは陛下からの命令だ。キングの鞍付けは任せたぞ」

「睡眠不足だとテキメンに切れやすくなるな」

「どうせハザキ議長に報告するだろうから言って置くが、オオガミからの呼び出しだ。昼までに戻らなければ迎えを寄こせ」

「別に、婿に入ったからって部下になったわけじゃないからなっ」

 陛下しか背中に乗せない、気位ばかり高い漆黒の馬に鞍付けをしながらホルーが訂正をかけてくる。

「ハザキの娘に嵌められた、いや、嵌めた結果の結婚とはいえ、殺されずにいるからには相応の仕事を言われているんだろう」

「ぅぐっ」

「何、家の愚痴くらい俺のおごりで聞いてやるさ。自由にできる小遣いも知れているだろう」

「お前もとっとと嫁を取るなり取られるなりすればいいんだ。くそっ」

 それは一生ないだろうと言葉にするほど馬鹿ではない。

「ベンジャミン。馬は用意できたか」

 小走りで馬小屋に入って来た陛下を見て、キングが嘶く。ジェゼロの血統は不思議と動物に好かれる。

「ああ、ホルー昨日はすまなかったな」

「いえ、いつでもお供しますよ」

「……昨日?」

 ホルーを横目で見ると大げさに肩を竦め返される。

「側近の代わりに、お供をしたまでだ。お前の休暇まで俺のせいにするなよ」

 ハザキ議会院長の指示か。身の回りの安全ならばミサだけで問題はなかったろうに。



 ジェゼロには狼の森がある。

 子供がわがままばかり言うと捨てられてしまうと脅し文句に使われる狼の森。実際狼が多く生息しているが、正しくは狼犬と呼ばれる狼と犬の交配種で野生ではない。大人でも恐れる場だが、王になる前から、この場所は特別な場所だった。

 煉瓦と木で建てられた古いログハウスの前で二十匹ほどの大型の狼犬が餌の生肉を貪っている。そのボスたるオオガミが顔を上げた。ザンバラの長い黒髪に焼けた肌。森で生きるタフなガタイをした四十くらいの大男。それが悪人面で大きく破顔する。

「早かったな。エラ」

「妖精はどこにいる!?」

 馬から降りると問いかける。もちろん本当にそんなものがいるなんて信じてはいない。だが、そう、オーパーツのように昔は当たり前だった可能性はあるわけで、現在絶滅しただけという可能性だってある訳だ。

「その妖精にやられたのなら、あまり陛下に近づけないでいただけますか?」

 ベンジャミンが馬を繋ぐとすぐさま近くにやってくる。

「ああ、これか? 運が悪けりゃ目玉持ってかれてたな」

 笑いながら頬の傷を触りオオガミは言う。

「あなたの目の一つや二つ減っても問題はないでしょうが、陛下の代わりはいませんので」

「あいっかわらず機嫌わりーな」

「それで、妖精は生きてる状態で発見されたので?」

「最初は死体だと思って処理しようとしたら生きててなぁ」

「まだあそこにゴミを捨ててるんですか」

 呆れた声でベンジャミンが言う。ベンジャミンは実際に何度もここに連れてこられた悪童だからか、狼犬も懐いているしベンジャミンもオオガミに懐いている。憎まれ口を言っているが、嫌いな相手ならそもそもそんな事を言わない事くらい知っている。

「お前、年々シューセイに似てくんな」

「御冗談を」

 オオガミがドアを開けようとして一度こちらに目配せをした。もう半歩ベンジャミンが前に出て、前に行き過ぎないように手で制された。

 オオガミがログハウスのドアを開けると同時に白い獣が飛び出てくる。

 妖精というからには手の平くらいの大きさを予想していたが、自分とさして変わらないサイズではないか。羽根もないので跳んで逃げることもできず一直線にこっちに向かってくる。ベンジャミン・ハウスは冷静に対処し、いつものように目の前で危険対象を組み敷いた。相変わらず見事だが今日のそれは相手も中々だった。ベンジャミンの一撃を避けて見せ反撃までしようとしたが、普通はない場所からの足払いで体制を崩されそこからは手早くベンジャミンが膝に体重を乗せて体を動けないよう固定した。ハザキだけでなくオオガミからも体術を学んでいるだけあって、喧嘩慣れしている。

「せっ……殺すなら、とっとと殺せっ」

 完全に体重を乗せて動けなくされたそれの周りに食事よりも警戒を優先した何匹かの狼が寄ってくる。唸りはしないが命令があればいつでも噛みつける体制だ。

「こんなものを見せるためにわざわざ呼び出したので? それと早く拘束してもらえませんか?」

 嫌味っぽくベンジャミンがオオガミに言う。もしベンジャミンを振りほどいてこっちに来たてしまったら、真っ白い姿の人間は狼犬に喉を噛み切られてしまうだろう。

「白い異人は目が赤いと思っていたが、青い目をしているのだな。ここまで白い姿はジェゼロでは見たことがないな」

 屈みこんで、それを観察した結果を言う。

 まあ、妖精と聞いていたので期待外れではあるが、この近隣の住人ではない種族だ。それに年が若い。商人が連れて来たのか町の市では見なかったが誤って森で迷ってしまったのかもしれない。

「……ここは、ジェゼロの領地か? 売るために捕まえたんじゃないのか?」

「なんだ、人買いにでも追われてきたのか? ここらにその手の輩はいないが、ナサナ国側からやってきたのか?」

 ジェゼロは森に囲まれているが、狼がいたり国境警備や猟場があるため山賊の類はいない。ナサナからここまで逃げて来たのか。

「に……国王にお目通りを! とても重要な話があります!」

 オオガミが狩りで使う丈夫な縄を持ってくると嘆願する白い妖精を構わず縛り上げる。場所が分かったからか、暴れることなく素直に縛られている。少々汚れているが、まじまじと見れば童話の白い妖精を大きくしたような美貌だった。

「北に白い民族がいますが、そちらとは顔立ちが違いますね。どちらからここへ? 何の目的でその重要な事とはどういった要件でしょうか」

 拘束された年下相手にベンジャミンが見下ろして高圧的に問う。さりげなく少し前に立って有事に対応できるような姿勢も忘れていない。

「国王にしか話せない」

 凛とした口調で言い切る相手をベンジャミンは酷く冷ややかに見下ろしていた。

「どこの者かは知らないが、易々と国王に謁見が許されるとでも?」

 まあ、この格好で自分がジェゼロ王だと他所の者にはわかるまい。

「そう脅すでない。だが、話の内容もわからずに町に下ろしもできないだろう」

 諭すように言ってみたが侮蔑的な視線で見上げられた。

「平民になど話せる内容じゃないっ」

 王族のオーラが足りないのは自分だけではないが、その物言いにベンジャミンが前動作なく妖精を蹴り飛ばす。こういったやり口はハザキとそっくりだ。加減されているとはいえ、これが国民に対してであれば張り倒すが、妖精の保護はジェゼロの国王の仕事の域を超えている。

 倒れ込んで動かない相手を踏みそうな勢いだが、オオガミが軽く手で制した。

「さっきまで意識飛んでたのに急に動いたうえ今のだ。また別世界に行っちまってる。後なぁ、もうちょっと気を長く持てよ。エラがこんな事で腹ぁ立ててる訳でもないだろうが」

「つい」

 悪びれもなくベンジャミンが言う。

「……オオガミ、これがどこから来たのか知らないのか?」

「ニルナッサが嬉しそうに見つけたんだよ。それに、別に死体も見つけた。実際追われて亡命でもしようとしてたのかもな。うちなら白子でも売られないだろ」

「よそ者だからと捨てる前に報告を頂けない物ですか? 偵察だった場合に備え素性の確認くらいしたいので」

 嫌味っぽく言うベンジャミンにオオガミが鼻で笑う。

「野郎どもだったからな、身ぐるみは剥いどいた。白い妖精を持ってってもらうついでに、邪魔だから持ち帰れ」

「この者は服のまま捨てようとでもしたのか?」

 近寄ろうとするとベンジャミンに制されたので立ち止まって聞く。

「そりゃ、死体でも若い女の身包みを勝手に剥ぐほど作法を知らないわけじゃない」

「死体なら大して違いはないでしょうに」

 ベンジャミンがまた毒を吐くが、ツッコミ箇所がどうもおかしい。

「なあ、お前たち、ちゃんと目玉は二個ついておるか? この妖精は雄だ」

 自分も少しややこしい性質だと自覚しているが、目の前の美少女は女顔だが喉仏が少女にしては発達している。胸はまあ個体差が大きいので何とも言えないが明らかな貧乳だ。成長過程とはいえ、既に骨格は女性とは違うだろうに。

「ベンジャミン、女性と思っていながら蹴り倒すのはいただけないぞ。ジェゼロは女性が強いがそれを含めて男が守るが心情なのだからな」

「私が守るのは陛下であって女でも男でもありませんので」

 しれっとしているベンジャミンに何を言っても無駄か。



 ベンジャミンから報告を受け、森を調べた結果、他に一体の死体を発見した。オオガミの死体を安に捨てる癖は直していただきたいが、今更言っても無駄だろう。あの穴を埋める訳にもいかないが、立て看板くらいは嫌がらせを……対処をしてもいい。エラ陛下に許可を頂けるよう議会案に出してみるか。

 ハザキ・秋晴は手袋を外し、手を洗うと書類に記載を行う。ここジェゼロでは遺族が解剖を好まないので、年に数件できるかどうかだ。好きに体を切り開いて遺族の反感を気にせずできる解剖は中々に久しい。死体の解剖が好きだと言うとまるで異質な趣味に聞こえるが、医師としては真っ当だ。人体の構成を知らない医者など、小麦がどんなものか知らないパン屋のようなものだ。

 診療所の剖検室で診た結果、外傷による死亡であることが判明した。少なくとも、疫病の類ではなさそうだ。剣で刺された痕がある。致命傷は喉を剣で刺されたものだ。ジェゼロで主に使われる刀剣は片刃の剣だ。カタナと呼ばれる種類だがこの男の傷は両刃の剣だ。ジェゼロ近辺ならば隣国ナサナが衛兵に使っている物と太さや太刀筋が近いか。

 ベンジャミンがオオガミから受け取った別の死体の身ぐるみも、刃物で裂かれた跡と多量の血痕。所持していた硬貨はナサナ国の物だった。

「……蛮族が」

 ペンで米神を掻く。無意識に罵りが出ていた。

 ジェーム帝国の姫君を受け入れる事を反対しないのは隣国ナサナとの関係もある。近くの臭い相手は遠くの大国よりも面倒なものだ。邪魔だからと、国を奪うような野蛮な事をジェゼロは行わない。そもそもこのサイズと環境が最も長く安定して存続させられる大きさでもあり、他国を取り込むことは不利益でしかない。特定の国防を待たない代わりに国民全員が有事には戦うことができる。そうしていても、それが起きないことが一番望ましい。だからこそ帝国と呼ばれるジェームとの縁談は無碍にできなかった。

 歴史的に見ても、ジェーム帝国は古くから縁のある相手でもあり、婚儀はあくまでも盟約を再確認する物と言ってきているが、個人の意見では、陛下にはジェームと係って頂きたくない。禍の素になる。

「ハザキ、こっちにいたのか。白いのはどんな状態だ?」

 換気のために開けていたドアから陛下が現れる。後ろには標準装備のベンジャミンもついている。

「私が行った時には既に目を覚ましていました。怪我はしていないようで診察は頑なに拒まれたため詳しくはわかりかねます。今解剖が終わりましたが、ナサナとの関係がいくつか示唆されます。国境の警備を増やした方がよろしいでしょう」

「ああ、手配はしておいた。オオガミにも異変があれば伝えるように頼んでいる」

 狼の森はオオガミが仕切っている。不必要にジェゼロの民ですら入らない場所だ。そこにジェゼロ以外の者がいたとなれば問題だ。あの森もれっきとしたジェゼロの領地で神域の一つでもあるのだ。

「その少年についてですが」

 死体程度で狼狽える方ではないが、何らかの感染症は完全に否定できない。そんな段階であまり近くにいさせたくはないので術衣を脱いで上へ促す。何よりも国王に相応しくない場だ。

「白い民族と言うよりも、白子……色素に対する異常変異でしょう」

「それはやはり白い妖精と言うことだな」

 上に戻ると新鮮な空気が通る。解剖の独特な甘い匂いはハザキでも苦手なものだった。暢気な国王に対するため息と取られない程度に肺に空気を入れる。

「ナサナから来たにしろ、ナサナに追われていたにしろ、事情の把握は必要でしょう。できれば穏便に話を聞ければと思っていますが……ジェーム帝国にも白い妖精に似た信仰があります」

 その話で極僅かにだがベンジャミンの指が動く。あれは何度かジェーム帝国に行った事がある身だ。知らぬはずはないだろう。

「神官が近くに置くのは白子だけで、その中でも選ばれた者が巫女になるというやつだろう。だから他国で生まれてもジェームに連れて行けば家族には相応の代価が支払われると聞いた」

「あの年まで置いていたなら親は売らずに育てた可能性がありますが、人攫いが売り飛ばす例もありますので、その可能性も」

 ジェーム以外にもその手の迷信はある。不老長寿の妙薬として食べる蛮族もこの世にはあったと聞いた事もある。それに比べれば帝国に売られる方がましだろう。

「うむ。できれば直接話してみたい。できれば国王として」

 エラ様としてならば誰と話そうとも問題はない。だが、国王としてはそれなりに手順と意味がある。特に国民以外となれば口約束でも盟約になるのだ。

「いくつかの条件をお出ししますが、承認を取りましょう」

 ナサナの関係か、ジェームの関係かどちらともとれる相手だ。秋の収穫祭を議題にしたい時期に面倒な事だ。

「それと、エラ様が気にされていた行商ですが、間者の一種かと。確認に人をやりましたところ、目を離した隙に商品を置いて姿を消しました」

 それにベンジャミンがエラ様を見る。何か危険があったのならば、その報告が自分になかった事への不満だろう。

「あの手の商人にはその手の者がいると聞いたが、オーパーツには素人だろう。勉強不足からしてそれ程質は高くないな」

「入国も今後気を付けるようにさせましょう。こちらもどこの国とは確証は持てませんが、ジェーム帝国が先に内情を知ろうとした可能性もあります。品物に関しては危険性のない物は陛下にお任せしますが、一部はオオガミに確認をさせておきましょう」

「ああ」

 心成しか目が輝く陛下に対してため息が出そうだ。血は争えないと言うが、残念な言葉だ。

 スパイなど、人としての屑だ。見つけられればいいが、プロならば既に国外だ。



 白い妖怪は図々しくも、依然として国王への謁見を希望していた。

 どうにも嫌な臭いを感じる。オオガミも死体として捨て置いてくれればよかったものを。

 結局ハザキ議会院長が議会院で謁見の機会を与えることを認め、シィヴィラと名乗った者は陛下と会う事が許可された。

「シィヴィラ……ファミリーネームはなんだ」

 拘束した状態で椅子に座った白い髪と白い肌の美少女のような少年は入ってきた陛下に対して何度か瞬きをした。

「君が、国王……?」

 ベンジャミンの斜め前に居られるエラ様を見て、シィヴィラは訝し気に呟いた。国王らしい正装をした陛下は、いつも以上に毅然とされている。

「ああ、私が14代目ジェゼロだ。さて、重要な話とはなんだ?」

 城の医務室の奥にある何もない部屋は正式な用途としては簡易手術用の部屋だった。ここを選んだのはハザキだ。いざとなれば爪の一つでも剥ぐ気だろう。

「サウラ・ジェゼロは……」

「それは13代目だ。1年ほど前にお隠れになった。シィヴィラは知らずにジェゼロへ来たのか?」

 前陛下は他国においても名を知られたアクの強い方だった。

「だからか……だから……」

 後ろ手に縛られたまま、項垂れる。

「ジェーム帝国がナサナに軍事援助をします……ジェゼロの国土と水瓶だけが目的の侵略で、きっと虐殺される。サウラ・ジェゼロが死んだのを好機としたんだ」

 絶望したように衝撃的なことを語る。そしてそれはあまりにも突飛で、嘘くさい。

「どうしてそのようなことを知った? そもそもシィヴィラ殿はどこから来た」

 大して驚いた様子もなく、陛下が問い返す。

「自分は……ジェーム帝国の第三巫女です」

 嫌な予感というのはよく当たる。

「ナサナ国へは親善の一環として来訪していました。そこで、神官様にあだ名す計画を聞き、知らせなければと……罪なき人が殺されるのはもう嫌なんです」

 ハザキもこの場に同席している。他に二人の警護と出入り口にも警護がついている。迷い人がただの子供なら違った対応をしただろう。だが、この外見は生き辛い。

「神官はその計画に加担していないと?」

「神官様はジェゼロと再び交友国となることを望んでいます。今回、自分がナサナ国へ行ったのは、本来けん制と理解を求めるためと聞いていました」

「ジェーム帝国の神官といえば帝王よりも権威が上と聞く。それに対して嫌気が差したということか?」

「それも、あるのかも知れません。ならば余計に、この忌まわしい計画は止めなければ」

 腕を組み陛下がしばし考える。

「詳しい計画は?」

 それまでとトーンが変わる。

「……そこまでは聞けず……」

 言い淀んだ相手を見る。小さく唇を噛み見えたのは恥じだ。

「なぜ確かめる前に逃げてこられた?」

 問いかけると観念したように息を落とした。

「神官様のご意向である帝王の血縁を、ジェゼロに嫁がせる話はナサナにも噂が行っています。そんな中……真逆の戦争を企てる話となれば逆にそれを理由にナサナを責めるのではと疑われます。だから、私は誠意を見せるために連れていかれたと知ったのです……」

 言い淀む先は黙っていても予想はつく。

「私は巫女です。娼婦紛いの仕事はできない」

 言うことすら悍ましいとためらいながら言う。その見た目なら男でも女でも好色には受けるだろう。ただ、ナサナの現国王は女好きと聞く。

「それで逃げてこられたか。追手はナサナ国の者で?」

「わかりません。追われていたのは確かです。ジェーム帝国に……神官様の元までたどり着ければ一番でしたが、それ以前に見つかればただでは済みません。それならば隣国ジェゼロの方が、たどり着ける可能性が高いと」

 穴は多いが、絶対にないとも言い切れない話だ。

「……神官様がお決めになったジェゼロ国へ嫁ぐ予定の王族を、ジェゼロに殺されたとしてナサナ国に手を貸すまでがきっと筋書きです帝王にとって彼女は邪魔だからっ」

 その言葉に陛下の心情に微かな動きが見える。後姿ばかり見てきていれば、表情を見ずともわかる物はある。

「縄を解いて差し上げろ」

 陛下が衛兵に命じる。

「いいだろう。シィヴィラ……ジェゼロはあなたを保護しよう。ただ、他国や国民にも当面は内密にしたい。城からは出てくれるなよ」

「はい、感謝します」

 それをただ黙ってみていたハザキと感想は似たものだろうとベンジャミンは内心辟易していた。



 ジェゼロ王として、シィヴィラの話をどこまで信じ疑うかが問題だった。

 ジェゼロは鎖国的な国だが他国の情勢をまったく得ていないわけではない。それでも、年々得られる情報が少なくなっているのは確かだ。

 急遽開かれた議会院で妙な話が出ていた。

 助けを求めに来たシィヴィラこそが帝国の寄こす予定だった妃候補ではないかという話だ。単にシィヴィラが馬車に乗り普通に来訪されたのならわかるが本人は違う意見だ。そもそも本当の話かもわかっていない。

 今は情報が極端に少ない状況だった。不確かさに振り回されることも、無視することも避けたい。

「推察の域ではあるが、その可能性も考慮しておく必要があるだろう。一先ずは、巫女殿は城内で丁重に保護する。場合によっては森で保護したと使者を送ろう。もし話が事実ならばこちらが情報を得ているとはまだ知られたくはない」

 事実かはさておいて、何か意図のある可能性もある。だから嫁などまだいらぬと言ったのだと付け足したいのを堪える。

「例の美少女が男性であるならば、換え腹は必要にしても、閨はいかがしましょう」

 女性陣の中でも空気を読まない女史の一人が発言する。

「そもそも換え腹は妃の仕事でもあるはずだ。子供を産めないとなれば国民の理解はどうされる」

「それを言ってしまえば、ジェームの姫君にその役をさせるのはあまりにも不適格。元より別に換え腹の用意は必要だったかと。嫁いできた相手がそれを理解したうえであのような女性に見える男を用意したと言うなら、ジェーム帝国の顔を立て閨にする必要があるのでは?」

 今は未曽有の危機になるかどうかと、それに対する対応の場ではなかったのかと胃がむかつく。今はそんな話の場ではないだろう。そもそも、換え腹などと言う悪しき風習は先代で完全に撤廃されたはずだというのに。

「換え腹はもうジェゼロの文化にはございません。そして、何よりも閨は陛下がお決めになる事。我々議会員でも決める事は許しません。陛下はまだお体が未熟ですから、御世継はまだ何年か先の話。そもそも、敵国となる危険を持つ相手を陛下の寝所へ入れるなどおぞましい」

 議会員のナンバー2であるエユが荒れかけた議会で静かに発言する。ハザキ議長よりも彼女の方がいざという時の実権はあるのではないかと思う。現に喧騒は止んだ。外政はハザキ、内政に関してはエユが強い。

 これ以上は議会院で話しても意味がないと、議会院長のハザキが口を開く。

「ナサナ国の情報収集と動向の調査は直ぐに人員を増やせましょう。ジェーム帝国は密偵に探りを入れるよう既に連絡が行っていた話、連絡を待つ方が得策かと。必要であれば、尋問を行いシィヴィラ様の話が事実か確認をする事も可能ですが、如何しますか?」

 ハザキが静まった議会員の前で最終確認を行いに来る。

「今は戦にならぬよう最善を尽くせ。必要に迫られた場合は尋問を許可するが今はまだ止めておけ、城内の動きはあえて規制をかけぬが、何かおかしな動きをしないかよくよく目を光らせて欲しい。わかってはいるだろうが、此度の話はまだ裏の取れぬ話だ。だからこそ漏らせぬ。口を噤むことを忘れてくれるな」

 空気を読まない男女もいるが、この場での内容は誰もが硬く口を閉ざす。議会員の選定は内密に行われるが最終確認は民意が反映される。選定段階で酒に酔わせ話を盗まれるかの確認もひっそりと行われるほどだ。

 議会が終わると議会員の女長エユ・バジーが珍しく残っていた。王は皆が去ってから退席する習わしがあるため待っていたがどうにも話があるようだ。

「エユ、先ほどは助かった」

 長いスカートの裾をつまみあげお辞儀を一つ返される。歳は前国王より少し上だが良き友だった人でもある。自分の育ての母とまではいわないが、自分にとっても重要な人だ。

「陛下、久しぶりに二人でお茶でもいかがでしょうか」

 先ほどの発言時とは違ういつもの柔らかい物腰で、後ろで待機するベンジャミンに一言も発せず失せろと告げている。

「御用がありましたらお呼びください。陛下」

 別の相手なら無視して立ち去らないが、ベンジャミンはエユに対してはハザキよりも敬意を払っている。一礼をした後、ベンジャミンが議会室から出て行く。

 エユが議会室の脇に置かれた飲み物を注ぎ直すと、近くの席に座る。

「エラ様、閨はお決めになられましたか?」

 静かだがごまかしのできない声で問われる。

「……先ほど、まだ子を成すには早いと言っていなかったか?」

 答えを無意識に先伸ばしてしまう。

「結婚した男性は基本的に閨にはできませぬので、もし想われる殿方がおられるならば早くに手を打っておく必要がありますから」

 茶化しもせず淡々と言われては冗談も返せない。

「ジェゼロの国王は男として生きるとはいえ、子を産むときと神子として役目を成す時だけは女性に戻れます。王になる器として産まれた不自由の上に、自分の子の親を……次期国王の父を選ぶ権利までエラ様から奪うことはしたくはないのです」

 手を取るとまっすぐに見て言われる。この話をここまではっきりとエユからされるのは初めてだった。それは、王である自分の逃げようのない、最大の責務だ。

「母は、前国王は、面倒だからと闇閨だったと聞いている」

「それは……サウラ様だったからです。エラ様が真似をしてはいけません。サウラ様から遺言を託されています。エラ様にはお相手をご自身で選んで欲しいと、それに誰も口を出させてはならないと……」

 歳を取っても綺麗な女性だ。年相応の白髪もあるが、芯がしっかりしている。癖のある前国王にも好かれていただけはある。

「……心配は嬉しいのだが、言われた通り私はまだ成熟したとは言えない。身だけでなく精神も未熟だ。だから、まだ、心に思う相手もいないのだ」

 そう嘯くとエユはとても寂しそうな顔をした。

「陛下が自由に生きられる世界であればと願います。お時間を作って頂き、ありがとうございます」

 立ち上がるエユを見送る。

 閉まったドアを見てため息をついていた。

 国王の父親は誰かわからぬまま事を済ます闇閨か、一切の政治干渉を制限され城にすら入れなくなる閨かに分けられる。それはつまり、傍に仕えられぬと言う事ではないか。

「エラ様?」

 出てくるのが遅くて、様子を見にベンジャミンが入ってくる。

「……エユ女史に何か言われましたか?」

 エユが座っていた場所に浅く腰かけると兄のように優しい声で問われる。

「王位を継ぐことよりも、大人になる方が重荷だな」

「昔は随分大人びておられましたのに?」

「生意気な餓鬼だったのは認める」

 エユのように手を握っては来なかった。

「ジェーム帝国に思惑があるならそちらの対応が最重要事項でしょう……それも立派な王の務めです」

 嗜め、うまく王として生きるように操る。ベンジャミン・ハウスがどういった男かは十分に理解している。王の付き人として、最適な人材だ。

「ああ、そうだな」

 たまに、どうしようもなく、情けない気分になる。

 立ち上がり、議会院室を出た。ベンジャミンは当たり前に一歩後ろをついてくる。決して足を踏まない距離を開け。それでも気配を感じさせても安心を与える。閨は、この位置にいられないということだ。



 壁一枚隔てた場所で眠るようになってもうすぐ一年が経つ。サウラ陛下御存命時、エラ様は王の部屋とは別の部屋だった。ベンジャミンは城ではなく城下にある孤児院のハウスから通っていたものだ。それにこれまでに二度、留学と称してジェゼロから離れていた時期もある。今も四六時中傍に仕えている訳でもない。書類仕事の間や他の者が陛下に付くことも少なくはない。その間に鍛錬だけでなくベンジャミン自身の雑務も多くある。

 この一年で変わったのは寝床が変わったことだけだ。それより前から少しずつ国王の仕事が引き継がれていた。サウラ様は病による死を予見していたのだろう。葬儀という異例でひと月は大変だったが、その後はあっさりと陛下は仕事を引き継いでいた。

 数年か数か月か後に、また寝床は変わるだろう。この狭い部屋は、本来自分がいるべき場ではない。

「ベンジャミン、まだ起きているか?」

 壁のすぐ近くから陛下の声がする。近くに来なければここまではっきり声は聞こえない。

「はい。喉でも乾きましたか?」

「いや……」

 少し言い澱む様な間が空く。

「ベンジャミン。ジェーム帝国へ偵察に行ってもらいたい」

 間の後の言葉は、はっきりとしていた。それに対する答えはいくらか時間がかかってしまう。

「謹んでお受けいたします。準備ができ次第、早急に」

「ぁぁ」

 酷く小さい返事が返ってくる。

 国王でもあり、それよりも親だった人を亡くした陛下が議会院で最初に決めたことは、ベンジャミンが今使っているこの部屋を側近に使用させることだった。心細い、一人では眠れないと、陛下らしからぬ弱音を受けて、癖しかない議会員はあっさりと折れたと言う。本来は閨が部屋に訪れる間、女官が使う部屋を、孤児であり、従者に使わせることを事もあろうに許可した。彼らはエラ様に甘過ぎる。

「陛下の御意志のままに……」

 そして自分も、この方にはつくづく甘い。



続きます。

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