どうか、
……わたしのようなものが、言える言葉など、……あまり、存在しないように、思いますし、価値も、無いように思います。
……けれど、削除されてしまった、お言葉を目にして、わたしが、感じ、思ったことを、ここに言葉として、刻みたくなり、
心として、伝えたくなりました。すべて、自己満足に。得てして、表現とは、そういったものであり、どこまでも、自由であるべきでしょう。
……それは、そう在りたいという、わたしという個人のたったちっぽけの表現者のちいさな吹けば飛ばされてしまうかのような、まるでたんぽぽの綿毛のような、ふわふわと空に舞って、いつ、地面に降り立つのかも解らないような不確かなものであり、心もとない思いだとしても、
綿毛にしてまでも、地面に降り立てたい 、と、いうような、ある意味、切迫した願いでもあり、……それらは、時折、強い言葉の迸りとなって、表層に現れるもの。
そういった思いで、削除されてしまったお言葉を見つめ、思いを見つめておりました。
わたしは、それに対しての言葉を、今、時点では、たったひとつしか、持ち得ていないように思います。
それは、生れ落ちるもの
……表現は、どこまでいっても、いったとしても、自由でありたいと思えるものであり、
生れ落ちるものだと、わたしは、思い、感じております。
表現者とは、それら、荒れ狂う 生れ落ちるものと常に対峙し、それを言語として、外に表出したいと願うもの。……常に、切迫したものでありましょう。
気取った言葉で、簡単に纏め、いい気になって、恥ずかし気もなく……と、思われる方も数多くいらっしゃるでしょう。
事実、……自らもそう感じながら、この気狂いめ、と、自らを罵倒しておりますが、それらは巡り巡って、全て自らに帰結しており、出口のないトンネルをずっと見つめ、見透かしておるような気にもなる、得体のしれない、気持ち悪さを内包しております。
読者の方には、読者の方の、出口のないトンネルをずっと見つめ、見透かして居るような気にもなる、得たいのしれない、気持ち悪さを内包していると感じてしまうような深さが、またそれぞれのお立場であるのでしょう、と、想像もしております。
それぞれのお立場で、生れ落ちるものを見つめ続けられるのでしょう。
……自らは、それを自虐的に、わたしは気狂いであり、なんとも、酷い有様だと自らを罵りますが、
そのようなことも無い真っ当な方々が、……このような、手をつねり、足をつねりあうような、そんなお姿を見せているように感じる度に、
ああ、なんと、才能の無駄づかいであるのか、と、ひどく、目の前が暗くなるような思いになってしまいます。
……気狂いの戯言なのですが、
どうか、才能の無駄づかいをおやめになられて、美しいお言葉をより多くの美しいものを、私に見せてくださいませ。
なにとぞ、宜しくお願い致します。
まとまりのない長文を申し訳御座いません。
……失礼致します。