08 勇者勧誘
「どうか、私の世界をお救いください」
彼女が本物だと理解されたのは、つい先ほどの事。
最初は可愛いのに中二だ、なんてヒソヒソと話し合っていた彼ら彼女達。
埒が明かないと思ったのか、彼女は魔法を行使した。
アニメや映画でしか見た事の無い、余りにリアルな現象。
それは単なる灯りの魔法ではあったものの、周囲の者達を信じさせるに余りある、強烈な破壊力を持っていた。
そうして再度、呼びかけたのだ。私の世界を救ってくれと。
それから何人かが立候補して、彼女の周囲は人が増えていった。
彼女は言った。
多ければそれだけ安全になる、と言うのは確かに真実だろう。
そして、見事救われたその時、莫大な報酬と限りない栄誉、更には私達からの感謝が与えられるであろうと。
そしてどのような望みでも叶えられ、未来永劫、言い伝えられるだろうと。
有体に言うなら、平和になったら何でもしてあげるって事だ。
そうして名誉に釣られた者。
勇者という名前に釣られた者。
後の報酬に目が眩んだ者。
邪な妄想の果てに選んだ者。
正義の想いで選んだ者。
後のハーレムを妄想した者。
国に君臨する事を望んだ者。
彼ら彼女らは、様々な想いを抱いて立候補した。
その結果、周囲の殆どの者が参加を表明し、ここに正式に契約を交わしたのだった。
「秋月君、後は君だけだよ」
そう、残りは彼ひとり。
しかし、彼は断った。
「どうしてだい。彼女は助けを求めているんだよ。なのに断るなんて、君はなんて冷たい人間なんだろうね」
正義の想いに突き動かされた彼は、相手を不甲斐ないと罵る。
「やっぱりあいつって臆病者なのよ」
「そうね、それに運動オンチだし、足手まといになるかも」
「良いじゃない、1人ぐらい」
よってたかって散々に貶めていく皆。
しかし、彼……秋月には漠然とした不安があった。
それゆえに、どうしても承諾する気にはならなかったのである。
どうして皆は気付かないの。
それでも疎外感を恐れた彼は、可能な限り情報を得ようと努力する。
なのにどうしても不安が晴れる事が無い。
悪辣な敵。
卑怯な者達。
情け容赦が無い。
形容詞ばかりで実態が見えてこない。
「それの名前は? どんな生き物なのですか」
「こちらの言語では表現できないのです。ですが、現地には翻訳の為の魔導具がございますので、安心してくださいね」
どんな生き物か、ぐらいは言えるだろう。
あれだけ形容詞を多用してきたのに、それがどんな生き物かと聞くと答えられない。
ますます不安が募る彼。
「いい加減にしろよ。秋月、お前、やっぱりブルってんだろ。ならもう、そこでずっと震えていろよ。巫女さん、こいつぐらい置いても良いよな」
「どうしてもとあれば、致し方ありませんが、多いほうが安全が増すのです」
逃したくないみたいにしつこい。
全員なら、情報漏えいにならないから?
向こうで処分する気?
彼はますます怖くなり、頑なに拒否する。
「そうですか……残念です……ううっ」
遂に泣き落としまで……秋月はもう、耐えられなかった。
だから彼らと離れようと、教室の端まで逃げていく。
「きゃはははは、臆病者確定だわ」
「どうやらそうらしいな」
「行こうぜ、巫女様よ。オレらが救ってやるからよ」
「そう……ですね」
どうして気付かないんだ。
彼女は敵の正体を言わないじゃないか。
どんな相手をどういう風に倒すのかを言わない。
もしかしたら、それは言えないような相手。
「それではこちらに集まってください」
いつの間にか机や椅子が消え去っており、そこには魔法陣が描かれていた。
そうしてその中に集まっていく皆。
気付けば何故か、皆は彼女の言葉に従順になっており、妙に素直に従っているような。
まさか、これはまさか……契約……奴隷……隷属……
「本当に残念ですよ。君にも参加して欲しかった」
名残りのように聞こえる言葉に、つい彼は反応してしまう。
「ごめん、僕には人殺しは無理だから」
空気が変わった。
今まで儚さを見せていた巫女の雰囲気が変わった。
それと共に周囲の者達の動きが止まり、見れば瞳も空ろになっている。
「よく気付いたわね」
やっぱり……彼は寒気を覚えたかのようにブルッと震える。
「やれやれ、私もまだまだのようですね。ですが、これだけの人間ならば問題はありません。それにしてもよく分かりましたね」
「みんなはどうなるの? 」
「もちろん戦ってもらいますよ。全員が死ぬまでに戦いが終わらなければ、また勧誘する事になるでしょうね」
「僕は何も喋らないよ」
「それは本当ですか」
「うん、本当だよ」
「それが賢明です」
(虚言での強制契約の策も外れましたか。これは完全に私の負けですね。まあ、ダメ元で継続にしておきますが、望み薄でしょうね。そもそもこれは言動のみの対策なので、タイピングや筆文は防げない代物ですし、漏れるのは諦めますか。当分はこの世界からは得られませんか)
「ではごきげんよう」
それっきり、クラスのみんなとの別れになった。
僕は気絶していた事にして、気付いたら誰も居なかったと証言した。
それが3年前の事。
確かに言葉では話さなくても、事件の真相を伝える手段はいくらでもありはしたが、それが荒唐無稽であればある程に、信じてもらえる確率は下がっていく。
信じてもらえなければどうなるか。
妄想か、中二病か、それとも何かの陰謀の共犯者なのか、どれにしろロクな結果にはならないだろう。
被害者が親しい者達ならまだしも、こちらを散々に貶めてくれた者達なのだ。
それに問題の相手は魔法も使うような存在だし、どうあっても勝ち目なんかありそうにない。
彼は相手との約束を守らなければ、何らかの攻撃があると信じていた。
ゆえに言葉では絶対に喋らず、どうしても必要なら文章での報告も考えていたが、遂にその機会は訪れなかった。
彼は元々、オタクっ気があった為に、その手の小説を知っており、しかも趣味が悪夢系だったから相手を疑えたのかも知れない。
彼からしてみれば勇者などは、隷属魔法やら隷属の首輪やらで奴隷にされる代物であり、戦いは血生臭い代物であり、脅威が無くなったら処分される代物なのであり、到底それを望もうとは思えなかったのである。
それが結果的に彼の命を救った事になる。
これからもし、自分達の周囲にそんな出来事があったとして、それでも応じるのだろうか。
剣で刺したら真っ赤な血を溢れさせ、恨み言をつぶやく相手を、その命を。
消せる自信がなかったのだ、彼には。
それが例え親しい者を殺した相手だとしてもきついというのに、そんな彼が見知らぬ世界の住民達の為に、それをどうして行えるだろう。
正義や目先の利益に囚われた彼らの自業自得だと彼は思い込む事にして、それでも反面教師の位置取りのまま地味に暮らしたという。
そうして老年になった彼は思うのだ。
彼らは後悔したんだろうかと。
もっとも、後悔したとても遅いだろうけど。
僕はそれなりの幸せを得たけど、彼らはどうだったんだろう。
見知らぬ世界の見知らぬ存在達の為に、身命を削って戦った彼らの、恐らくはもう生存していない彼ら彼女達の冥福を祈りながら、それでも思うのだ。
信じてもらえないのは確実だから言わなかったけど、それでも警鐘を発するべきだったのだろうかと。
あの事件の事を文章で残すべきだろうかと。