第7話 手術刀、光る
「闘う医者……お前ら全員がか? 全員が治癒魔導士のパーティなんて……」
「あ、それはちょっと間違いだな」
『追いはぎ医者』の言葉にキャラバはぴくりと片眉を上げ、首を振った。
「全員『医者』で、『魔導士』でもあるが、全員『治癒魔導士』ってわけじゃねえ。何を隠そう俺だけは……」
「リオ! 無駄話もいいけど、患者のことが先でしょうよ! ザインの方の仕事は終わったよ!」
話の途中で、アラムの声が割って入った。石膏粉で固められた白い円の真ん中に、アラムとユノー、そして2人の患者に体ごと覆いかぶさるようにして屈み込むザインの巨体があった。
ターバンをずらし、わずかに汗ばんだ額を拳でぬぐいながら、ザインは振り返った。
「出血はおおむね止まりましたが……少々、厄介なものがありますね」
「あー、成程。そう言えば私たち、『罠にかかる』のを待ってたんだったね」
ザインの指し示すものを見たアラムは思わず呟いた。男の方の肩に深々と突き刺さった、細く鋭い矢。罠から撃ちだされた矢は抜けておらず、どころかツチザメに襲われたどさくさの中でかえってより奥へ食い込んでいた。
「仕掛け弓ってやつだね。どっかにスイッチがあったんだろうな。先にこいつに引っかかって、その時に血が床にこぼれたんだ。ツチザメの群れはその匂いにつられて集まって来たんだろう。
何にしてもこりゃ、本格的な外科手術が必要だ。ウチの大将の案件だよ」
キャラバの方へちらっと目をやりながら、アラムは顎をひねった。
「背中の方に抜けてないのは幸いだ。この位置なら臓器は傷つけてないだろうが、ヘタに引っこ抜こうとすると大出血する恐れもあるね……いい加減、ツチザメの傷からも血を流しすぎてるし、これ以上の出血は命にも関わる。
とりあえず、抜けないように固定しとくか」
アラムは腰の粉袋を取り、中身をすべて男の冒険者――バナーの肩へ空けた。突き出た矢の軸が、石膏の粉に埋まったような格好になる。そのままアラムは手袋に包まれた右手を石膏の山に乗せ、矢ごと粉の塊を握り込んだ。
たちまち、銀の指輪から光がほとばしって粉を包み込んでゆく。粉の山の輪郭が固まってゆき、ざらついていた表面がつやを帯びはじめる。瞬きほどの間に、粉末だった石膏は一個の硬い塊になっていた。
「よし、と……ザイン、工具箱取ってくれる?」
ザインが荷物から工具箱を取り出し、蓋を開けて差し出すと、アラムはその中からペンチを取り出して、突き出した矢軸の長い端を切り落とした。
「これで運びやすくなったでしょ。後の処置は、まあ、遺跡を出てからやった方がいいだろうね」
アラムは頷き、手をはたき合わせながら立ち上がった。
「リオ、こっちはとりあえず片付いた! 続きは外へ出て、ちゃんとした病院でやった方がいい。あんたの方の話がついたなら、患者を連れてさっさと帰ろうよ!」
「おォ、ご苦労さん。ザインもユノーも、よくやってくれた。こっちの方の話もついたところだ。俺達と一緒に来るってよ、こちらの旦那」
「……おい! 勝手に決めるな!」
話がそこまで進んで、ようやく『追いはぎ医者』は我に返った。キャラバの腕の下からするりと抜け出すと、早くも患者を担ぎ上げようとしていたザインたちの前に立ちふさがり、魔導杖を脅すように前へ突き出した。
「おい、余計な真似をするなよ……2人を置いていけ。一度は俺が看たんだ、そいつらは俺の患者だ」
「……おいおいおい。何やら、面倒なことを言いだしたよ、この御仁は」
呆れたようにアラムは言い、両手を宙に広げた。『追いはぎ医者』は体をこわばらせ、魔導杖をぐっと前へ突き出した。先端に取り付けられた尖った金具が、揺れる明かりの中でぎらりと輝く。
「おい、動くな!」
「アラム、どうすんの? うるさいから、いっそコイツも『患者』にしちゃう?」
ユノーがベルトの金属筒に手をかけ始める。その腕をザインが優しくつかんで止めた。
「冗談でも、あまりそういうことを言うものではありませんよ、ユノー。私たちは人を治すのが仕事なのですから」
「冗談じゃないわ、本気よ」
「いえ、ですから……」
ザインとユノーが要領を得ないやり取りをしているうちに、『追いはぎ医者』はとうとう業を煮やしたらしかった。ものも言わずに身をひるがえすと、光る魔導杖を鋭く横薙ぎに振る。
アラムは一瞬で真顔になり、後ろの2人を突き飛ばしながら横へ飛びのいた。
その身体をかすめて、光る魔導杖の先端から光の刃が飛んだ。圧力さえ感じさせるほどの、強烈かつ指向性を持った光。空を切った光の剣は遺跡の石壁に当たり、ジッという軽い音とともに指先ほどの深さの切り傷をつけた。
アラムはごくりと唾を飲み込み、考えを巡らせた。石の壁を斬る光――魔力の刃だろうか? しかし、属性が分からない。あれだけ強い魔術なら、普通は魔力の気配でその正体が分かるものだが。
壁際まで後じさり身構えるアラムたちに対し、『追いはぎ医者』はいよいよ嵩にかかって魔導杖を振り上げ、一行へにじり寄っていった。
「さんざん勝手なことを言ってくれやがって、挙句に俺の獲物を横から攫おうってのか? この杖に、治すしか能がないとでも思ってるのかよ。
さあ、そいつらの手術は俺がやる! お前らはさっさとここから出てけ!」
『追いはぎ医者』は叫びながら、自分の声に触発されるように興奮を高めていった。魔導杖の先が揺れている。その金具からは魔力の光が漏れ、時々またたいてはアラムたちの顔をしらじらと染めた。
「面白ぇ工夫だな、それ。自分で作ったのか?」
横合いから、間延びした声が割って入った。
『追いはぎ医者』は弾かれたように半歩ほど後ろへ跳び、声の方へ魔導杖を向けなおした。
声の主――キャラバは、強烈な光を放つ魔導杖が自分に向けられていることなどまるで知らぬ風に、手を後ろで組んでニヤつきながら『追いはぎ医者』を見守っていた。
「てめぇ……てめぇもだ! 患者から離れて、そこの壁に手をつけ! そのままこっから出ていくんだ!」
喉を振り絞るようにして『追いはぎ医者』が叫ぶ。感情の昂ぶりと同期して杖の光も大きくなってゆく。キャラバはちょっと手を上げて額を掻き、納得したように頷いた。
「病院でお前さんの手がけた患者を診た時、妙だと思ったんだ。まだ切開して間がないってのに、あまりにキレイに治りすぎてた。どんなに手際よく切り刻んで縫い合わせたって、普通はどっかしら跡が残ったり膿みかけたりするもんだ。まして、薄暗がりでホコリだらけの遺跡内ともなりゃあ尚更だ。
何か、俺の見たこともねえ工夫をしてるんだと思った――それが、その変てこな魔導杖、いや、『手術刀』なんだろうな。光のメスだ」
「うッ……!」
マントの奥で『追いはぎ医者』は、唸るような声を上げた。キャラバは得たりとばかりに、クツクツと笑う。
「最初は炎の魔術――焼き切る魔術なのかと思ったんだが、それじゃ生きた肉体は斬れねえもんな。どえらい魔力を使わなきゃならなくなっちまう。
だが、『光』そのものなら……太陽苔の光は炎の魔力で出してるが、本物の「太陽」ってやつみてぇに地面も生き物も平等に照らして温める。それと同じだ。エネルギー源は魔力でも、放出された光は魔力じゃねえんだ。命の力に弾かれることはねえ。
見たところ、その魔導杖には妙な金具が色々とついてるが……さしずめそいつは、光を圧縮して強化するための補助具ってとこか。虫眼鏡で光を集めて、黒い紙を燃やすみてえに。どうだ、当たりか?」
キャラバは挑発するように指を振る。『追いはぎ医者』の肩が震え、杖の光が通路全体を照らすほどに広がった。
「ベラベラと喋ってんじゃねえッ! 分かったらどうだってんだ! もっと理解らせてやろうか、その体でよぉッ!!」
叫ぶが早いか、『追いはぎ医者』は魔導杖を振りかぶり、キャラバ目掛けて飛びかかった。石をもたやすく両断する、致命的な光の刃が迫る。避けるヒマすらなく、キャラバの大柄な体はそのまま正中線でまっぷたつになるかと思われた。
その時――横から小さな袋が投げ込まれ、『追いはぎ医者』の身体に当たった。と見るや、袋は破れて中身があたりにぶちまけられる。靄のように広がる、粒子の細かい白い粉。石膏の細粉だ。
「うっ……何だ、こりゃあ!」
視界を塞がれ、『追いはぎ医者』は立ちすくんだ。魔導杖の光は、粉のとばりの中で拡散し分散していく。「刃」は消え、ぼやけた光の丸い輪郭だけが空気中に描かれた。
キャラバは迷わず動いた――巨体がすべるように動き、あっと思った次の瞬間にはもう『追いはぎ医者』の目の前まで迫っていた。魔導杖を持った腕を上げる間すら与えず、キャラバの右腕がバネ仕掛けのように跳ね上がる。その手には、例の警棒まがいの魔導杖が握られていた。
ごッ。
鈍い音と共に、キャラバの杖が『追いはぎ医者』の右腕を打ち据える。握られていた手術刀は叩き落され、光を失いながら床を転がっていった。
「ち……畜生!」
右手を押さえ、『追いはぎ医者』は呻くように言った。キャラバはその右手を掴むと、容易に後ろへねじ上げた。
「気の毒したな、痛かったろ。まあ骨まで折れちゃいないはずだ。我慢しな。
しかしまあ、アレだ。よく察してくれたな、アラム。助かったぜ」
顔を横に向けて笑みを送ると、アラムは眼鏡を直しながらフンと笑った。
「ワザとらしいんだよ、リオ。あれだけ長々と喋られたら、流石に気づく」
アラムは「光のメス」に対するキャラバの種明かしを聞き、その攻略法を察したのだった。射出しているのが魔力でなく光ならば、光を遮るものを投げかけてやればいい。石膏粉を煙幕がわりに投げてやれば、光は乱反射し拡散してしまい、メスの役割を果たさなくなる。
「クソッ……何なんだ! お前ら一体、何なんだよ!」
キャラバに腕を極められ、動きを封じられた『追いはぎ医者』は、自棄ぎみに叫んだ。キャラバは指で相手の額あたりをつつき、言った。
「だから、さっき教えたろ? 俺たちは闘う医者のチームなのさ。患者を治しに行くためならば、多少腕を振るうこともいとわない。その結果、少しばかり患者が増えたところで、それはそれだ」
「あなたまでがそういうことを言っているようでは、困りますねえ。キャラバさん」
ザインが後ろからたしなめるような口調で言う。キャラバは鼻白んだ様子で首筋を掻いた。
「冗談だよ、冗談……ま、半分がたはな。
さて、それはともかく手ェ貸してくれ。連れていく前に一応、こいつの腕を縛っておく。また暴れだされても面倒だからな。包帯あるか?」
「あるけど……キャラバ巻くのヘッタクソでしょ。あたしがやるわよ」
ユノーがこまっしゃくれた口調で言い、荷物の中から包帯を取り出そうとした。
その時だった。
「……ちょっと、待って」
荷物を探って忙しく動いていたユノーの手が、ふと止まった。顔は青ざめ、指は遠目に見ても明らかに震えている。アラムが怪訝そうな顔でユノーの傍らに屈み込む。
「どうしたの、ユノー?」
「風が流れてる……嫌な風! 強い風が、奥から来る! 何かとてつもなく大きなもの、血の臭いの染みついたものが、こっちに向かってくる!」