第62話 ともしびの決死隊
しばらく、バーティの荒い息遣いだけがテントの中に響いていた。やがて舞い散った黄金の宝飾品が落ち着き、バーティの呼吸も静かになると、キャラバが穏やかな調子で口火を切った。
「……ま、家族の話し合いはここを生きて脱け出た後にゆっくりやりゃいい。今は、表のグロブスターをどうするかが先決だ」
キャラバはその場に腰を下ろし、目の縁を赤くして唇を噛んでいるアンジーに声をかけた。
「親父さんの病状が一刻を争うものじゃないってことは、理解できたな? とりあえず患部を洗い流して、水銀の摂取をやめりゃあ、頭の具合もだんだんとまともに戻ってくさ。盗賊一家の親父ってのが元々どれだけ『まとも』かって問題には、議論の余地があるだろうがな」
キャラバの言葉に、アンジーはただ力なく頷くだけだった。コヴが後ろで、兄と妹のどちらに駆け寄るべきか決めかねている様子で立ちすくんでいる。キャラバは力づけるようにニッと笑うと、まだ虚脱状態にあるバーティの方へ視線を投げた。
「もう一遍聞かせてもらおうか、頑固な兄さんよォ。俺に魔導杖を返してこの状況を一気に打開するか、それともこの中にまだしばらく滞在していがみ合いを続けるか、どっちか選んでもらおうじゃねえか」
そう問われても、もはやバーティの目に先ほどのような厳しさはなかった。すぼめた口から細く息を吐くと、横を向いて吐き捨てるように答える。
「……勝手にするがいいや」
鎖付きの魔導杖は未だ握っているが、魔力の気配はない。キャラバはやれやれといった顔つきで首を振ると、再び向き直り背を屈めてアンジーの顔を覗き込んだ。
「ってわけで、兄上どのの許可は出た。魔導杖を返してくれんかね、妹さんよ」
「……杖?」
きょとんとした顔で、アンジーは濡れた瞳を見開いた。キャラバはじれったそうに足踏みする。
「そう、杖だよ。あの警棒みたいなやつ。俺の記憶じゃ、最後にはあんたが拾って持ってたと思うが?」
アンジーは反射的に体をまさぐり、持ち物を探した――が、何もない。手に溶接でもしたのかというくらいにしっかりと握りしめている拳銃を除けば、アンジーは全くの手ぶらだった。流石にキャラバの表情も曇ってくる。
「おいおい……どうしたんだ、しっかりしてくれよ! 人からの預かりものを、どっかへ落としてきたッてんじゃないだろうな?」
「落として……そうか!」
その言葉でアンジーは叫び、顔色を変えた。
「あの時だ……グロブスターを撃った時、転んだ拍子に持ってたもんを全部……」
「全部落として、置いて来ちまったのか! ゼリーの真っただ中に!?」
声を上げて後の言葉を引き取ったのは、意外にもディンゴだった。こちらの顔もまた、アンジーと同じくらいに青ざめている。
「ふざけんなよ……お前、俺の『メス』もぶん捕って持ってたろ! アレも置きっぱなしか!? ありゃ特別製で、替えが利かな……」
「はいはい、話をややっこしくすることは言わないの」
立ち上がりかけるディンゴの襟首を、ユノーが掴んで強引に引き戻す。
「あんたの杖が大事なのはわかるけど、今はキャラバの話が先決よ。あれがないと私たち、ずっとこんなズダ袋の中へ押し込められたままなのよ? 息が詰まっちゃうわよ、ホント」
「誰かが取りに行くしか、ねェんじゃねえかな」
それまで口を挟むことも出来ず、引き綱を木に括りつけられたまま嵐の中へ放っておかれた飼い犬のように状況を眺めていたコヴが、ぽつりと呟いた。
「誰かったって、誰がだよ?」
腕を組み、まだ苛立ちの残る顔でディンゴが応じる。
「外へ出たらあのゼリーども、俺たちを見つけてまっしぐらに襲いかかってくるぜ。キャラバのおっさんが言うとおり、グロブスターってのが大した魔物じゃなかったとしても、今の俺たちには有効な攻撃手段がねえ。あんだけのサイズにのしかかられたら、ちょっと助からねえぞ」
「そりゃあそうだが、けど、それは杖が無くたって同じことだぞ。ここでいつまでもじっとしてるわけに行かねえし、いずれは外へ出なきゃならねえんだ」
苛立ちや怒りよりも当惑の色を顔に浮かべながら、コヴはぐずぐずと述べ立てた。と、傍らのアンジーが不意に立ち上がり、拳で目元をぐッと拭って顔を上げた。
「分かったよ……あたしが行く」
「お、おい! 正気かよ!?」
ディンゴが思わず声を上げ、アンジーの顔を見上げた。
「だって、仕方ねえだろ! 杖を落としたのもあたししくじり、兄貴を無駄に疑ったのもあたし……落とし前をつけるのは、どう考えたってあたしだ」
「ッたってお前よォ……何か手立てはあるのかよ? 何の考えもなく外に出たって、一瞬で食われて終いだぞ」
敵味方に別れて争っていたことも忘れ、ディンゴが気づかわしげな声を上げる。が、アンジーはかえっていきり立ち、噛みつくように言い返した。
「でも、他に何か手があるってのかよ! あたしがどうにかなったって、魔導杖さえ持って来られればいいんだ。戻ることを考えないで飛び込んでって、杖だけ拾って投げ返せば……」
「ええい、止さねえか、アンジー!」
事ここに到って、黙って立ち尽くしていたバーティが不意に叫び、アンジーの左手首を掴んだ。その目には怒りの炎が灯っていた。アンジーはたじろぎ、思わず足を止める。
「何だよォ、兄貴! あたしはただ、落とし前を……」
「それが余計だッてんだ! 何もノコノコと命を捨てに出てくこたァねえんだ。ちったあ策を考えろ!
まったく、お前らときたらいつもこれだ……ろくに考えも相談もせず、1人で勝手にこうだと決めて飛び出していきやがる! 俺に決めてもらわなきゃあ何にも考えられねえのか、お前らは!」
「いや、そう言われると……面目ねえ、兄貴」
コヴが剃り上げた頭を掻きながら頭を下げる。
バーティの剣幕にすくみ上りながらも、その表情はどこか満足げだった。バーティが再び力を取り戻し、場の支配権を握っていることが、嬉しくて仕方ないとでも言いたげな様子だった。そしてそれは、手首を掴み上げられているアンジーにしても同様らしかった。
「じゃ、じゃあ、策があるのかい、兄貴には!」
どもりながら聞き返すアンジーに、バーティは低く舌打ちをしてから、一同をぐるりと見回した。
「何も俺だって、そちらのキャラバ先生だけをアテにしてここまで逃げ込んだわけじゃねえ。はばかりながら俺たちゃバッキー一家だぜ。多少の修羅場は潜ってきてるのよ」
キャラバの方を一瞥し、バーティはひょいと身を屈めると、床に敷いてあったシャイクスの寝床をぐっと掴み上げた。汚らしい毛布が埃の中から現れる。咳き込む一同に向かって、バーティは毛布を突き出した。
「こいつに火をつけるんだ。光と熱でグロブスターは遠ざけられる」
「ンなもん、すぐに燃え尽きちまうだろう。多少の時間稼ぎにはなるだろうが、ここから抜け出せるほどじゃねえぞ?」
腕を組みながらキャラバがむっつりと口を出す。バーティは動じる風もなく、にやりと笑った。
「ま、そう言われるだろうとは思ってたぜ……だが、単に燃やすだけじゃねえ。固く巻きしめたうえ、こいつをたっぷり含ませる」
言いながら床から拾い上げたのは、琥珀色の液体が入った瓶だった。シャイクスの酒瓶だ。ディンゴがぱちりと指を鳴らす。
「なるほど、毛布をたいまつ――いや、ランプの芯がわりに使うってわけだな。それなら、だいぶ長く保ちそうだ」
「ありがてえことに呑んだくれの親父がいたお陰で、安酒だけはふんだんにあンのよ。燃やすものだってある。盛んに火を焚いてやってグロブスターどもに道を開けさせ、ゆっくり魔導杖を取りに行きゃアいい」
「おや、そうすると、やっぱりお前さんも俺が杖を持つことは許してくれるってんでいいんだな」
キャラバが口を大きく歪めてからかうような笑みを作る。バーティはと言えば、むっとするかと思いきや、かえってもっと大きな笑みで迎え撃った。
「無論、キャラバ先生の後ろには常に俺がつく。何かシャレたことを思いつきやがったら、すぐさま俺の魔術が背中に飛ぶってことだ。覚えといておくんなさいよ、先生」
「……けッ、どこまでも可愛げのねえ野郎だ」
忌々しげに舌打ちをするキャラバと、魔導杖を肩に担いで微笑むバーティを見て、コヴとアンジーは顔を見合わせた。こんな状況だと言うのに、2人の顔は既に晴れていた。兄貴に任せておけば安心だ、とでも言わんばかりだ。
「それで、この毛布のたいまつだけど……誰が持ってくんだ?」
横合いからディンゴが口を挟む。手元では早くも、毛布を几帳面に折りたたんで一本の巻筒を作ろうとしていた。バーティは少し考え、火のついていない葉巻をひくつかせる。
「キャラバ先生は一緒に行ってもらわにゃなるめえな。魔導杖を手に入れたら、すぐさま魔術を使ってもらわなきゃならねえんだ。だが、杖を使う邪魔になるから、先生が自分で筒を持ってくわけには行かねえ。持ったら両手が塞がっちまうからな。
さっきも言った通り、俺は先生の後ろについて見張ってなきゃいけねえ。この中でまともに魔術が使えるのは俺ひとりだ。で、俺にしたところでこの杖を使わなきゃならねえから、両手は自由にしておきたい。
ここはもう一人、たいまつを持って露払いをしてくれる奴が必要だが……」
「じゃ、じゃあ、俺が行かァ。こういう時、俺の取柄は腕っぷしだけだからよ」
コヴが声を上げ、立ち上がった。バーティはフンと喉の奥で呟き、ゆっくりと頷いた。
「ま、それが良さそうだな。親父にもしものことがあっても、医者をテントの中に2人残しときゃ安心できる」
「……いや、俺は外科医だし、今は『メス』もねえんだから、あんまりアテにしてもらっても困るかなと……」
ディンゴはにわかにうろたえ、受け太刀に回る。すかさず脇腹にユノーの肘打ちが飛んだ。
「この期に及んでみっともない言い訳しないの! ザインの授業を受けたんでしょ? どんな患者にも対処できるようにしろって言われなかったの?
まあ、せいぜい覚悟決めて頑張んなさいよ……あたしの助手として」
「ちぇッ、威張ってやがら」
ずけずけと言い立てられ、ディンゴはぼそりと呟くことしか出来なかった。バーティは帽子のひさしを下ろしてくつくつと笑い、やがてふと真顔に戻ると、アンジーの方へ顔を向けた。
「おめえも、ここに残れ。親父と先生がたを頼んだぞ。銃を手放すなよ」
「兄貴……でも!」
アンジーはハッと顔を上げ、懇願するような表情をバーティに突き付けた。「落とし前」をつけさせてほしい――そう願っていることは誰の目にも明らかだったが、バーティは無表情に首を振った。
「残れ、と俺は言ったんだ。考えもなしに命を捨てたがる奴なんぞ、危なっかしくて連れていけるかよ」
「兄貴、あたしは……」
「これ以上言わすなッ!」
ぴしりと鞭打つような声が辺りの空気を震わした。アンジーとコヴ、それからディンゴとユノーまでが、本当に鞭で背中でも打たれたかのようにびくッと跳びあがる。
「なあ、アンジー……詫びるなよ。グズグズと思い悩むのも、家族の内で何やかやと遠慮するのもやめろ。俺たちゃそんなに賢かねェんだ。ひとつ家族ン中でごちゃごちゃと策を巡らし合ってもよ、仕方ねえじゃねえかよ」
言葉の終わりは、部屋の奥でまだうずくまっているシャイクスに向けられていた。子供のように頭を抱えて突っ伏していたシャイクスは、たるんだ頬を震わせながら顔を上げ、落ちくぼんだ瞳を恐るおそる上げて息子の顔を見た。バーティは帽子の陰から、ほんの一瞬だけ優しい目を見せた。
「それじゃ、行くとしようかい……なァに心配するな、なんてこたねえ冒険だぜ。百戦錬磨の大パーティに追いはぎ仕掛ける時に比べりゃあな」
「妙な喩えを持ち出すない。ピンと来ねえんだよ、こちとらお前らと違って真人間なんだから――ディンゴを除いて」
キャラバが軽く肩をすくめながら応じる。むきになって何か言い返そうとするディンゴに視線すら投げず、キャラバはくるりと背を向けた。その足は、布を垂らしたテントの出口へと向かう。バーティとコヴも後へ続いた。




