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第5話 壁の中の脅威

~ 同じころ、少し離れた場所で…… ~



 暗闇の中だったが、男はためらうことなく大股に進んだ。出力を絞った魔導灯が足元をぼんやりと照らしている。勢い良く足を踏み出しているにもかかわらず、足音は驚くほど小さい。ブーツに厚く布を巻きつけているためだ。濃い臙脂色のマントは、乏しい光源の中でほとんど闇に溶けて見えた。


 マントの下で、肋骨に添わせるような形に吊るしてある魔導杖を、男はいとおしげに指で撫でた。またこいつにひと働きしてもらうことになる――先ほど、行く手からは悲鳴も聞こえた。石の壁を伝って、もがくような物音も伝わってくる。「患者」は近い。


 今回の収穫を頭の中で計算しつつ、男は足音を殺して「患者」の元へ駆けつけた。取り落としたランプが床に転がり、その明かりが地面に倒れた2つの人影を浮き出させている。


 じたばたと暴れているのは、どうやら2人連れの若手冒険者らしい。片方のシルエットに長く突き出た剣が見え、そちらは剣士らしいと分かった。軽装の魔導士らしき男と、簡素な鎧に身を包んだ剣士風の女の2人連れ。暗がりにも装備の粗末さはありありと見て取れる。今回はハズレのようだ。


 だが、多少なりとも稼ぎになる仕事ならやらないよりはマシというものだし、何より医者が患者を前にしてそのまま帰るというわけには行かない。心中舌打ちしながらも、男は「患者」の元へ向かって歩いていった――と、その時だった。


「……!?」


 やおら男はマントを翻して飛びのいた。マントの裾が宙へヒラヒラと波模様を描く――と、その曲線を何やら黒いものが掠めて飛び過ぎた。


(何だァ……罠でも踏んだか? いや、しかし、そんな感覚はなかったが……)


 男は心の中で呟き、床へ片膝を突いて素早く辺りを見回した。

 魔導灯の出力を上げ、ぐるりと周囲を照らす。仕掛け弓や弾丸の飛び出すような穴は開いていない。何の変哲もない石壁がみっしりとそびえ立っているばかりだ。

 腑に落ちぬ様子でなおも首をめぐらす男に、倒れていた「患者」が気づき、かすれた声を出した。


「あ……あんた、気をつけろ……! また、『襲ってくる』ぞ!!」


「あァ?」


 思いもよらぬ言葉に、マントの奥に隠れた瞳が揺れた。男は魔導灯を左手に持ち替え、慌てて魔導杖を抜こうとした。しかし……


「……!!」


 視界の隅にちらりと動くものを捉えて、男は振り向き、息を呑んだ。魔導灯の作る光の円を避けるように、何か黒く小さなものが動いている。石の床、石の壁の上を、滑るように。


「なんだ、こいつは……何だ、こいつらは!?」


 男が思わず口走った。思わず答えを求めて「患者」の方に目を向け、またも男は驚きに身を震わせた。よく見れば地面に倒れた「患者」2人の身体は傷だらけで、流れだした血が床に奇妙な楕円模様を描いていた。


 男の方の肩には深々と矢が突き刺さっていたが、血の大部分はそこから出たものではない。2人とも、腕と言わず脚と言わず体のそこかしこに引き裂いたような傷を負っている。傷自体はそう大きくも深くもないようだが、何しろ数が多い。

 遺跡の罠で出来るような種類の傷ではない。何か小動物の群れにでも襲われたような――しかし、一体何に襲われたというのか?


 男がそこまで考えた時――その「答え」が、周囲の壁から一斉に襲いかかってきた。



   *   *   *



~ ふたたび場面は戻り、キャラバたち一行は…… ~



「……なんか、嫌な空気。妙にどんよりしてるし、粘りつくみたい」


 キャラバの後ろを走るユノーがぽつりと呟いた。アラムはそれを聞きとがめ、案ずるような表情になる。


「何が『嫌』なのか、分かる?」


 聞いてみたものの、ユノーは眉をひそめて首を振った。


「ぼんやりした感じで、風もつかみどころがなくて……ただ、よくない雰囲気だよ。血の臭いもするし」


「何にしろ、もうじき分かるこった! ほれ、見ろ!」


 キャラバが荒い息の下から叫び、前方を指さす。

 ランプらしき明かりが通路を温かい黄色に染めていた。その光が、いくつかの蠢く影を照らし出している。人影だ。立って動いている者の陰に、倒れている者もいる。光線の具合から言って、ランプは地面に転がっているらしい。


「今しがた、ただならぬことがあったって雰囲気だな……」


 アラムが呟くと、キャラバも真面目な顔で頷いた。


「出血があるなら、まずはお前だな、ザイン」


 キャラバが顎をしゃくると、ザインは頷いて前へ進み出た。

 両腕をそびやかすと、貫頭衣の下から丸太のような腕が現れる。褐色の皮膚には、うねるような紋様がくろぐろと刺青されていた。『うちびと』が魔術に使う「契約印」である。


 魔神との「契約」として特殊な刺青を体に刻み、己自身の肉体をひとつの魔道具のようにして魔力を引き出す――それが、『うちびと』の間に受け継がれる古代魔術だ。ザインが腕に力を込めると、黒い刺青は燐光のような青い光をうっすらと放ちはじめた。


「待った、ザイン!」


 最後尾からふいにアラムが声を上げた。


「追ってたパーティは確か2人連れだったよな? どうして『3人』いるんだ!?」


 全員が一旦足を止め、前方に目を凝らした。確かに、床へ倒れて力なくもがいている人影が2つと、マントを翻して何やら暴れている人影が1つ。倒れている2人組が先ほど悲鳴を上げた若手冒険者たちだとすれば、立っている人物は……


「『追いはぎ医者』か!」


 キャラバが色めき立つ。が、その表情にふと影が差した。


「狙い通りおびき出されてくれて、スンナリとお近づきになれそうなのは有り難いが……ありゃ、何やってるんだ? 治療ってわけでもなさそうだが……」


 キャラバは首をひねりながらも足取りを緩め、激しく手足を振り回している『追いはぎ医者』にじりじりと近寄っていこうとした。

 と、その時だった。


「くそッ……いい加減、離れろォ!」


 怒号と共に、『追いはぎ医者』らしき男は腕を振り上げた。その手の先には、異様な金具に補強された得体の知れない魔導杖――と見るや、たちまち金具の先端に強い光がともる。男は腕を鋭く振り下ろし、先端の光で虚空に弓の形を描いた。


 白い「弓」は男のシルエットを縦に両断して(はし)り、空中で何かに激しくぶつかった。弾き飛ばされた「何か」は回転しながらすっ飛び、一歩前に出ていたキャラバの肩口へまともに当たった。


「うおッ……!?」


 キャラバは驚きに目を見開き――次の瞬間その表情が苦痛に歪んだ。コートの強靭なドクイバラ繊維が破られ、布の裂ける嫌な音が響き渡る。跳ね飛ばされてきた「何か」が牙をむき、キャラバの腕に食らいついたのだ。


「リオッ!!」


 アラムの叫び声が通路にこだました。しかしキャラバは、大柄な体をこゆるぎもさせずに片腕を突き出し、平手で「待て」のジェスチャーをした。


「大丈夫だ、何てこたァない……しかし、うかつだったな。俺としたことが。もっと早く気づいてもよかった。こりゃあ、ツチザメだ」


 キャラバは左腕を上げ、二の腕に食いついた黒い物体を示した。黒い三角の頭をした、猫ほどもある生き物。背中に突きだした三角のヒレをしきりにバタつかせ、食いついた肉をちぎり取ろうと躍起になっている。まさに極小サイズのサメだ。


 ツチザメは、地中に暮らす魚の魔物である。体から大地の魔力を放出し、周囲の土を水のように柔らかくすることで、その中を泳ぎ移動する。遊泳速度は地中の生物の中でもトップクラスである。

 群れを作って一定の航路を回遊する習性を持ち、地中の哺乳類やツチドリを主に捕食するが、時にはその速度を利用して勢いよく地上に跳ね上がり、地上の動物の肉を食いちぎることもあるという。


「人工の石壁ン中でツチザメの群れが回遊してるって話は聞いたことがなかったもんで、想像が及ばなかったぜ。考えてみりゃアあの壁の擦り傷、ツチザメの群れが背ビレで切り裂いた跡そのものだ」


 キャラバは他人事のように呟くと、なおもじたばたするツチザメの身体を大きな右手で掴み、親指と人差し指でぐッと締め上げた。鈍い音がして顎が砕け、ツチザメはキャラバの左腕にくっついたまま動かなくなる。


「壁の中でざわついていた魔力の正体は、コレだったわけか……」


 アラムも右手の黒手袋に手をかけながら頷く。


 よく見れば、2人の冒険者と『追いはぎ医者』の周りの床や壁には、無数の黒い背ビレが浮いては沈みしながらグルグルと旋回し、まとわりついていた。地中から飛びかかるタイミングを窺っているのだろう。既に倒れた2人の身体にはツチザメが2,3匹食いつき、尾びれを左右に打ち振っていた。勢いをつけ、肉を食いちぎろうというのだ。


「なるほどな。『追いはぎ』の先生はこいつらと戦ってたわけか……うん?」


 キャラバはふと『追いはぎ医者』の方に目を向けた。相手は突如現れたキャラバたち一向に驚き、一瞬サメから身を守ることも忘れているようだ。広げた腕の動きが止まり、魔導杖の光も弱まっている。その姿と、足元に倒れている患者を見比べて、キャラバはやにわに口元を緩めた。


「そうか……そういうことかい。なかなか大したもんだ。

 ともあれ、このままじゃマズいな……アラム!」


「分かってる。こういう手合いならまず私が出ないとな」


 アラムは腰に手をやり、ベルトに吊るした革袋を取ると、右手のひらの上に中身を出した。白く、粒子の細かい粉末――石膏粉末だ。手袋に包まれた右手で粉をひとつかみ握りしめると、人差し指の指輪が白く輝きだす。魔力の光だ。

 そのままアラムは、倒れた2人の冒険者めがけて狙いを定め、手のひらを滑らすようにして石膏粉を床の上へ撒いた。と、白い粉末はバラけることなく、一枚の膜のように床や壁に広がり、白く輝くヴェールとなって一帯を覆ってゆく。


 たちまち、その部分だけツチザメの動きが鈍くなった。尖った鼻先が白い膜を突き破ろうと飛び出してくるのだが、膜にはじき返されて沈んでゆくばかりである。石膏の粉に込められた魔力が、ツチザメの出す魔力に干渉しているのだ。

 キャラバ一行から「患者」の居る場所まで道のようにして、白く輝く安全地帯が形成された格好になる。アラムはふッと息をついた。


「そんなに長く()ちゃしないから、ノンビリしてるわけにはいかないけどね……とりあえず、少しの間だったら食い止めてられるよ」


「上出来だ。まずは患者の安全が第一だからな。アラムとユノーはそのまま、ザインを患者のところへ連れてってやってくれ」


「あなたはどうするんです、キャラバ?」


 ザインが聞くと、キャラバはニヤリと笑い、コートの下のホルスターから武骨な魔導杖を抜いた。握りの部分に滑り止めの格子模様が入った、大きめの警棒のような代物だ。


「俺は……ちょっとばかし、『追いはぎ』どのとお近づきになって来るさ」

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