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第2話 その男キャラバ

「――それで、そいつはどこへともなく逃げ去ったってわけかい……いやはや、冗談みたいな話だね」


 エルクラップ・マーレは肩をすくめ、たるんだ顎を揺らしながら首を振った。ベッドに横たわった男が、心外そうに声を荒らげる。


「冗談じゃねえよ、先生。現にこのとおり、手術の跡があったじゃねえか」


 男は自分の右脚を指さした。膝から下はギプスに覆われ、倍ほどに太くなっている。マーレはベッドの脇に椅子を置いて腰かけ、丁寧に包帯を巻きなおしているところだった。


 ここは第10大隧道の冒険者街にある診療所、マーレはその所長だ。くだんの男は穴倉から何とかかんとか這い出した後、剣を杖がわりにやっとのことで冒険者街まで帰還し、マーレの病院へ担ぎ込まれたのであった。表通りに位置するマーレの診療所は、治療の腕の確かさと妥当な料金でそれなりに評判をとっている。


 マーレ当人の人柄も評判に一役買っている――エルクラップ・マーレをひと目見れば、十人中九人までが「こいつは恐らく害のないやつだ」と思い、そして十人中十人が「こいつは恐らくビールが好きだ」と思うだろう。事実その通りである。歳は50がらみ、後退した額に未練がましく前髪の名残を貼りつけ、丸々と太った身体と顔は子供向け絵本のキャラクターを思わせる。


 今日のところは診療所もヒマらしく、4つのベッドを据えつけた病室に患者は男一人しかいない――いや、もう一人人影があるにはある。しかしそれはどうも、患者ではないらしい。腕を組み、空いたベッドに我が物顔でどっかりと腰を下ろしている。


 年季の入ったドクイバラ繊維のコートに身を包んだ、大柄な男だ。広い肩幅と太い腕、そしてがっしりした顔に刻まれた無数の傷跡は、くぐってきた修羅場の数をいやがおうにも想像させる。髪は白いもののちらちら混じったマホガニー色。あまり病院には似つかわしくないタイプの男だった。


「キャラバの旦那はどう思う? お前さんが知りたがってたのは、今みたいな話じゃなかったかね?」


 マーレは包帯を巻く手を休めずに、顔だけ上げて大柄な男に話しかけた。男――リオンナード・キャラバは、四角い顎をひねりながら答えた。


「ああ、聞いた話からすると、まさしくそいつは俺の探してた『追いはぎ医者』だ」


「追いはぎ医者ァ?」


 足を折った男がオウム返しに聞き返す。


「そうだ。深層で怪我を負ってくたばりかけてる奴のところへ現れちゃ、スゴ腕の外科技術で治療を施して、命を救う代わりに身ぐるみ全部はぎ取っていくって医者だ。顔までマントでくるんでて、顔を見た奴は誰もいないとか」


「そ、そいつだ! そうだよ、俺が会ったのは多分そいつなんだ! 知らなかった、そんな有名なやつだったなんて……」


 興奮する男を尻目に、マーレはのんびりとした声で口を挟んだ。


「ほら、ちょうど今日焼かれた夕刊にも、そいつのことが載ってるよ」


「なんだ、新聞屋のやつ、もう夕刊焼いてたのか。俺が行くといつも準備中なんだがな……まあいい、見せろよ」


 キャラバはマーレが差し出した夕刊をひったくり、覗き込もうとベッドの上から伸びあがる患者と奪い合うようにして紙面を眺めた。


 大竪穴において、新聞は魔導印刷機により「焼き上げ」られる。まず新聞社が作った原稿を魔力の信号にして、各地の販売所へ送る。販売所は魔力を印刷機で受信、炎の魔力に変換して紙に焼き付けるのである。


「どれ……ふん、ギルド協同組合より深層の冒険者に警告、治療費と称して金品と奪う負傷者狙いの追いはぎが横行……か。医療ギルドの声明も出てるなァ。自分らのトコの医者は『追いはぎ』とは無関係だとよ」


「ギルド協同組合に加えて医療ギルドがわざわざ新聞に声明出すなんて、『追いはぎ』医者どのも出世したもんだよなあ。なんにしてもそいつが実在することに関しては、ギルドのお墨付きがついたわけだ」


 マーレは意味深な含み笑いを浮かべながらキャラバを見やり、キャラバはちょっと片眉を上げてそれに応えた。

 第10大隧道の医者――少なくとも、公に認められた「まともな」医者は、医療ギルドの傘下にある。ギルドは傘下の医者を管理し、技術水準の維持と治療費の制限を行うとともに、医療技術の独占と提供による利権をも享受していた。


 ギルドに上納金を払わなければ医者は開業医として認められず、冒険者ギルドからの仕事も受けられない。また冒険者ギルドも、医療ギルドの機嫌を損なえば冒険に同行する医者を手配しづらくなる。冒険産業による富を直接生み出しているとはいえ、現在の冒険者ギルドは小派閥が分立したような状態になっており、他業種のギルドを一方的に支配するような権力は無かった。


 それだけに、医療ギルドがわざわざ受け太刀に回るような声明を出さなければならないということ自体が、『追いはぎ医者』の存在感の大きさを物語っていた。さだめし、冒険者ギルド協同組合の方から嫌味めいた勘ぐりでも受けたのであろう。マーレは感に堪えたように首を横に振った。


「噂の中にも、たまにゃ真実があるもんだね。驚いた。

 それに、『スゴ腕の外科技術』ってとこもどうやら噂通りらしい……傷口の具合はさっき拝ましてもらったが、なかなかのもんだよ。

 傷口の洗浄と汚染箇所の切除もキッチリやって、化膿の兆候は今のところなし。相当短時間でやったとみえるね。それでいて、組織は完璧に縫合されてる。僕でもこうキレイにやれるかどうか……」


 折れた骨が皮膚を突き破るほどの骨折――開放性骨折の場合には、傷の洗浄と汚染された箇所の切除が急務である。時間が経てば経つほど、術後に何らかの症状が出る危険性は高まる。とりわけ化膿が起こる率は極めて高く、ひとたび化膿すれば骨から腐敗し死に直結する。この患者の処置は、ろくな明かりもなく狭苦しい穴倉でやったとは思えないほど的確に、かつ素早く行われていた。


「ただ、ちょいと不思議なのは、この縫い方はどうも外界様式っぽいんだよねえ。大竪穴の外科医はこんなに均等な縫い目を立てないよ、大抵。

 一方、傷口を洗うのに使った洗浄薬は多分、大竪穴固有種のシビレスズランをメインに薬草をスピリタスへ漬け込んだ薬酒だ。今度は一転して大竪穴の流儀……人物像が固まらないんだ」


「お前が探偵ごっこをするとは知らなかったな、エル」


 からかうような口調で言うキャラバに、マーレは肩をすくめる動作で応えた。


「冒険の最前線からこうも離れていると、興味はどうしたってそういうゴシップめいた方向へ行くからね……さしずめ、その『追いはぎ医者』とやらの手口なんかはいいゴシップになるよ。面白い新手だ」


 包帯を巻きながら呑気な口調で言うマーレに、患者の男はむっとした様子で体を起こした。


「面白いで済むかい! こっちは身ぐるみ剥がされたんだぞ。ただでさえ迷宮で死ぬ思いをしたってのに……」


「そう、『死ぬ思いをし』てたんだ。そこが面白いってんだよ」


 言葉の途中で、ぴしりと指を一本立てながらキャラバが割り込んできた。


「単なる追いはぎなら、穴に落っこちたお前を見つけてもわざわざ世話焼いたりゃしねえ。くたばるまで待ってから死体をあさるか、ちょいと親切なやつだったらチャッチャとトドメを刺して、それで終わりよ。

 ところがそいつは、わざわざ穴の底に降りてまでお前を助けたってンじゃねえか」


「なんと言うか、法の盲点を突いた、ってことは無いかね?」


 マーレが口を出す。包帯はきれいに巻き終えて、足首のところでやたらと派手派手しい蝶結びを作ってあった。


「つまりだ、死体あさりや冒険者殺しとなるとギルドの法に触れる。1度2度ならともかく、あんまりたびたびやったらそのうち本格的な手入れも始まるだろうし、懸賞金がかかったりもするかもしれない。そうなりゃいずれ捕まるのは火を見るより明らかだ。

 だが今回のような形であれば、見かけ上は医療行為をして報酬を受け取っただけと取れなくもない」


「報酬だァ!? そんな法外な話があるかよ、先生! 何盗られたか言ったろ? 古代の硬貨と、ツメナガイタチの毛皮……」


「何が盗られたって、命が取られなかったんだ。そう高価(たか)くはないさ」


 被害状況をまくしたてる患者を苦笑いで遮り、マーレは包帯の結び目を指で弾いた。


「命知らずの冒険者ってやつは、命の値段を安く見積もりすぎていけないよ……いち医者として言わせてもらえれば。

 まあどっちにしろ、ギルドは個人の金銭トラブルにゃ腰が重いし、冒険者保険も適用外だしね。捕まえたところで向こうに『報酬としてもらった』と言い張られたら、ギルドもそれ以上追及しようがない。泣き寝入りってことになるだろうね」


 マーレはそっけなく首を振った。患者も今度はあらがわず、ただ悔しげに枕へ頭を預けるばかりだった。


「まあ、ともあれだ、エル」


 診療を終え後片付けにかかるマーレに、キャラバは腕組みしながら言った。


「俺にはもう一つばかり、気になってることがある」


「もう一つ?」


 マーレと患者は異口同音に言い、顔を見合わせた。キャラバは頷き、患者に向かって問いかけた。


「お前、落ちた後、大声出して助けを呼んだか?」


「助けェ? 深層で?」


 患者の男は「何を言ってるんだ」とでも言いたげな顔で聞き返す。


「あんただって知ってるだろ、そんなことしたらどうなるかくらいはよォ……」


 深層の冒険者というものは、よっぽどおめでたい奴でもない限り、死の危険にさらされても助けなど呼ばないものだ。何しろ、周りにいるのは貪欲な同業者か、さもなくば魔物ばかりという状況である。そんな場所で助けを求めるのは、弱った獲物がここにいますよと宣伝するに等しい。


 冒険者ギルドもそこはわきまえていて、構成員に対する追いはぎ行為を発見した場合には容赦ない報復を加えると宣言してはいるのだが、そもそもそういった犯罪は露見することすら少ないのである。現場が広大で薄暗い迷宮の一角とあっては、盗みも殺しも見とがめる目が届かない。同業者狩りは、常に迷宮の片隅で行われつづけていた。


「そう、助けは呼ばねえよな、普通」


 キャラバは深く頷き、続けた。


「だとしたら、その「医者」ってやつは、どうやって落とし穴に落ちたカモの匂いを嗅ぎつけたんだ?」


 今度はすぐには答えが返ってこなかった。マーレは反射的に口を開きかけ、中途半端な表情で凍り付いたように黙り込んでしまった。


「……偶然通りかかっただけ、ってことは?」


 患者の男が自信なさそうに言う。キャラバはフンと鼻を鳴らした。


「たった一人、穴倉の底でくたばりかけてるとこに、偶然医療器具を持ったスゴ腕の医者が通りかかる? そりゃあ、何事もあり得ねえってことはねえがよ。それでもやっぱり俺は、何かしらカラクリがありそうな気がするンだ」


 何かに気づいたような表情でマーレがふと目を上げ、異様な熱を帯びたキャラバの顔をしげしげと見つめる。


「その口ぶり……あれか、またお前さんの『計画』ってやつに使えそうだとでも、考えてるってわけか?」


「分かっちまうか、やっぱり」


 顔じゅう口にするような豪快な笑みで、キャラバは応えた。マーレはやれやれといった顔つきでため息をつく。


「そういう具合に面白さ優先で人材集めをするの、いい加減考えたほうがいいよ。いくら腕が良くたって、どう考えてもそいつは危険人物だろう」


「それッくらいじゃなきゃここではやって行けねえ。お前が一番分かってるだろう、エル」


 キャラバは意味深な目くばせで応え、ベッドから立ち上がると大股にドアへ向かった。あっけにとられて見送る患者と、「勝手にしろ」とでも言いたげなマーレを残し、キャラバは部屋を出た。


「じゃあな、邪魔したな。ちょっくら深みに潜ってくらァ。運動不足の解消がてらにな」


 言い置いてキャラバはドアを閉めた。

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