第17話 ディンゴの「復讐」
「担ぎ込まれた先で手の空いてた医者は、アカデミーを出たてのまだ若い奴だった。今の俺と、そう変わらない歳だったかも知れねえ。正規軍の軍人ならともかく、傭兵部隊のしろうと軍医を治すのに大事な人員を割くわけにいかないって事情もあったんだろう。
それにしたって、その医者の治療はひでえもんだった。撃たれたのは腿で、弾は貫通して抜けてたんだが、じいさんは痛みとショックで意識を失っちまってた。歳も歳だし、まずは血を止めることが最優先って状況だったが……その医者は、まず焼き鏝を持ってきた」
ディンゴは肩をそびやかし、「分かるか?」といった顔つきでキャラバを見た。キャラバは細く開けた唇からゆっくりと息を吹き出し、言った。
「四大元素説……机の上の学問だな」
「知ってるんだな、こんな穴倉の底なのに」
「まあ、俺も一応医者を名乗ってるもんだからな」
キャラバは、ディンゴを真似るようにして厚い肩をすくめた。
魔術の世界には4つの属性がある――炎、風、水、大地。自然界ではそれぞれがお互いを生み出し、また打ち消し合う相関関係にある。これを世界万象の在り方にまで敷衍したのが「四大元素説」だ。この世に存在するすべての物質・現象は、すべて魔術の4属性いずれかに属する性質を持ち、4属性の相互作用によって残らず説明できる、とする考え方である。
元々魔導文明の誕生とほぼ同時に生まれた歴史のある考え方だが、外王国でこの考え方が主流になったのは、聖人ジェマイアスの登場以降である。聖ジェマイアスは今に至るまで外王国の国教として栄える「ジェマイアス教」の始祖で、四大元素の調和と魂の安息を関連付けて説いた。宗教的枠組みは科学の発展にも影響を及ぼし、王立アカデミーでは未だ四大元素の考え方を土台に学説を組み立てる思考法が根強く残っている。
「四大元素の考え方では、金属の銃弾は大地の属性を持っているから、それによって出来た傷は大地の力が過剰に強くなった状態だと言える。大地に対し優位な元素は炎だから、バランスをとるためには炎の力を加えてやればよい……そういうことになるわけだ。
最前線の連中だったら、自分の身体で経験しちまってるから分かるんだけどな。そうじゃないって……聖ジェマイアスさまが何と言おうと、風の魔術で斬られた傷に土をかけてみたって治るもんじゃない。ンなことしてる暇があったらさっさと縫っちまうべきだ。まあ、火で出来たヤケドに水かけるくらいは正しいと思うけどよ。
だが、ロクに患者も看ねえままに座学で『正しい』教えを詰め込まれた学者先生の中には、そういう教えをクソ真面目に守ることしか考えねえ奴が紛れ込んでるんだ。これは、後から知ったことだけどよ」
吐き捨てるように言うディンゴに、キャラバは腕を組み、眉をひそめた。あまりにも悪しざまで極端な言い方だ。が、的を射てはいる――彼の脳裏には、彼自身が出会ったその手の『正しい』医者の顔が次から次へと浮かんで消えていた。
「傭兵団の連中は、傷から随分血が流れちまってるのも知ってるし、まずは血を止めた方がいいんじゃないかと口々に言った。だが、その若先生は聞き入れなかった。口ぶりだけは愛想よく、だが、断固として。所詮はアカデミーも出てない、無学な兵隊の言うことだと、ハナから聞く気もないって顔だった。
それで、ディナスじいさんは止血もろくろくされないままに、傷口へ焼き鏝を押し付けられた。
真っ赤に焼けた鉄が血を焦がし肉をあぶり、嫌な臭いのする煙を上げた。じいさんはいっぺんに意識を取り戻して、声にならねえ声を上げてのたうち回った――だが、医者はやめなかった。そりゃそうだよな。やめちゃいけねえと、学校で教わってるんだ。怖気づいて治療をやめるような、「使命感」の足りねえ医者じゃあなかった。
それでも、皮膚の傷は焼き固められることで塞がったんだがな。だが腿ン中で切れてる血管は切れっぱなしだから、見えないだけで体内じゃ血が逃げ出し続けてるし、苦痛のせいで体力も急激に消耗しちまってた。じいさんは目に見えて弱っていった……口が利けたら、多少は治療に意見もしただろうが、もう舌がまともに回りもしなかった。
次第に土気色を帯びていく肌と震えだす体を見たその医者は、こいつは体の熱が失われている証拠だ、まだ炎の力が足りないんだと判断した。そこで焼き鏝を熱するのに使った炭鉢を持ってきて、中の炭をどんどん熾してじいさんを温めた。脚の傷口には、雑役夫が乱暴に包帯を巻いたっきりさ。
ところで、俺は……そう、全く笑っちまうような話だが、何一つ出来ずにその場に突っ立ってたんだ。じいさんを取り囲む本陣の医者やら、付き添いの傭兵たちやらが忙しく立ち回るのを遠巻きに見て、俺はただ茫然としていた。外科働きの手伝いはこなしてたし、ただ切ったり繋げたりだけならそれなりに出来る自信はあったが、それも隣に座ったじいさんがあれこれ指図してくれてこそだ。一人になった俺は、バカバカしいくらいに意気地がなかった。少なくとも、その時は。
そうこうしてるうちに――と言っても、日暮れまでは保なかったんだがな。ディナスじいさんは息絶えた。俺の見てる前で。
とうとう息が止まったってとこで、その若先生は額の汗を拭き、しんみりと言ったもんさ。『手当は尽くしたが、所詮助かるものではなかった。これも聖ジェマイアスの御心だ』」
ディンゴはそこで唇を閉じ、喉の奥で神経質にくつくつと笑った。キャラバは身じろぎもせずにその声を聞いていた。
「……それで?」
「うん?」
「それで、どうしたのかって聞いてんだ。話はまだ半分だろう。じいさんに死なれて、お前さんはどうした? ヤブ医者に復讐でもしようと思ったかね?」
「復讐ね……ま、ある意味ではそうなんだがな」
ディンゴは少し緊張を緩め、ベッドの枠に背を預けてもたれかかると、首の後ろで腕を組んで宙を見上げた。
「その後しばらくは、復讐なんて考えるヒマもなかった。じいさんの弔いを済ませたら、もう傭兵団に医者らしきものは俺だけだったからな。患者は日増しに増えて、手が追っつかないくらいだった。最初は見よう見まねで習い覚えた腕を振るって、傷を塞いだり簡単な薬を処方したりくらいしかできなかったけどな。皮肉なことに、じいさんに死なれたことで俺は実地の経験を積み、医者の腕を上げることが出来たんだ。
そうこうしてるうちに嫌でもハッキリしてきた――どう考えたってあの医者の処置は、大間違いもいいとこだった。ちゃんとした手当をしてりゃ、じいさんは今でも死んでなかったはずだ。それこそ、ディナスじいさん自身が自分を診ることが出来たら……いや、俺自身にもっと経験があって、当たり前の診療を冷静にしていたなら、ああはなっていなかった筈なんだ。
そう考えだすともう、頭がその考えに支配されちまった。このままじゃ、おさまりがつかねえ。
俺はしろうと医者を続けながら、密かに王国軍の軍医名簿を探るようになった。あの時、本陣にいた当直の医者は誰だったか。アカデミー出の若い医者となると、それなりに目当ては限られてくる。そっからは地道な聞き込みだ。夜な夜な傭兵団の連中の目を盗んでは、本陣救護所を回って雑役夫なんかから話を聞きだす日々が続いた。
数か月ほどかけて、俺はその医者の行方を突き止めた」
ディンゴは異様な色を帯びて光る眼を上げ、意味ありげににやりと笑った。
「笑い話さ……その医者は、とうに死んでたよ。
ディナスじいさんを埋葬した翌日だった。治療中のちょっとした切り傷に別の患者の膿が移って、傷口が化膿したんだ。あっと言う間の死だったそうだ。
さて、俺は今度こそ途方に暮れちまった……ヤブ医者は報いを受けたんだ、それこそあいつの言うところの「聖ジェマイアスの御心」ってやつが働いたんだと、ちっとはいい気分になってもよさそうなもんだったが、不思議とそうは思えなかった。何かが間違っているような、気に喰わない感じで、何日か塞ぎ込んでたな。何が気に入らねえのか分かってきたのは、仕事を始めてしばらく経った時だ。
ウソっぱちなんだよ、何もかも」
ディンゴの声は上ずり、額には汗が浮かび始めていた。言葉が意志と関係なく喉からこぼれ出てくるといった様子だった。キャラバはただ、その熱した瞳からほとばしる視線をまともに受け止めて座っていた。
「どんなに塞ぎ込んでようがお構いなしに、戦場は患者を次々送り込んでくる。俺は無我夢中で切り刻み、縫い合わせ、包帯を巻く。なんとか生き延びる奴もいりゃ、どうにもならずにくたばる奴も出てくる……だけど、その誰ひとりとして、神さまやら何やらに断って生きたり死んだりしてるわけじゃねえ。
分かるか、生き死にってのは結果なんだ。起こったこと、やったことの結果。その間に、ワケの分からん誰だかの手なんて入ってやしねえ。生き延びられる程度の怪我を負ったやつを、生き延びられるように処置してやりゃあ、そいつは生きる。そうでなかったら死ぬ。それっきりのことだ。
そして、分かった――俺の敵は、そうじゃないと言う奴全員だ。
原因と結果を見比べることもなく教わったことが正しいとばかり思い続ける医者。その挙句に患者が死にゃあジェマイアスの野郎への祈りを二言三言呟くしか能のねえ医者。そういうことの全部を「仕方ない」と頭から決めてかかってる医者。
俺はそういう連中を、この世から一人残らず洗い流して捨てちまいたい」
ディンゴは一気呵成にそこまで言うと、少々息を切らしながら黙り込んだ。その勢いに心ならずもたじろぎつつ、キャラバは口を挟む。
「お前さんの考えてることは分かる……大竪穴でだって、そういうこたァ起こるからな。だが、それでどうしてアカデミーに行こうってことになる? アカデミー出の医者を恨んでるってえのに……」
ディンゴはしばし息を整えたのち、やや抑えられたトーンで答えた。
「傭兵団の連中が言った通り止血を大急ぎでやってりゃ、じいさんは死んでなかった。それなのに何故、医者だけじゃなくその場にいた誰も、傭兵団の言葉を聞かなかったのか。そいつをよくよく考えてみたんだ。
斬りあい撃ちあいが商売の俺達より、本で知識を覚えただけの若造の方が、どうして信頼されるのか――そりゃ、向こうに医者の免状があるからだ。
どんなに経験を積んでいても、それを裏書きしてくれるもんがなきゃ、誰も話を聞いてさえくれねえ。古臭せえいんちき治療法やら化石みてえなヤブ医者やらを蹴っ飛ばすには、俺自身が権威を身につけなきゃならないんだ。……傭兵団での生活で、俺はそれを学んだんだよ」
ディンゴは口をひん曲げて、皮肉な笑みを作った。
「俺は、じいさんを踏みつけた「アカデミー出」よりももっと偉くなって、今度はあいつらを踏みつけてやるのさ」