第15話 爆炎の脱出劇
蜘蛛は高々と腹を上げ、白い紋様を振り立てた。
渦巻き模様からこぼれだす光が強まり、やがてねじれ合う数本の光条となって噴き出す。白い光はキャラバの繰り出す炎の流れに真正面からぶち当たり、受け止めた。
ばッ――という、耳を聾するような炸裂音が響く。
キャラバの撃ち出す炎の魔力と、クレイジースミスが放出する磁力――大地の魔力が衝突し、ぶつかり合った場所には魔力の反発作用による火花が飛び散った。反発力をまともに受けてさしもの大蜘蛛もよろめいた。踏ん張った八本の脚が石畳の上で擦れ、耳障りな音とともに火花を上げる。
その力は、等しくキャラバにもかかっていた。いや、状況はキャラバにとってだいぶ不利と言ってよかった。いくら大柄とはいえ、鋼鉄の大蜘蛛と比べれば勝負にならない。跳ね飛ばされそうになるところを、キャラバはぐっと腰を沈め、魔術を放っている右腕を体全体で支えるようにしながらこらえた。
魔力の押し合いが続き、緊迫した数秒がのろのろと過ぎた。キャラバは滝のような汗を流しながら、反発力で暴れる魔導杖を抑え込み、跳ね飛ばされないよう必死で持ちこたえていた。
魔力に押し流されて跳ね飛ばされたら終わりだ。こちらに突っ込もうとしているクレイジースミスの疾走をかろうじて止めているのは、キャラバの放つ炎の魔力の純粋な勢いだけだ。魔導杖ごと跳ね飛ばされようものなら、魔力の流れは逸れ、クレイジースミスは自由になる。そうなれば最早体勢を立て直す余裕はない。再び魔導杖を構えて魔術を放とうとした時には、クレイジースミスはキャラバらの元へ走りついているだろう。
(さっきの不意打ちみてェにゃいかねえか……魔物とまともに魔力比べするほど、バカげたこともねえな!)
キャラバは奥歯を噛みしめながら考える。
その後ろでは、透明な魔力の膜に覆われた『手術室』の中で『追いはぎ医者』が皮膚の縫合をほぼ終えようとしていた。矢の刺さった点から放射状に切開された傷を、鉤型の縫合を組み合わせることで隙間なく縫い合わせてゆく。
横ではザインが、再び刺青に覆われた腕を掲げ、血圧と血流をモニタリングしている。『光のメス』を使わない今であれば、水の魔術も心置きなく使えるというわけだ。が、今のところ容体は安定しており、強心魔術の必要もなかった。
さらに後ろではユノーとアラムが、橇の進路から瓦礫をどけ、もつれた引き綱を整えていた。縫合を終えたら一目散に逃げるためだ。ユノーは籠手を嵌めた手で石を一つ一つ進路からどけている。彼女の魔術は、風圧でものを動かすという性質のものではないのだ。
「悪いね、ユノー。手ぇ掛けちゃって……私の方の魔力が残ってたら、右腕をもう少し便利な道具に出来たんだけど」
アラムは詫びながら、脚で瓦礫を蹴って除けた。蹴りだした脚はわずかに震えている。魔力使用に伴う体力の消耗が相当に響いているのだ。多少の魔力なら絞り出せるだろうが、それは万一の際――例えば縫合が破れて、一時的に石膏で傷を塞がなければならない場合などのため、取っておかねばならない。
「どうだい、兄ちゃん! 縫えたか、それともやっぱり私の助けがいる?」
アラムは振り返り、魔導杖だけになった右腕を手術台に向かって振る。『追いはぎ医者』は丁度、最後の結び目を作り糸を切るところだった。
「……とりあえず、縫い留めるだけ縫い留めたって感じだな。多少揺さぶられても大丈夫だとは思うが」
答える間に、ザインは用具入れから包帯を取り出し、太い指で器用に傷口へと巻きつけていった。巨猪人であるザインと並ぶと、成人の患者もまるで人形のようだ。
「私も見ていましたが、見事な縫合でした。包帯は固めに巻いていますし、輸送中に縫合部が開くということはないでしょう。
若い方、そこのベルトで患者を固定しなおしていただけますか?」
「あ、ああ……」
強面の巨猪人から出たとは思えない優しく丁寧な声に、『追いはぎ医者』は若干気を呑まれながらも指示に従った。アラムは頷き、無風ランプの『手術室』内に立ち入ると、ランプのつまみを捻って消し、用具入れの中に放り込んだ。
「リオ! こっちはいつでも行ける!」
アラムが両手を口の横に当て、いまだクレイジースミスへ魔術を放ち続けているキャラバに呼ばわる。が、キャラバは動かない。動けないのだ。相変わらず魔力の押し合いは続いており、キャラバは炎の放射で蜘蛛を何とか押しとどめていたが、次第に押し込まれつつあった。
と、汗みずくの顔だけをクルリと後ろに向け、キャラバが叫んだ。
「無風ランプだ!」
「……?」
予想外の言葉に、アラムらはただ困惑して顔を見合わせた。キャラバは苛々と足踏みをし、さらに叫ぶ。
「無風ランプを持って来いってンだ! 早く!!」
必死の叫びだった。その声に鞭打たれたようにして、手術台に一番近かった『追いはぎ医者』が駆け出し、荷物の中から笠の大きなランプを取り出してキャラバの方へ向かう。
「ほら、オッサン! 持ってきてやったけど、これで一体何を……」
「貸せッ!」
話もそこそこに、キャラバは右手で魔導杖を握りながら左手を伸ばし、『追いはぎ医者』の手から無風ランプをもぎ取った。片手でツマミを操作し魔力機構を作動させると、手投げ弾の要領で魔力のぶつかり合う火花の中へ投げ込む。
キャラバの炎とクレイジースミスの磁力、2つの魔力がぶつかり反発しあいながら危うい均衡を保っているところへ、風の魔力の塊が投げ込まれたのだ。さらに、ランプから噴き出した空気の塊は強力な炎を浴びて加熱され、急激に膨張した。
魔力のスパークと、膨張した空気による突風が、遺跡の狭い通路を充たして駆け抜けた――爆発である。
強烈な光と爆音そして熱風に包まれ、体ごと空中へ投げ出される一瞬に『追いはぎ医者』は、「太陽が突然目の前に現れた」と思った……
通路内、キャラバとクレイジースミスのちょうど中間あたりで起きた爆発は、両者をすっぽりと呑み込んで易々と跳ね飛ばした。何しろ狭い通路なので逃げる場所もない。クレイジースミスの重い身体が、鋼鉄のサイコロのようにゴロゴロと転がっていく。
体の軽い人類ふたり――キャラバと『追いはぎ医者』の方はもっと深刻であった。2人揃って危うく天井にぶち当たりかけるほど高々と舞い上がった。ランプを投げたキャラバの方は結果を予想し覚悟していたぶんまだ耐えられたが、まるで予期しないところに強烈な光と爆風を叩きつけられた『追いはぎ医者』の方は、空中で半ば朦朧とした状態になっていた。
(クソッ、ヤバいな……!)
キャラバは吹っ飛ばされながらとっさに腕を伸ばして、『追いはぎ医者』の身体を自分の身体の陰に引き寄せた。爆風に巻き上げられた瓦礫が弾丸のように2人の身体へ降り注ぐ。が、意識を失いかけた『追いはぎ医者』は、キャラバのバカでかい身体が盾になったおかげで「弾丸」の直撃を避けることが出来た。
……そしてそのおかげで、2人は折り重なって着地し、『追いはぎ医者』はキャラバのバカでかい身体におしひしがれて完全に意識を失った。
「リオっ!! ……それと、その、若いの!」
「大丈夫? 死んだ?」
アラムとユノーが駆け寄ってくる。飛ばされてきた2人は重なり合って倒れたまま動かない――と思ったのもつかの間、
「うおおおおッ! 痛てえェーッ!!」
雄たけびとともにキャラバが跳ね起きた。体のあちこちに突き刺さった瓦礫の破片がポロポロとこぼれ落ちてはいるものの、元気そのものといった様子だ。
「全くあんたという人は……そういうことは、やるならやると説明してからにしてくれ。
リオ、大丈夫か? ケガは……」
「ンな事より急げ! 今のうちに逃げるぞ!」
キャラバは気を失った『追いはぎ医者』を軽々と肩に担ぎ上げながら怒鳴った。
「コートは破かれるし、ランプはなくすし……やれやれ、今度の遠征は大損だったなァ!」
大口を開けて笑うキャラバに、アラムはため息をついて肩をすくめた。
「ほんの一瞬でも、『大丈夫か』なんて真面目に考えちゃった私がバカだったよ……そうね、あんたリオンナード・キャラバだもんね」
「そう褒めたところで、何も出ねェぞ……さあ、走れ!」
キャラバは大股に橇の先頭まで走ると、『追いはぎ医者』を担いでいない方の腕で曳き綱を握った。勢いで『追いはぎ医者』の身体は振り回され、腕やら脚やらが橇のあちこちに当たったが、特に配慮する気はないようだ。
ザインも横に加わり、2頭立ての形で曳き綱を曳く。アラムとユノーは、よろけながらも橇の横に回り、ベルトで固定した患者たちが揺れないように抑えながら並走して橇を押した。
「Kwa! Kwaq!」
餌が離れていくことを感知し、大蜘蛛が叫び声を上げた。後ろを見ると、クレイジースミスは爆風で転がされて仰向けになり、八本の長い脚を虚しく宙にさまよわせていた。鋼鉄の鎧に覆われた巨大な腹があまりに重く、なかなか起き上がれないのだ。クレイジースミスは苛立たしげな鳴き声を上げ、腹の紋様を光らせた。
地面に押し付けられていても、魔力器官は作用した。その腹から磁力が糸のように発せられ、獲物の体内にあるはずの「鉄」を引き寄せる――だが、次の瞬間大蜘蛛はその手応えの軽さに驚き顎を鳴らした。
既に獲物の体内の「鉄」――鋼鉄の矢は、抜き取られて床に放り捨てられていた。磁力でものを視る大蜘蛛は、その先に獲物がついていないのにも気づかず矢を引き寄せたのだった。結果、吸い寄せられた小さな矢は風を切って飛び、鋼板に覆われた蜘蛛の腹に当たって小さな金属音を立てた。
「残念! そんな矢が欲しいんだったら、くれてやるから暗がりでしゃぶってな!」
キャラバが後ろに向かって叫び、高らかに笑った。その笑い声が遠ざかり、消えていっても、クレイジースミスは未だ鋭い脚で宙を掻き、迷宮の天井を削るばかりだった。