第14話 効率の悪い男
「ザイン、手術のサポートを頼む……『追いはぎ』の兄ちゃん、後は任せたからな!」
キャラバは振り向きもせず、背中ごしに叫んだ。
「任せた……ったって、あんた!」
取り残された『追いはぎ医者』が戸惑う声を上げるのも構わず、キャラバは迫り来るクレイジースミスに向かって大股に駆けていった。先ほどまで金鋏を握っていた右手はコートへと伸び、ホルスターから魔導杖を抜き出している。
無謀にも自分の方へと飛び込んでくる生き物の存在を感知して、クレイジースミスは困惑と共に顎を鳴らした――だがそれも束の間のことだった。「肉」が自分から飛び込んでくるというのなら、何も拒むことはない。腹の紋様を欲望に輝かせつつ、大蜘蛛は鋼の爪をキャラバの頭めがけて振り下ろした。
頭蓋骨の砕ける嫌な音が、遺跡中に響き渡り――は、しなかった。
クレイジースミスの爪が貫いたのは、厚手のドクイバラ繊維で出来たコートだった。キャラバは、クレイジースミスが爪を振り下ろしきるより早く、羽織ったコートを脱いで投網のように爪の先へ叩きつけ、絡め取ったのだった。爪の切っ先はキャラバの額をかすめ、皮膚に指先ほどのひっかき傷をつけたものの、それだけだった。
「剣呑なものを向けてくれるじゃねえか。ええ、八本脚のダンナよォ?」
額から滴り落ちる血に化粧を施されながら、キャラバは笑んだ。相手に動く暇を与えず、コートを掴んだ両腕を剛力で引き下ろし、絡め取った脚を左の脇に抱え込む。魔導杖を持った右腕が自由になった。
「Kwrrrrq!」
盲目の蜘蛛は何かを感じ取って慄いた。目の前のちっぽけな生き物から発せられる、あまりにも不釣り合いに巨大な「怒り」の気配――
「それじゃァこっちは、もっと剣呑なモンを見してやろうか!!」
キャラバは獣じみた怒号とともに、右手の魔導杖を突きだした。
瞬間、人の頭ほどある深紅の光球が、警棒のような魔導杖の先端に灯る。放出される光はさほど強くないが、何やら妙な存在感を窺わせる光だ。単なる放射光ではなく、物質的な重ささえ感じられるような――と、次の瞬間、その光球がふわりと膨らんだ。
ありふれた比喩ではなく――遺跡が揺れた。
光球は一瞬にして、クレイジースミスを丸ごと呑み込むほど……いや、通路全体を包み込むほどに巨大な火球となり、炸裂音と共にはじけた。巨大な球がその直径のまま炎の奔流となって飛び出し、通路いっぱいに広がりながら大蜘蛛を押し流してゆく。まさに、噴火だ。
後方のアラムとユノー、そして『手術室』の中にいるザインと『追いはぎ医者』の肌にまで、その光と熱の余波は届いていた。
「おい、おい、おい……」
思わず手を止めた『追いはぎ医者』の口から言葉が漏れる。
「マジかよ……治癒魔導士の使う火力じゃねえだろ……」
「そりゃそうさ、あいつ『治癒魔導士』じゃないもんね」
左腕で上半身を起こし、壁に寄り掛かりながら、アラムが笑った。
「言ってなかったかね? あいつは医者で魔導士だけど、治癒魔導士じゃない。根っからの攻撃魔導士なんだよね。ご覧の通り、得意とするのは『噴火』の魔術。生まれ持った魔力はデカいのに、医者の仕事にゃ役立たない。ケガ治すより作るのが得意、ってね。
専門外の才能に恵まれた、効率の悪いヤツなんだよ、あいつは」
「ちょっと、ムダ話してる時間なんてあるの? あんたにはあんたの仕事があるでしょうよ」
横に座り込んでいたユノーが、先ほどまで脅えきっていたことなど忘れた素振りで口を尖らす。『追いはぎ医者』はムッとした顔で右手の魔導杖を振った。
「別にボーッとしてたわけじゃねェよ。応急処置を済まして、こっから傷を縫うとこだ」
「ほぉ……?」
ふと聞き留めて、アラムは壁から身を起こし、『追いはぎ医者』の肩越しにヒョイと手元を覗き込んだ。見ると確かに、大血管の破れめは凝固した血液によってかさぶたのように塞がれていた。血管外に溢れ出た血を光の刃によって加熱し、焼き固めたのだろう。汚染箇所も的確に焼き切られている。
「キミ、交代してからの短い間で、これを全部?」
「別に、難しい処置じゃねえだろ。切開が進むとこは見てたから、大体どこを切除したらいいかの計画は頭ン中で組み上がってたし……おい、手術糸どこだ?」
道具台の上をがちゃがちゃとかき回す『追いはぎ医者』を見ながら、アラムは密かに感嘆の息をついた。
「成程……ウチの大将も、それなりに見る目は確かってワケかね」
「何だよ、また俺の悪口か?」
未だ魔力によって加熱した杖を手に、のそのそとキャラバが戻ってくる。額の血は止まっておらず、したたり落ちて顔を縦に2分割する赤い線を描いているが、どこ吹く風だ。アラムは無事な左手でポケットからハンカチを取り出し、相手の顔にふわりと放った。
「拭きなよ。随分と男前になっちゃって、まあ」
「元からだ。それより、縫合はまだなのか?」
「ちょうど今取り掛かるところですよ、キャラバさん」
ザインが、手術糸と針を『追いはぎ医者』に手渡しながら答える。
「そう時間はかからないでしょうが……何だったら、一部はアラムさんに接着していただくという方法もありますが」
「うへぇ……勘弁してもらえないかね。こっちは今、このザマなんだ」
アラムが、魔導杖の芯だけになった右腕を力なく振る。
「いずれにしろ、早いとこ患者を移動させられる状態にしろ。ズラかるぞ」
キャラバは落ち着きのない様子で後ろを振り返りながら命じた。
「噴射の勢いでブッ飛ばしゃあしたが、魔力の炎はもともと生き物の身体にゃ大して効果がねえ。まして、大地の魔力で作った鉄の鎧を着こんでるとあっちゃあ、どれだけダメージを与えられたか……」
「……Krrrrrqk!」
キャラバの言葉に応えるがごとく、通路のはるか奥から鉄板を引き裂いたような金切り声が響いた。間を置かず、例の“イカレ鍛冶屋”のハンマー音が轟きだす。
「そら、来た、来た、来た、来たぞォッ!!」
キャラバは跳びあがり、まだ地面にへたり込んでいるユノーを引き起こす。
「のんびり休んでるヒマはねえぞ! 俺だって魔物じゃねえんだ、真っ正面から魔力をぶつけあってちゃ身がもたねえ! 逃げるにしかず、ってやつだ。
『追いはぎ』のダンナよォ、縫合は終わったか?」
「急かすなよッ……今やってる!」
両腕を目まぐるしく動かしながら、『追いはぎ医者』は苛立たしげに答えた。
傷口を縫い合わせるだけ――と、簡単に言うものの、これが実のところ簡単ではない。縫合が不完全だった場合、例えば組織内部にズレが生じきちんと合わさらないままになってしまうと、傷の内部に死腔と呼ばれる空間が生まれる。空間内には浸み出した体液が溜まって腐敗し、やがて縫合した箇所全体を侵してしまうことになる。
深い傷口の場合は単に表面だけ縫い合わせればよいというものではなく、あらかじめ皮下縫合をしなければならないこともあるのだ。しかも今回は、縫合を終えたばかりの患者を橇に乗せて大慌てで逃げなければならない。振動に耐えうる頑丈な縫合が不可欠であった。
「急いでくれ、時間がねえ! ……いっそ、走りながら縫合出来ねえかな?」
「無茶言うな!」
流石に『追いはぎ医者』も顔を上げて叫ぶ。
「曲芸じゃねえんだぞ! 気が散るから黙ってくれよ、もう!」
「お、おう……すまねえ」
叱られて返す言葉もなく、キャラバは魔導杖を握ってすごすごと引き下がった。照れ隠しに、ニヤつきながらこちらを見ているアラムへ乱暴に指示を出す。
「ボーッとしてねえで、お前さんらも撤収の準備をするんだよ! 傷が塞がったら風の手術室は消しても大丈夫だから、無風ランプを切って橇を動かす準備をするんだ。患者を固定しなおして、用具台をしまって……敵を食い止めるのは、とりあえず俺が引き受けるから」
「まあ、頼もしいお言葉だこと。じゃ、お言葉に甘えて、下がらせてもらいますか」
アラムはふっと唇を緩め、『手術室』の後ろへと走りだし――ふと足を止めて振り返った。
「言うまでもないことだけどさ……死ぬんじゃないよ」
「言うまでもなく、死なねえさ。俺だからな」
キャラバは豪快な笑みで答え、魔導杖の先に赤い光を灯して見せた。
先ほどから聞こえてきていた“鍛冶屋”の音は、いよいよ近づいてきている。暗い通路を照らしているのは、『手術室』に据え付けられた魔導灯と、無風ランプの魔力が放つ光だけ。その光が作り出す円の外は、眼が抜け落ちそうになるほど深く濃い闇だ。
その闇の中から、光る紋様が迫ってくる。クレイジースミスの感覚器だ。
キャラバは向かってくる敵に対し半身になって構え、右腕の魔導杖を一杯に突き出した。そのままちらりと後方を見やる。『追いはぎ医者』は内部の縫合を終え、皮膚の縫合閉鎖にかかっているところだった。やはりというべきか、速度と正確性は深層の医者の水準を上回っている。キャラバは会心の笑みを漏らした。もっとも、改善の余地は無論あるが……
「何にしても、そう長く時間を稼ぐ必要はなさそうだ。年寄りに優しい、いいヤツじゃねえか」
ひとりごちると、キャラバは魔導杖の火球を膨らませた。再び、通路を塞ぐほどに巨大な赤い光の球が出現した。
「eeeEEEEK!」
クレイジースミスの叫びが、魔力の炎ごしに聞こえてくる。足音も大きくなる一方だ――魔力を捉えて視るクレイジースミスが、この巨大な炎の魔力の塊を見逃すはずは無い。それでも怖気づくことなく、突っ込んで来ようというのだ。
相手にとって、不足はない。
片方の唇を上げて歯を見せると、キャラバは右手をぐっと強く握り、巨大な火球を「噴火」させた。炎の魔力の塊が怒涛の勢いで流れだし、遺跡の壁面を紅に染めながら鋼色の大蜘蛛を迎え撃つ。