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第12話 蜘蛛の狂舞

「ヤバい……ユノー! 頼む!」


 キャラバの腕の中から身を起こしつつ、アラムが叫ぶ。すかさず、小さな影が走り出て大蜘蛛の前に立ちふさがった――ユノーだ。両腕の籠手に数本の金属筒を装填し、噴射孔からは既にかすかな煙が立ちのぼっている。


「やるだけやってみるけど……期待はしないでよ! 相手はあんなデカブツだし、あんまり強い香を焚いたら、こっちまで危なくなるし!」


 言いながらもユノーは両手を前へ突き出し、籠手の噴射孔を開いた。同時に風の魔力が噴出し、白い煙は太く緩やかな螺旋を描きながらまっすぐ大蜘蛛の顔めがけて飛んでいく。


 魔力の接近を感知し、クレイジースミスは歩調を緩めて嫌悪するように首を振った。が、回避するより早く煙が到達する。たちまちクレイジースミスのいびつな頭部は、うっすらと輝く白い煙にくるみ込まれた。


「いけるか……?」


 立ち上がったアラムが、「無風ランプ」の効果範囲外へ戻りながら呟く。

 なかば祈りを込めながら発せられたその言葉は、しかし、じきに裏切られた。


「KeeeeK!」


 クレイジースミスは大顎を振り立て、金切り声を上げた。煙の塊はあっけなく崩れ、かき消されていく。ユノーは金属筒を入れ替えながら舌打ちを漏らした。


「やっぱ、ダメか……虫除けの香を調合してみたんだけど。毒ってほど強くはないにしても、多少は足止めできるかと思ったのに」


「ダメです、ユノー! 『狙い』が外れてるんです!」


 ここでやおら、無風ランプの手術室の中から声が飛んできた。ザインが顔を上げ、太い腕をしきりに振っている。


「クモの呼吸器官は頭じゃなく、腹の下にあるんです! 気体を吸わせたいのなら、腹の下にある鎧の隙間を狙わなければ……」


「そういうことは、先に言ってよッ!」


 愚痴りながらも、ユノーは新たな薬筒の装填を終え、今度は両腕を斜めに広げて突き出した。さながら、走り寄ってくる大蜘蛛を抱きとめようとでもしているかのような格好だ。

 クレイジースミスは視界にまとわりつく煙を散らし、再びキャラバたちの方向へ狙いを定めた。が、その脚が動き出す前に、ユノーの籠手が再度煙を噴き出した。今度は煙の流れを細く絞り、両側からカーブを描いて地を奔るように進んでゆく。


 が、敵もそれを黙って眺めてはいなかった。魔力のこもった煙をすっかり払いのけたクレイジースミスは、八本の脚を怒りに震わせて走りだす。ユノーの張り巡らした煙の紐を蹴散らして一気に距離を詰めようというつもりだ。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな!? こっちゃァ手が離せねえんだぞ?」


 キャラバの上ずった声が響く。ちょうど無風ランプの「手術室」を張り直し、メスを手に取ったところだ。アラムは横目でそれを確認し、手袋をした右腕を苦い顔で構えた。


「うるさいね……大体、あんたが出てくりゃもっと話はラクなんだよ。こういう時になんで前に出てきてくれないかね……」


「ああもう、それが出来りゃあ苦労はねえってんだよ! 仕方ねえだろ、俺がメス持たねえことには!」


 キャラバは顔を患者に向けたまま、苛立たしげに叫び返した。


「とにかく、何でもいいから時間をくれ! いいな!? メス入れちまったら、後戻りできねえんだからな!」


 キャラバは絶叫し、ゆっくりとメスの刃先を患者の身体へと下ろしていく。マスクの上からも、必死の形相が容易に見て取れた。

 ザインも無言で腕をひるがえし、少しでも過剰な出血の気配が見えたらすぐさま処置をとる構えだ。


「くそッ……分かったよ! 疲れるから、イヤなんだけどね!」


 アラムは毒づくと、右腕の手袋を勢いよく引き抜き、裸の右腕を大蜘蛛に向けて突き出した。『追いはぎ医者』はふとそちらに視線を向け、思わず目を見張った。


 右腕――いや、そこにあったのは腕ではなかった。洞窟の弱い明かりの中でも、はっきりと分かる異様なシルエット。ザラついた表面に歪んだ輪郭、何より黒ずんだその色合い……

 腕のあるべき場所に存在していたのは、いびつにこねあげられた土のかたまりだった。


「あ……あれ、あの腕!」


 かすれた声で叫ぶ『追いはぎ医者』に対し、キャラバはうるさげに手を振った。


「ああ、義手だよ。魔術で作って動かしてるんだ。そういちいち驚くこともねえ……ンなことより、こっちの仕事に集中しろ。洗浄用の薬液を出してくれ」


 言いながらキャラバはメスを立て、矢の根元から皮膚を手早く三方に切開した。たちまち黒ずんだ血液が滲みだす。が、その勢いは弱い。ザインの魔力が、緩やかながら効いているのだ。


「そら、洗浄!」


 キャラバの声に、『追いはぎ医者』は慌てて器具台から革袋を取り上げた。角製の注ぎ口から中の薬液を注ぎかけ、傷口を洗い清める。


 一方、土の義手をあらわにしたアラムは、肘のあたりに左手のひらを当てて目を閉じ、精神を集中させた――と、土くれの塊が突如軟体生物のようにうねうねと蠢きだし、細く鋭く伸び始めた。表面も硬くなめらかに、光沢すら帯びて一直線に。たちまち、肘から先に黒曜石色の長剣が出現した。


「さて、腹空かしてるとこ悪いんだけど、ちょっと遊んでおくれよ、蜘蛛さん」


 唇の片端を吊り上げて硬い笑みを作ると、アラムは無造作にクレイジースミスの真正面へ斬り込んだ。


「Kwck!」


 得たりとばかりに、クレイジースミスは鋭い脚を振り上げ、大鎌のごとく打ち払った。唸りを上げて奔る鋼の刃が、アラムの頭をまっぷたつにかち割る――と、思われた時、アラムの右腕がゆらりと上がった。


 じゃッ、と、耳障りな摩擦音が辺りにこだまする。


 振り上げた剣が蜘蛛の爪を受け止めた……いや、振り下ろされた爪の切っ先が剣の峰で滑り、軌道がズラされたのだ。同時に、その一瞬でアラムはわずかに体を揺らし、致命的な鋼の刃の軌道から紙一重逸れた場所に歩み入っていた。的を外した脚の一撃は虚しく石畳を打ち、瓦礫の欠片を飛び散らせた。


「KeeeeK!」


 クレイジースミスは苛立った叫び声を上げ、八本の脚をめちゃめちゃに振るいはじめた。まさに『イカレ鍛冶屋』の連打が、アラムの小さな身体目掛けて降り注ぐ。が、アラムは動じなかった。唸りを上げて飛んでくる重たい刃を避けようともせず、かえってふらりと歩を進め、大蜘蛛の顎が待ち構える先へと歩み寄っていったのである。


 当然、両側から鎌のような爪が振り下ろされる――が、当たらない。爪の一撃が当たるかと見えたその時にのみ、アラムは右腕の剣を振るい、わずかに歩みをぶらす。最小限の動きで、確実に当たる攻撃のみをいなしながら、アラムは徐々にクレイジースミスの本体へと近づいていった。


 やがてクレイジースミスは、戸惑ったように連打のペースを落とし、脚を止めた。今やアラムはクレイジースミスの大顎に手を触れられるほどの所まで来ている。コンパス状に開く関節の構造のため、この近さになると脚を振り下ろすというわけにもいかないのだ。


「KrrrKw!」


 それならばと、クレイジースミスは口をばっくりと開け、両側の大顎でアラムに襲いかかった。鋸のような牙に縁どられた口が、腐った血の臭いを漂わせながら迫りくる。鋏状の大顎は両側からアラムの頸に狙いを定めていた。


「行儀が悪いね……顔ごと突っ込んで料理食おうなんてさ!」


 アラムは呟き、鋏の中心に向かって剣を繰り出した。弧を描いて斜めに差し伸べられた剣は、クレイジースミスの大顎を受け止めてその軌道を斜めに逸らしていく。が、クレイジースミスも負けじと頭を突き出し、アラムの剣を無理やり押しのけにかかる。鉄の大顎が黒曜石の刃を削り、砕片と魔力のスパークが宙に散らばって辺りを彩った。


 アラムは歯を食いしばりながら左手で剣を支え、力を込めた。食いつこうとしてくる大顎を受け止めるためもあるが、第一の目的は剣にさらなる魔力を込めることだ。左手の当たった個所から、黒曜石色の剣がじわりと光を帯びていく。


 クレイジースミスの大顎を支えながら、剣はゆっくりとその形を変えていった。まっすぐに伸びた長剣から、湾曲した靴ベラのような形へ――大蜘蛛の頭を抱え込もうとするかのように、剣は曲がりくねって巻き付いた。


 そして、一瞬――アラムは片足を引き、大剣を引いた。蜘蛛の頭を引っ掛ける形で剣が振り下ろされ、押す力が全て下方向に転じる。曲がった剣によるテコの力と、クレイジースミス自身の突進力が合わさって、大蜘蛛は石畳の上に頭から突っ込んだ。


「そうそう、そうやって今日のところは寝ててくれると、ありがたいんだけどね……っと!」


 アラムは大蜘蛛の頭部を叩きつけた反動を利用して剣を高々と振り上げた。たちまち魔力の光が噴き出し、剣の形が変じてゆく。細長い弓型の刃がクルクルと丸まり、人の頭ほどもある球形の錘になった。


 そのままアラムは思い切り体重を乗せ、振り上げた錘を勢いよくクレイジースミスの頭へと振り下ろした。

 どォん……と、古い大鐘を撞いたような重たい反響音が辺りに響き渡る。ぐっと奥歯を噛みながら、アラムは頭蓋を揺さぶる大音響に耐えた。


「ちょっとは効いたと言ってくれよな……ウソでもいいからさァ!」


 ヤケ気味に声を張り上げつつ、アラムはおそるおそる右腕の下を覗き込んだ。

 床に激突したクレイジースミスの頭部は、先ほどの錘による追い打ちで半分ほど地面にめり込んでいた。鋼の頭とはいえ、脳天への一発は応えたか……そう、希望を抱きかけた時だった。


「KwaaaWw!!」


 鋼板を無理やり引き裂くような声を上げ、クレイジースミスは瓦礫を蹴散らして頭を地面から引き抜いた。跳ね飛んだ敷石の破片と、鋭い大顎がアラムを襲う。とっさに錘のついた右腕を前に出して防御しつつ、アラムは後ろへ飛びのいた。


「ちぇッ……揺さぶられるほどの脳ミソも無いってか!」


「大丈夫! 十分、時間はもらった!」


 後ろから声が響く。ユノーだ。その両手からは、先ほど送り出した煙の紐がまだ伸び続けている――ふと周囲を見回すと、煙の紐は床の上一面に渦を巻いて伸び、クレイジースミスを取り囲んでいた。


「これは、防げないでしょッ!」


 ユノーは広げた腕を交差させ、手のひらから強く魔力を放出した。たちまち「風」が操られ、白い煙の紐で描かれた円が勢いよく滑り、半径を縮めてゆく。

 四方から接近する魔力に、クレイジースミスは戸惑って八本の脚をバタつかせた。剣のような爪の先が敷石とぶつかって火花を散らす。が、今度は煙を蹴散らせない。全方位から幾重にも張り巡らせた煙の紐が、折り重なって迫ってくるのである。やがて煙の包囲網は地を這いながら大蜘蛛を飲み込み、その巨大な腹の下にまで潜り込んだ。


「Kwff! Kwfff!」


 ひときわ甲高い声を上げ、クレイジースミスは異様な動きで体をよじった。ユノーの調合した虫除け香を吸い込み、苦しんでいるのだ。脚の動きは不規則になり、光輝く腹の紋様は狂ったように点滅し形を変えた。


「即興でやったんで、お気に召すかどうか不安だったけど……しっかり味わってくれたようで、何よりってトコね」


 ユノーは額に汗の球を浮かべながら、不敵に笑った。

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