【9】
城下に降りたエルシェは、本当に調査を開始した。
「まず、エフェリーンが下働きをしていたお屋敷から。お願いね」
エルシェがヴィルヘルムスにそう言ってきたのは、二人の軍服のデザインから言って、どう見てもヴィルヘルムスの方が上司だからだ。エルシェは候補生の姿で、ヴィルヘルムスに付き従うように半歩遅れてついてきている。立場の逆転に楽しさを感じないと言えば嘘になるが、同じくらい心臓に悪い。見つかったらどんな騒ぎになるか。
エフェリーンが下働きをしていたと言う伯爵家は、中の中程度の家だった。中の中、と言っても小さな公国内での話なので、他国の貴族と比べると、やはり少し生活水準は落ちるだろう。それでも、奉公人を雇うことができるくらいの稼ぎがある。
ヴィルヘルムスは、以前にも話を聞きに来たことがあるので、その時の確認としてもう一度聞きたい、と言って伯爵家の家令に話を聞いた。
「エフェリーンは仕事のできる子でしたよ。機転が利くし、仕事も正確。ただちょっと美人を鼻にかけるところがあったけど、まあ、実際に美人でしたしね。プライドも高くて扱いづらいところもあったけど、仕事は嫌がらない子だったから。ああ、あと、玉の輿を狙っているのはすぐにわかりましたよ。まあ、あれだけきれいなら、とは私も思いましたが。ですが、まさか、大公閣下のご落胤かもしれないとは思わなかったですねぇ」
おしゃべりな家令は、あっさりとエフェリーンのことを話してくれた。それでも、機密のことは話していないのだから、さすがにわかっていると思った。ヴィルヘルムスがエルシェを確認すると、彼女は小さくうなずいた。
「……ありがとうございます。以前もお聞きしたのに、また来てしまってすみません」
「いいえ。慎重になるのはわかりますので」
家令がむしろ光栄だと言う風にお辞儀をするので、ヴィルヘルムスは微妙に罪悪感を覚えた。
「……今の感じでいいんですか?」
「ええ。その人が本当のことをいっているのか、やっぱり実際に見てみないとわからないし」
会話がかみ合っていない気がするが、とりあえず、エルシェは顔を見て話せば相手が嘘をついているかわかる、ということは理解した。
続いて訪れたのはミナがいた孤児院だ。孤児院の院長は老齢のシスターで、何となく拝みたくなるような聖母のような人だった。
「ミナは子供たちの面倒もよく見てくれる良い子でした。しっかり者で年下の子供たちにも好かれていましたよ。彼女がいなくなって、わたくしたちも寂しいのです。あの子は帰ってこられるのでしょうか?」
心配そうにシスターが尋ねてくるが、ヴィルヘルムスは「まだわかりません」としか答えようがない。アンドリースの娘だとなれば、帰ってこられない可能性も高い。ただ、ミナの様子を聞く限り、彼女自身は孤児院に戻りたいと思っているようだが。
「あの子が大公様の子でもそうでなくても、わたくしたちにとって大切な子です。どうかよろしくお願いいたします」
「かしこまりました」
礼をするヴィルヘルムスの後ろで、候補生に化けたエルシェが子供たちにいろいろ言われていた。ミナ姉ちゃんはどこ? いつ帰ってくるの? とのことだ。本当に、彼女は子供たちに好かれていたのだろう。
「孤児院の人たちには申し訳ありませんが、ミナ嬢がアンドリース大公の娘ならよいかもしれませんね」
「そうかもね」
エルシェはヴィルヘルムスの言葉に相槌を打ちはしたが、彼女が本当にそう思っているのかは、ヴィルヘルムスにもうかがい知れなかった。彼女はもう、答えを知っている可能性もある。
最後にアニカを育てた雑貨屋である。雑貨屋の夫婦は初老の男女で、見るからにいい人だった。
「アニカは幼いころからよく店を手伝ってくれましてねぇ。おっとり気味だけど愛想はいいし、良く店を手伝ってくれますし」
二回言った、二回言った! と思いつつ、話を聞く。
「私たちには子供がいないもので。あの子を実の娘のように思っているのですよ。それが、大公様の御子かもしれないなんて話で、何が何やら」
一般市民なだけあり、動揺具合は先の伯爵家やシスターの比ではない気がする。
「あの子が大公様の御子なんて、そんなたいそうな身分のはずはありません。素朴で優しくて、頭のいい子ですけど抜けているところもあって、お城で粗相をしていないか心配なのですよ。結論が出れば帰ってくるのですよね?」
「……それは、私にはお答えしかねますが……」
そう言えば、たとえアンドリース大公の子がわかったとして、エルシェはその子をどうする気なのだろう。下馬評通り、大公にするのだろうか。
それに、はじかれた二人も、そのまま城下に返すのだろうか。いや、エルシェとシルフィアが指揮を執るなら、悪いことにはならないと思うが。
雑貨屋を出た後も、アニカちゃんは? ミナちゃんは? と問いかけられるヴィルヘルムスである。変装中のエルシェはそれを見てくすくす笑っている。
「ミナとアニカは帰るところがあるのね」
「そうですね……」
なら、帰る場所のないエフェリーンを大公の娘と考えるか? などとヴィルヘルムスは思ったりしたが、エルシェがそんな非合理的なことを考えるわけがないと思い直した。
「エルシェ様は、アンドリース大公の娘で無かった二人をどうするおつもりですか?」
並んで歩きながら、ヴィルヘルムスは尋ねてみた。答えてくれるかはわからないが、やっぱり気になったので。
「……そうね。ある程度は決めているけど」
そう言って教えてくれない辺り、本当にシルフィアにそっくりだ。彼女の教えを良く守っている。
「本当は、大公位から逃げたわたくしに、そんなことを決める資格なんて、ないのかもしれないけれど」
自虐気味な言葉に、ヴィルヘルムスはむっとした。
「何故、ご自分を卑下なさるのです? あなたは逃げなかった。だから今のクラウスヴェイクがあるのです」
そう。エルシェが戦ったから、今のクラウスヴェイクがあるのだ。彼女が立ち上がらなければ、今頃クラウスヴェイクは、闇と恐怖の国だっただろう。
「……逃げっぱなしよ、わたくしの人生は。ウィレムお兄様を残して城から逃げて落ち延び、国の為と言って叔父を排除しながら、大公位を継がなかった。そして今、大公の役目をあの三人の子供たちに押し付けることができるんじゃないかって考えている」
そんな自分が嫌いだ、とエルシェは言った。城門前まで来ていた二人だが、中に入る前にヴィルヘルムスはエルシェの腕をつかんだ。エルシェが驚いて振り返る。
「あなたは逃げてなどいません。最後には必ず帰ってきた。それに、あなたがご自分を嫌いでも、私はエルシェ様のことが好きです」
エルシェの目が大きく見開かれた。しかし、すぐに泣きそうに顔がゆがむ。
「……何もわかってないのに、そんなこと言わないで!」
そう叫ぶと、エルシェはヴィルヘルムスの手を振り払って城内に駆けこんで言った。通常は身体検査などがあるのだが、エルシェはエルシェなので、そのまま通されてしまった。
護衛たるヴィルヘルムスは、エルシェを追わなければならないだろう。ならないのだが……。
「ハーレン将軍……」
ドンマイ、と言わんばかりに門番がガッツポーズをしてくる。まあ、エルシェは城内に駆け込んだのだから、おそらく大丈夫だと思うが……。
「今の……何がいけなかったんだろうか」
思わず尋ねてしまった。それくらい、唐突な変化だった。いや、話の途中から少し腹立たしげな顔だな、とは思っていたのだが。
もちろん、門番はこう答えるしかない。
「さあ……?」
だよな。
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