【8】
「ヴィル」
城内の回廊を歩いていたヴィルヘルムスは、エルシェに名を呼ばれて笑みを浮かべて振り返った。
「どうなさいましたか?」
「うん。ちょっとね、付き合ってもらえないかしら。あと、ファビアンも呼んで来てちょうだい」
「わかりました」
ヴィルヘルムスはうなずき、ファビアンを呼ぶように兵士に命じた。
エルシェが城に入ってから三日が経っている。どうやら昨日はアンドリース大公の娘候補三人に話を聞きに行ったらしいが、そのことで何かあったのだろうか。
「お待たせしました。それで、お話とは?」
ファビアンが到着した。話し合いの場は、現在、エルシェが仮に使っている大公の執務室である。エルシェに捕まったヴィルヘルムスとファビアンのほかに、ヴィルヘルムスがエルシェに付けた護衛、ヨナスも一緒だ。空気を読んだ彼は口を開く。
「お邪魔なら、私は外で待っていますが」
「ううん。聞いててもいいわよ」
エルシェは微笑んで許可を出した。彼女が許可を出してしまえば、ヴィルヘルムスたちには何も言えない。
「まあ、本当はヴィルには関係ない話なんだけど、目くらましと言うことで」
「……さようですか」
この辺り、シルフィアの思考がちらつく。エルシェはシルフィアに教えを受けたから当たり前だけど! おかげでヴィルヘルムスは微妙な反応しかできなかった。
「ということは、本命は私ですか?」
「そう言うことね」
その部分だけ聞いたら勘違いしそうなファビアンとエルシェの会話である。やっぱり、エルシェはシルフィアの教え子で、ファビアンはシルフィアの夫だなぁ、と妙なところに感心した。
「シルフィアのことなんだけど」
シルフィアの名が出た瞬間、ファビアンの表情が強張った。
「……彼女、ついに何かやらかしましたか」
「むしろわたくしがいない間に何をやらかしたのか気になるところだけど、今はそれは聞かないでおくわ」
エルシェが少し呆れたように、しかし、やっぱり、というようにも見える表情で言った。それから再びまじめな表情になる。
「シルフィアのおなかの子だけど……」
エルシェが意味ありげに言葉を切ったのでまさか……! とかたずをのむファビアンとヴィルヘルムスであったが、続いたエルシェの言葉は二人の予想とは違うものだった。
「双子なんじゃないかしら」
「……双子、ですか」
「では、レイヴェン将軍は一度で二児の父になると」
ツッコミを入れてきたのはヨナスである。エルシェはそんな彼を注意するのではなく、「そうね」とうなずいて見せた。
「まあ、問題はそこじゃないのよ」
エルシェはそう言ってバッサリ切った。話を戻す。
「一人にしては、おなかが大きい気がするのよね。それに、触った時に別々の場所から蹴られた気がする。まあ、わたくしは医師ではないし、可能性があるってだけだけど」
エルシェがそう思った理由をつらつらと述べる。この辺もシルフィアと同じだなぁと思った。それから結論を言った。
「双子の出産って、結構危険らしいのよ」
まあ、二人分生むと考えれば。ヴィルヘルムスは単純にそう考えた。昔、知り合いの女性が『出産は命がけ』と言っていたのを思い出したのだ。
「まあ、出産自体が危険を伴っているし、リスクのないことなんてないんだけど。シルフィアは初産で、しかも双子だとしたら、難産になる可能性が高いわ。最悪、死に至ることだって」
「……」
ファビアンが顔を曇らせた。エルシェが気づいたのだ。当の本人であるシルフィアが気づいていないとは思えない。
「今のところ大丈夫そうだけど、双子だと早産になることがあるんだって。子供も、一人の場合よりも小さく生まれてくる。まだ決まったわけではないけど、対策や準備をしておいて損はないと思う」
エルシェはこれが言いたかったのだと思う。双子だと決まったわけではないし、双子だとしても必ず危険があるかと言われると、わからない。しかし、できる限りのことはすべきだ、というのがエルシェの意見である。準備したか、していないかで結果が変わることもある。
「なるほど……知らせていただき、ありがとうございます」
ファビアンが思ったより落ち着いた様子だったので、ヴィルヘルムスとエルシェはそろって首をかしげた。
「知ってたんですか?」
ヴィルヘルムスが尋ねると、ファビアンは「いや」と首を左右に振った。
「知らなかった。だが、シルフィアならそう言うこともあり得るなと。思えば、彼女の健診に一度も付き合ったことがない」
「……まあ、二人とも忙しいものね」
エルシェがそう言って肩をすくめた。シルフィアが双子かもしれない、とわかった時点で、隠滅工作に走った可能性もある。彼女が本気で知られたくないことは、きっと、誰にも暴けない。
「でもこれもシルフィアがわたくしを呼び戻した要因の一つなのでしょうね」
そう言って微笑むエルシェに、ヴィルヘルムスもファビアンも、そして彼女の背後で話を聞いていたヨナスも沈黙した。
シルフィアは、自分の出産がリスクを伴うものとわかった時点で、自分がいなくてもクラウスヴェイクを守れる存在、つまりエルシェを呼び戻そうと画策したのだろう。そして、彼女は実際に呼び戻されてきた。
「……必ず母親が死ぬ、ということはないのですよね?」
ファビアンが不安げにエルシェに尋ねた。彼女はうなずく。
「もちろんよ。わたくしがファルケンフットにいた時、領民の一人が双子を生んだけど、ケロッとしてたもの」
つまり、可能性の一つと言うことだ。しかし、全員がファルケンフットの女性のようにケロッとしていられるわけではない。
「まあ、心配し過ぎなのかもしれないけど……」
エルシェは目を細め、思慮深げな表情になったが、すぐに微笑んだ。
「とにかく、わたくしもできる限り手を尽くしたいから、夫であるファビアンの許可が欲しかったのよね」
ということであるらしい。散々脅された気がするが、エルシェなら何とかしそうな気がする。むしろ、シルフィアが死ぬところが想像できない。
「大丈夫よ。わたくしもシルフィアも運が強いから」
そう言って微笑むエルシェは、非常に頼もしく見えた。
△
「ヴィル!」
朝からエルシェの元気な声を聴き、ヴィルヘルムスはどきりとした。それから彼女の姿を見て半眼になる。
「……その格好は?」
「似合う?」
そう言ってそこ場でくるりと回って見せたエルシェであるが、回ったところでスカートが翻るようなことはなかった。なぜなら今、彼女は男装しているからである。クラウスヴェイク軍の候補生の恰好だ。
「……似合っていますが、そんな格好でどこへ?」
ヴィルヘルムスは何とかそう返した。そう。とても似合ってはいるのだ。エルシェは男性にしては小柄だが、成長期の少年のようにも見える。当たり前だが整った顔立ちの女性なので、かわいらしい系の少年に見えるのだ。ダークブロンドはつむじで縛り、腰には剣を佩いている。
「城下に降りようと思って。これなら目立たないでしょ」
とさらに変装のつもりか眼鏡まで取り出した。ヴィルヘルムスはもう、どこからつっこんでいいかわからない。
「……おそらく、一見してエルシェ様だとはわからないと思いますが……何故城下に行くのですか?」
ヴィルヘルムスが尋ねると、エルシェはニコリと微笑んだ。何故か嫌な予感がした。
「もちろん、調査の為よ。エフェリーンたちが育ったところを見てみたいのよ」
「……さようですか」
「ええ。そうなの。判断材料になるでしょう? それで、ヴィルに付き合ってもらおうと思って」
「私に?」
意表を突かれてヴィルヘルムスは戸惑った。そんな、デートみたいなこと。いや、エルシェは男装だけど。
「護衛のヨナスはどうしました? 今日は休みではなかったはずですが」
「彼は大公の執務室でお留守番。だって、演技が下手なんだもの」
「……あー……」
エルシェが身分を隠すなら、それ相応の怪しまれない対応をしなければならない。ヨナスはそれができなかったのだろう。だから置いて行かれた。この適材適所の判断は、シルフィアに似てシビアだ。
「あなたが一緒なら、誰も文句を言わないでしょう?」
その小首をかしげる仕草が憎らしいほどかわいらしく見えて、ヴィルヘルムスは否定の言葉を口に出来なかった。
「……仕方がありませんね」
「ありがとう!」
あまりよくないとわかっているのに、エルシェのこの笑顔に、『ひきうけてよかった』と思ってしまうあたり、ヴィルヘルムスも重症である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
クラウスヴェイクは前の内乱で人材不足。