【11】
いろいろ知識不足ですので、おかしいところがあってもスルーしていただけると幸いです。
シルフィアが産気づいたのは、予定より早かった。エルシェが三人娘たちとお茶をしていた時である。近衛が駆け込んできてシルフィアの陣痛が始まったと告げたのだ。
「ファビアン様が城での出産の許可を求めていますが!」
「ドリューネン侯爵が許可しなかったの!?」
「エルシェ様のご判断に従えと!」
「……ええいっ。いいに決まっているでしょう! 今は医務室?」
「はい!」
エルシェは近衛と共に廊下を走りながら叫ぶように会話する。途中で曲がって医務室の方へ向かった。
明らかに野心のあるドリューネン侯爵だが、さすがにわかっている、と思った。誰がなんと言おうと、今のこの城の主はエルシェなのだ。だから、ドリューネン侯爵はエルシェに許可を求めた。この許可を出したなら、エルシェは自分がこの城の主であると認めたことになる。
まあ、大公問題は後だ。今はシルフィアの出産である。エルシェも経験はさすがにないからわからないが、初産で双子と言うのは結構危険なのではなかろうか。
医務室の前には人が集まっていた。ファビアンはいないが、おそらく、出産に立ち会っているのではないかと思われた。
「ああ、エルシェ様」
「ドリューネン侯爵。シルフィアの様子は?」
「ファビアン殿がついています。難産になりそうとのことで……」
「そう……」
やはり双子なのだろうか。そう思ったとき、ヴィルヘルムスと目が合った。
以前城門前でエルシェが一方的に怒ってから、エルシェはヴィルヘルムスとまともに話をしていなかった。彼と話さなくても生活は成り立つ。そのことが苦しかった。
ファルケンフットにいたころは、それが普通だったのに。再び、彼がいる生活に慣れてしまっているのだ。
それはともかく、シルフィアである。医務室の中からはシルフィアの叫び声が聞こえてきた。
「ちょ、これ、レイヴェン侯爵は大丈夫なんですか?」
ヨナスが心配そうに尋ねた。誰も答えないので、エルシェが口を開く。
「出産で亡くなる人が居ないわけじゃないけど……きっとシルフィアなら大丈夫だと信じましょう」
これはシルフィアの問題なので、外野はどうすることもできないのだ。基本シルフィアは体力があるので、大丈夫だろう。たぶん。
厚い医務室の扉を通しても聞こえてくるシルフィアの叫び声。みんなハラハラしながら見守る。
「難産なら、数時間はかかるわね……」
その間ずっとこうしているつもりだろうか。シルフィアが抜けた分の執務もどうなっているのか気になる。というか、現時点で宰相がここにいるし。その宰相が息を吐いた。
「申し訳ありませんがエルシェ様。私はこの辺で失礼いたします。執務が……」
その時、シルフィアのひときわ大きな悲鳴が聞こえた。
「執務が、残っておりますので」
「ええ……その、侯爵も無理しないようにね……」
「気を付けます」
シルフィアのことが気になりすぎてミスしそうな雰囲気だったので、無理ならしない方がいいと思ったのだ。しかし、ドリューネン侯爵は後ろ髪を引かれるようすを見せながら、とぼとぼと執務に戻っていった。
「ドリューネン侯爵……なんというか、背中に哀愁が」
「シルフィアのこと、なんだかんだで気に入っているものね、あの人」
エルシェは苦笑して廊下に用意されているソファに腰かけた。ヨナスが少し離れて控える。何となく去り損ねたらしいヴィルヘルムスが所在なさ気に立っていた。
「何してるの。こっちにおいで」
エルシェは微笑んでヴィルヘルムスを手招く。再び上がったシルフィアの悲鳴に彼はびくっとしたが、エルシェのそばまで歩み寄ってきた。
「うむ。隣、座りなさい」
ポンポンと自分の隣をたたく。おっかなびっくり腰かけるヴィルヘルムスに、直属配下のヨナスが笑いをこらえる表情になった。
「あ、座れと言ったけど、軍の方は大丈夫なの?」
「……ヨナス」
「はっ!」
エルシェの指摘に、ヴィルヘルムスがヨナスを呼んだ。彼は軍人らしく姿勢を正す。
「訓練場で訓練中の部隊と合流し、私がしばらく外すことを伝えてくれ。お前はそのまま伝令が行くまで訓練に参加。私がいないからと言って気を抜かないように」
「はっ! 失礼いたします!」
ヨナスは最後に敬礼し、何故かエルシェを見て「がんばってくださいね!」とささやくと訓練場に向かって行った。エルシェはいろいろとびっくりした。
「ヨナスもちゃんと軍人なのね……あと、あなたもちゃんと将軍なのね」
「まあ……それは一応、そう言うことになっていますからね……」
ヴィルヘルムスは苦笑気味にエルシェの疑問に答えた。エルシェは目を細める。
「ヴィル。この前はごめんなさい」
「なっ、何のお話ですか?」
動揺したのが丸わかりのヴィルヘルムスの声が聞こえた。エルシェは変わらぬ彼に少しほっとした。
「前に、城下に連れて行ってもらったとき。わたくし、一方的に怒ってしまったから」
『……何もわかってないのに、そんなこと言わないで!』
エルシェは、一方的にヴィルヘルムスをそう怒鳴りつけた。何も説明しないまま、自分のことをわかってくれと叫んだのだ。そんなの、ただの癇癪だ。自分でもよくわかっている。
「……正直、今でもどうして自分が怒鳴られたのかわかりません。ですが」
ヴィルヘルムスがふっと優しい表情になってエルシェを見た。
「あなたが思っているほど、私も怒っているわけではありません」
「……よかった」
ヴィルヘルムスがこれからも変わらずに接してくれるとわかり、エルシェは心からほっとした。後悔するならしなければいいのに、やってしまうのが人間である。
「私は、今でもあなたを愛しています」
ほっとして体の力を抜いたエルシェの髪を指で梳き、ヴィルヘルムスがささやくように言った。その言葉がどうしようも無くうれしい。
「良ければ、教えてください。あなたが何故あんなことを言ったのか。エルシェ様」
「……」
悩んだのは一瞬だった。エルシェは、シルフィアの悲鳴とも叫びともつかない声を背景に口を開く。
「わたくしはね、逃げたのよ」
エルシェは息を吐き、考えながらゆっくりと言った。
「前にも言ったけれど、逃げたのよ。叔父を失脚させた後、わたくしかアンドリース兄上か、どちらが大公になるかでもめたわね。結局アンドリース兄上が大公になったけれど、あの時、みんな、兄上がわたくしを追い出したと思ったそうね。違うのよ」
エルシェはもう一度言った。
「……違うのよ。わたくしが、兄上に大公を押し付けて逃げたのよ……」
「……何となくわかっていました」
ヴィルヘルムスが穏やかにつぶやいた言葉に、エルシェは勢いよく、彼の方を振り向いた。
「それでどうして、わたくしに優しくするの。逃げたと言うことは、あなたのことを捨てて逃げたと言うことなのよ……!」
誰の為でもない。ただ、自分の心を護るために、そのためにエルシェは逃げたのだ。優しくしてもらう資格など、ないのだ。自分が勝手にしたことなのに、気づけばエルシェは泣いていた。ヴィルヘルムスがハンカチを取り出してエルシェの目元をぬぐった。
「エルシェ様。あなたは確かに、大公になる必要があったのかもしれません。……しかし、少し、休んだっていいじゃないですか。きっとあなたには休息が必要だったのです。だって、ファルケンフットで久々にお会いしたとき、戦後別れた時より、ずっと穏やかな顔をされていました」
時が荒んでいたエルシェの心を癒したのだとヴィルヘルムスは言う。
「それから選んだっていいじゃないですか。あなたがファルケンフットに行ってしまったとき、落胆したのは確かです。それでもあなたはまたこうして戻ってきた。それで十分なのだと、私は思います」
ヴィルヘルムスがギュッとエルシェを抱きしめる。
「私も将軍職を任されました。人の上に立つ大変さは、少しはわかるつもりです。むしろ、私たちの方があなたにつらいことを強いているのかもしれません。ですが、あなたにすがるしかないのです」
わかっていた。もうエルシェしか残っていない。なら、エルシェがやるしかないのだ。兄アンドリースが本当に自分の娘を探してほしいと遺言を残していたのだとしても、彼はその娘が大公位を継ぐことを考えなかったはずだ。あえて文字に残さなくても、エルシェが大公になると想定しただろう。
心優しい兄だった。決して次兄のように聡明ではなかったが、賢明な人であった。少なくとも、エルシェよりはずっと自分の責任を理解している人だった。
エルシェはヴィルヘルムスの服をつかんだ。彼の肩に額を押し付けるようにくっつく。
「……まだ、間に合うのかしら」
何にかは、言わなかった。エルシェにも、はっきりとは分からなかった。
それでもヴィルヘルムスは彼女の背中を撫でながら言った。
「ええ。きっと」
その時、医務室から赤ん坊の泣き声が聞こえた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あと二話の予定。




