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第二章 壁と罪(1)

夏泉との関係は、龍時が思っていた以上に長続きしている。夏泉と初めて会った時まで時を遡り、龍時はそう思った。


八月に知り合った龍時と夏泉は、その時からある程度の頻度で顔を合わせていた。最初の頃の夏泉は、眞銀の仲介なしに龍時に会うことが出来ていなかった。その頃はまだ、恥ずかしいという感情が夏泉の心の中にあったからである。


しかし、時間が経って会う回数も増えていく内に、夏泉は龍時と会うことに慣れていった。そして今では、龍時に一人で接触するようにまで夏泉は成長していた。


十二月になった冬の寒い季節になっても、二人は一定の頻度を保って会っていた。そしてこの時にはもう、元に戻ることが出来ないほど関係は進展していた。


龍時にとって夏泉という存在は、面倒ではあるが他の人に比べればマシというものである。夏泉が龍時に慣れていく内に夏泉は直接龍時の家に顔を出す時もあり、龍時にとっては少し厄介な存在になっていたのだ。


しかし、龍時が小説を新しく投稿した時には必ず夏泉は感想を述べ、ある程度龍時に貢献する形をとっていた。それゆえ、龍時の夏泉に対する評価は普通の人間に比べれば高かった。


ただ、夏泉に注文をつけるとすれば、龍時は最近の夏泉の龍時に対する態度について改善して欲しく思っていた。その理由として、夏泉は龍時に何かしらのアプローチと共に姿を現すようになったからである。


手作りのお菓子を持ってきたこともあれば、眞銀と同じように龍時の部屋を掃除し始めたこともある。おまけに、龍時の買い物までをかって出ようとしていた。


龍時にとって夏泉がそこまでする理由など何一つなく、そのために龍時はこのことで困っていた。


しかしそれ以外で考えてみると、龍時から夏泉につけるべき文句はなかった。夏泉の人柄の良さは人間関係に疎い龍時でも感じ取ることができる。それが龍時を困らせる理由にもなっていたが、そのことに対して龍時が不平不満を言うことはなかった。


夏泉は龍時に対して利益を生み出す存在である。龍時は気付かない内に勝手にそう考えてしまっていたのだ。


「……出掛ける?」


「そう……ダメかな?」


この日も夏泉は龍時の部屋にやってきている。そして龍時の部屋の中、夏泉は突然外出を龍時に提案してきた。


「でも外は寒いぞ?クリスマス寒波が日本列島を襲っている」


龍時は今朝の天気予報の内容をそっくりそのまま夏泉に伝える。龍時は純粋に寒い日に外へ出たくなかったのだ。


「そう言わないで一緒に来てよ。だって今日は二十五日だよ?」


「別に二十五日だろうが二十六日だろうが、寒いんだったら俺は外に出ない。部屋で何かしている方が能率的だと思わないか?夏泉がこんな寒い日に、わざわざ俺の家まで来たことにさえ驚いているのに」


龍時はそう言って熱いコーヒーが入ったコップを両手で包む。龍時の指は何本かがかじかんでいた。


「こんな部屋にいたって身体に悪いだけだよ!それに室温だってほとんど外と変わらないし」


「…………」


龍時は夏泉の言葉に口を閉ざす。龍時宅では家計の問題上、ヒーターやストーブを動かす余裕はない。従って、室温はほぼ外気温に等しかった。


「それに外って言ってもお店に入ればここよりあったかいし、動けば自然と体も温まってくるよ」


「……それは……そうだが」


龍時は立て続けに行われる夏泉の説得に少し納得する。そんな龍時に夏泉は少し喜んだ。


「じゃあ外に出ようよ!ねっ!?」


「でもなあ、俺なんかと一緒にどこへ行くんだ?今日なんて休日だし人も多い」


龍時は苦し紛れに雑踏に飲み込まれる危険性を指摘する。龍時にとって大量の人間というのは、いわば兵器といっても過言ではなかったのだ。


「……本当は龍時が決めないといけないんだよ?」


「どうして?」


夏泉の理不尽な言葉に龍時は素で驚く。夏泉が誘っているのにもかかわらず龍時が決めなければならないなど、全く話にならないだけでなくあり得ない話だったのだ。


「まあ別に、私だってそんなこと期待してないから安心して。だから私が誘ってるんでしょ?」


「…….はぁ、そうですか」


「そうよ。龍時がこんなにも無感情で疎いことは理解済みだったからね!」


夏泉は語尾をやや強めてそう言う。ただ、龍時には何のことか分からなかった。


「別に無感情じゃない。今だって面倒臭いって感情が先行してる」


龍時は夏泉の言葉に言い返すようにそう口にする。すると、夏泉はムッと眉間にしわを寄せた。しかし、夏泉はすぐに元の可愛らしい顔に戻す。


そして大きな溜息を一つ吐いた。


「……もういい。今日は帰る」


「待て待て、天気は午後には回復していく。今こんな吹雪の中を出ていくことはないだろうに」


「帰る!」


夏泉は龍時の心配に耳を傾けることなくそう言い放つ。そしてそばに置いてあった鞄を手にとって玄関に向かい始めた。


「……なんか俺が悪いみたいじゃないか」


龍時は夏泉の背中を見ながらそう呟く。そして仕方がないと感じなから、龍時はゆっくりと重たい腰を上げた。


「……駅前のビルにはラーメン屋がたくさんある。ビルの中は暖かいだろう」


龍時はそう言って、玄関前のクローゼットから上着を取り出す。そして上着に入れっぱなしにしている財布の中を確認してから、壁にぶら下げている家の鍵を手にした。


夏泉はそんな龍時の様子を見て呆然とする。


「どうしたんだ?行かないのか?」


「……いや、どういう風の吹き回しなのかなと思って」


「せっかく重たい腰を上げたのにその言い草か。……まあいい、寒いと余計に腹が減る。腹ごしらえのためならば吹雪もやむを得ないわけだ」


「ああ……お腹が空いただけなのね」


夏泉は龍時の行動理由を把握すると残念そうに下を向く。しかし、先程のように怒ってはいなかった。


その後天候が落ち着いた時を見計らって、二人はそれぞれ不満を感じつつ部屋を出た。


目的のビル前は吹雪のせいか人が少なかった。しかしビルの中は違っていて、悪天候から逃げてきたと思われる人でその中はごった返していた。


「さて、どのラーメン屋がいい?……やっぱ人気店は大行列だがな」


龍時は人の間を縫うように歩く。夏泉はその後ろをはぐれないようについていき、龍時の言葉を周囲の雑音の中からなんとか聞き取ろうとしていた。


「……私はどこでもいいわ。龍時が決めてよ」


「いいのか?……じゃあここで」


龍時は始めから入る店をすでに決めていて、夏泉の返答を聞いて安心して一つの店に入った。


「……ここよく来るの?」


「ああ。家計が火の車になった時、よくここにお世話になっている。……あっ、こんにちは。二人です」


龍時は店の紹介をしつつ、店員の質問に答える。人数を把握した店員はすぐに龍時らに席を提供した。


「……美味しいの?」


夏泉は不安になって龍時に尋ねる。行列を作っている店がある中、この店に行列は出来ていない。夏泉がそう考えるのも無理はなかったわけである。龍時は夏泉の質問の回答に時間をかけた。


「……いや、特別美味いというわけじゃない。ただ、とにかく安いんだ」


龍時はメニュー表を夏泉に手渡す。夏泉はそれを見て頰を引きつらせた。


「……確かに安いわね。でも大丈夫なの?この値段は怖いんだけど」


夏泉は通常サイズの醤油ラーメンが三百円との表示を見てそう口にする。しかし、龍時には何も問題はなかった。


「腹が満たされれば食事として意味を持つ。あまり味には期待しないほうがいい」


「えー……そうなの?」


夏泉は不満そうに唇を尖らせる。しかし、龍時はそんな夏泉に目もくれず、用意された水を飲み干した。


「決まったか?」


「……龍時はどれを食べるの?」


「俺は醤油ラーメンだ。それ以外は食べない。頼むのが怖いんだ」


「じゃあ私も同じものにするわ。……怖いし」


夏泉がオーダーを決めるなり龍時は店員を呼び、二人分の醤油ラーメンを注文する。龍時は早く胃袋に温かいものが欲しかったのだ。


注文を待つ間、龍時は机に用意されている雑誌を手にしてそれを読む。夏泉はその間、一人不思議な雰囲気の中で身を縮こめるしかできなかった。


店内は壁にかけるようなタイプのメニュー表もなく、非常に殺伐としている。龍時ら以外の数少ない客の風貌が普通でないことも、夏泉を不快にさせていた。


そして、夏泉は再び龍時にバレないように溜息をついた。


龍時と夏泉の関係は、他人から見てもわかるほど歪なものである。それは、二人の間でお互いに対する認識が違っていることに起因している。


龍時は夏泉のことを一人の読者としてしか認識していない。そのため、感想を貰えればそれだけで良いと考えており、逆にそれ以上のことを夏泉に望んでいなかった。


しかし夏泉は違う。八月に眞銀を介して龍時を紹介された時から、夏泉の意識の中には龍時がよく出てくるようになっていた。ふとした拍子に龍時のことを考え、龍時を求めている自分がいたのだ。


この気持ちが何なのか、夏泉はよく理解していた。


夏泉にとって龍時の印象は不思議の一言に尽きている。龍時の容姿からは社会で孤立してしまうような雰囲気は感じ取れず、むしろ生活に充実しているとしか考えられなかったのだ。


しかし、四ヶ月に渡って龍時と接触する内に、龍時が人間との関係を避けていることが、夏泉にもよく理解出来た。それどころか、龍時からは普通よりもはるかに少ない感情しか感じ取ることが出来ない。夏泉にとって龍時は異様そのものだった。


ただ、そんな龍時に夏泉は惹かれていた。


お互いが名前で呼び合うようになったのも、夏泉がそうして欲しいと龍時に頼んだからである。苗字では緊張が残り、龍時との距離は縮まらないと夏泉は思ったのだ。


龍時はそれを特に何を考えるでもなく容認した。呼び方によって夏泉の感想が変わってくるのであれば話は別であるが、そんなことは普通あり得ない。よって龍時は認めていたのだ。


龍時と夏泉の関係が今日のような日に二人で活動するまで発展したのは、そのほとんどが夏泉の行動の成果である。しかし、龍時はそれに全く気がついていなかった。


「お待たせしました。醤油ラーメンです」


店員が二つのラーメン鉢を持ってきて二人の前に置く。伝票を机の上の箸箱の下に挟むと、店員はそのまま奥に戻っていった。


「早いのも取り柄だ」


龍時はそう言って店を評価すると、箸を手にとってラーメンをすすった。夏泉もそんな龍時の姿を見てからラーメンに口をつける。


見た目はほとんど普通のラーメンと変わらない。そして、味も夏泉が密かに期待していたほど悪くはなかった。文句を言っていた夏泉であったが、気がついた時にはそのラーメンを完食していた。


「……いやぁ、いつもご贔屓すみませんね」


「いえ、安くて美味しいですから」


二人が食べ終えると龍時は再び店員を呼んで精算を行う。今回も龍時が二人分の代金を支払う。


龍時は事実として夏泉からのアプローチに微塵も気が付いていない。それどころか、夏泉の方が改善すべき点が多いと龍時は思っていた。


しかし、食事代の支払い等は口出しすることなく龍時か一人で済ませている。これは初めて二人が会ったファミリーレストランでもそうだった。


その点に関しては、何故そのような気配りが龍時に出来るのか、夏泉には全く分からなかった。特に夏泉が支払いを龍時にさせるよう圧力をかけているわけでもない。そもそも龍時がそれに気が付くはずがなかった。


代金は男が払うものという偏見を持っているわけではないため、夏泉は支払いの用意はいつもしている。しかし、龍時が積極的に支払いをするために、夏泉はいつも同じ光景を見ていた。


「……この子は彼女?初めて見る顔だね」


「いえ、そんな関係では……」


龍時は夏泉について店員から質問される。それに対してはっきりとしたことは言わなかったものの、龍時は質問されたような関係ではないことを説明した。店員は信じていないようだったが、深く突っ込むことはしてこない。


ただ、夏泉は龍時の対応に落胆した。


二人が店から出ると、ビルの中はさらに人混みが酷くなっていた。龍時はそれを面倒に思いながら、フロアの隅に一時的に退避した。


「満足したか?」


「……満足?」


夏泉は龍時の言葉に聞き返す。龍時は夏泉の驚いた様子に少し眉を吊り上げる。


「ああ、満足したなら帰ろう。身体がまた冷めては元も子もない」


龍時はそう言って家に帰ることを提案する。それを聞いて、夏泉は視線を床に落とした。


「……私迷惑だった?」


「迷惑……ではないが、わざわざ寒い日に外に出る必要はないだろう」


龍時は簡単に自分の意見を述べる。


「今日でも?」


「………?ああ、むしろ今日だからだ」


龍時は吹雪だった外の様子を思い出す。こんな日に出かけたがるとは夏泉は物好きだと、龍時は思っていた。


「そうなのね……。もういい。……今日はもう帰ればいいわ!」


龍時としては率直な意見を口にしていただけのはずである。しかし、夏泉は突然怒ってそう口にすると、一人雑踏の中に駆け込んでいった。


「おい、ちょっと待て……!」


龍時は驚きを隠せないまま、それでも後ろから声をかける。しかし夏泉はそのまま姿を消してしまった。龍時は夏泉を目で必死に探すも、身体を動かして夏泉を追いかけることはしない。


「……なんなんだよ、全く」


夏泉が怒っていたことは理解できている。しかし、どうしてそうなってしまったのか、龍時には理解出来なかった。

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