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第一章 出会い(2)

「今日これから皆で甲山モール行くんだけど、龍時もどうだ?」


その日、しなければならないことを全て終えた龍時に、同じ学部の知り合いの伊丹(いたみ)が話しかけてくる。伊丹は龍時と仲が特別良いわけではなかったが、龍時がある程度信頼を置いている数少ない人間であった。


「すまない。今日は用事があるんだ。また誘ってくれ」


「そうなのか。それなら仕方ないか」


龍時が断ったことに伊丹は残念そうな顔をして見せる。龍時はそれを見てもう一度頭を軽く下げた。これは中学高校時代に習得した技である。


「それにしても龍時が用事だなんて。……バイトって感じでもないからな」


龍時のことをある程度は理解していることから、伊丹は不思議そうな顔をして見せた。龍時が積極的に用事を作るような人間でないことを、伊丹もしっかりと把握していたのだ。


「人が会いに来るんだ」


「また珍しい!」


「初めは断ったんだが……」


龍時は今朝のことを思い出す。今はまだ午後三時。時間はまだ充分にあった。


「なるほどね、生野さんか。彼女のお願いじゃ断れないもんな」


伊丹は龍時の隣に眞銀が住んでいることを知っているため、そのようにほとんど確信を持った状態で自らの推論を述べる。龍時は隠すこともないと考えて頷いた。


「了解。また明日にでもどんな人が来たのか聞かせろよ。んじゃまた明日」


伊丹は楽しげに龍時の肩を叩くと、そのまま手を振りつつ龍時の前から去っていく。そうして龍時は一人になる。龍時は今日の面倒ごとに頭を抱えることになった。


龍時が家に戻ったのは午後四時半過ぎだった。家に着くなり、龍時は部屋の掃除をして時間を潰す。課されているレポートをする気にもなれず、今の龍時には掃除が最も適した時間の使い方であった。


龍時はこれまで人付き合いをしないようにしていたものの、全くしていないというわけではない。その結果、どんな人間にも感情面で闇があることを知り、龍時は更に人間関係から疎遠になろうとしていた。


眞銀はそんな龍時を心配して、色々な人間と会うように仕向けているのかもしれない。ただ、龍時にとってそれは無用で余計なお世話だった。


龍時は生きていく上で必要なコミュニケーションはしていけると勝手に思い込んでおり、それ以外のコミュニケーションは必要ないと思っていた。そのため、眞銀でさえ龍時にとって明日からいなくなっても構わない人間ではあった。


ただ、眞銀は今の龍時の生活の一部を担っていると言っていいほど、龍時の生活環境に介入してきている。そのため、一概にそう結論付けることも出来ないのが現状だった。


龍時がそんなことを一人掃除機をかけながら、または物を整理しながら考えていると、いつの間にか約束の時間近くになっていた。


部屋の中にインターホンが鳴り響いたのは、掃除を終えた後すぐだった。


「勝手に入るなよ」


龍時は先に釘を打ってから玄関に向かう。そして覗き穴で外を確認してから扉を開いた。そこには朝と同じ姿の眞銀がいた。


「時間になったから行こう」


「……行くってどこに?」


龍時は眞銀が紹介する人物と玄関前で訪問販売のように話すのだと思い込んでいたため、突然移動を告げられて首を傾げた。


「彼女は近くのファミレスに待たせているんだ。話が長引くと予想してね」


龍時はその言葉を聞いて心の中で溜息をつく。初対面の人間と長く話をする自信など、龍時には全くなかったのだ。


「早く支度をしてくれ。最悪でも財布は持て」


眞銀に指摘をされて龍時は急いで準備を整える。龍時が玄関の鍵を閉めると、眞銀はすぐに歩き出した。


龍時は無言のまま眞銀についていく。歩いて向かった先は、龍時らのアパートから徒歩五分の位置にあるチェーン展開しているファミレス店だった。


「いいかい?くれぐれも失礼なことはしてくれるな。どんなに気分を悪くしても最低のマナーは守ってくれよ」


「……俺をなんだと思ってるんだ?それくらい弁えている」


「ならいい」


眞銀は龍時の返事を聞くと、安心した様子も見せずに店内に入っていく。龍時は馬鹿にされたのかと一瞬思ったが、すぐにそんなことを考えている場合ではないと思い直し、これからのことに集中することにした。


店員と少しの会話を済ませた眞銀はそのまま店員に連れて行かれる。龍時は最後まで眞銀の後ろについていくだけだった。


店員に案内されて辿り着いたのは、店内中央近くの禁煙席だった。周りでは家族や友人同士と思われるグループが楽しそうに食事をとっている。


そんな中、四人用の席に一人で座っていたのは、白い服を着た女性だった。


髪型はショートで黒に近い茶髪。顔については眞銀の言った通り、客観的に見ても日本の平均を大きく上回るものだった。服装はナチュラルで清楚感を醸し出している。


「待たせたね。紹介するよ、彼が明石龍時だ」


「どうも明石です」


眞銀は龍時を紹介すると、元から座っていた女性の隣の席に腰をかけた。龍時はそれを見てテーブルを挟んだ反対側の椅子に座る。


「あの、神戸夏泉です。ゲドニア記の作者さんですよね?」


「……ええ、そうですが」


ゲドニア記というのは龍時がネットに投稿している小説の題名である。登場人物に感情がほとんどないとして、悪い方向にほんの少し有名な作品だった。


「実は私ずっと読んでいて、独特な感じが好きなんです」


夏泉は躊躇う様子なく龍時の作品の大まかな感想を述べる。龍時はそれを聞いて不思議に思った。


「実はね、私が夏泉にコミュニケーション同好会の講師になってくれるように働きかけた時、たまたま夏泉からこの話を聞いたんだ。それでついポロっと龍時のことを言ってしまった。すると夏泉が食いついてね」


眞銀はいつもと変わらないトーンで経緯を説明する。それを聞いて龍時はやや納得した。


「……でも俺の書いてるものは悪評の方が多い。どうしてそんな印象を?」


龍時は純粋に気になったことを夏泉に尋ねる。よっぽどの物好きでなければ、龍時の書く小説に好印象など持たないのだ。


「それは、ただ純粋に気になったからです。あまりにも感情が描かれていない。でも私には登場人物の思っていることが分かったような気がしたんです。それで、どんな理由でここまで感情を描写しようとしないのか。それが気になりました」


夏泉が一通り説明する。ただ、龍時にはそれを理解することが出来なかった。捉え方が普通の人とはまるで違っていたのだ。


「夏泉は私と龍時と同じ大学で理学部の人間なんだが、恐らく感性がとても豊かなのだろう。だから龍時の小学生の作文のような小説でも面白い捉え方をしたのだと思う」


眞銀は龍時の作品をストレートに貶す。夏泉はそんな眞銀の方を向いて驚いた表情を見せた。


龍時は眞銀の馬鹿にする言葉が少し引っかかったが、夏泉が同じ大学であったことに驚き、眞銀のことはすぐにどうでもよくなった。理学部と工学部のキャンパスは同じであり、龍時はすれ違った人の顔をある程度覚えるようにしていたのだが、夏泉の顔は見たことがなかったのだ。


「……それで一体どんな理由で感情を表現しない?私も気になっていたところだ」


「お前が聞くなよ」


眞銀は理由を知っていながら龍時に尋ねてきている。それに対して龍時は頭を掻いて対応に困った。感情については表現していないのではなく、出来ていないだけなのだ。


「故意的にではないんだ。……実は俺自身、感情というものがよく理解できていない。だから書けない。これが理由だ」


龍時は仕方ないと思いつつ自分のことをカミングアウトする。ただ、それを聞いた夏泉は少し惚けた顔をした。


「はは、困っているじゃないか」


眞銀は笑いながら龍時に指摘する。確かに龍時の言葉だけで、夏泉が全てを理解できるわけがなかったのだ。


「……どういうことなんですか?」


夏泉は不思議そうに首を傾げる。夏泉は本当の物好きのようで、龍時の意味不明な言葉を理解しようとしていた。


「実はだね、彼は小さい頃から感情というものを外に見せないで生きている変人なんだ。だから今では、感情の必要性が分からなくなってしまっている。小説を書いているのはそんな普通の人間なら持っているものを彼が取り戻そうとして始めたことで、感情が表現されていないことはそれが原因なんだ」


「……へぇ、変わっていますね」


眞銀の説明に夏泉は率直な感想を述べる。その言葉に眞銀は再び笑ったが、龍時は夏泉からの評価に何か面白さを感じた。


「……俺に感情がないわけじゃないけど、小説を書いていけばその中の人物が感情を自然に表してくれると思った。だけど結果は神戸さんが読んだ通りで意味なんてなかった。せっかく読者になってくれたみたいだけど、これからもそこに変化は望めそうにない」


龍時は全てを話して、夏泉に自分が小説を書く理由を伝える。龍時は夏泉に言葉では言い表せないような何かを感じたのだ。


「そうだったんですか。つまり登場人物は皆、明石さんに似て感情が描かれていないわけですね?」


「そういうことですね」


龍時は納得の表情を見せた夏泉を見て少し安堵する。これで、明石龍時という存在を夏泉が怖がることはないと思ったのだ。ただ同時に、夏泉がこれ以上龍時の何かを知りたがるはずがないとも龍時は思った。


しかし、それは龍時の大きな勘違いだった。


「あの……明石さんは今も感情について知りたいと思っているんですか?」


龍時は夏泉がこれ以上自分のことを知りたがるとは思っていなかった。それだけにこの質問は龍時の意表をつくことになった。


「……え、そうですね。まあそのために小説を書き続けているわけですから」


「じゃあ私がそれをお手伝いしたいって言ったら迷惑ですか?」


「えっ!?」


突然のことに龍時はただ驚く。しかし、夏泉の目はじっと龍時を見据えていた。


龍時は夏泉の言葉に戸惑う。龍時にここまで協力的な人物は今までに親を入れても一人もいなかった。それゆえに龍時は返事に困ったのである。


「いいじゃないか、手伝ってもらえば。龍時は感情何て必要じゃないって思っているのかもしれないが、そろそろその感覚は直しておいた方がいい。いい機会だと思うけど?」


眞銀は助言するかのように龍時に話す。しかし、眞銀はただ面白がっているだけかもしれなかった。顔が笑っていたのだ。


「迷惑……ではないけど、神戸さんの方が迷惑するんじゃ?俺にそこまですることはないですよ」


龍時は一般論的に返事をする。ただその答えには、龍時から夏泉の提案を否定する意味が込められていた。龍時には必要のないことであったのだ。


しかし、龍時のこの答えが返答として適切でないことは明らかだった。


「私はいいんです、提案している方ですから。それより、明石さんは迷惑しないんですね?」


「あ、……はい」


龍時は反射的に肯定する。それを聞いて夏泉は表情を明るくした。


「嬉しいです。こうして今まで読んでいた小説に関係することができて。じゃあこれから度々連絡してもいいですか?」


「構いませんけど……」


龍時はどうしてこんなことになってしまったのか、今更になって考え始める。しかしそれは全く意味のないことであった。


それからすぐに、龍時と夏泉は連絡先を交換することになった。龍時は考えてもいなかった状況の転がり方に少し恐怖さえ感じた。


それからは三人共がこのファミレスで夕食をとることになった。ただこの間の時間は眞銀と夏泉の二人がよく話し、龍時は黙々と食事を済ませるだけだった。


三人がファミレスを出たのは午後七時半頃で、会計は全て龍時が支払うことになった。夏泉は申し訳ないと支払おうとしていたが、龍時は気にせずに会計を済ませた。


いつもの龍時ならばそんなことはしない。しかし、夏泉の存在がこれまでにないほど異常なもので、何よりも龍時にとって面白いものであったため、龍時はその対価を支払っただけだった。


それから全員は帰路についた。駅まで夏泉を見送った後、龍時は眞銀と共にアパートに向かう。


「夏泉のことをどう思った?」


アパートの姿が見えてきた時、眞銀が突然龍時に質問する。龍時は眞銀の表情を確認しようとしたが、夜道であるためその顔がどのような様子であるのか読み取ることはできなかった。


「……面白い人だと思った。何というか今までに見たことのないタイプの人間だ」


龍時は率直な感想を述べる。それを聞いた眞銀は確認するように複数回小さく頷いた。


「きっとまた夏泉と会って色々話すことになるだろう。分かっていると思うが、くれぐれも夏泉のことは気にかけてやってくれ。龍時にとって重要な数少ない理解者になってくれるはずだ」


「ああ」


アパートに到着すると龍時と眞銀はそれぞれの部屋の前に足を止める。龍時には考えることが山積みだった。


「それじゃまた明日」


眞銀はそう言って素早く自分の部屋の中に入っていく。龍時も遅れて自分の部屋の中に入った。


龍時はそれからというもの、夏泉という新しい存在についてよく考えた。ただ分かりきっていたことは、夏泉という人物を危険視する必要がないということだった。


しかしそう言っても、突然龍時に接近してきた夏泉の考えは龍時の知るところではない。夏泉が自分の理解者になるのか、それとも否定する側になるのか。それは今の龍時には見当もつかないことだった。

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