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 コン、とノックの音が響いて、アージェットはのろのろと顔を上げた。


「……開いてる」


 近づいてくる気配が誰のものなのかは分かっていたので、警戒することもなく返事をする。すぐにドアが開いて、鉄色の髪の青年が部屋に入ってきた。


「うわ」


 一歩踏み入るなりトウカは、白いレースと小物類でこれでもかと飾り立てられた部屋に頬を引きつらせた。一瞬で場違いを悟って気圧された様子に、無理もない、とアージェットは思う。何せ部屋そのものがとんでもなく少女趣味な宝箱みたいなのだ、さぞかしコメントに困ることだろう。て言うかこの部屋、誰が使うことを想定して作ったんだろう。


「……彼女は絶対にオレを男と思っていない」

「いや、うん、確かによく間違えられるが……」


 大きな部屋の、ほぼど真ん中。大人が三人は並べそうな天蓋付きのベッドに倒れ伏したまま投げやりに呻くアージェットに、トウカは苦笑しながら歩み寄った。トウカの手に果物の乗った皿があるのを見て、アージェットが身を起こす。


「領主殿が用意してくれたのか?」

「ああ。夕食が近いから少しだけ、と言っていた」


 のろのろとベッドに腰かけたアージェットの傍に、トウカも椅子を引きずってきて座り込んだ。

 皿に乗っているのは、角切りにした薄黄色のナップル。甘酸っぱいそれをフォークに刺して咀嚼しながら、アージェットはトウカをちらりと見上げた。


「……トウカ、お前の部屋はどこだ」

「一階の客室。こっそり移ってこようとか考えるなよ」

「…………この部屋は物凄く落ち着かない」

「その気持ちは分かるけどなぁ……」


 アージェットに与えられた部屋は二階の付き当たりで、トウカの客室からは大分離れている。一体どうしてこんなファンシーな部屋があるのかとアージェットは考えて、奥方の趣味だと諦めの溜息をついた。きっと将来娘でも生まれたら使わせるつもりだったのだろうか。ちなみに悲しいことだが、アージェットが性別に間違えられるのは珍しいことではない。容貌にしろ服装にしろ中性的で少女じみている自覚はあるし、それでいちいち怒っていてはきりがないから、あまり気にしないようにしてはいる。


 とは言え、心底嬉しそうにこんな部屋に通されて、しかもこちらがそれを喜んでいるなどと思われるのは正直かなり複雑な気分だが。


 アージェットは長く伸ばした自身の髪を持ち上げ、恨めしそうに上目遣いで見る。


「いっそ切るか」

「それは駄目だ」


 思い切り短くすれば少女と間違えられることもあるまい。そう考えたアージェットの呟きを、しかし耳聡く聞きつけたトウカが即答で却下した。アージェットの眉根がむっとしたように寄る。


「……どうしてだ。髪を切るくらい、別にお前に不都合はないだろう」


 不機嫌そうな真紅の瞳に睨み付けられたトウカは、その視線をさらりと流してフォークを置いた。


「あるね。どうせお前のことだから、やるとなったら芝生並みに刈り上げるつもりなんだろう。そんなことされたらオレが困る」


 図星を指されてアージェットは、う、と詰まる。辛うじて表情には出さなかったものの、旅の連れはそんな些細な仕草も見逃してくれなかったようだ。鉄色の瞳を眇め、トウカはふん、と鼻を鳴らした。


「やっぱりか。お前は冷静に見えるけど、実際はやることが一々極端だからな。以前だって、機械がうまく動かない時は衝撃を与えてみるといいと教えられて、通信機を岩に叩き付けようとしただろう。オレが止めなかったらどうなってたことか」

「そ、そんなこと今は関係ないだろう! それより、オレが髪を切ってなんでお前が困るんだ。別にお前にまで付き合って切れなんて言わないぞ」

「決まってる。オレはお前の髪が気に入ってるんだ。だから切るな」


 まるで当たり前のことを言うように、きっぱりと。それを聞いたアージェットの眉間に、今度こそはっきりと皺が寄った。その反応を無視して、トウカはアージェットの髪を一房つまむ。光沢のある髪はさらさらと指通りが良く、心なしか満足そうに目を細めるトウカの手の中で白銀に輝いた。


 ――はぁ、とアージェットが溜息をついた。


「……ものを食った後の手で触るな、べたつくだろう」


 ぺし、とトウカの手を払って、アージェットは立ち上がる。素っ気なくあしらわれたトウカは特に気にした様子もなく、身を翻した彼を見送った。トウカが椅子に座っていても、少年の目線はトウカより高い位置には来ない。


「どこに行くんだ?」

「シャワーを借りる。さっき奥方が案内してくれたから」


 素っ気なく言い放ち、振り向かずに部屋を出て行く。向けられたアージェットの背中はこの上もなく不機嫌そうだったが、それでも当分髪を切ろうとすることはないだろうと考えて、トウカは満足そうに目を細め、空になった皿を返しに行こうと立ち上がった。




 贅沢ではないがそれなりに手の込んだ夕食を済ませ、領主夫妻に挨拶をして。後は明日と彼らの前を辞し、これといってすることもなくなった一時、二階の端にある長い廊下を、アージェットは一人歩いていた。


 石造りの床は足音がよく響く。誰もいない廊下は真っ暗で、ぽつぽつと灯るランプの明かりだけが控えめに足元を照らしていた。


 外はもう完全に日が沈んでいる。通り過ぎた二階の窓から、館の周りに広がる街の様子がよく見下ろせた。


 ――暗い街だな、とアージェットは感想を抱く。


 比喩ではない。先程窓から覗いてみた街は、街灯や家の灯りが随分と少なく見えた。


(そう言えば、この廊下もかなり暗いな。あまり良い油は使ってないのか……)


 胸中で独りごちる。声には出さない。独り言などみっともないというよりは、この静寂を乱すことに何となく気が引けたからだった。


 ぽつり、ぽつり、と小さく灯る炎の赤みがかった黄色が、道案内をするように、アージェットの行く手へと静かに続いて揺れている。


(……炎、か)


 暗闇の中でランプの小さな光を見た時、アージェットが思い出すことがある。



 ――それは月のない夜と、


 ――血に染まった砂と、


 ――自分を見つめる鮮やかな瞳。



 生まれて初めて名付けの儀を行い、契約を交わしたあの日の出会いが運命だったなどと、アージェットは言う気はない。出会ったことが幸運だったのか不運だったのかも、まだ本当の意味では分かっていない。


 それでも間違いなく、あの日アージェットの人生は大きく変わった。もしもあの日、あの相棒に出会っていなかったなら、今の自分はここには存在しなかった。


 もう、四年も前のことになる。


 こんなに長く一緒にいることになるとは、正直思っていなかった。ひどく整った顔立ちをした隻腕の、鉄色の髪の青年。


(……まあ、今はどうでもいいことか)


 アージェットは嘆息して思考を切り替えた。あまりに静かであるせいか、それとも一人であるせいか、どうにも埒もない記憶が思い出される。


 相棒であるトウカは、今は傍にいない。彼は夕食後すぐに、街を見て回りたいと言い残して出かけていった。アージェットは館に残り、散策がてらに屋内を一周してきたところだ。


 空を見上げると、弓のような弦月が目に入る。その輝きに惹かれるように大きな窓の前で足を止め、よく手入れされた小さな中庭を見下ろした。


 数分ほど、そのまま足を止めていただろうか。黙って庭を眺めていたアージェットは、不意に人の気配を感じて振り向いた。


「庭がお気に召しましたか?」


 微笑んで背後に立っていたのはブランシェだった。アージェットを見つけてわざわざ話しかけきたらしい。『魔獣』を相手に度胸のあることだ、と思う。あるいはその主人たる『神師』の力を余程に信頼してのことか、それとも。


「珍しい花が、咲いていましたから」


 館から洩れる明かりに照らし出された濃い藍色の花を目線で指して、アージェットはそう答える。中庭に咲いている花は、その一種類だけだった。大輪の花が互いに囁き合うように、ゆらゆらと夜の風に揺れていた。


「妻が育てたんですよ」


 微笑んだブランシェがそう言った後、花の名前を口にする。初めて聞いたその名前は、耳に馴染みのない響きを持っていた。


「彼女がこの館に嫁いで来た頃、自分で商人から種を買ったんです。深い海の色の花が咲くのだと言われてね。彼女は、本でしか読んだことのない海に憧れて、いつか見てみたいと言っていましたから」


 穏やかに語るブランシェの眼差しは当時を思い返してでもいるのか、どこか懐かしそうな色を帯びていた。アージェットを見下ろし、目を細めて問いかける。


「アージェット様は、海を見たことはおありですか?」

「ええ、二度ほど。……奥方は、この街を出たがっていたのですか?」

「いいえ」


 ブランシェの否定は早かった。


「わたしたちが出会った時から――出会う前からずっと、リューイシャはこの街を愛していましたよ。彼女が生まれ育ち、そして彼女の父や母が育った街です。出て行きたいなんて、きっと思ってもいなかった。それは勿論、わたしも同じことです。外の世界に憧れていようと、それでもここはわたしたちの育った街だ。ここを離れては、きっと彼女もー―そしてわたしも、生きてはいけませんでしたよ」


 まるで自分に言い聞かせるようにそう語って、ブランシェはふと苦笑った。


「……すみません、つまらない話をしてしまいましたね」

「いいえ、興味深いお話でした。生まれ育った街を愛せるというのは、いいものだと思います。……故郷を愛する気持ちは、オレやトウカには縁のないものなので」

「そう言って頂けると嬉しいですね。……ああ、もう夜も遅い、わたしはこれで失礼します。どうかゆっくり休んでください。また明朝、お会いしましょう」


 その言葉を最後に踵を返し、ブランシェは反対方向に去っていく。その姿に背を向けて、アージェットも再び廊下を歩き出した。トウカが「散策」から戻るまでにはまだ大分かかるだろう。それまでは一応起きているつもりだった。


 与えられた部屋に着いて、アージェットは備え付けの小さな鍵で扉を開ける。室内へと足を踏み入れた時、不意に足元で何かが輝いた気がした。光の正体に思い至る間もなく、刹那に走った紫色の光が円陣を描いて噴き上がり、小柄な体を足元から貫いた。


「――――――ッ!!!」


 脳天まで貫通されるような衝撃。精神を無理やり体から引き剥がされるような感覚に、声にならない苦鳴が洩れた。何の気構えもしていなかった体を立て直すことはできず、ぐらりと横に傾いだ肢体を、分厚い絨毯が受け止める。一瞬で視界が真っ黒に染め上げられるのを感じて、アージェットは意識を手放した。






 嘲うような弧を描いた弦月が、見上げた空にぽっかりと浮かび上がっていた。


 砂漠の夜は冷え込む。月明かりの中、昼間と打って変わって冷気が支配する空間を行くトウカは、乾いた風に鉄色の髪が踊るのを視界の端に捉えながら、小さく欠伸を噛み殺した。


(やっぱり寒いな。蜂蜜入りの香茶が飲みたい)


 そんなことを思いながらも、トウカの剥き出しの肩には鳥肌も立っていない。


(そうだな、これが終わったらどこかから探してこよう。アージェットも飲みたがるかな。でもアージェットには淹れさせられないから、やっぱりオレがやらないと)


 ふわふわと空っぽの右袖を風に泳がせながら、退屈そうな表情でとりとめのないことを考える。気温や飲食のことを気にかけるようになった自分は、随分と『染まって』きているなと感じながら。


(……でも、その前に)


 夜の闇に沈むメインストリートの真ん中で、トウカは足を止めた。


(片付けないとならないことがある、か)


 冷ややかな鉄色の眼差しで、ぐるり、と辺りを睥睨する。


 人間の気配はない。けれど。


「とっとと出てきたらどうだ?」


 ――人間以外の気配なら、うんざりするほどある。


 あちこちの家や物陰からぞろぞろと出てきたのは、手に手に武器を持った、この街の住人らしき人々だった。


 彼らの顔に表情はなく、まるで皆同じのっぺりとした仮面でも着けているかのようだ。数十やそこらではきかない数の彼らの中に、明らかに異形の姿をした影が交じっているのを、トウカはざっと確認する。完全に周囲を取り囲まれたトウカは、困惑したように眉を顰めると呟いた。


「雑魚ばかりか。困った、こっちはハズレだったようだ」


 鉄色の瞳が鈍く輝きを放つ。無い右腕がずくりと疼くのを、トウカは頭の片隅で意識した。


「……こちらに来たということは、向こうでも動いたということだな。なら、手早く終わらせてもらおうか」


 告げた言葉は、宣告にも似た響きを持って。


 夜風にはためく袖布の下で、振り上げた左腕がざわりと騒いだ。


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