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過去

『ただいま帰りました』

玄関を開けると、いつもは谷が鞄を取りに来るのだが、今日は谷の姿が見えない。

『凪、おかえり』

現れたのは、意外にもお父様だった。

『お父様・・・谷は?』

不安そうに聞くと、お父様は一度目を閉じてからゆっくりと言った。

『凪・・・谷は行くべきところへ、着けるべき事を済ませに行ったんだ』

『それって・・・』

谷のことを何も知らないはずなのに、あたしはその場所がわかっているかのように走り出した。

『凪!』

飛び出す前にお父様の焦った声が聞こえたが、そんなこともおかまいなしに走った。

向かった先は、いつか遠い記憶の彼方に谷と二人で行った場所だ。

どうしてそこに谷がいると思ったのかはわからない。



谷・・・

信じてるって言ったよね。

『谷!』

思ったとおりにその場所に谷はいた。

そして、それと相対する形で男が一人立っていた。

そして、その後ろには数人もの男がいる。

明らかに谷には不利な状況。

だけど、誰も動こうとしていない。

『お嬢様!どうしてこちらに』

谷は心底驚いたように言った。

それに、とても困った顔をしていた。

あたしがここに来て、谷が困ることも、谷の邪魔になることもわかってた。

でも、でもね谷・・・

『離れてって言われても、離れられるわけないよ。あたし達何年一緒にいると思ってるの?』

そんなのただのわがままだってわかってる。

余計に谷を困らせるってわかってる。

でも、もう自分の気持ちを押し殺すのも、谷を嫌いになることも出来ないから・・・

『あたしは、谷と何をするも一緒なんだよ。だから・・・』

『お嬢様・・・』

谷は震えていた。

『お嬢様がそこまでおっしょられるのなら、もう私からは何も言えません』

諦めたように言った谷の言葉には、本当に何かを諦めてしまったような感情が見られた。

谷の隠している過去。それと関係があるのだろう。

そう思っていると、谷と相対している男が口角を上げて怪しい笑みで近づいてきた。

『ほうほう、今度はこんな可愛らしい女の子をねー。てめえ、こりねえな』

男は谷に挑発するように言うと、あたしと一定の距離を取って話し始めた。

『君みたいな純粋そうな子が、こいつの仕えているお嬢か?はっ、冗談だろう。まあ、そんなことはどうでもいい。

可愛いお嬢様はこいつが何をしたか知っててここに来たのかな?それならただの馬鹿だし。

知らないのなら・・・まあ、この悪魔の男に騙されて殺されに来てしまったってとこだな』

男は尚も楽しそうに話す。

『まあ、そうだなあ。どうせ殺すんなら愛しいてめえの女に話してやるのも悪くねえ。

どうせ話してねえんだろうからな』

『さっきから・・・』

『あん?』

『さっきから聞いてたら随分と舐めた口聞くじゃないですか。ていうか貴方誰?さっきからあたしのことを可哀想な子みたいに言って、

谷を悪魔だって?貴方がどんな谷を知っているのか知らないし。谷が昔に何を起こした何て知らない。

谷がどんなことをしてたって、今の谷は悪魔なんかじゃない。昔がどうとか、そんなこと言ってるから老け顔なんだ!』

『て、てめ』

ありったけの罵声を浴びせると、男は楽しそうな顔から驚いた顔に変わった。

まあ、最後の一言はつい口をついて出てしまった一言だ。

老け顔と言ったが、実際のこの男の年はわからないし、気にしもしない。

『まだ何か話すことがあるなら、どうぞ好きに話してください』

強い調子で言うと、男は何処か覚めたようにため息をつくと、一度目を伏せて谷の方に向き直った。

あたしに背中を見せるなんて、無防備な奴だと思いながらも、手出ししようとは考えない。

『はぁ・・・まあ、何つうか。俺達のお嬢には似ても似つかねえ気のつえぇ女を好きになったもんだな』

男は特に興味もなさそうに、社交辞令とでも言わんばかりに言うと、『本題だ』と言って、またあたしに向き直った。

『俺はこんな女を見に来たわけじゃあない。でもせっかく来てくれたわけだし。

気にしないと言っていたが、あんたが谷の昔のことを気にしていることはわかる。話してやろうじゃねえか』

男の言う通りさっきのはただの強がり。谷が昔に何があっても谷を嫌いにならないことは本当だ。だけど気になる。

男に従うのも、谷の目の前でこの話しを聞いていいのかも疑問だが、今は気にしている余裕はなかった。

聞かせてくれるのなら何もかもを知りたい。

『聞かせなさい』

『はっ、本当に可愛くねえ女だ』

谷の顔は見ていなかった。

だけど、谷は何も言ってこなかった。

今朝言っていたこと。

さっきの表情。

そうだよね。今更止めたり何てしないんだよね。

『こいつが俺達のお嬢に何をしたのか。どんな目に合わせたのかをなあ!』

男は余裕そうな表情から、怒りをむき出したように声を荒げた。

お嬢って言うと、あたしの前に誰かに仕えていたのだろうか?

そんな疑問を頭の片隅に置きながら、男の言葉を待った。




        *



『沙耶嬢、お前最近男でも出来たんじゃんねえか?』

『えっ?どうして?』

最近様子が可笑しいお嬢にさりげなく質問すると、お嬢は上機嫌だった。

『てまあ、わかるよね。内緒だよ?』

楽しそうに言ったお嬢の顔は今でも忘れられない。

そんな笑顔は初めて見たし、それ以降見ることができなかったからだ。


お嬢は名前こそは誰とは言わなかったが、相手の男のことをこと細かく話してくれた。

『その人はね。本当はとっても優しいの。でも、寂しい人で・・・

人殺しなんて真似してるから、心配なの。彼を怖がるとか、軽蔑するとか、そんなことはないんだけどね。

いつか彼が死んじゃうんじゃないかって思って・・・私そういう人達たくさん見てきてるから。

彼もいつかそんなことになっちゃうんじゃないかって、気が気じゃないの』

心配そうなお嬢が痛ましくて、どうにかしてやりたいと思った。

相手の男は聞いた感じではいい人なのだろう。

お嬢のことをよく思っていることがひしひしと伝わった。

だけど、楽しさから一変したお嬢の悩みが気がかりで・・・

気にはなったが、結局俺はお嬢に追及することも、何か言ってやることもできなかった。

本当に後悔している。



それから数日がたったある日だった。

お嬢はいつも以上にお洒落をしていた。

『お嬢、例の?』

ちょっとばかりいじわるそうに言うと、お嬢は笑顔で『うん』と頷いた。

それから、少しばかり何かを考えるような顔になった後で、お嬢は尚も笑顔を崩さぬまま言った。

『本当は紹介したかったんだけど、たぶん無理。でも、今日はとびっきり楽しんでくるね。今までの分と、これからの分をね』

『えっ?』

『じゃあね』

お嬢は笑顔でそのまま走って行った。

プライベートの時は車も、護衛も嫌がるお嬢だった。


『沙耶・・・』

お嬢の言葉に一抹の不安を感じた俺は、お嬢の後を追うことにした。

しかし、さすがはうちのお嬢なだけあって、すでに姿はなく、居場所を特定するのにはかなりの時間がかかった。


一体なんだってんだ。

お嬢は俺以外の誰にもこのことを話してはいなかったようで、家の奴らに連絡しても誰も居場所はわかず、

逆に何を心配してるのかと笑われた。

確かに心配しすぎなのかもしれない。

そう思って、もう家に帰ってしまおうかと思ったときだった。

ドキュン!

けたたましい銃声が聞こえた。

『沙耶嬢!』

ただ銃声が聞こえただけだ。

どこかの殺し屋。それかどこかで殺人事件があっただけかもしれない。

頭でそう落ち着かせても、俺の頭は一向に落ち着かなかった。

お嬢だ。お嬢に何かがあったんだ。

全速力で走って、走って・・・

そのうちに何発かサイレンサーの音が聞こえた気がしたが、そのことはあまり気にならなかった。

お嬢、お嬢・・・

俺の不安は段々と大きくなっていった。

『沙耶嬢!』

町外れの広々とした草原には、何十もの死体が転がっていた。

それらを囲むかのように、中央には男が一人蹲っていた。

恐る恐る男の元に向かうと、そいつの腕の中に真っ赤に染まった女性の姿が目に入った。

『沙耶・・・』

俺は自分の目を疑った。

嫌な想像はしていたはずなのに、その現実を突きつけられた瞬間。

俺の頭の中は真っ白になった。

『沙耶』

もう一度呟くと、男に近寄っていく。

その時の俺と言っては、廃人とでも言っておこうか。

まるでうわごとのようにお嬢の名を呼びながら、男の元に近づいて行っていたのだから・・・


目の前に立つと、先ほどまで戦っていたであろう男は、もう戦意を喪失したように、ゆっくりと顔を上げた。

瞳には何も映していないようで・・・

『お嬢・・・』

跪くと、男の腕の中からお嬢を奪うように取り上げた。

男はもう全ての気力を失っているようで、何も言わなかった。

『沙耶・・・沙耶嬢・・・どうしてこんなことに・・・

今日はこんなにお洒落してたじゃねえか。俺は赤は好きだ。だが、こんな赤は好きじゃねえ。

お嬢・・・どうして俺に一言言ってくれなかったんだ。なあ、お嬢・・・』

それからのことは俺もよくは覚えちゃいねえ。


だが、俺の中では確実に男への怒りが湧き上がっていた。

大切なお嬢の心を奪っておきながら、命さえ守れなかったあいつに。

谷健司に・・・



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