不安
家に戻ると、お嬢様はすぐに部屋に戻られた。
やはりただ不安を与えてしまっただけなのだろうか。
私はお嬢様を守るべき人間なのに、お嬢様を余計に苦しめることになってしまった。
だから、この気持ちを押し殺せとずっと胸に刻んできたはずなのに・・・
私らしからぬ、壁を殴りつけた。
ドン!という鈍い音が鳴ると、足音が近くに聞こえてきた。
一瞬お嬢様が来られたのかと思ったが、お嬢様の部屋からではなかった。
『谷、どうかしたのか?』
『旦那様!』
『ああ、すまない。すまない。そんなに驚くことではないだろう。明日のつもりだったんだがな・・・』
旦那様は真剣な顔になって、踵を返した。
話しがあるから着いて来い。ということだろう。
旦那様の後を歩きながら、嫌な予感が駆け巡った。
この前の襲撃のこともある。
『まあ、座りなさい』
『失礼します』
執務室のソファに腰掛けると、ここに初めて来た時のことを思い出した。
もう、あれから何年過ぎたのだろうか?
『わかっているだろうが、お前を狙ってきておる』
『はい』
旦那様が口を開くと、我に返った。
『それでだ。お前に頼みたいことがある』
『なんでしょうか?』
『お前と凪のことはわかっている。だから、凪を守ってやってくれ。いや・・・それよりも・・・』
旦那様はそこで罰が悪そうに口を閉じた。
それよりも、お嬢様とのことがわかっていることに驚いた。
想いを伝え合ったのはつい先ほどのことだ。
それなのに、お互いが想いあっているとわかっていたとは、さすがは旦那様というところだろうか?
それとも、それほどまでに私達はわかりやすかったのだろうか?
『谷』
『は、はい』
私の心情を知ってか、知らぬか、旦那様は意を決したように言った。
『凪とは深く関わらないでくれないか。凪は勿論君のことを何も知らない。もしも、次に、いや必ず次に襲撃が来たら、
君の傍に凪がいたら大変なことになるのはわかるな?同じ過ちを繰り返したくはないだろう?
勿論。私も凪の親としては望まぬことだ』
何も言葉を返せなかった。
本当に自分は愚かなことをしてしまった。
どうして、人は成長出来ないのだろうか。
どうして、わかっていながらも同じことをしてしまうのか。
お嬢様が危険な状況になることは予想できたはずだ。
どうして・・・
自分を追い詰める言葉は、後ろの扉の音で止まった。
『お、お嬢様・・・』
『凪』
いつからそこにいたのか。
私としたことが気配にも気づけなかった。
お嬢様は驚いたような申し訳なさそうな顔をしていた。
聞かれただろう。
私は嫌われてしまったに違いない。
『ご、ごめんなさい。立ち聞きするつもりはありませんでした。ただ、お父様の声が聞こえたものですから、
挨拶をしに来ただけで・・・あたし、明日も学校なので、もう部屋に戻ります。おやすみなさい』
お嬢様は目線をふらつかせながら、焦るように言って、勢いよく扉を閉めた。
『だ、旦那様・・・』
『聞かれてしまったものは仕方がない。だが、凪に何を聞かれても何も言うな』
『はい・・・。失礼いたします』
凪・・・
凪のことが心配になり、部屋の前に来てしまった。
会えばさっきのことを聞かれるのもわかっているはずなのに、どうして自分はこんなにも歯止めが利かなくなってしまったのか。
凪を守りたい気持ちは変わらないのに、あいつと同じ過ちなんて繰り返したくもないのに・・・
そう思いながら、扉をノックする。
返事はなく、しばらくしてから恐る恐る扉が開かれた。
『凪』
私が呼ぶと、凪は不安そうな目で見つめた後、部屋の中に入れてくれた。
『座って』
ベッドに腰掛けると、隣に座るように促された。
*
お父様の声が聞こえたので部屋に行こうとすると、谷と話している声が外まで聞こえてきた。
途中から聞いたからか、話しは全部わからなかったけど<同じ過ちを繰り返したくはないだろう>ってどういうこと?
あたしが傍にいたら危険ってどういうこと?
驚きのあまり、ちゃんと閉まってなかった扉を押してしまい、気づかれてしまった。
『ご、ごめんなさい。立ち聞きするつもりはありませんでした。ただ、お父様の声が聞こえたものですから、
挨拶をしに来ただけで・・・あたし、明日も学校なので、もう部屋に戻ります。おやすみなさい』
焦って取り繕いながら、谷の顔を見ると、すごく驚いた顔をしていた。
いや、これは驚いてるんじゃない。
相当聞かれたくなかったんだ・・・
そのまま勢い良く扉を閉めると、廊下脇まで走った。
谷・・・なんなの?
どういうことなの?
谷は一体何をしたの?
もう、頭の中がむちゃくちゃだ。
部屋に戻ろうと歩くと、何だか足がふらふらする。
谷のことわからないよ・・・
そのまま部屋に入ると、またベッドに仰向けになった。
このまま眠ってしまおうかと考えていると、部屋のノックが聞こえた。
もしかして・・・ううん。絶対に谷だ。
恐る恐る扉まで向かうと、ゆっくりと扉を開けた。
そこには罰の悪そうな顔をした谷が立っていた。
『凪』
谷は不安そうにあたしを呼んだ。
その声が本当に弱弱しく思えて、本当は今は谷と顔を合わせたくなかったけど、部屋の中に入れてしまった。
ベッドに座って、隣に座るように促した。
谷は黙って座ると、しばらく黙っていた。
あたしは、少しだけそっぽを向いて言った。
『さっきはごめん』
谷は何も言わなかった。
『た・・・』
不安になったあたしは、谷の方を向こうとすると、急に視界が真っ暗になった。
背中に谷の腕が回っていて、息がかかる。
『た、に?』
心配そうに聞くと、腕の力が強くなっただけで、何も言ってくれなかった。
あたしが谷を不安にさせてしまったのだろうか。
こんなことになるのなら、本当に気持ちを伝えなければよかった。
『谷・・・』
もう一度名前を呼ぶと、谷がゆっくりと口を開けた。
『凪・・・私には凪を守れないかもしれない。だから、私から離れてください』
『えっ』
『お願いします。そうしてくださらないと・・・』
泣きそうな声だ。
谷のこんなにも弱弱しい姿は初めて見た。
わけがわからない。
慰めの言葉も、疑問も、何も浮かばなかった。
頭が真っ白になって、気づけば谷にキスされていた。
悲しいキスだった。
とっても冷たくて、思わず涙が溢れそうになった。
『凪・・・』
まるで今日でお別れになってしまうような・・・
せめて今日だけは一緒にいたい。
そう言われているような気がした。




