新春特別企画・ベテラン作家競作「わが正月」
一月一日。元旦。人々もすなる日記というもの、我もしてみんとて云々。午前四時起床。例年の如く井戸より若水を汲み、神棚へ備える。今年からは信二郎の役目。父、信二郎夫婦、私、そして百合子。初陽奉拝。神棚に向かい二礼二拍一礼。屠蘇を戴き新年の慶びを味わう。伏見稲荷大社へ初詣。商売繁昌、家運隆盛を祈願。おみくじ小吉。何事もほどほどがよろしい。御節。恵理子さんと百合子の競作。亡き母の味が引き継がれていて良き哉。
一月二日。下鴨の伯父夫婦、円町の従弟一家揃って来訪、今年も実に賑やか。昨年、体調を崩した父より信二郎が家業を継ぐ際に骨を折ってくれた伯父。深謝。以来信二郎、不甲斐なき兄に代わってよくやってくれている。上得意相手に着物と小物だけ売る商いではあかんと、春からは若者向けに西陣織を活かしたポーチやネクタイ、洋品も扱うことにしたらしい。年末には恵理子さんの妊娠も判明して、これで店も粟田家も安泰であろう。ゆう坊もだいぶん大きくなったものだ。今年小学校入学とか。年玉渡す。文彦の話ではそろそろ二人目をつくろうかと思っているらしい。次は女児か。
一月三日。法科に居た頃の学友来訪。私の寝起きする離れへ通し、昼より酒呑む。百合子、肴つくる。Y君、いよいよ春から准教授。学部すら卒業するのに苦心した私と違い、博士号取得後そのまま助教、講師となった優秀な人物。ちなみに院生時代に結婚した彼のご内儀はたいへんの美人。最近お目にかかっていないので次回はぜひお会いしたいもの。S君は長年のロンドン勤務を終えてようやく帰国。かの国は飯が不味くて、和食を渇望するあまりとうとう禁断症状が出た由。少し老けたか?外資系企業勤務、さぞかし激務だったろう。H君。例の件以降ずっと気になっていた。依然ドクターストップがかかっていて、自宅療養中とのこと。しかし以前の快活な様子も戻ってきている。ひとまず安心。
一月四日。昨日はいささか呑みすぎた。頭痛。悪心。昼過ぎまで寝ようと思っていたが小説日本編集部のT君来る。新年挨拶と執筆依頼。百合子のつくった昼食を食べつつ新作の構想話す。毎度の叱咤激励感謝。遅筆が目立つ三文作家への今後のご指導宜しく
と思ったがヤメだヤメだ。T君が先生のお正月風景なぞ日記風にまとめてみては、京都の伝統的な商家の正月は読者も興味があるでしょう、なんて言うから書いてみたが全くくだらん。そもそも日記なんて人に見せるものではないだろう。紫式部も和泉式部も勝手に日記を世間に晒されて泣いているに違いないのだ。だいいち、他人からの視線を意識した時点でそれは既に日記ではなくなるのだ。あっちに気をつかいこっちに気をつかい、自分の心にウソまでついて、「私はこんなことを日頃考えているのでゴザイマス。皆さんのことが大好きデス。だからこれから仲良くしてネ」なんて書いたところで何になる。
よし、今日はほんとのところを書いてやろうか。手始めは金の亡者、泰造伯父だ。うちの店に反物やらを卸している問屋の主人だが、血縁を笠におんぶに抱っこだ。どうせヨソの店は相手してくれないのだろうが、親父がもう商売ができなくなった時点であんな先のない店はつぶしてしまっても良かったのに、馬鹿の信二郎のケツをかいてその気にさせちまいやがった。まあ、あの家は嫁がそもそもカネの話しかしないし、伯父は嫁の尻に敷かれているから、誰の策謀なのかを考えることはいたって簡単だ。だがそんなハカリゴトに乗る方も馬鹿なのだ。親父のカネの力で大学を出たのはいいが何の仕事をしても手につかず、要は才能が無いのだ。今さら店など継げるわけがなかろう。今はまだお得意さんもご祝儀気分で付き合ってくれているが、そのうち飽きられるに違いない。何が西陣織で若者向け洋品をだ。そんなもの十年前からとっくに他の店で出しているではないか。どうせ泰造伯父のところのクズ布でつくったやつを恵理子さんが見て、水商売あがりのあのキンキン声で「うわあ、めっちゃかわいいしぃ。こんなん並べたらよぅ売れるとウチ思うわぁ」とでも言ったのだろう。泰造伯父のことを書いたのだからその息子のアホの修平一家のことも書かねばなるまい。アホな分、親のように妙な策謀をめぐらせないだけマシだが、こいつらも意地汚いのだ。毎度毎度うちへ押しかけてきては、やれすき焼きの肉が足りんだの酒が足りんだのと吐かしやがる。そんな調子だからまだ幼稚園児の雄介までも意地汚いのだ。年玉を受け取るなりぽち袋を覗いて、「なんや五千円か」とはなんだクソガキ。貴様にくれてやるカネなど本来は一円も無いのだ。今年を以って年玉は打ち切るから覚悟しておれ。そんな中でも許せんのが加奈子だ。修平の嫁である。「パパ、そろそろ二人目を頑張りましょうよ」は百歩譲って許してやる。だがそのあとの「百合子さんも早く元気なお子さんを産んで信太郎おじさまを安心させてあげないとね」は聞き捨てならん。百合子は子供が出来にくい体で、我々夫婦二人で産婦人科へ通っていることぐらい知っているはずだ。思わず手元の湯呑みをそのぱんぱんに膨れた不細工なツラにぶち当ててやろうかと思ったが横から百合子が袖を引くのでヤメにしたのだ。今度あんな言葉を吐いたら円町のちんけな家ごと焼き払ってやる。
これで原稿用紙何枚だ。いま六枚目か。
高瀬の野郎も毎度毎度人の昼寝やメシ時を狙ってやってくる嫌な奴だ。だいたいあの目つきが気に入らん。人の原稿も片手で受け取ってちらと目を通しただけで眼鏡を人差し指で押し上げて、ああ仕草を思い出すだけでも虫唾がはしるが、「おそらく書き直して頂くことになるかと存じます」。ろくに目も通さず何が書き直しだ。その役に立たない両目に指突っ込んでつぶしてやろうか。あと言っておくが百合子はホステスでも女中でもない。人の家の酒に勝手に手をつけた挙句に酌までさせるのは金輪際やめろ。
酒と言えば三日にやってきた酒乞食三人組だ。こいつらとは付き合いは長いがまったくもってタチが悪い連中なのだ。やれ日本酒、やれビール、今度は熱燗、いやちょっとこれは熱すぎる、冷やはありませんか、焼酎用の氷が切れましたね、ちょっと酔い醒ましにお茶を一杯、あらつまみがなくなった他にないですか、いや僕は魚介が苦手なんだ漬物で結構、おやこれは自家製ですか、僕はこれこれここの店のしか食べないのです。タダ飯タダ酒食らった挙句にガタガタ文句を言うな。まとめて成敗してくれよう。以下、刮目せよ。
Y君。教授への切符欲しさに結婚したM先生のお嬢さんとはその後如何ですか。この前花見小路を歩いていたら、安井金刀比羅宮前のホテル街へ通じる路地から君が若い女性と腕を組んで出てくるのを見かけました。前に付き合っていた助手の子ではないようですがまた取り替えたのでしょうか。
S君。ロンドンからの帰国おめでとう。ただ、理由は和食の欠乏による禁断症状ではなく女性欠乏の禁断症状だったようですね。なんでも秘書の女性をしつこく食事に誘ったり、花束持って玄関で待ち伏せしたり、とうとう体に手を出した時点で告訴されたとか。現地のタブロイド紙に載ったそうですね。H君から聞きました。でも示談になって良かったではありませんか。日本法人の一支店の課長に戻ってしまったので支払いは大変でしょうが、頑張ってください。
さて、H君。最近は狂言自殺はやめたのでしょうか。わざわざ「これから手首を切るから」と連絡してきて、渋滞で遅れたタクシーから私やYが部屋に踏み込んでから、ようやく申し訳程度にカミソリをちょこんと手首に当てていましたね。何度繰り返したでしょう。なんなら今度、私が頚動脈をかき切って差し上げましょうか。さぞかしすっきりすることでしょう。ドクターストップも便利な言葉ですね。そりゃ主治医からすれば受け持ち患者がまた騒ぎでも起こすと困るのでアリバイ的にストップをかけることもあるでしょう。私はあなたが、私のことを時代遅れの小説しか書けない三流作家だと吹聴していることを知っています。どうですか?その三流作家にご馳走になる飯や酒の味は。働きもしないくせに、酒だけはいくらでも呑めるのですね。仕事のために街中へ出るとメマイがするくせに、パチンコ屋で一日過ごすのは平気なのですね。
これで何枚だ。もうすぐ十枚か。四百字詰原稿用紙十枚程度、一枚あたり原稿料七千円と高瀬の奴は言っていたな。こんなもんか。
いや、まだ言い忘れたことがある。
百合子。こんな私についてきてくれてありがとう。いつも本当にすまない。あけましておめでとう。今年も、どうかよろしく頼みます。
***
先生。今度はまた大変出来の悪い作品をお書きになられましたね。最近特に筆が鈍くなっておられるようですが、今回のは酷すぎます。おそらく書き直して頂くことになるかと存じます、と言いたいところですが、あえてこれはこのまま掲載し読者の審判を仰ぐことと致します。但し、本稿掲載による訴訟その他問題が発生した場合、当編集部では一切の責任を負いませんので悪しからず。ウソのような奥さんへの愛の言葉で無理矢理十枚目に突入するあたり先生らしい手だと思いますが、原稿料はきちんと十枚分七万円を振り込んでおきます。また社に乗り込んで来られても困りますので。なお今後当分、先生への執筆依頼は見合わせるとの会社方針、お伝えしておきます。まずはゆっくり療養されることをおすすめします。
小説日本編集部 高瀬 久
追伸。先生より題名についてご指示がありませんでしたので、当方作成の企画原案名をそのまま付けさせて頂きます。
最近はブログやら何やらで、自分の日記を他人様に見せる人が多いようですな。けど、その日記が本心で書かれたものかは、誰にもわからしません。
「人に見られる」ことを前提に書いている以上、何かしら自分の心に覆いを掛けるもんです。
けど、いつこの先生のように覆いをびりびりに破かはるかわかったもんやありません。
お互い、日頃の言動には気ぃつけなあきませんな。
それではまた、京都のどこかでお会いしましょう。
(平成24年3月20日脱稿)