最悪の商品
二十四歳。
私は、アイドルだった。
だった、って言い方がもうすでに白々しいかもね。
別に、今だって肩書きだけならアイドルだ。事務所の公式サイトにはまだ顔写真があるし、身長だの血液型だの好きな食べ物だの、誰が本気で欲しがってるのかも分からない情報が載っている。埃をかぶった観葉植物みたいなものだけどね。
スケジュールも一応は更新されてるよ。
ライブや配信の予定。数人しか来ない握手会に、アイドル誌の白黒ページの掲載情報。あとは聞いたことのない企業からの案件、とかまあ色々。
芸能界という名の病院のカルテ上だと、私はかろうじて生存確認が取れていた。けど所詮は死亡届を出し忘れた戸籍みたいな状態で、業界からはとっくに見放されている存在でしかない。
この仕事って結局さ、あれなんだよね。
夢を見せるだとか、ファンの笑顔がどうだとか、ステージから映る景色が宝物だとか、そういう綺麗な包装紙みたいな言葉で着飾ったところで、腐った中身は腐ったままだし、疲れた人間は疲れた人間でしかない。
けど世の中ってやつは、それを人間のまま扱うよりも商品として出荷させた方がずっと都合が良いらしい。
完全に旬は過ぎた腐りかけのアイドル。
これが、今の私に対する世間一般の認識。
事務所のスタッフだって客観的に見れば誰だって分かりそうなものなのに、気付いててもみんな見ないふりをする。そっちの方が楽だろうしね。
商品棚に並んだ缶詰の中身が、実は腐っていましただなんて知りたくない。缶詰は黙って缶詰でいればいい。賞味期限が少しくらい怪しくても、パッケージが可愛ければまだ売れる。
あーあ、自分で語ってて嫌になってくるね。
じゃあせっかくだし、まだ鮮度があった頃のハナシしよっか。
確か私は高校一年生の頃、そう――十五の時に拾われた。
拾われた、というのも変な言い方だね。別に道端に落ちていたわけじゃないし、段ボールに入れられて雨に濡れていたわけでもない。家庭が壊れていたとか、学校でイジメられていたとか、そういう分かりやすい不幸も全くと言って良いほどにない。
ただ、自分の存在意義が曖昧だっただけ。
何をしても、どこにいても、誰と喋ってても、自分がここにいるという実感が妙に薄かった。透明なフィルムを一枚隔てて世界を眺めているようで、笑うタイミングも、怒る理由も、泣く資格も、全部どこかから借りてきたみたいだった。
だから、何の気なしに受けてみたオーディションで私の名前が呼ばれた時は『ああ、これでようやく自分にも価値が生まれるのか』と純粋に嬉しかったのを覚えてる。
今考えると最悪だ。価値を認められたんじゃなく、値札を貼られただけ。なのにあの頃の私は、その違いが分からなかった。
ただの馬鹿だよ。いや、十五歳なんて大体みんな馬鹿だし、馬鹿じゃない十五歳なんてそれはそれで気持ち悪いけど、私の馬鹿さ加減はかなり都合がよかったんだろうね。
褒めれば伸びる。叱れば縮む。笑えと言えば笑う。夢という単語を出されると、すぐに背すじを伸ばす。
そういう、いかにも未来がありますみたいな初々しさと幼さを備えた未完成品――それが、あの頃の私。
事務所は真っ白だった。
壁も床も机も社長の歯すらも、冗談みたいに白い。みんな白いくせに、会議室ではいつも腹の黒い大人たちが次のプロモーションの戦略について話し合っていた。
新曲。衣装。配信。コラボ。炎上対策。卒業商法。復活商法。限定版。追加特典。イベント企画――数字。数字。数字。
どれを論じても話の争点はいつも数字ばかりで、私や他の子の名前はもう名前じゃなくて、商品コードのような扱いだった。
そしてこの業界は、血の入れ替えがとにかく早い。
十五歳でデビューしたかと思いきや、二十歳になる頃には鮮度を疑われる。
早いよね、あまりにも。
人間が大人になるより、商品が古くなる方がずっと早い。肌の張りとか声の高さとか目尻や口角とか、そういうミリ単位や周波数単位で測られたものが、若さというラベルでまとめて売られる。若いことに価値があるんじゃなく、若さを失う過程を見世物にできるから価値がある。
昨日まで無邪気だった子が、今日少し疲れて、明日ちょっと擦れて、明後日には昔の方が良かったと言われる。
その劣化まで含めてコンテンツ。
ほんと、よくできてる。吐き気がするくらい、よくできてる。
レッスンは大変だったよ。
鏡張りの部屋に、同じような年頃の女の子たちが並んで、自分の手足、顔、笑い方を、何度も何度も測り直す。
もっと可愛く。
もっとエモく。
もっと揃えて。
もっと個性を。
もっと大胆に。
もっと清楚に。
もっと親近感。
もっと特別感。
抽象的で、どこか矛盾すら覚える注文が、蛍光灯の下で次から次へと降ってくる。あの頃の私は、それを雨だと思って浴びていた。濡れればいつか花が咲くと信じ込んでいたから。
その頑張りが報われて念願叶ってデビューを果たしてからは、映る景色すべてが眩しかったよ。
最初のライブ会場は小さくて、ステージ袖には正体不明のコードが蛇みたいに絡まっていて、機材のほとんどにうっすらと埃が積もっているような古臭い箱だった。
それでも私にとっては、そこが世界の中心に思えた。
客席なんて数十人しかいなかったのに、歓声がとんでもなく大きく聞こえる。ライトが顔に当たって、目の奥が焼けるみたいで、マイクを握る手が汗で滑っても、それでも必死に歌って踊った。
そりゃまあ、笑えるくらい下手だったよ。
音程は怪しいし、ダンスも遅れるし、表情管理なんていう技術すらろくに覚えてなかったから、緊張がそのまま顔に出ていた。杜撰でお粗末で、当時の映像を見返したらスマホをぶん投げたくなるようなパフォーマンスだったのに、終わった後に拍手と声援を浴びた。
あれで完全に勘違いしたんだと思う。
自分は誰かを救えるのかもしれない、とか。自分の声には意味があるのかもしれない、とか。ここに立っていれば、いつか自分も自分を好きになれるのかもしれない、とか。そういう淡くて安っぽい希望みたいなものを、私は本気で抱いてしまった。
思えば、最初の罪はそこだったのかもしれない。
夢という名前の照明ばかりに顔を向けすぎて、その裏側にある埃や虫にまで意識が向かなかった。誰かに騙されたというより、自分で自分を欺いていた。
人気が出るまでは早かったよ。
デビューしてすぐ、とまではいかなかったけど、曲の再生数やライブの動員も右肩上がりで伸びていって、私の名前は世間にじわじわと広がっていった。
切り抜き動画が回る。握手会のレポが伸びる。泣いた写真がバズる。笑った写真もバズる。泣いても笑っても数字になる。数字になるなら、次も使われる。使われて、疲れる。疲れても、使われる。
下水道みたいなものだよね。汚物が、やたら滑らかに流れていく感じが。
あ、ファンのみんなは優しかったよ。
これは皮肉じゃない。本当に優しい人はたくさんいた。
毎回チケットを買ってくれる人。ライブのたびに手紙をくれる人。終電を気にしながらも最後まで手を振ってくれる人。私の歌で元気づけられたと言ってくれた人。曲を聴いて泣いたと言ってくれた人。
ファンからの愛情を実感するたび、私はちゃんと嬉しかった。嬉しかったし、ありがたかったし、同時に救われてもいた。
でも、愛情というものは決して軽くない。
軽くないからこそ、積もるとしっかり潰れる。
大好きです。
応援してます。
ずっと見てます。
あなたのお陰です。
そのままでいてください。
変わらないでいてください。
いつまでも笑っていてください。
僕たちのあなたで居続けてください。
そういう美辞麗句が束になって押し寄せてくると、それはすでに花束じゃなくて縄になる。首じゃなく、心を縛る縄。目に見えないし、善意でできているからこそ余計にタチが悪い。断ち切っても血なんて出やしないのに、罪悪感だけはきっちりと残る。
それでも私は、ファンを嫌いになりたくなかった。絶対に。
だから、自分を嫌うことにした。
その方が簡単だしね。客席を睨むよりも、鏡の中の自分に唾を吐く方がずっと楽だよ。
お前が弱いからだ。
お前が臭いからだ。
お前が汚いからだ。
そうやって自分の内側で自分を呪えば、外側の世界はまだ綺麗なままでいてくれる。
ファンは優しい。スタッフは仕事をしている。事務所は現実を見ている。業界はそういうもの。悪いのは自分。
はい、これで丸く収まる。
丸く収まるって言葉、最悪だよね。角を削られる側の痛みを、あまりにも都合よく省略している気がして。
ああ、そうそう。
『昔のあなたが好きでした』
みたいなコメントが一番堪えるよね。
嫌いになったなら黙って消えればいいのに、わざわざ過去の私を墓石みたいに置いていきやがってさ。腹立つよね。
あの頃は輝いてた。
あの頃は本物だった。
あの頃のきみを返して。
うるせえよ。
返してほしいのはこっちだよ。
誰が盗んだんだよ。
誰が削ったんだよ。
お前らがいつも、
写真の角度だの、
発言の温度だの、
恋愛の気配だの、
態度が悪いだの、
太ってきただの、
少し老けただの、
そうやってゲームみたいに人間を弾いて遊んで、すり減らした末路が今の私なんだよ。
昔の私なんか、もういねえんだよ。察しろよ、マジで。
だからさ、いくら『カワイイ』って持て囃されたところで、もう信じきれないんだよ。
カワイイは褒め言葉なんかじゃない。檻みたいなものだ。
入った瞬間は花園みたいに見える。色とりどりのリボンが揺れて、甘い匂いがして、みんながこちらに手を振ってくれる。けど、中にいるうちに柵はどんどん強固になってくる。
笑い方まで指定されて、怒り方まで採点される。泣けば商売になるし、黙れば不機嫌になる。少しでも疲れた姿を表に出せばプロ意識がないと決め付けられて、恋をすれば裏切り者扱いされる。終いには、恋をしなければ人間味がないとまで言われる始末。
つまり詰んでる。
どっちへ転んでも詰み。
サイコロを振る前から負けが決まっている人生ゲーム。参加費だけはやたら高い。
整形の噂が出た時も、そうだった。
少しダイエットしただけなのに。
少しメイクを変えただけなのに。
世間は、そういう小さな努力なんて見向きもしてくれない。分かりやすい悪口が好きで、分かりやすい物語が好きで、分かりやすい堕落が好きだ。
あいつは顔をいじった。昔の方が自然だった。痛々しい。必死すぎる。見ていられない。
だったら見るなよ。
誰も頼んでねえんだから。
だけど見に来る。見て、評価して、笑って、飽きたら去る。去ったくせに、たまに戻ってきて、まだやってたんだ、なんて言う。
その一言一言の軽さが、私には何よりも重く感じる。
似たような言葉を浴びた同期の子は何人も消えていったよ。
結果、私だけが生き残った。
生き残ったといえば聞こえはいいけど、実際には置いていかれたようなものだ。
冷蔵庫の隅に残った調味料みたいに。いつか使うかもしれないから捨てられない。けど、結局使われないまま賞味期限が過ぎていく。
その程度の扱いでしかない存在。
そして、そんな扱いをされている自分自身を私は受け入れてしまっている。
結局、この方法でしか自分の存在意義を確かめられないんだ。それを自覚しているからこそ、つらいんだよ。
◇
――そういう愚痴半分な話題を、私は本番前の楽屋で、古い知り合いの記者を相手に延々と語っていた。
彼は榊さんという、デビュー当時から私を追ってくれている、業界では珍しく距離感の壊れていない人間だ。
馴れ馴れしくない。必要以上に持ち上げない。弱っているところに土足で踏み込まない。だからこそ、私はこの人の前でだけたまに口が悪くなる。
「今日、記事にできないことばっかり喋ってるね、私」
反省交じりにそう言うと、榊さんは少し笑ってペンをしまった。
「まあ、半分は聞かなかったことにしておくよ」
「全部聞かなかったことにしてよ。こんなの載せられたら干されて終わるじゃん」
「終わりたいんじゃないの?」
「終わりたくはないよ」
即答だった。
自分でも少し驚くくらい、即答だった。
「終わりたくはないんだよ。ムカつくし、しんどいし、全部投げ出したくなる瞬間なんて山ほどあるけど、終わりたいわけじゃない。終わらせられるのがイヤなの。誰かが勝手に、この子はもう旬じゃないですね、とか、この子の役割は終わりましたね、とか、まだやってたんだ、とか言われて、雑に片付けられるのがイヤなんだよ」
榊さんは黙って聞いてくれた。
それがありがたくて、なぜか無性に腹が立つ。榊さんがまともだからこそ、まともじゃない自分に腹が立つ。
「ねえ、ほんと最悪じゃない? 私はファンに感謝してる。スタッフにも世話になってる。事務所にだって拾ってもらった恩はある。歌もステージも、まだ嫌いになりきれない。なのに全部に腹が立つんだよ。感謝してる相手に怒ってる。好きな場所を呪ってる。支えてくれた言葉に潰されてる。これ、どう考えても人間として終わってるでしょ」
「別に、終わってはいないと思うけど」
「まともな返ししないでよ。そう言われたら何も言えなくなっちゃうじゃん」
私は不貞腐れついでに差し入れの焼き菓子をひとつ摘まんで、包装紙を乱暴に破いた。
『最高の夜にしてください! でも無理はしないように!』
手書きのカードにはそんなメッセージが書いてあった。
「は? 無理せず最高って何だよ。火をつけずに燃えろって言ってるのと同じじゃん」
文句を言いながらもフィナンシェを口に入れる。甘いし、ちゃんと美味しかった。美味しいことにすら苛々してくる。
「今日は一段とまた、仕上がってるね」
「本番前だからね。人間として一度壊してから、商品として組み直す時間」
「わかるけど、それでもいつもよりピリピリしてるよね。今日のライブ、もしかして怖い?」
「怖いよ」
これも即答だった。
信頼の置ける榊さんだからこそ、ここまで弱音を吐ける。
今日の会場は、私が初めてファンの前でステージに立った時と同じ箱だ。設備も満足に整ってない、百五十人程度しか収容できない狭くて汚い箱。デビューから十年経って、堕ちるところまで堕ちたもんだ。
公式ホームページのインタビューでは『原点回帰』なんていう着飾った単語で意気込みを語ったけど、せいぜい『終着地点』が良いとこだろう。
恐らくこれが、私にとって最後のワンマンライブになる。周りのスタッフやファンもそう捉えてるはず。
私は明日が誕生日で、二十五歳を迎える。すでにキャリアも十年目。年齢的にも、今の人気の度合いを見ても、ここら辺が潮時なのも充分に理解してる。
けど、それでも、だからといって――
「浮かない顔だね。そんな調子で大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。大丈夫だよ。大丈夫だから」
榊さんの声で現実に引き戻され、自分に言い聞かせるように答える。
そして開演時間が近づくにつれて、壁の向こうのSEが導入の仕様に変わっていった。
スタッフの足音。低くざわめく客席。誰かの咳払い。全部が薄い壁を抜けて、楽屋に染み込んでくる。
本番直前、私は鏡の前に座った。
白く塗り固められた肌。整えられた髪。計算され尽くした目元。嘘みたいに綺麗なリップ。顔面という土地に、今日一日だけの仮設住宅が建っている。
問題は、その仮設住宅に他人を住まわせなきゃいけないことだ。今日もカワイイ私。強い私。昔より大人になった私。まだまだ夢を見せてくれる私。そんな連中が勝手に部屋へ上がり込んで、靴も脱がずにくつろぎ始める。
「ねえ、榊さん」
「うん」
「今日の私、どう見える?」
「ちゃんと疲れててちゃんとカワイイよ」
「最悪な褒め言葉だね」
「嘘は言ってないよ」
「知ってる」
ふふん、と私は鼻を鳴らして笑った。笑ったつもりだった。
たぶん、口元だけしか動かせてない気がする。
「出番です」
スタッフが楽屋に顔を出してきた。スマホでゲームしながら、やる気の感じない声で私と目も合わせずに。
人気が衰えてからは、スタッフの対応も以前と比べて明らかに悪くなった。わかるよ、人気商売だしね。利益の見込めない演者に気遣ってらんないもんね。わかるわかる。
「出番です」
急かされるようにもう一度言われる。
はいはい、出番ね。
そもそも今日はなんの出番だよ。
営業か。裁判か。告別式か。再放送か。どれでもいいわ。どうせ照明が当たれば同じだ。私は可愛くあればいいんだから。
「行ってらっしゃい。最後までちゃんと見てるからね」
「……ありがとう。行ってきます」
楽屋の外まで見送ってくれた榊さんにそれだけを言い残し、私はステージ袖に立つ。
会場が暗転して、客席のざわめきが一瞬沈む。
私は息を深く吸って、吐いた。
緊張を紛らわすためじゃない。まだ使えるかどうかの点検だ。喉は動く。足も動く。顔も動く。なら大丈夫。商品としてはまだギリギリ稼働する。
確認を終えるとSEが停止して、まばゆい光が注ぐ。
私はステージに躍り出た。
スポットライトが差し、すぐに歓声が上がる。
その歓声に応えるように、私は混じり気のない純度百パーセントの笑顔を思いっ切り振り撒いた。
呼吸より自然で、嘘より簡単で、祈りより空っぽで、誰よりもアイドルらしい笑顔を、惜しげもなく。
一曲目のイントロが流れると客席は更に沸き、無数のペンライトが揺れる。
みんなが私の名前を呼び、私は手を振り返して、ウインクも決めた。
きらきらと、きちんと、完璧に。
十年間の努力が結集した、最高のパフォーマンス。
そうだよ。
これだよ。
腐った果物でも、割れた玩具でも、疲れた人間でも、包装紙さえ綺麗なら、まだ売り物として成立する。
つくづく、最悪な商品だ。
けど私はその最悪な部分を、今夜も輝きと可愛さで塗り固めて、ファンのみんなに全力でお届けするんだ。
少なくともステージに上がっている間だけは、世界中の誰からも必要とされている錯覚をおぼえられる。
この瞬間こそが、私の腐りきった人生の中での、なによりの存在意義だ。
はは。
やめらんねえよ、アイドルなんて――




