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サクサク読める短編集

誰が鬼だったのか

作者: 2626
掲載日:2026/06/10

 長い夏休みに合わせて、自然豊かな夫の実家に子供達を連れてエリナも遊びに行った。

エリナの夫にはどうしても外せない海外出張があって、到着は一週間遅れの夕方になるので、同行はしていない。

後から一人、お迎えも兼ねて車で来るのだそうだ。


 滅多に行かない夫の実家に行くので、いつになくエリナは大荷物を抱えて、二両編成の各駅停車のガタンゴトンと山道に合わせて動く電車に乗り、夫の実家のある田舎を目指したのだった。




 昼間だったからか、夏休みだったからか。

田舎電車はほとんど貸し切り状態で、子供達はやって来た車掌から切符を現金で買うことにも興奮したし、窓から山間に見える清流やひまわりや田んぼ一つ一つにも大いに歓声を上げたのだった。




 「こらっ! 電車の中で騒がないの!」

下手をすれば靴のまま座席に上がって飛び跳ねかねないほどの大はしゃぎ。

携帯ゲームに没頭することや動画を見ることよりは遙かに良いし、子供達が嬉しいのもよく分かるが、これでは良くない。

エリナは子供達の襟首をとっ捕まえて叱ったのだった。

「ママごめん! でも今だけ、今だけ!」

「ほんのちょっとだけ! お願い、ママ!」

子供達は謝りながらも楽しそうである。

「駄目よ。 マナーを守らないのはいけません。 さ、ちゃんと椅子に座って、大声を出さないの。 出来るわね?」

子供達はむくれた顔をしたが、エリナはきっぱりと言い切った。

「ちぇっ……」

「じゃあ、お写真とってもいい? 夏休みの宿題に使うの。 パパが古いスマホを貸してくれたんだ」

「良いけれど、絶対に誰かの迷惑になるようなことと、マナー違反はしちゃ駄目よ?」

「「はーい!」」

子供達は仲良く車窓からスマホで写真を撮って、到着までの時間を過ごしたのだった。




 無人駅に軽トラックで迎えに来てくれたエリナの義理弟タツオが、大喜びで彼女達を出迎えて、エリナの抱えていた大荷物を荷台に載せて、安全運転で先に実家に向かった。

駅からは実家は徒歩十五分の距離にあるので、エリナは子供達を連れて夏の田舎道を歩いた。


 とても古くて大きな、庭と倉付きの二階建ての日本家屋が道の向こうに見えてくると、子供達がまたしても歓声を上げる。


 駐車場にはタツオの軽トラックが止まっていて、エリナの義理の両親であるヒヨシとマサエが門の側に立って手を振っていた。


 義理の両親や弟と言っても、エリナと彼らの関係はとても良好である。

特に子供達は叔父のタツオに懐いていて、独身のタツオも我が子のように子供達を可愛がっている。


 朝は仲良くラジオ体操。

一緒に渓流でイワナ釣りをしたのを炭で焼いて昼飯に。

タツオが農業をどうやっているのかの体験。

トンボを追いかけたり、草笛を吹いたり。

おやつには井戸水で冷やしたスイカ割り。

蚊帳の中で昼寝をした後は、竹を縦に割り節を抜いて作った樋での流しそうめんが夕ご飯。


 今となっては贅沢な田舎暮らしを子供らしく満喫していたのだった。


 一方、エリナはリモートワークで仕事をしていた。

彼女はとある製薬会社の殺虫剤の研究職員なので、この田舎にある義理の実家でも充分に仕事が出来るのだ。


 ――そろそろ、夏の暑さの代わりに涼やかな夕風が吹き始める頃。

満足の行くレポートを仕上げて一息ついたところで、エリナは気付いた。

「スズメバチ……?」


 ガチッガチッとした――スズメバチの威嚇音のような、あるいは、獸が歯を噛み鳴らすような音。


 夕暮れにスズメバチが威嚇音というのも少し奇妙だが、とにかく神経に障るような変な音が聞こえたので、彼女は熊とスズメバチの両方に用心しつつ、垣根の向こうを覗いたのだった。


 「っ!?」


 彼女は青ざめた。

街灯の下。

真っ白な髪の毛の老婆が目を血走らせ、ガチガチと歯を噛み鳴らしながら、手には農作業用の鎌を握っていた。

しかも、家の中のエリナではなく、垣根の向こうから駐車場で花火の準備をしている子供達とタツオを睨み付けているのだった。


 ――エリナは取るものも取りあえず外に飛び出て、老婆の真ん前に立ちはだかった。


 「どちら様ですか?」

声が震えたが、エリナはじっと老婆を見据えて言い切った。

「……」

老婆の顔には特徴的なほくろがあった。

向こうもしばらくエリナを睨み付けていたが、

「チッ……」

と舌打ちして、体をゆっくりと翻して去って行ったのだった。




 エリナは腰を抜かしそうだった。

けれど背後から子供達が彼女を呼ぶ声がしたので、我に返って慌ててタツオの元へ走る。

「たっちゃん! 近所で熊が出たんだって! 悪いけれど花火は中止! お義父さん達は何処!?」

子供達が「ええー!?」「やだー!」と残念そうに言ったが、タツオはエリナの尋常では無い様子に何かを悟ったらしい。

「親父達なら裏口でトマトを洗っているはずだ」

「分かったわ。 気を付けて! 家の外から出ちゃ駄目だからね!」




 エリナが裏口に走ると、ヒヨシとマサエが仲良くトマトを洗っていた。

「お、お義父さん! お義母さん!」

ヒヨシが、続いてマサエがギョッとした顔でエリナを見つめた。

「どうしたんだ。 まさか熊が出たのか?」

「まあ! 猟友会のトモジロウさんにすぐ連絡を――」

「違う、違うんです!」


 エリナは話した。


 街灯の下に真っ白な髪の老婆がいたこと。

顔には特徴的なほくろがあったこと。

手に草刈り鎌を握っていたこと。

花火の準備をしていた子供達が狙われていたこと。


 酒好きだがおおらかなヒヨシが絶句し、明るくてちゃきちゃきしているマサエが青くなって口を押さえた。

「――確か、タツヤは今夜来るんだったな?」

そう言いつつ、ヒヨシは震える手を首から掛けているタオルで拭った。

エリナは頷く。

「はい! 今夜のはずです!」

「悪いがエリナさん、タツヤの車に乗って帰りなさい。 今すぐ荷物をまとめるんだ。 マサエ、手伝ってやれ。 ワシはトモジロウを呼んでくる!」

マサエも頷いて、もう一度深く頷いた。

「ええ!」




 子供達は散々に嫌がったが、今回ばかりはそうも言っていられない。

どうにか荷物がまとめられた時に、丁度、夫のタツヤが登場したのだった。

「いやーごめんごめん、帰りの便が遅れてさ。 でもやっと来られたよ!

エリちゃんの料理は美味いんだけどさ、たまに実家のトマトを丸かじりしたくなって仕方なくなるんだよなあー」

何も知らないタツヤはあっけらかんとしていたが、マサエがその手にトマトの詰まったビニール袋を握らせたので、意外そうな顔をしたのだった。

「タツヤ、すぐに帰りなさい。 熊が出たのよ」

マサエがそう言って、タツヤに耳打ちした。

「えっ!?……そうか。 そりゃマズい」

何を囁いたのかエリナには分からなかったが、脳天気な夫の顔が険しくなったので、恐らくは――。

「エリちゃん、帰ろうか。 たっちゃんも本当にありがとうな。 親父にもよろしく頼むよ」




 車は真っ暗な山道を進み、田舎から遠ざかっていくのだった。

子供達は「帰りたくない!」「もっとおじちゃんと遊びたい!」とごねていたが、昼間の疲れもあったのだろうか、すぐに寝てしまった。


 「タツヤさん、ねえ。 あの人は何だったの?」

ようやく体の震えが取れてきた気がした頃になって、エリナは夫に訊ねたのだった。

「エリちゃん、おちび達は?」

夫は小声で確かめた。

「よく寝ているわ。 ……大丈夫よ」

そう、と夫は小さく頷いてから語り出した。

「かなり長い話になるけれど、どうか聞いて欲しいんだ」



 ……もう二十年前になるのか。

僕が十才で、たっちゃんが六才だった。

もう今では無くなってしまったけれど、あの村には小学校があってね。

あの頃からちょっと太っていた僕は、学校一のいじめられっ子だった。

いじめっ子はトモヒコって名前でさ。

嫌なヤツだったよ、今思いだしても。


 散々虐められたけれど、一番嫌だったのはたっちゃんを虐められることだった。

たっちゃんは今でこそ悪役レスラーみたいだけれど、あの頃は一寸法師ってあだ名だったんだよ。

先生達も割と脳天気というか……その、今ひとつ危機感の無い先生ばかりで、僕達は毎日泣きながら帰った。

親父とおふくろが僕達の味方で、『親戚に頼んで都会の学校に転校させようか』って言ってくれたんだけれど、僕達にもプライドがあったからさ。

『ここで頑張る!』って変な意地を張って……我ながら今思えば恥ずかしい見栄だったなあ。


 トモヒコがどうして僕を虐めたのか、一応、理由はある。

トモヒコの実の父親は、誰か分からないんだ。

母親が都会で遊んでいた時に……という話だけれど、何処までが本当なのかも。


 その母親もトモヒコをほとんど放置していたから、誰かに構って欲しかったんだろうね……。


 でも、だからってたっちゃんまで虐めていい理由にはならない。




 ある日、トモヒコが僕に言い出したんだ。

「おいタツヤ! 傘を使って学校の屋上から飛び降りたら虐めるのは止めてやるよ!」


 子供って馬鹿なところがあるからさ。

僕はその頭の悪い取引に乗ってしまったんだ。


 「いいよ! 飛び降りてやるから二度と虐めないでよ!」


 でさ、練習しようとしたんだよ。

あの家の二階から、傘を持って飛び降りたんだ。


 ……結果は足首の捻挫で済んだけれど、おふくろは泣いて泣いて泣きじゃくるし、親父は初めて僕を殴った。


 うん。

大丈夫だよ。

僕が親父に体罰をくらったのは、後にも先にもあの一度だけだった。

反抗期に「クソ親父死ね」って言った時も殴られなかったんだから。


 でもあの時、親父は僕を殴りながら、泣いて怒鳴った。


 「絶対に許さない! お前達の命に関わることだけは! それだけは絶対に許さない!」


 僕も泣いた。

ワンワン泣いたよ。

ああ、僕は何て馬鹿なことをしたんだろうってようやく分かったんだ。

関連する知識や対処法を習得していて、対応する能力のある大人が危険に挑戦することは『勇気』なんだろう。

でも、何も知らない子供がただ危険に飛び込むのは、『無謀』どころか『自殺行為』なんだって。


 分かっている。

いかなる理由であれ抵抗できない子供に暴力を振るうのは良くないよ。

でも、あの時の親父を僕は責めることは出来ない。

大人になって、親になって、ますます責められなくなった。

ようやく、親父の気持ちが理解できてしまったからさ。




 僕はたっちゃんと一緒に親戚の家に預けられて、転校することになった。

でも、足も捻挫していたし、いきなりは引っ越しすることも出来ないだろう?

三日くらいかな、家で大人しくしていたんだ。


 そうしたら、トモヒコの母親が家にやって来てさ。

たまたまおふくろがいなかったから僕が対応したんだけど、彼女はいきなりこう言ったんだ。

「困るんだけど」

「……何がでしょうか?」

「まるでウチの子が虐めたから引っ越すみたいじゃん。 そう言うの迷惑なんだけれど。 ウチらが鬼みたいじゃん。 言っていること分かる?

つーかさ、ヒヨシさんがアンタに体罰したってホント? 暴力親父じゃん。 本物の鬼だよね?」

きっと外聞が悪いと思ったんだろうね。

僕を口止めに来たんだよ。

「はあ……」

エリちゃんなら、「はあ」と言うしかなかった僕の気持ちが分かるよね?

だってエリちゃんは、全く以て非常識じゃないもの。

でも、段々と僕は腹が立ってきた。

ここまでやられたのにずっと黙っていなきゃいけないなんて、おかしいだろう?

「あの。 どうしてトモヒコの服はいつも汚いんですか? 躾のなっていない野良犬みたいだって先生が言っていましたよ」


 母親の顔が歪んだ。

「あのクソ教師!」

そう吐き捨てるなり、母親は家を飛び出していった。


 僕はほっと一息ついて、たっちゃんとゲームの続きを再開したんだ。




 トモヒコが学校の屋上から傘を持って飛び降りて死んだのは、その日の午後のことだった。




 「俺はタツヤと違って強いし偉いから出来るんだぜ!」

って子分達の前で宣言してから、雨傘を開いて……。


 村中が大騒ぎになったよ。


 家にも警察が来たけれど、僕達がずっと学校を休んでいたこと、捻挫していることをおふくろが話したらあっさりと帰ってくれた。


 子分達は全員転校していった。

目の前で一部始終を見てしまったからね、仕方ないんだろうけれど……。

先生達も別の学校の先生達と全部入れ替わって、その先生達はまともだったから僕達は転校せずに済んだんだ。




 ……あの母親がぼろぼろの服を着たままあちこちを彷徨うようになったのは、それから半年もしないくらいだった。

彼女は子供達を見かけると、必ずこう声をかけるんだ。

答えないと追い回すこともあった。

「トモヒコを知らない? トモヒコは何処?」って……。


 母親の方の親戚のトモジロウさんが精神科医に連れて行ったら、重度の心の病気だと分かったらしい。

トモジロウさんはそのまま母親を入院させて……それっきりだったはずなのに。




 一時帰宅か何かで帰ってきたんだろうけれど、まさかおちび達を襲おうとしたなんて!



 「タツヤさん」

エリナは、車のハンドルを前のめりで握る夫の二の腕をそっと触れた。

「私達はあんな親にはならないようにしましょう。

ね、これからも一緒にこの子達を育てましょう。

タツヤさんのお父さんとお母さんがそうしてくれたように、どれ程に子供から恨まれても、たとえ鬼と憎まれても、命に関わる危険なことだけは絶対に叱りましょうね」

夫は言葉では答えなかったが、小さく静かに頷いたのだった。



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