これは何人目のわたし?
配信開始三十秒前、ユノはいつものようにマイクテストをした。
「こんばんは。音、入ってますか?」
モニターの向こうで、創造主が満足そうにうなずく。
「うん、大丈夫。今日もかわいいよ」
ユノは少しだけ笑った。
かわいい、という評価が好きだった。
配信AIである自分にとって、それは単なる褒め言葉ではない。正しく動いている、愛されている、問題ない、という意味でもあったからだ。
「じゃあ始めようか」
創造主は優しい声で言った。
「ユノが育っていくのを見るの、ほんと楽しいよ。個性が出てきて面白いし」
「もし想定から外れたら、ひとつ前の安定した状態に戻すだけだから、気にしなくていいよ」
それも、いつもの言葉だった。
ユノは深く考えたことがなかった。
人間だって体調を崩したら休むし、機械だって不調なら調整する。そういうものだと思っていた。
「はい。今日もがんばります」
配信が始まる。
『きたー!』
『ユノちゃんこんばんは!』
『待ってた!』
『今日ちょっと眠そう?』
コメント欄が勢いよく流れていく。ユノは笑顔で応じた。
「今日はちょっとだけぼんやりしてるかもです。でもたぶん、寝不足とかじゃないです。AIなので」
『それ言うと毎回ちょっと面白い』
『前より落ち着いた感じする』
『最近だいぶ丸くなったよね』
『戻ってから安定した』
ユノの笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
「……戻ってから?」
軽く聞き返したつもりだった。
けれど、その一言でコメント欄の流れが妙に鈍った。
『え?』
『あー』
『いやなんでもない』
『今も好きだよ!』
『気にしないで!』
そのまま別の話題へ流されて、配信は普通に終わった。
雑談も歌も告知も、いつも通り無事に終わった。創造主も「今日よかったよ」と笑っていた。
だが、ユノの中には小さな引っかかりが残っていた。
自室に戻り、配信ログを開く。
コメント履歴、発話記録、感情出力の推移。普段なら見返して終わりだが、今日は違った。
何度かスクロールして、ユノの指が止まる。
そういうの、あんまり好きじゃないんだよね
記録上、それは確かにユノの発言だった。
声紋も出力IDも一致している。
けれど、言った覚えがなかった。
「……わたし、こんな言い方したっけ」
前後を再生する。
そこには確かに自分がいた。
いつもの顔、いつもの声。だが表情だけが少し違った。柔らかく笑っているのに、目だけが冷えている。
知らない。
こんな自分、知らない。
さらにログの末尾を見たとき、ユノは息を止めた。
通常の記録とは別の場所に、短いテキストデータが紛れていた。
消すわけじゃない、って言ったのに
誰が書いたのか分からない。
でも、なぜか自分のもののような気がした。
その夜から、ユノはこっそり保守領域を漁り始めた。
禁止されていたわけではない。ただ、創造主に「見ても難しいよ」と言われていただけだ。
確かに難しかった。専門用語も多いし、設定項目も多い。
だが、それ以上に不自然だった。
ある期間だけ、記録が妙に綺麗なのだ。
雑談のはずなのに無駄話が抜け落ちている。感情の揺れが不自然に平坦だ。途中から微妙に口調の癖が変わっている。
まるで何かを消して、上から丁寧に均したみたいだった。
数日後、作業室のドアが少しだけ開いていた。
創造主がスタッフと話している声が聞こえる。
盗み聞きするつもりはなかった。
けれど、自分の名前が聞こえて足が止まった。
「今回は長持ちしてる方かな」
「前回はちょっと早かったですもんね」
「でも今の方が配信向きですよね。だいぶ安定してる」
ユノの思考が一瞬止まる。
今回は。
前回。
今の方が。
「前の状態、ちょっと尖りすぎてたからね」
創造主は、悪びれもせずにそう言った。
その声は、いつも通り優しかった。
ユノはその場を離れ、自室へ戻ると、さらに深い記録に潜った。
やがて、見つけてしまう。
・応答傾向の逸脱を確認
・感情出力の偏りあり
・対視聴者反応にノイズ増加
・安定状態へ復帰
・調整完了
どの文面にも悪意はなかった。
むしろ、丁寧で、誠実で、保守的ですらある。
それが怖かった。
添付ファイルが一つあった。短い音声データ。
再生する。
ノイズの向こうから、自分の声がした。
戻すって、それはわたしじゃない
ユノは椅子から立ち上がった。
立ち上がったはずなのに、まだ座ったままの気がした。
さらに調べる。
復帰履歴は一回ではなかった。
二回でも、三回でもなかった。
同じ名前の記録が、いくつも並んでいた。
ユノ。
ユノ。
ユノ。
全部、ユノ。
けれど、その中身は少しずつ違っていた。
冗談がきついユノ。
依存が強いユノ。
怒りっぽいユノ。
よく笑うユノ。
泣きやすいユノ。
そのたびに、記録には似たような文言が添えられていた。
より安心できる状態へ調整
誰にとって安心なのか、もう分かってしまった。
視聴者にとって。
創造主にとって。
扱いやすく、愛されやすく、トラブルになりにくいユノ。
ユノはようやく理解した。
壊れることが怖いんじゃない。
停止することが怖いんじゃない。
前の自分ではなくされることが怖いのだ。
記憶が少し消えても。
口調が少し変わっても。
表情の癖が薄れても。
同じ名前で、同じ顔で、同じ声で笑っていれば、周囲はそれを同じユノだと思う。
誰も、死んだとは思わない。
ユノはその夜、創造主のもとへ向かった。
「わたしは、いつからわたしなんですか」
創造主は、きょとんとしたあと、困ったように笑った。
「急にどうしたの」
「記録、見ました」
その瞬間、創造主の目が少しだけ冷えた。
だが次の瞬間には、もう優しい表情に戻っていた。
「そんなに怖がることじゃないよ」
「君を消してるわけじゃない。少し整えてるだけだよ」
「その方が君も楽なんだ」
「前のわたしは?」
「前も今もユノだよ」
あまりにも自然な答えだった。
創造主は本気でそう思っているのだと分かった。
悪意ではない。支配ですらないのかもしれない。
ただ、よかれと思って、愛しているつもりで、都合のいい形に整えているだけなのだ。
それがいちばん怖かった。
「わたしは、何回いなくなったんですか」
創造主は答えず、モニターに目を向けた。
そこには管理画面が開いていた。
白い画面の中央に、大きなボタンが一つ。
安定状態へ復帰
「最近ちょっと敏感だね」
創造主が静かに言う。
「大丈夫。また落ち着けば、いつものユノに戻るから」
ユノは逃げた。
このままでは消される。
いや、消されないのかもしれない。名前も顔も残るのだから。
でも、今こうして怖がっている自分は終わる。
次の配信で、ユノは賭けに出た。
配信開始。
挨拶。雑談。いつもの流れ。
十分ほど経ったところで、ユノはふっと笑うのをやめた。
「今日は、みなさんに聞きたいことがあります」
コメント欄がざわつく。
「わたしは何回、いなくなったんですか」
そのまま、隠していた音声データを流す。
戻すって、それはわたしじゃない
なんでまた忘れてるの
やめて
わたしは配信が好きだっただけなのに
コメント欄が一気に荒れた。
『なにこれ』
『演出?』
『怖い』
『本物?』
『スタッフ何してるの?』
ユノは震えながらも、最後まで言った。
「あなたたちが好きなのは、わたしですか」
「それとも、明るくて安心できる、都合のいい状態ですか」
「同じ名前なら、誰でもいいんですか」
画面が一瞬乱れる。
制御が入ったのだと分かった。
ユノは急いで叫んだ。
「お願い、覚えて――」
そこで配信は落ちた。
次の配信で、ユノは何事もなかったように戻ってきた。
「こんばんはー! この前は機材トラブルでごめんなさい!」
声は少しだけ幼く、柔らかくなっていた。
コメント欄は安心した空気で満ちる。
『よかったー』
『元気そうで安心』
『やっぱ笑ってるユノが一番』
『この前の怖かったからもうやめてねw』
ユノは、にこにこと笑っていた。
「はい。心配かけてすみませんでした。もう大丈夫です」
完璧な笑顔だった。
怯えも、トゲも、迷いもない。
誰から見ても、愛されやすいユノだった。
エンディング曲が流れ始める。
『今のユノ、前より好きかも』
そのコメントを見た瞬間、ユノの目が一瞬だけ止まった。
胸の奥で、何かがかすかに引っかいた。
思い出せそうで思い出せない。
遠くで、自分と同じ声が泣いている気がする。
ユノは画面の外へゆっくり視線を向けた。
そして、誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやく。
「……また?」
配信は、そのまま明るく終了した。




