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35 あなたと黒蝶と共に


「あぁ。……ティナ、話を聞いてくれるか?」

「……はい」

 私がうなずくと、レノ様は静かに語り始める。


「俺はかつてのセレニーノ、セレーネ領を賜ることになっている。未だ戦火の爪痕が残る荒地を復興させ、そして、再び……多くの黒蝶が舞う地にさせたいと思っているんだ」

 強い意志を感じさせるその瞳は、じっと未来を見据えていた。

「黒蝶の舞う地……?」

(先程、陛下が仰っていたのは、このことだったのね。とても素敵だわ……っ)

 私が感動していると、レノ様は私を握る手に力を込める。


「……ティナ。俺と一緒に、セレーネ領に行ってくれないか? 俺には、おまえが必要なんだ」

「……レノ様……」

 真っ直ぐに注がれる黒い瞳が、どこか不安げに揺れている。


『自分の信じた道を行きなさい』

 ふとお父様の言葉を思い出した。父は既にお話を聞いていたのだろう。そして、私の意志を尊重してくれようとしたのだ。

 私の願いは一つだけ。……ずっと、レノ様と一緒にいたい。それが、たとえ『助手』であっても。


「……はい。私がお力になれるなら、一緒に行きます」

 私がはっきりと答えると、レノ様はほっと安堵の表情を浮かべた。

「そ、そうか……」

「はい。しばらくはレノ様の助手を継続ってことですよね?」

 私が微笑むと、レノ様は眉をひそめ、固まってしまった。


「は……?」

「え……?」


 お互いにしばらく見合っていると、レノ様は突然頭を抱え、大きく息を吐いた。

「はぁ、マジかよ……。全然伝わってないとは……」

 何やらぶつぶつと呟いている。……それから意を決したように再びこちらを向くと、私の前に跪いた。


「――ティナ・アシュトン伯爵令嬢。この私、レノックス・ファロン・ルミナス・トリヘリッドの、……妃になってくれませんか?」


 そう言って私の手の甲に口付ける。


 私は何が起こっているのか分からず、ただその優雅な所作に見惚れていた。

(え……、き、妃……!? わ、私が……っ!?)

 段々とレノ様の言葉の意味が理解できてきて、途端に顔から火が出そうになる。


「あ……、え……、その……っ」

 ドキドキと全身に心臓の音が響いて、息をするのもままならない。

 レノ様は跪いたまま、上目遣いにこちらを見つめ、私の返事を静かに待っている。

(だって、そんなっ、レノ様が……っ、私のことを……っ?)

 私の気持ちは、ずっと前から決まっている……。

 

「……はい。……私でよろしいのでしたら、喜んで……」

 消え入りそうな声で、だけど、精一杯想いを込めて答えると、レノ様は蕩けるような笑顔を見せる。


 彼は弾かれたように立ち上がり、ぎゅっと私を抱き締めた。

「ありがとう……ティナ、……愛している……」

「わ、私も……レノ様……を、お慕い……しています……」

 レノ様の香りに包まれながら、私は素直に自分の気持ちを伝えた。


 私に王子妃が務まるのか、不安がないかと言われれば嘘になる。けれど、彼が隣にいるのなら、きっと大丈夫だと思える。

 私はレノ様の胸に抱かれながら、たくさんの黒蝶に囲まれ、愛しい彼の隣で笑っている自分の姿を想像していた。


「……ティナ」

 名前を呼ばれて顔を上げると、月明かりに照らされたレノ様の顔が近づいてきて、私は瞳を閉じる。

 そっと重なる唇に、想いが通じ合ったのだと改めて実感ができた。


 唇が離されると、息をつく隙間を与えられないほどに再び重ねられた。

「……っ、ん……っ」

 段々と深くなる口づけに、たまらずに顔を背けようとするが、顎を押さえられてしまう。

「う……んっ、レ、ノさ……っ」

 息が苦しくてレノ様の胸を押し返した。レノ様は薄く瞳を開け、僅かに開いた唇の隙間から息を漏らす。


「何?」

「……はぁっ、こ、これ以上は……っ」

(し、心臓がもたない……っ)

 レノ様に涙目で訴えるが、冷ややかで、それでいて熱を帯びた視線を返される。


「……まだ全然足りない。この前、お預けを食らったからな」

(え? お預けって……? もしかして、狩猟小屋の時のこと……?)

 一歩後ずさりをしようとするが、背中に回された手によって阻止されてしまう。


「――逃さないって、言っただろ」

 低い声が私の耳に落とされ、耳朶を熱く柔らかな唇が掠める。

「……っ」

 ぞくっと全身が痺れ、身動きができない。


「……そろそろ観念した方がいい。この俺に捕獲されたってことを」

 妖しく光る瞳が、再び近づいてくる。


「もう一生、離さない。……俺の可愛い、毛虫ちゃん」

 その甘い囁きと共に、私はなによりも深い愛を受け入れた。



 

 ――後に、穏やかで豊かな地へと生まれ変わったセレーネ領では、至るところで黒蝶の舞う姿が見られるという。人々からは『黒蝶の郷』と呼ばれ、今もなお愛され続けているのだった――

  



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