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32 いざ、舞踏会へ(2)

 コホンと、レノ様が一つ咳払いをした。

「……じゃあ、最後の仕上げはこれだ」


 彼は手に持っていたベルベットの箱を開け、私に見せてくれる。それは、黒い蝶を模ったネックレスだった。

 艶のある漆黒の宝石はシャンデリアの光を反射し、上品に輝いている。翅には金の細工が施されていた。

 夜空に浮かぶ満月のような斑紋の蝶――、それは紛れもなく、クマちゃんだった。


「レ、レノ様っ、これ……っ」

 私は弾かれたように顔を上げる。レノ様はネックレスを箱から取り出し、一歩私に近づくと両腕をこちらに伸ばす。急に距離が近づいたので、咄嗟に身構えた。

「……っ!?」

 レノ様に抱き締められるかのような体勢に、身体を硬直させる。首元にひんやりとした冷たい感触が走った。


「オニキスは魔除けにもなる。……全ての災いからおまえを護ってくれるだろう」

 耳元で囁かれる声を聞きながら、私はレノ様がネックレスをつけ終わるのをじっと待っていた。

 カチャリと留め具が止まる音がすると彼はゆっくりと離れ、私の姿をまじまじと見つめた。


「あぁ、とても似合う。綺麗だ……」

 そう言って慈しむように目を細めるレノ様に、私も微笑み返した。

「……ありがとう……ございます……」

 胸がいっぱいで、お礼を言うのがやっとだった。

 鏡に自分の姿を映すと、陽だまりのお花畑に黒蝶が舞い降りたかのようだった。

(わぁ……、とても素敵……)


「それでは、そろそろ行こうか。……お手をどうぞ、マイレディ?」

 少し茶目っ気を含んだ瞳で、レノ様は白い手袋を嵌めた手を差し出す。

 私は呼吸を整え、その大きな手のひらに自分の手を重ねた。



「――レノックス・ファロン・ルミナス・トリヘリッド第二王子殿下、ならびに、ティナ・アシュトン伯爵令嬢のご入場でございます!」

 名前が呼び上げられ、大広間の重厚な扉が開かれた。

 華やかな音楽が響くホールに足を踏み入れると、一斉に視線が注がれる。

 辺りからざわめきが沸き起こった。


「ど、どういうことですの? レノックス殿下のパートナーが、アシュトン伯爵令嬢って!?」

「あのご令嬢ってたしか、婚約を破棄された腹いせに、毛虫を投げつけたという……?」

「そうですわ! 毛虫令嬢ですわよ!」


 そんな声が耳に届いて、段々と足の先から冷たくなっていくのがわかる。

 その好奇の目が注がれる中に、一際鋭い、まるで殺気の込められたかのような視線を感じた。チラリとそちらに目を向けると、こちらを睨みつけているケイシー様の姿を捉えた。

 ぶるっと全身が震える。

(……ケ、ケイシー様……)


 国王陛下の開会の宣言がなされ、王太子ご夫妻のオープニング・ダンスが始まった。彼らの次が私たちの番だ。

 しかし、こちらに向けられる憎悪の視線に、私の身体は凍りついて動かなくなってしまった。背中には冷や汗が滴り落ち、脈拍も上昇している。

 王太子ご夫妻のダンスが終わり、盛大な拍手が鳴り響いた。


「……ティナ、行くよ」

 レノ様に促され、どうにかホールの中心まで足を運ぶ。軽快なワルツの音楽が鳴り始める。


(ど、どうしよう……っ。ステップは、どっちからだったかしら? その、次は……っ?)

 頭が真っ白になり、足がもつれて前に転びそうになってしまった。その次の瞬間、レノ様に腕を引かれ、抱き支えられる。


「ティナ、何を考えている? 目の前にいるのは俺だ。俺だけを見ていろ」

 

 レノ様の低い囁きに、一瞬で視界が開けるのを感じた。顔を上げると、自信に満ち溢れた黒い瞳がこちらを見つめている。


(……そうだわ。何を怖がっているの、私。……隣にはレノ様がいる……)

 温かな体温が繋がれた指先から伝わり、私の全身に広がっていく。

 私は真っ直ぐ、レノ様の瞳を見つめ返す。もう、周りなんて気にならない。

 音楽が鳴り終わるまで、私はひとときの夢に身を委ねた。


 ダンスが終わると、一瞬静寂が訪れ、そして割れんばかりの拍手が会場に鳴り響いた。


「素敵なワルツでしたわ……」

「まるで庭園を二匹の蝶が舞っているかのような、幻想的なダンスでした」

「とてもお似合いの二人ですわね」


 拍手の中、私たちがダンスフロアの端に控えると、他の方たちのダンスが始まり一段と賑やかになった。

 人混みを縫って、見知った人物が私たちの元へやって来る。


「レノックス殿下、とても素晴らしいダンスでしたよ」

 ピーター様は口元に笑み浮かべつつ、恭しく一礼した。隣にいるケイシー様は顔を真っ赤にし、あからさまに私を睨んでいる。

 ケイシー様はレノ様から貰ったというルビーのネックレスをつけ、指輪やイヤリングもゴテゴテとした宝石を身に着けていた。

 ピーター様は瞬きを繰り返し、様子を窺うように横目でこちらに視線を送った。


「あの、殿下……。ええと、ティ、アシュトン伯爵令嬢とはどのようなご関係で? ま、まさか婚約者などということは……」

 私とレノ様の関係が気になり、探りを入れてきたようだ。


「ん? 私と彼女の仲を、君たちに説明する必要があるのかな?」

 レノ様はにこやかに笑い、ピーター様の質問を受け流す。

「い、いや、それは……。彼女は私の元婚約者でして、このビーン男爵令嬢に汚らしい毛虫を投げつけるような人物だということは、殿下もご存知のはずでございましょう? それなのに何故かと思いまして……」

 ピーター様は心底理解できないという顔で、唇を噛みしめる。


「レノ様って、第二王子様だったんですねぇ。私、びっくりしちゃいましたぁ。どうして平民のフリをしてたんですかぁ?」

 ケイシーは私を睨みつけていた顔と打って変わって、甘えるような仕草でレノ様に近づいた。

 レノ様は反応しなかったが、ケイシー様は話を続ける。


「ねぇ、レノ様ぁ。こんな地味な子なんて放っておいて、私と踊りませんかぁ? レノ様だったら、私を独占してもいいですよぉ」

「ケイシーっ、これ以上はっ」

 ピーター様が慌てて止めに入ったが、彼女は聞く耳を持たない。


「ふふっ、それにしてもティナ様ったら、なんて不気味なネックレスをしてるのぉ? 黒い虫だなんて、きもちわる〜い。ねぇ、レノ様もそう思いませんか?」

 そう言って私を嘲笑ったケイシー様は、レノ様の腕に縋り付くように手を伸ばす。


 その瞬間、――パシッと、レノ様はその手を払い除ける。そして、鋭い視線をケイシー様に向けた。


「――誰が気安く触れていいと許可した」

 

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