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31 いざ、舞踏会へ(1)

 コンコンと、執務室の扉を遠慮しがちにノックする。

「……入りなさい」

 中から聞こえてくるお父様の許可を得て、静かに入室した。


「失礼いたします。お父様、私にご用だと伺ったのですが……」

 デスクで書類に目を落としている父に声をかけると、父は顔を上げることなく指示を出した。

「そこに座っていなさい。すぐに終わる」

「……はい」

 言われるままにソファに腰掛けた。


 執務室内は沈黙に包まれ、お父様のペンを走らせる音だけがやけに大きく響く。

 私は小さく息を吐いた。

 こうやって二人きりで顔を合わせるのは、ピーター様との婚約破棄の話以来かもしれない。

 研究所通いや、第二王子の助手のことは、レノ様が父をどう説得してくれたのか分からないが、何も言われることはなかった。では、今になって何の話なんだろう。

(う、緊張で、胃の辺りが痛くなってきたわ……)


 一区切り付いたのか、父がこちらにやってきて私の正面に腰を下ろす。

 タイミングを見計らったかのように、侍女長がお茶を用意しにやってきた。彼女が退室すると、再び沈黙に包まれる。

 しばらくして、父が口を開いた。


「……レノックス殿下から伺ったが、お前、舞踏会で殿下のパートナーを務めることになったそうだな」

 そう指摘され、父に相談もせずに勝手に決め、報告もしていなかったことを思い出した。

「も、申し訳ございません。父に何の相談もなしに決めてしまいました」

 そう言って、慌てて頭を下げた。

「いや、それはいいんだ。王族からの要請をこちらから断ることはできない」

 父はティーカップを持ち上げ、紅茶を口に含む。特に怒っている様子はなくて、ほっと胸を撫で下ろす。


 ゆっくりとカップを置いた父は、一息、大きく息を吐いた。

「……お前の母とは折り合いが悪く、彼女と似ているお前ともどう接したらいいのか、ずっと分からなかったんだ……」

「え……?」

「だからこそ、せめて良家に嫁がせることが父親の役目だと思っていたが、結果、お前を苦しめることになっていたのかもしれないな」

「お父様……?」

 突然の言葉に信じられない気持ちで、父の顔を見つめた。

 貴族の娘に生まれたからには、家のために嫁ぐのは当然の事。それなのに父が私のことを思ってくれていたと知って驚いてしまった。

(私のことなんて、何の関心もないと思っていたのに……)


「今度は自分の信じた道を行きなさい」

「え?」

 父はぎこちない笑顔を見せた。

「……私から言えるのはここまでだ……」

「お父様……」


「……とんでもないお方に、気に入られてしまったものだな……」

 ぼそりと呟いた父の声は、溜息と共に空気に溶け、私の耳には届かなかった。


 

 ◇ ◇ ◇


 窓の外が徐々に暗くなり始め、夜の帳が下りた頃。

 目が眩むような煌びやかな王宮の一室で、王宮の侍女たちの手によって、私の舞踏会の準備が完成を迎えた。


「わ……、これが……私……?」

 金で縁取られた大きな全身鏡に映る自分の姿に、感嘆の声を漏らす。

 さすが王宮の侍女たちだ。こんな地味な私ですら、立派な淑女に仕上げてくれた。

(これなら、レノ様の隣に立っても恥ずかしくないよね……?)


 淡いイエローのドレスには、金や白の緻密な花の刺繍が施されている。スカートの裾には白いレースが幾重にも重ねられていて、動くたびに波紋のように上品に揺れた。


 このドレスはレノ様が用意してくれた。

 実はドレスを贈ると言ってくれた彼に対して、舞踏会へ着ていくドレスはもう準備してあったから、最初はお断りしたのだけど。

『元婚約者に合わせて作ったドレスを、この俺の隣で着るつもりなのか?』

 レノ様はそう言って、舞踏会まで日数もなかったのに、間に合わせてくれた。

 

 毎年、ピーター様と参加していた舞踏会は、私にとってあまりいい思い出はない。そんな私が、今年はレノ様のパートナーとして参加することになるなんて……。


 ……でも、きっとレノ様の隣にいられるのは、今夜が最後になるだろう。

 『母上に黒蝶を見せたい』という、レノ様の目的は果たされた。私の役目ももう終わったということだ。一介の伯爵令嬢が、王子様とこの先も一緒にいられるはずはないのだから。

 そう思うと、きゅっと胸が締め付けられる。

 鏡に映る、煌びやかなドレスに身を包んだ令嬢の顔は、酷く沈んで見えた。


(……ダメダメ! これからが本番なのよ! せっかくこんなに綺麗にしてもらったのだから、今夜だけは楽しまなきゃ。ずっと思い出に残るように……)

 慌てて悲観的な思考を振り払う。


「ティナ様。レノックス殿下がお見えになりました」

 侍女に告げられて、私はぴしっと背筋を伸ばした。


「準備はどうかな?」

 コツコツと靴音が近づいてくる。

 鏡に映るレノ様の夜会服姿が輝いて見えて、心臓が高鳴るのを感じた。漆黒に煌びやかな金の装飾が施され、レノ様の洗練された美しさをより一層引き立てている。

「は、はい。大丈夫です……っ」

 鏡越しに目が合って、思わず視線を逸らしてしまった。


「ティナ、私にその姿をよく見せて?」

「う、……はい」

 このままずっと、こうしているわけにはいかないし、覚悟を決めて立ち上がった。


「あの、素敵なドレスをありがとうございました。ど、どうでしょうか……?」

 気恥ずかしくて真っ直ぐにレノ様の顔が見られず、顔を伏せたままお礼を言った。


 ……しばらくレノ様の返事を待っていたが、一向に反応がないので、不安に駆られ恐る恐る顔を上げる。

(……え?)

 レノ様がとても複雑そうな顔で硬直していて、私は血の気が引いた。


 如才ないレノ様のことだから、『とても綺麗だよ』とか言ってくれるだろうと、そんなことを期待していた。……図々しいにも程がある。

(……きっと、お世辞も出ないくらい似合わないんだわ……っ)


「も、申し訳ございません……。せっかく贈っていただいたのに、私には着こなすことができなかったようでして……」

 自分の姿を隠すように、再び深くうつむいた。

 

「……違う」

「……え?」

 微かに声が聞こえて見上げると、レノ様は視線を逸らし口元を手で押さえている。


「……違うんだ。……そ、想像以上に綺麗で、言葉が出なかった……」

 ぼそりと私に聞こえるだけの声で呟いた。その顔はどことなく赤くなっているようにも見えて、私の鼓動が一気に速くなる。


「え、あ……、あ、ありがとう……ございま……す……」

 歓喜と羞恥で、声が震えてしまう。

「あ、あぁ」

 照れ臭くて、お互いに顔が見られないまま、しばらくうつむいていた。

  

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