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23 振り出しに戻る(レノックスside)

 メモリア峰での黒蝶探しは、残念ながら空振りに終わる。再び振り出しに戻り、資料の調査から始めることとなった。

 コリンズが採取した植物を精査し、黒蝶の卵が一つでも付着していればと、一筋の望みに賭ける。



 俺は研究所で資料に目を通しながら、先刻の王宮での出来事を思い返していた。


 兄上に黒蝶の調査報告をしに行ったときのことだ。

 今回、第二王子である俺の助手として、実績もない伯爵令嬢のティナを参加させられたのは、王太子である兄上が陛下に口添えしてくれたお陰だ。


 今回の旅では、長い時間ティナと過ごしていた。こうやって少し離れてみて改めて気付く。

(あぁ、早く、あいつに会いたい――)


 兄上の執務室からの帰り、足早に歩いていると廊下の角で人にぶつかってしまった。


「――あ、レノックス殿下! も、申し訳ございません」

 視線を下に落とすと、涼しげな頭髪が見えた。


「げ、チビハ……いや、マーシャル侯爵か。こちらこそ失礼したね」

 瞬時に完璧な笑顔の仮面を張り付ける。


「殿下、先日は愚息の婚約披露パーティーにご足労いただきまして、ありがとうございました」

 チビハゲ侯爵は恭しく頭を下げ、頭頂部をこちらに見せた。

「……あぁ」

(……この前よりも後退したんじゃないか? あー、眩しい眩しい)


「少々騒ぎがあったようで、申し訳ございませんでした」

「……騒ぎ?」


「えぇ、元婚約者の令嬢が再び毛虫を投げつけたのです。あの、野蛮な毛虫令嬢めがっ」

「……っ」

(だっ、誰が……野蛮だと……っ)

 込み上がる怒りを抑え、どうにか平静を装う。


「……美しい蝶があのような醜い生き物から進化するなど、想像するだけで反吐が出るというのに……」

 チビハゲ侯爵は心底憎たらしそうに、言葉を吐き捨てる。


「ん? ……何のことかな?」

「いっ、いいえ、こちらの話でございます」

 俺が聞き返すと侯爵は慌てた素振りを見せたあと、一つ咳払いをした。


「……コホン、パーティーでは殿下が毛虫令嬢を連れ出したと伺いましたが、どういったご関係で?」

 チビハゲ侯爵は探るような視線をこちらに送る。


「いや、関係も何も、あの時が初対面だよ。王族として騒ぎを収めたまでさ」

 ティナとの関係を勘付かれたら、彼女にどんな実害が及ぶか分からない。俺は平然と嘘を吐く。


「左様でございますか。それでしたら結構です。……殿下がもし、あのような者と付き合うようでしたら、ご自身の評判も再び落としかねません。ご注意なされた方がよろしいでしょう」

「……あぁ。忠告、痛み入るよ」

「それでは私は失礼いたします」

 そう言って一礼し、靴底を引きずりながら廊下の奥に消えていった。


(――くそっ、あのチビハゲジジイ。黙って聞いていれば、いい気になりやがって。俺のティナを侮辱したこと、絶対に許さねぇ……)

 怒りで震える拳をきつく握りしめ、研究所への道を急いだ。



 チビハゲへの怒りが収まらないまま、俺は資料を乱暴にめくった。


「レノ様! ちょっと失礼します!」

「へ?」

 ティナが突然俺の手を握り、手の甲をまじまじと見つめていた。細く柔らかな指が俺の肌に直接触れている。


「え? どっ、どうしたんだい? ティナ?」

 ティナの方から俺に触れてくるなんて初めてで、不覚にも動揺してしまった。

 俺の声などまるで聞こえていないようで、真剣な眼差しで手を見つめている。


(……ふっ、可愛いな……)

 ティナは控えめですぐに顔を真っ赤にするほど純真だが、時折、こうやって人が変わったかのように積極的になる。


「もしかしてレノ様、庭園のモルフォ蝶に触りましたか?」

 ……そう、『虫』に関することでは。


「へ? モルフォ蝶……? いや、触ってないよ」

「え? そうなんですか?」


 そういえば、ガーデンパーティーの頃に庭園にいた一匹の青い蝶、モルフォ蝶というらしいが、もう随分前から見かけていない。死骸だって見ていない。


 コリンズにも確認してもらった結果、俺の手にモルフォ蝶の鱗粉が付着していた。

 モルフォ蝶は確か、南国メイコブの蝶だ。あの国の蝶は、現在では標本であっても国外への持ち出しは厳禁だったはず。


(――では、いったいどこで付着したんだ……?)

 記憶を遡り、一つ思い当たる。先程、俺とぶつかった人物に……。


「……いや、まさか……な」

(もしチビハゲ侯爵の服に鱗粉が付着していたとしたら……?)


 少しばかり、おかしいと思っていたんだ。侯爵家のチビ馬鹿息子の新しい婚約者が、格下の男爵令嬢に決まったことに。

 あの卑しいチビハゲ侯爵が、何の利益もなく格下との婚約を結ぶはずがない。

 正体不明の毛虫を持ってきたビーン男爵令嬢と、モルフォ蝶の鱗粉を付けたマーシャル侯爵。


(調べてみる価値はありそうだな。……ふっ、面白いものが見つかりそうだ)

 俺は内心でほくそ笑んだ。


 まだ、俺の手は白く小さな手に繋がれている。

 俺はティナを手放すつもりはない。

 ずっと、俺という虫籠に閉じ込めて、絶対に逃さない。

 おまえは、そこで無邪気に虫を愛でていればいい。


 おまえを汚そうとする奴は、この俺が全て排除してやるから――。

  

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