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17 温泉街で

 辺りが黄昏に染まる頃、私たちはベルアンスへ到着した。街のあちらこちらから白い煙が立ち込め、なんとも形容しづらい匂いが漂っている。


「レノ様、あの煙は一体……?」

 私が馬車の窓から外を食い入るように見つめていると、レノ様が説明してくれた。

「あぁ、あれは源泉から湧き出ている湯気だ。この独特の香りも温泉の匂いなんだよ」

「わぁ、そうなんですね! 不思議な光景です」

「宿の浴場にも温泉が引いてあるはずから、着いたら早速入ってみればいいよ」

「はい! 楽しみです!」


 宿屋に到着すると、コリンズ先生とクリフさんと合流した。

 皆で夕食を取りながら、明日からの計画を立てるということになり、一旦、自由時間となる。

 

 私とシエンナは早速楽しみにしていた温泉に向かった。

 ……ところが。


「お嬢様、お顔が真っ赤ですよ、大丈夫ですか!?」

「うぅ、少し、気持ち悪い……。お水……、冷たいお水、飲みたい……」

 湯船から出たところで、急に吐き気やめまいに襲われた。

「は、はい、かしこまりました。ここで少々お休みください。すぐに厨房でお水をいただいて参りますっ」

 シエンナは慌てた様子で、廊下の奥へ走っていった。

 私は彼女を待ってる間、浴場の出口にあったベンチに腰をかける。

(ちょっと長く入りすぎたのかしら……。う、クラクラする……)


「そこのキミ、どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?」

 声をかけられて顔を上げると、知らない若い男がこちらを見下ろしていた。刺繍が施された上質な上着を羽織っていて、それなりの身分だと思われる。


「あ……、いえ、少しだけめまいが……」

 私が答えると、その男はニヤリと不気味な笑顔を見せる。どことなく気味の悪さを感じた。

「おっと、それは危険だ! 温泉ではよく湯疲れするんだよ。放っておくと大変なことになるよ」

「……湯疲れ……?」

「僕さ、湯疲れに良く効く薬持ってるからあげるよ。早くあっちで休もう。ほら、おいでよ」

 その男は私の腕をガッチリと掴み、強引に引っ張った。


「えっ、連れを待ってますので、結構ですっ」

 無理に立たされたので腕を振り解こうと抵抗すると、その瞬間ぐらりと視界が揺れる。


(まずいわ、めまいが……)

 身体がよろめくと、その男が私の肩を抱いた。

「ほらほら、つらいんでしょ? 無理しないで。すぐそこだから、ねっ」

 ゾクリと全身が総毛立つ。


「は、放してくだ……んっ!?」

 大声を出そうとした時、後ろから腕を回されて口を押さえられた。

「大声を出すなよ。ほら、こっち来な」

 そのままガッチリと抱えられて、どこかに連れていかれそうになる。


「ん〜っ」

(――た、助けて、レ、レノ様っ!)

 そう心で叫んだ時――。



「そこの君さ、彼女からその手を退けてもらえるかな?」


 穏やかだけど冷ややかな、私が待っていた救いの声が響いた。

(――レノ様!)

 レノ様は薄く笑みを浮かべたまま、こちらにゆっくりと近づいてきた。レノ様のその威圧感に男の顔色は徐々に青ざめる。


「聞こえなかったかな?」

 レノ様が笑みを深めるたびに、周囲の空気が凍りついていく。

 そして、硬直している男の前まで優雅な足取りでやってきた。


「――俺のものに、汚ねぇ手で触ってんじゃねぇよ」

 地を這うような声で言い放ち、鋭い眼光が男を射抜く。

 男は「ひゅっ」と息を吸い込むと身体を震わせ、弾かれたように私を放す。


「ひぃーーっ」

 その男は悲鳴を上げながら、腰を抜かさんばかりの勢いで逃げ去っていった。



「ティナ、大丈夫かっ!?」

「……レノ……さま……」

 ほっとしたら、なぜか涙が滲んできた。


 また、レノ様に助けてもらった。心のどこかで、レノ様ならきっと助けてくれるって信じていた。

「あ、りがとう……ございま……う……、う……っ」

 私の瞳から涙が溢れると、レノ様は動揺を隠しきれないでいる。


「ど、どうしたんだ!? さっきの奴に何かされたのか!? ……くそっ、逃がさず痛めつけてやればよかったか」

「いえ、違うんです……、ほっとして……、う、……クラクラする……」

「クラクラ? そういえば、顔が赤いな」

 レノ様が私の顔を至近距離から覗き込んだ。

「っ!?」

(ち、近いっ。違う意味でクラクラしそう……)


「お嬢様! お待たせして申し訳ございません。お水をお持ち――殿下!? いらしたのですか?」

 シエンナが息を切らして水の入ったグラスを持って現れると、レノ様の存在に気付き声を上げた。

「ティナは具合でも悪くしたのかい? 顔が赤いようだけど……」

「はい。実は温泉でのぼせてしまわれたようでして」

「あぁ、なるほど」


 私はベンチに戻り、シエンナから渡されたお水を少しずつ口に含む。

「はぁ、おいしいわ……。ありがとう、シエンナ」

「いいえ、おかわりが必要でしたら、おっしゃってください」

 水を飲んでいると段々と体調が回復してくるようだった。これなら歩けそうだと考えていると、レノ様が突然私の持っていたグラスを取り上げ、それをシエンナに渡す。そして、ふいに私の横に片膝を突いたかと思ったら、私の身体をふわりと持ち上げた。


「――ひっ、な、なんっ!?」

 レノ様に横抱きに抱えられて、思考が停止してしまう。

「部屋まで運ぶよ」

 レノ様は微笑みつつ、何でもないことのように言った。


「いえ、だ、だ、大丈夫ですので、あの、歩けます!」

 恥ずかしさで耐えられず、両手で彼の胸を押して抵抗する。

 落ち着いたばかりなのに、また熱が出そうになる。鼓動が尋常じゃないほど高鳴って、湯疲れよりも重症だ。


「ティナ、おとなしくしてくれるかな? あんまり暴れると……」

 彼は耳に息がかかりそうなほど近づくと、心臓にまで響くような低い声で囁いた。

「――このまま、俺の部屋に連れていくぞ」


 私はピタリと動きを止める。

 そして、観念した私はレノ様の腕に身を委ねた。


「……ありがとう……ございます……」

「ふっ、どういたしまして」

 レノ様は満足そうに笑うと、静かになった私を軽々と抱えたまま歩き出した。

  

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