第98奏:それぞれの壁
次の日の朝、イヴの自宅。
イヴは鏡の前に立ち、発声練習をしていた。
「あー、あー、あー……」
低い音から始め、徐々に音階を上げていく。
しかし、最近ある一定の高さを超えると、声が詰まってしまう。
「……っ」
イヴは唇を噛んだ。
もう一度、挑戦する。
「あー……」
しかし、やはりGSGの予選以降、高音部分で声が出ない。
「どうして……出ないの……」
イヴは鏡の中の自分を見つめた。
不安そうな表情をした、自分の顔がそこにあった。
イヴの心の中には、ある不安が渦巻いていた。
(本戦に出るバンドは、きっとみんなすごく歌が上手いんだろうな……。このままで、私の歌、本当に通用するのかな……)
予選の時も、他のバンドのボーカルは圧倒的だった。
本戦は、それ以上のレベルだろう。
そんな中で、自分の歌は通用するのか。
イヴは、自信を失いかけていた。
でも……。
(琴音ちゃんが苦しんでいるのに、私が弱音を吐いてる場合じゃない)
イヴは首を振った。
琴音が新曲制作のプレッシャーに押し潰されそうになっている今、自分の悩みを口にすることはできない。
「……頑張らなきゃ」
イヴは自分に言い聞かせるように呟いた。
同時刻、綾乃の自宅。
綾乃は自室で、ベースを磨いていた。
丁寧に、一つ一つ磨いていく。
しかし、綾乃の心は、ベースに集中できていなかった。
(琴音……イヴ……)
昨日の二人の様子が、綾乃の頭から離れない。
琴音は、新曲が作れないプレッシャーに苦しんでいる。
また、最近、イブにも違和感を感じている。
昨日は琴音のとばかりだったが、イヴもまた、何か悩んでいるように見えた。
(二人とも、無理をしている……)
そして、気づいていないが綾乃自身も……。
「……私は、大丈夫なのかな」
綾乃は小さく呟いた。
綾乃もまた、自分のベースに不安を感じていた。
本戦で、自分たちの音楽が通用するのか。
リーダーとして、みんなを導くことができるのか。
様々な不安が、綾乃の心を蝕んでいた。
しかし、綾乃はそれを口に出すことができない。
(私がしっかりしなきゃ……。みんなを支えなきゃ……)
綾乃は、自分に言い聞かせた。
しかし、その重圧が、綾乃自身を苦しめていることに、綾乃は気づいていなかった。
そして雅の自宅。
雅は朝早くから、専用スタジオでドラムを叩いていた。
規則正しいリズム。
正確な音。
しかし、その音には、どこか生気がない。
雅は演奏を止め、深いため息をついた。
「……集中できませんわ」
雅の心は、三人のことでいっぱいだった。
琴音の苦しそうな表情。
イヴの不安そうな様子。
そして、綾乃が無理をしていること。
「わたくしには、何ができるのかしら……」
雅は自問自答した。
『Ablaze』が解散した時、雅は一人で音楽と向き合おうとした。
しかし、綾乃と出会い、再び仲間と共に音楽を奏でる喜びを知った。
だからこそ、雅は今の仲間を失いたくない。
でも、どうすればいいのかわからない。
そして……。
雅は、自分自身も悩んでいることに気づいた。
「わたくしも……完璧を求めすぎているのかもしれませんわ……」
幼い頃から、完璧を求められてきた雅。
その呪縛は、今でも雅を縛り付けている。
ミスを恐れるあまり、自由に演奏できなくなっている。
「……また、同じことを繰り返しているのかしら」
雅は、ドラムスティックを握りしめた。
その日の午前中、雅の家のスタジオにて。
四人が集まった。
「おはようございます」
雅が挨拶すると、三人も挨拶を返す。
琴音の顔色は相変わらず悪いが、昨日よりは少し落ち着いているように見えた。
「おはようございます……」
琴音の小さな声に、三人は心配そうに顔を見合わせる。
「それじゃあ、今日は無理せず軽めに練習しよう」
綾乃の提案に、三人は頷いた。
四人は楽器を手に取る。
「『欠片の音色』から行こう」
綾乃の言葉に、演奏が始まった。
琴音のキーボードが、儚くも美しいピアノのメロディーを奏で始める。
綾乃のベースが土台を支え、雅のドラムが力強くリズムを刻む。
そして、イヴのギターと歌声。
しかし……。
サビの高音部分で、イヴの声が詰まってしまった。
「……っ」
演奏が止まる。
イヴは悔しそうに唇を噛んだ。
「あはは、ごめん……もう一回」
イヴは謝ると、再び演奏の準備をする。
綾乃は心配そうにイヴを見つめた。
「イヴ、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ちょっと喉の調子が……」
イヴは無理に笑顔を作った。
しかし、その笑顔は、明らかに無理をしているように見えた。
「イヴさん」
雅が静かに口を開いた。
「無理に高い声を出そうとしていませんか?」
雅の言葉に、イヴははっと顔を上げた。
「そんなこと……ないよ」
イヴは否定するが、その声は震えている。
三人は顔を見合わせた。
イヴが、何かを抱え込んでいることは明らかだった。
「……もう一度、やってみよう」
綾乃の言葉に、四人は再び演奏を始めた。
しかし、やはりイヴの歌声には力がない。
高音部分で、声が詰まってしまう。
「……次は『Over the Top』をやろう」
綾乃が言うと、四人は楽器を構え直した。
綾乃のベースが力強く響き始め、琴音のキーボードが波のように流れるメロディーを奏でる。
イヴのギターが音を重ね、そして雅のドラムが……。
リズムが、一瞬ずれた。
「……っ!」
雅は明らかに動揺している。
演奏が止まると、雅は小さく呟いた。
「すみません……もう一度」
雅の声は、珍しく震えていた。
三人は驚いた表情で雅を見つめる。
いつも完璧な演奏をする雅が、ミスをするなんて。
「大丈夫だよ、雅さん。もう一回やろう」
イヴが優しく声をかけると、雅は小さく頷いた。
再び、演奏が始まる。
しかし、今度は別の場所で雅がミスをしてしまった。
雅の表情が、どんどん硬くなっていく。
完璧を求めるあまり、余計に力が入ってしまっている。
演奏が終わると、綾乃が口を開いた。
「今日は、ここまでにしよう」
綾乃の提案に、イヴと琴音は頷いた。
しかし、雅は首を振った。
「いえ、もう一度やらせてください」
雅は頑なに拒む。
「完璧に演奏できるまで……」
雅の言葉に、三人は顔を見合わせた。
イヴが心配そうに声をかける。
「雅さん、無理しないで……」
しかし、雅は聞き入れない。
「大丈夫ですわ。もう一度」
雅は、ドラムスティックを握りしめた。
三人は、それ以上何も言えなかった。
三度目の演奏が始まる。
しかし、雅のドラムはさらに乱れていく。
力が入りすぎて、リズムが不安定になっている。
そして演奏の途中で、雅がスティックを落としてしまった。
カラン、と乾いた音が、スタジオに響く。
雅は呆然としている。
「……すみません」
雅の目に、涙が浮かんでいる。
三人は、言葉を失った。
いつも冷静で、完璧な雅が、涙を浮かべている。
その姿に、三人は衝撃を受けた。
「……今日はもうやめよう」
綾乃が静かに言った。
誰も反対しない。
四人は、重い空気の中、楽器を片付け始めるのであった。
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