第7奏:五線譜に記された空白
ライブ当日。
学校の授業が終わり、放課後となった綾乃はまっすぐに自宅へ帰るつもりだった。
しかし、足は勝手に公園へと向かってしまう。
公園に着くと、葉桜の木々の下にあるベンチに座った。
いつもなら、この場所でイヴが明るい笑顔で待っていて、ギターの練習が始まる時間。
しかし、そこにイヴの姿はない。
あるのは、風に揺れる若葉の音と寂しい静けさだけ。
「……バカみたい」
綾乃は、自嘲気味に呟いた。
ライブは今日の夕方6時半から、今の時刻は午後5時半頃。
イヴは今頃ライブハウスにいるはずだ。そんなこと、分かっているはずなのに。
綾乃は両手で顔を覆った。
なぜ、自分はこんなにも弱いのだろう。
なぜ、あの時、素直になれなかったのだろう。
すると、綾乃の背後から一人の少女が近づく。
「君、いつも金髪の女の子と楽器弾いてた子だよね?」
綾乃は背後から落ち着いた声で話しかけてくる声に驚き、振り返ると、そこに立っていたのはギターケースを背中に背負った小柄な少女が立っていた。
黒いポニーテールに、切れ長の目が印象的である。
「……誰?」
綾乃は警戒しながら尋ねた。
いきなり話しかけられたことに、綾乃は目を細める。
「私は倉本響。いつもこの公園を通る時、貴女達が楽器の練習してるを見てたよ」
響と名乗る少女は、そう言って微笑んだ。
彼女は綾乃の手元をじっと見つめる。
「君はベースがすごく上手そうだね」
驚いて言葉が出ない綾乃に、軽く笑いながら響は話を続けた。
「その指を見れば、よく分かるよ」
響は綾乃の指を差しながら言う。
綾乃は戸惑いながらも、自身の指を見た。
指には豆がいくつも出来ており、硬くなっている。
「私たちは君をライバルとして見てる。あの金髪の女の子の歌声、すごくよかったから。いつか、大きなステージで対バンが出来たらいいな」
その言葉に、綾乃の心が揺れた。
ライバル 。
自分はもう音楽から降りたはずなのに、何故、いきなり言われた言葉に心が揺れるのだろう。
「君のベース、また聞かせてよ。私たちのステージで。最高の演奏をしてくれるのを楽しみに待ってるから」
響はそう言い残すと、綾乃に背を向け、その場から去った。
彼女の言葉はまるで綾乃の心を突き刺す、鋭い音符のよう。
綾乃はもう一度、紺色のベースを思い浮かべた。
ここにはもう、ベースはない。
だが、綾乃の心の中には、確かにその音色が鳴り響いている。
綾乃は立ち上がり、公園を出る。
行き先は、イヴたちが出演するライブハウス。
五線譜には空白を残したままであるが、止まっていた彼女の時間が、今、再び動き始める。
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