第5奏:不協和音の残響
あれから3日経過した。
綾乃はイヴに会っていない。
放課後になると、いつも一緒にギターを教えていたあの公園を避けるように、足早に家路に着くようにしていた。
「……もう、これでいいんだ」
綾乃は、そう自分に言い聞かせる。
イヴはもう、荒削りではあるが基本的なギター技術は出来てきていた。
あとは自分自身で練習し、学ぶべき。
しかし、心は素直ではなかった。
ライブまであと2日。
イヴの言葉が、綾乃の心を揺さぶり続ける。
彼女の瞳に宿っていた、音楽への純粋な情熱。
綾乃が捨ててしまった、かけがえのないもの。
「……どうして、あんなことを言ってしまったんだろう」
綾乃は、後悔の念に駆られていた。
イヴのまっすぐな気持ちを、どうして受け止めてあげられなかったのだろう。
しかし、過去のトラウマが、綾乃の心を再び閉ざしてしまう。
その日の夜、綾乃は自室で窓の外をぼんやりと眺めていた。
満月が、ぼんやりと夜空に浮かんでいる。
その光景を見ていると、綾乃はどうしても母の笑顔を思い出してしまう。
『綾乃の音は、誰にも真似できない、貴女だけの音だから。誰にも負けちゃダメよ』
母の言葉が、綾乃の心にこだまする。
綾乃は自分の部屋の隅を見つめたが、そこには何もない。
本来はここに自分のベースを立てかけていたはずのスペース。
しかし、もうそのベースを見ることは一生ない。
何故なら、イヴに渡してしまったから。
「……もう、弾けないのに」
そう呟く声は、まるで迷子の子供のようだ。
綾乃は、その場で膝を抱え込み、現実逃避するかのように昔のことを思い出す。
中学生時代。
とある発表会で演奏を終えた綾乃を、客席で待っていたのは母に駆け寄った。
「綾乃、お疲れさま」
そう言って、母は綾乃に小さな花束を渡してくれる。
「綾乃が弾くベース、誰とも音楽にも負けてなかったわよ」
綾乃は照れくさそうに笑いながら、花束を受け取った。
その時、母が持っていた古いビデオカメラが、綾乃の顔を映している。
「いつか、大きなステージで綾乃の演奏を聴きたいな」
母はそう言って、優しく微笑んだ。
そんな温かい記憶が、綾乃の心を締め付ける。
母は綾乃がバンドで全国大会に出場する前に、突然、病で他界した。
あの時の『大きなステージ』を見せるという約束は一生果たされない。
そして、あの日のバンド崩壊。
綾乃はもう二度とベースを弾くことはない、自分自身に言い聞かせるように心の中で言い続けていた。
一方、イヴは綾乃から渡されたベースケースを開け、その中に入っていた紺色のベースを抱きしめる。
それは綾乃の音楽への想いが詰まった、かけがえのない宝物だ。
「……綾乃ちゃん」
イヴは悲しげに呟く。
しかし、その瞳には諦めはなかった。
「私、綾乃ちゃんを、絶対ライブに連れて行くから」
イヴはそう心に誓うと、ベースをベースケースへ戻し、ギターケースから赤色のエレキギターを取り出した。
ライブまで、あと2日。
イヴは綾乃との約束を胸に、一人で練習を再開するのであった。
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