第10奏:焦燥と協奏
(ライブまで、残り20分)
スタジオでベースを持った瞬間から、その数字が綾乃の耳にこびりつく。
自分の手には、一度は捨てようとしたベース。
その隣には純粋な眼差しで自分を見つめるイヴと、恥ずかしそうに俯いている琴音がいた。
「じゃあ、早速いこう! 綾乃ちゃん、準備いい?」
イヴの明るい声が、緊張で張り詰めた空気を和らげる。
しかし、綾乃は首を振った。
「ちょっと待ってもらっていい? 最初は私が1人で弾いてみたい」
綾乃の申し出にイヴと琴音は目を見開いて驚く。
そして言葉を続けた。
「曲を弾くのは久しぶりだから、慣らしたい」
2人は綾乃の申し出に顔を見合わせ、頷く。
「大丈夫だよ! それに綾乃ちゃんが弾いてるとこみたい!」
イヴがそう言うと、綾乃もそれに応えるように頷く。
綾乃は深く息を吸い込み、目を細め、楽譜に目を通し、ベースを構える。
一度も弾いたことのない曲。
しかし、メロディラインとコード進行が、不思議と綾乃の頭にすっと入ってくる。
(この曲……)
初めてイヴと出会った公園で、彼女が口ずさんでいたメロディ。
あの時、綾乃の心を揺さぶった、力強く、そして優しい歌声が脳裏に思い浮かぶ。
(……あの歌だ)
綾乃はイヴの歌声と琴音のキーボードが、力強く、そして繊細に絡み合う情景を思い描く。
流れるような指の動き、正確なリズム、そして深みのある音色。
綾乃が奏でるベースラインはまるで、ひとつのメロディのように、スタジオを満たしていった。
「……すごい……!」
イヴは息をのむ。
琴音も目を丸くして、綾乃の演奏に見入っていた。
楽譜を見ながらであるが、完璧に弾きこなす綾乃の姿に、二人はただただ驚くしかなかった。
演奏を終えた綾乃は、二人の様子に少し照れくさそうに笑った。
「……この曲、本当にいい曲だね。これを1人で作曲したのすごいよ」
綾乃の言葉に琴音は顔を赤らめ、イヴは満面の笑みでうなずいた。
「じゃあ、次は三人でいこう!」
イヴの提案に琴音はキーボードへ、イヴは目の前のマイクスタンドへと向かい、赤色のギターを構える。
そして三人の音が重なり、本格的な練習が始まった。
しかし、初めて合わせるバンド。
当然、うまくはいかない。
テンポがずれたり、音の強弱が合わなかったり。
イヴは焦り、琴音はイヴに合わせようと必死になるあまり、リズムが崩れてしまう。
「ごめん、イヴ……」
「大丈夫! もう一回いこう!」
何度も繰り返すうちに、ライブまで残り10分を切ってしまい、焦燥感が綾乃の心に広がる。
「待って」
綾乃は、二人の演奏を止めた。
「イヴ、そこはもう少し力を抜いて、肩に力入りすぎ。琴音さんは焦らなくていい。イヴの歌をよく聴いて、自分の音を大事に弾いて」
かつて、当時いたバンドでボーカルとぶつかり合った記憶が綾乃の脳裏に蘇る。
たが、イヴも琴音も、綾乃の言葉に真剣に耳を傾けてくれていた。
綾乃の指導に合わせ、三人の音が少しずつまとまっていく。
イヴの歌声が、琴音のキーボードが、そして綾乃のベースが、ひとつの生命体のようにグルーヴを生み出していた。
「……すごい! 最高の曲だよ!」
弾き終わると、イヴは飛び跳ねるように喜んだ。
初めて一つになった感覚は、綾乃にとっても懐かしい。
琴音も口元が緩み、この感動を噛み締める。
そして唐突にスタジオのドアが開き、先ほどの女性が顔を出した。
「……突貫工事ではあるけど、一応は曲になったじゃない。さぁ、ライブまで残り5分。ステージに向かうわよ」
女性の言葉にイヴと琴音は顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべる。
綾乃もまた、その笑顔に釣られるように、静かに微笑むのであった。
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