囚われの魔女
「師匠」
アタシは師匠のことが、なぜか反吐が出るほど嫌いだった。
近づかれれば蕁麻疹が出て、名を呼ばれれば虫唾が走り、視界に映れば嫌悪感で全身が逆立った。
気持ちが悪い、吐き気がする。
ーー「俺の可愛い「ファニー」!いいや、今は『ビアンヴニュ』だったか!」
アタシの名を呼ぶな。アタシを穢すな。
本来なら、師匠なんて死んでも呼びたくない。
でも、拾われた恩があるから、仕方なく居るだけだ。
…押し付けがましい恩さえなければ、今頃この魔女には黒百合が咲き乱れていただろうさ。
あー、ホント嫌い。
さっさと、ウツボカズラに落ちて消化されてしまえ。
―――
あの女……『ルナティック』は異常にアタシに執着をしている。
いいや、正確には、”アタシを通して誰かを見ている”。
それが、誰なのかはわからないけれど、『ファニー』という女性?なのだろう。
……なぜ、ルナティック師匠が私を「ファニー」と呼んだのかがわからない。
ーーまさか、ねぇ。
あの女は、他の魔女よりも禁忌に近い魔法を使える。
禁忌ーー人が、人たらしめる何かに触れることを指す。
記憶、感情……そして、魂。
けれど、ソレらに触れるためには、確かなリスクがある。
そのリスクをアタシは知らないけれど、きっとろくなものじゃない。
人の形をするために、必要なモノにすら、師匠は触れられるのだろう。
なぜか、そんな気がしてやまない。
師匠は、自分の知的好奇心が満たされるのであれば、きっとどんなこともする。
……師匠は、確かに頭がぶっ飛んでいる。
気が狂いに狂って、堕ちる所まで堕ちた人ではあるが…流石に、リスクを負ってまでファニーという人物に肩入れする理由がわからない。
もし、仮に私がファニーだとしたら…師匠は、アタシに何を望んでいる?
目的が分からない。
師匠は、私に何を望んでいる?
私越しに、何を見ている?
師匠はーーー一体、何に触れた?
どくり、と心臓が脈打った。
アタシは、何を忘れているのだろうか?
部屋に飾っていた薔薇の花びらが、一枚散った。
―――
師匠が死んだ。真冬に入る直前のことである。
実に、あっけの無い死に方だった。
風邪を拗らせて、師匠は死んだ。
あの狂った女は、たかだか風邪ごときに負けたのだった。
結局、何も分からなかった。ファニーが誰なのかも、アタシといえ人間が、師匠にとって何であったのかも。
何も分からず、ただアタシはあの女に穢された。
自分の手を見下ろす。
皺ひとつない手は、酷く汚らしく感じた。
洗っても洗っても、汚く感じて仕方がなかった。
その日から、アタシは手袋を付けるようになった。
あの女には似合わない、真っ黒な手袋を。
何年経っても変わらない手を隠すように付けた。