涙を知る魔女
わたくしのお師匠ちゃんさまにはお名前がありません!
前のお師匠様がお名前をつけて下さらなかったそうです。
けれど、お師匠ちゃんさまは、それを悲嘆にくれる訳でも、嘆くわけでもありませんでした。
ただ、目尻を下げて、「あの人らしい」と、愛おしむのです。
それが、わたくしには理解できませんでした。
―――――
お師匠ちゃんさまから『スイート』という名を与えられました。
名を呼ばれると、胸の辺がぽかぽかして、温かくなります。
それが、どうにも擽ったくて、ムズ痒い気持ちになるのです。
でも、その感覚が嫌いではなく、寧ろ、好きでした。
お師匠ちゃんさまの、私の名前を呼ぶ時の、あの顔が、忘れられないのです。
ーーー「私の可愛い可愛い、スイート チャイルドちゃん」
なんて、くすくすと笑いながら、私の頭を撫でて、呼んでくださるのです。
それが、可愛らしくて、好きでした。
―――
「お師匠ちゃんさま、!わたくしがお名前を、つけても良いですか?」
なんて、冗談混じりに言った時の、いつもの顔から一変して、全ての感情が削ぎ落とされて、なんの温度の無い瞳で私を見下ろすお姿は。
私の頬に添えられた、陽だまりのように温かい手が、雪のように冷たくて。
笑っているのに、何も笑っていない、まるでお人形さんのようなあの顔を、
私は、生涯忘れることの出来ない、トラウマとなりました。
―――
冬先になると、お師匠ちゃんさまは、よくお部屋で泣いています。
しくしくと、声も上げずに静かに泣いています。
それが、可哀想で痛ましくて、代わりにわたくしが声を上げて泣いてあげるのです。
お師匠ちゃんさまは、困ったように眉を下げて、
「泣かないで、可愛い子」
なんて言いながら、抱き締めてくださるのです。
その温もりが、どうしても忘れられなくて、何度も何度も泣くのです。
泣いたら、お師匠ちゃんさまは、慰めてくださいますから。
あなたを慰めてくれるひとは、もう居ないのに。
なんて、可哀想なひとなのでしょうか。
―――
わたくしが、お師匠ちゃんさまを見つけたのは、ある春先のことでした。
ぽかぽかとする陽だまりの下で、寝転がって、桜を見上げていました。
時々私の元へと散る桜が、美しくて、好きでした。
不意に、人の気配がして、半身を起こすと、そこには桜を見上げる女性が立っていました。
後に、私のお師匠ちゃんさまに成るお方でした。
女性は、桜に見惚れていました。まるで、今にも桜に攫われるような、そんな予感がするほどに、強く魅入られていました。
その姿は、不気味だったのですが、どこか侘しさも感じました。
ーーー確かに、女性は泣いていました。
その涙の意味を、わたくしは知り得ませんが、何故か、女性の流すその涙が、とても好きになりました。
(もっと、泣いているところがみたい)
泣いて泣いて、涙が枯れても泣き続けて、声が枯れるほどに叫んで、まともに呼吸ができずに苦しんで、声も枯らして、それでも変わらぬ現実にどうしようもなく、打ちひしがれてほしかったのです。
ある種の、キュートアグレッションというやつなのでしょう。
異常だと言われてしまうかもしれませんが、わたくし意外に、この感情を知る人物は居ませんので、いいでしょう?
わたくしを、貴方の傷にして欲しい。
わたくしで、苦しんで欲しい。
わたくしを、あなたの人生に刻んで、どうしようもない後悔として、添い遂げたい。
忘れられなくなった、あの桜の美しさのように。
貴方の記憶に根付いて、花を咲かせたい。
そう願うことは、可笑しなことなのでしょうか?
―――
魔力者の代表とも言える、わたくしたち魔女。
ずっと昔にもあった魔女狩りは、今でも密かに続いています。
それはもう、“伝説”でも“過去の過ち”でもなく、現実と呼ばれるものの中に、確かに息を潜めているのです。
大抵、魔女……魔力者を見かけたら、速やかに政府へ通報するのが、常識とされています。
けれど、その常識を、黙って踏み越える者たちもいますの。
魔力者の血肉には、不老不死の力がある――そんな、まるで御伽噺のような逸話に取り憑かれた一部の者たち。
彼らは、政府の名を借りて、私たちを捕らえ、売りさばくのです。
研究、蒐集、実験、娯楽、延命、そして――殺戮。
政府が魔女を狩るのは、きっと、正義の名のもとでございましょう。
けれど、それとは別に、欲望の名のもとに動く人々が、確かに存在するのです。
……だから、ただ、わたくしたちは、運が悪かっただけ。
それ以上でも、それ以下でもなく。
ただ、それだけなのです。
―――
お師匠ちゃんさまの、伸ばされた手は、わたくしに触れることができませんでした。
貴方の、その雪のように白い肌に、わたくしの真っ赤な薔薇が着いてしまいました。
呆然と、どこか現実味を帯びていない、貴方の瞳が、脳裏に焼き付いて、薄ら笑みを浮かべてしまいました。
びちゃびちゃと、汚い音を立てて、真っ赤な薔薇が散ります。
ーーー「魔女だ!魔女を見つけたぞ!」
遠くの方から、人の、ドタバタという、品のない足音が、聞こえてきました。
ーーー「燃やせ!」
ーーー「殺せ!」
人間は、嫌いです。
酷く、視界が歪んで、立つことも儘なりません。
ふらり、と視界が傾き、そのまま地面に打ち付けられました。
わたくしを貫いた槍が、より深く刺さってしまいました。
わたくしを中心に、真っ赤な薔薇が咲き乱れます。
お師匠ちゃんさまの、手の温もりが、肩に触れました。
体を揺すらているというのに、わたくしの視界は、どこか真っ黒でした。
耳の奥から、お師匠ちゃんさまの、泣き叫ぶ声が聞こえました。
____わたくしの、名を呼ぶ声が。
こんな状況でも、確かな興奮を覚えました。
わたくしは、あなたの一生の後悔として、花咲きます。
ああ、貴方の一生の後悔になれて、しぁわせです。
わたくしのほほに、雪よりつめたい、あめがふりました。