拝啓呪われ王子様 その運命、あなたでちょうど百人目です。
早朝。ひやりと清浄な空気が、その場には満ちていた。
真っ白な石造りの荘厳な神殿、その祭壇の前に膝を突き一身に祈っているのは、こちらも白一色の装束を身にまとった一人の少女。
プラチナブロンドに空色の瞳、透き通るように白い肌、華奢で小柄な体格。
眩いばかりの、けれどどこかはかなさも感じさせる美貌を持つ、聖女セイラであった。
「神よ、本当に私があなた様の寵愛を授けられた存在であるならば、どうか、どうか、私の願いを聞き届けてくださいませ。これで、九九にございます。もう、二度とこんな目には会いたくないのです……! 一〇〇は、一〇〇は回避させてくださいませ……!!」
聖女は一心不乱に、なんだか必死な様子で祈り続ける。
それに答える声は、なかった。
◇◆◇
僕は、世間からは呪われ王子と呼ばれているらしい。
周囲の皆は僕には聞かせないように気遣ってくれているようなのだが、自然とわかってしまった程度には、広く。
我が国の王家は、竜殺しの英雄の一族である。
そして偉大な先祖がその偉業を果たしてしまったが故に竜に呪われていて、数代毎に、僕のように呪われた王子が生まれてしまうのだ。
竜の無念と苦しみを知れとばかりに、剣を突きさされる感触が眼球に、尾を断ち切られる感覚がありもしない尾の根元に。爪を剥がされ牙を砕かれ脳が揺れる程に頭部を殴られ喉を切り裂かれる死の苦しみが、この身を襲う。
時間も場所も、関係なしに。
それほど恨まれるなど、なんてことをしてくれたのだ、先祖よ、と、恨み事の一つも言いたいところなのだが。
とはいえ、ご先祖様がそれを成し遂げてくださらなければ、僕ら一族どころかこの国もなかったのだろうから、仕方ない、と、思わなければいけない。
竜は、災害のようなもの。
その存在それすなわち悪というわけではないが、ひたすらに巨大で強大な力を持つ存在であるからして、ひとたび邪悪に堕ちてしまえば、甚大な被害をもたらしてしまう。
そんな竜のうちの、とある一頭が、その昔この地にいたのだそうだ。
ザクザクと霜を踏みしめる感触を楽しむ幼子のように、村に並ぶ家屋とそこに住む人々を踏みつぶし。
音楽とは音を楽しむと書くが、心底楽しみながら楽器を奏でる音楽家のように街の人々を引き裂き悲鳴を奏でさせ。
壁をなぎ払う事を、柱を突き倒す事を、鉄を噛み砕く事を、山を押し崩す事を、水流を捻じ曲げる事を……。
愉しみとしていたそれはそれは無邪気で残酷な竜が。
倒すしか、なかったのだろう。
けれど、竜からすればせいぜいが面白い音を出す虫けら程度にしか思っていなかっただろう存在が、そんな事をしてしまったものだから。
残酷な竜は、一族を呪わずにいられないほどの憤怒と絶望と怨嗟を抱いたのだろう。
まったく、なぜ偉大なあなた様は、たった一人で竜の討伐をやり遂げてしまわれたのか。
もっと、大人数でちょっとずつ削るとかにして欲しかった。
そうすれば、恨みの矛先も多少は分散されたのだろうに。
そんな益体のない事を考えたって、呪いが弱まることはない。
この呪いをどうにかしてくれようと文字通り国を挙げて皆があらゆる手段を試してくれているのだが、どうにもならなくて。
ふいに襲い来る苦痛に泣き叫び、のたうち回る日々を、一七年。
僕が、いつまでも慣れることなんてないもののロクな反応を返す気力すらすっかりなくなり、小さく縮こまり呻く事しかできなくなったある冬の日のこと。
「喜びなさい我が息子! 聖女様が、あなたを助けてくださるわ!」
母がそんな事を言いながら、僕に与えられた離れへとやって来たのだった。
「聖女……、ですか。呪いの対処の専門家のトップでは、ありますね。けれど、確か僕が生まれてすぐにも聖女の助力を願い、けれどこの呪いはどうすることもできなかったそうじゃないですか」
「それは、先代の聖女様ね。当代の聖女セイラ様は、違うのよ。別格なの。正に神に愛された聖女の中の聖女と評判で、この国に呼ぶのにだって四年もかかったのよ!」
「その方が大層な人気があるというのは、僕も知っていますが……。先代様はすっかり老女だった方で、今代はとても美しい少女らしいじゃないですか。見た目からの人気でしょう。まったく、そんなのを呼ぶのにいくらかけたのやら……」
「確かに、神秘的なまでに美しい方だったわぁ……。けれど、実際にとにかく強い力を持っている方で、数々の伝説めいた逸話のある方よ。それに、お金にがめつい方でもないわ。王妃にしてあなたの母である私が自らあちらに赴いて頭を下げたら、快く招きに応じてくださったの」
「母上、他国の王族に人前で頭を下げられるのは、人によっては脅迫に感じると思いますよ」
「んもう、あなたはそんなひねくれた事ばかり言って! 私には良いけれど、聖女様にまでそんな失礼な態度をとらないでちょうだいね」
「ううっ! ……わかり、ました。わかりましたから……!!」
その時僕は尾を斬られる痛みに苛まれ、適当に了承して雑に母を追い返してしまったのだけれども。
もっと真剣に母の話を聞いておけばよかったと、すぐに後悔することになるのだった。
◇◆◇
なんて、美しい人なのだろう。
ああ、確かに彼女は神に愛されている。
神の介入でもなければ、こうも完璧な美貌の人間が存在しているわけがない。
それに加え所作も、声も、彼女を構成する全てどころか彼女の周囲の空気でさえも、美の極致とはこうであると神が示しているかのようだ。
聖女セイラを見た瞬間に感じたのは、そんな事。
挨拶を交わす間も、こんなにも美しい人に、自分は果たして王族らしく返せているだろうかと内心焦った。
そのくらい、彼女はひたすらに美しかった。
けれど、いつまでも彼女に見惚れていたくとも、呪いというのは空気を読んでくれたりしない。
ズキリ右の眼球に痛みが走り、その瞬間に、聖女セイラの雰囲気が変わる。
キッと強い視線を僕の後ろに送った彼女は、急にその拳をにぎりしめ……え?
「殿下、失礼いたします。……聖女ぱーんち!」
バシュウッ!
振り抜かれた拳が、確かにナニカを殴りつけた音が、すぐ耳元で聞こえた。
「うっわ。コレで消し飛ばないの……? ずいぶんとまあ、元々の力が強い竜だったのね。それだけの力を生きている間も死んでからすらも人様に迷惑をかけることにだけに傾けるとは、なんて救いようのない。ええと、そしたら……」
聖女セイラが、彼女の付き人の女性の方を振り返る。それだけで何かを察したらしい女性は、手にしていた錫杖を聖女に対し捧げ持つ。
「ありがとう」
笑顔でそれを受け取った聖女セイラは、シャンと装飾を鳴らしながら、カツン、と錫杖で床を叩いた。
ザン、と部屋中の空気が、一気に変わった。これは、聖女の力が広がり、場が清められたの、か……?
気づけばすっかりと眼の痛みが消えていた僕は、タタッと走り出した聖女を、呆然と眺める。
「錫杖ジャンピングキッーク! からのー、聖女踏みつけ! 消えろ消えろ消えろ、存在してはいけない邪悪め! とっくの昔に討伐された竜の分際でいつまでも生者に迷惑をかけるな観念して神の御許へと行け! 聖女踏みつけ! 聖女踏みつけ! 聖女っ、踏みつけっ!」
「もっとかっこいい技名をつけましょうよって、いつも言っているんですけどね。あと、あのジャンピングキック、錫杖関係ないですよね……? 跳び上がる時に支えにするでもなく、手に持っているだけですし……」
ポツリ、聖女の付き人の女性が呟いた言葉に、ブフッと笑わずにいられなかった。
いや、いつもならしつこいくらいに続く痛みが一瞬で霧散しているし、ダンダンと床を鳴らしながら聖女がナニカに対し踏みつけを繰り返すたびに、生まれてからずっと感じていた嫌な気配が薄くなっていっているのだ。
間違いなく聖女の奇跡の行使をされているのだろうが、絵面と聖女セイラの発言がどうにも面白すぎる。
畏れ多いほどに美しい人なのに、そのコミカルな言動は、親しみを感じずにはいられないほどにかわいらしい。
ずっと僕を苦しめていた邪悪がこんなことで消えてしまうことも、痛快で仕方がない。
だから、僕は……。
◇◆◇
聖女セイラがこの国の王城へとやって来て、一週間がたった。
初日、僕と挨拶を交わした次の瞬間には僕の竜の呪いを打ち払った彼女は、この一週間精力的に聖女の力で我が国の民を救って周りながら、僕の呪いの様子をみてくれた。
初日の【聖女ぱーんち】の後は、すっかり僕の身にはなにもない。
苦痛に苛まれることも、それに苦しむ様を人に哀れそうに見られることも、嫌な気配を感じる事すらも、すっかり、何も。
聖女セイラに深く感謝するばかりの日々だ。
そして、正に聖女らしい慈愛と、僕とちょうど同じ年の少女らしい元気さと無邪気さを持つ彼女をこの一週間見ていて、すっかり僕は、彼女に惚れこんでしまっていた。
だから、彼女が旅立つその日、もう間もなく出発という時間に、時間をもらった。
城の薔薇園、噴水のほとりのベンチに、ここまでエスコートしてきた聖女セイラに座ってもらう。
彼女はなんだか不安そうな表情をしているのだが、緊張でそれを気遣う余裕もない僕は、ザッと聖女セイラの前に片膝を突く。
「あー……これやっぱり……。……神様は、いっつも私の願いを聞いちゃくれない……」
「……?」
不安が的中したような表情で、ぼそぼそと呟くように聖女セイラが嘆いているが、意味が分からず、僕は首を傾げた。
それを見た彼女は、こほん、と一つ咳ばらいをする。
「失礼、殿下。ええと、何かお話があるのでしょう。私のことは気にせず、どうぞ。……私の予想が外れるかもしれませんし。外れてくれると良いな。頼むよぉ神様ぁ……」
『どうぞ』の後はあまりにぼそぼそと言っていたので噴水の音に書き消え聞こえなかったが、ともかく、許可は出たのだろう。
僕は数度深呼吸をしてから懐から指輪の入った箱を取り出し、スッと彼女に向かって差し出した。
「聖女セイラ、僕の呪いを解いてくれて、ありがとう。君と出会ってからの日々は本当に幸福で、輝いているかのようだった。そして……その、たった一週間で何を、と言われるかもしれないけれど……」
「あ、はい、どういたしまして。そんなに気になさらないでけっこうですよ。あくまでも仕事としてやったことですので。ええ、仕事として。ええと、それで?」
照れから言葉を途切れさせてしまった僕を、淡々と促してくれた彼女に、勇気をもらう。
意を決して手の中の箱を開け、その中身を彼女に見せながら、思い切って告げる。
「この一週間、聖女として誇り高くどこまでも前向きに行動する君を見ていて、僕はすっかり、君に惚れこんでしまった。美しいだけでなく愛らしい君に、すっかり魅了されてしまった。僕は君を愛しているんだ。……どうか、僕と結婚して欲しい」
「お断りします。無理です嫌です。絶対! 結婚とか! ない! ですっ!!」
……え。
あまりにも素早く、そしてびっくりするほど力強く、断られ、た……?
「え、えっと、聖女セイラ、それは、一考すらもしてもらえない、ということだろうか。そりゃ、異なる国に所属する僕たちの結婚は困難な道になるだろうが、僕は……」
「いやそういう問題じゃないです。ほら、私殿下の呪い解いたじゃないですか。それに対する感謝? とか? あるいはこれだけ強い浄化の力を持つ人間を囲い込んでおきたい下心? とかを、恋だの愛だのと言い張る人が心底嫌いなんですよ、私」
「そ、そんな、僕は……」
「あー、これ言うと自分は違うって人いっぱいいるんですけど、私からしたら同じです。だってもう、殿下で百人目なんです! 呪いを解いてプロポーズされるのって、私もうこれで百回目なんですよ! もう、うんっざりです!!」
僕の言葉を遮り、涙まで目に浮かべながら、聖女セイラは叫んだ。
「……ひゃくにん、め」
ぽつりと呟けば、聖女セイラは開いていた指輪の箱の蓋を指先でちょいっとしてぱたんと閉めつつ、しっかりと頷く。
「です。私一三歳から四年聖女やっててこれなんで、年間平均二五回ですよ二五回。しかも最初の二年くらいはさすがに私が幼かったからか若干ペース遅かったので、ここ二年はもはや日常って頻度ですね。あまりにあるあるすぎて、もはやときめけません」
「それは……、そんなのをいちいち相手してたら、きりがないな」
思わず、そんな感想が口から漏れ出ていた。
聖女セイラは、それにうんうんと頷いている。
「ですです。殿下、冷静に考えてくださいね。私がこの力を持っていなかったら惚れましたか? ……今一瞬考えましたね? 一瞬も考えなかったわけじゃないなら、殿下の恋心はやっぱり、私のこの力ありきなんですよ。それって不健全じゃないです?」
「……不健全」
「です。たぶんねぇ、殿下は不安なんですよ。またあの苦しい呪いに侵されたらって。その時私が自分の一番近くにいてくれたら良いのになぁって感情ですよ、それ。じゃなきゃ、交際すっ飛ばして結婚なんか申し込まないでしょう? 私の身柄を手元に確保したいって意志が透けてますよ」
「……正直、認めたくはないが……、そ……う、かもしれない」
「認めてください。それ、依存っていうんです。殿下は、私の力に、依存しています。依存から結婚を申し込むなんて、どう考えても健全じゃありません。私はどうしたって一人しかいないので、全ての人を救うのは難しいですし、間に合わないことだってあります。でもね、結婚なんかで縛らなくたって、私、友だちの事は優先して救いに来ますよ」
「……とも、だち」
「ええ。振り文句の定番過ぎて笑っちゃうような言い回しですが、私たち、お友だちでいましょう? それで、十分なんですよ。何かあったら、呼んでください。すぐに、絶対に、私があなたを助けます」
そう断言してくれた聖女セイラのまなざしは、どこまでも真摯で。その笑顔が、あまりにも頼もしく、感動的なまでに美しくて。
ぽろぽろと、僕の頬を涙が伝っていく。
すると聖女セイラはふうと仕方なさそうに一つため息を吐いて、僕から視線を外してくれた。
こっそりと涙を拭う僕の耳に、殊更明るい調子を作ってくれているのだろう彼女の声が届く。
「……ま、あんのクソ邪竜は完膚なきまでに私が、この聖女セイラがぶっつぶしてやったので、心配しなくても私の出番なんてもう二度とないはずですけどね! ……ついでなので友として言っておきますが、殿下は悪い女に騙されないように気を付けた方が良いです。あなた、チョロすぎますよ」
「ちょろ……すぎる……」
「ええ。チョロすぎます。たった一週間のそれも仕事としての交流しかしてない相手に、なにプロポーズなんてしてるんです? 私が聖女の仕事に誇りを持っていなかったら、あなたを依存させたまま利用しつくしましたよ。一国を背負っているという自覚を持ってください」
「……はい」
滔々と語る聖女セイラと、呆然としたままの僕。
最終的には、いたたまれなさから小さくなった僕が、頭を下げる形で終わった。
「ご理解いただけでなによりです。手段は完全に間違えてましたが、そうしたくなる程に感謝してもらえたというのは、素直に嬉しいですよ。……どうか殿下の前途に、幸多からん事を」
慈愛に満ちた声でそんな事をささやいてくれた聖女セイラは、ササッと祈りの仕草をすると席を立ち、背筋をピンと伸ばして、こちらを振り向きもせずに去って行く。
この国を発ち、僕ではない誰かを、救いに行くのだろう。
もしかしたら、その先でまた僕みたいな誰かにプロポーズをされてしまうのかもしれないが、神に祈る程に嫌であるらしいそんな事態にも、彼女は止まらない。
誰にだってためらわずに手を差し伸べ、ひたすらに救える限り救い続けるのだろう。この一週間、そうしていたように。
ああ、やっぱり好きだな、と、その背を見て、僕は確かに思うのだけれども。
「……最初から呪われていない人間でなければ、それどころか家族や友人や知り合い程度の誰かすらも彼女の力に頼る必要がない人間でもなければ、『これは依存じゃない』と言うことができないじゃないか」
僕の漏らした嘆きに、答える声は、なかった。
もうすっかりは痛みはなくなったというのに、僕はこれまでの人生で一番強く、自身にかけられていた呪いを呪った。
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はげみになります!