【2】
定年後は「家でひとりボーッとしてたらボケるじゃない!」と精力的に動き回ってる母さん。
ウォーキングだのコーラスだの、趣味の会にあちこち所属して楽しんでる。
働いてる間はそんな暇なかったもんね。時間よりも気持ちの余裕が。
「母さん、もっと自分のこと考えなよ。もう私も高校生だよ? ちっちゃい子どもじゃないし世話焼いてもらう必要もないんだから、ちょっとは遊べばいいじゃない」
「何言ってんの! 少なくとも大学卒業するまでは和美の学費が最優先だし、もし私が倒れても大丈夫なように少しでも蓄えとかないと!」
やっと二人だけで暮らせるようになったときの私の言葉に、真顔で首を左右に振った彼女。
家事だって「私がやる」と言っても、「あなたは将来のために勉強しなさい」って譲らないんだもの。
母さんの気持ちは私にもよくわかるから、もちろん手伝いはしたけど勉強を頑張った。
「とにかく、自分の楽しみは和美が独立してからでいいわ。その分一人になったら好きなようにするから」
そう明るく笑ってた母さん。
でも結局、私が大学出て就職しても仕事中心の生活だった。根っから働くのが好きなんだよね。
私は母さんのおかげで、大学で取った資格で専門職としてずっと一人で暮らせてる。
最初から結婚なんてする気もなかった。
仕事は激務の範囲だけど、その分収入は平均より結構上。自分で選んだ職業だし、大変じゃないって言えば嘘だけど特に不満もないわ。
むしろ周りにも独身者は少なくないし、そういう意味での生き辛さは一切ないから楽なくらい。
だから今、母さんがいきいきしてるのが本当に嬉しい。
◇ ◇ ◇
『和美。あの男、なんか寝付いてるらしいわ』
週末の恒例になってる通話で母さんが零す。
『多分もう長くないんじゃない? 病院行くのもやめたらしいね。どうせ現実見るのが怖いだけのくせに。ああいう性格だから気にしてくれる人もいないし、私に電話でグチグチ言って来たの。まあ「来い」ってことね』
「いい加減着拒しなよ。あんなやつの相手する義理ないんだからさ」
『したいんだけどねー。逆上してあちこち訊き回られたら周囲の方に迷惑だと思っちゃって。ほら、あいつ自分のことしか考えてないでしょ? ああ、でももう大丈夫なのかしら。……早く「お迎え」来て欲しいわぁ』
何度目かも覚えてない私の苦言に、母さんの嫌そうな声。スマホの向こうの表情までありありと浮かぶわ。
「わかった。だったら私が一度見に行ってくる」
感情込めず平坦に答えた私に、母さんは「そ」とだけ返して来た。
この人には言葉の裏もちゃんと伝わってるはず。
私と母さんの間には、離れていても目には見えない絆がある。たった一人の大事な親で家族だからね。
阿吽の呼吸で通じるものが確かにあるのよ。
「一度、見に行く」
もうそのままの意味。
弱ってるところを一応『見るために行く』だけ。惨めな姿を眺めて嘲笑うために。
私は「面倒を見る」なんて言ってないし、母さんもそんなつもりはないはずよ。
ただ、「娘が『続けて』見てくれると思った」って弁解には使える。余計なおせっかいしたがる奴がいたとしても。
いや、実際にいるんだ、そういう輩ってどこにでも。
私があの家を訪ねることは、隠す気もないからすぐわかるだろうしね。
母さんにはこれ以上しなくていい苦労させたくないのよ。私をいくらでも利用して平和に過ごして欲しい。
そもそもとっくに、──私が中学卒業したときに離婚してる母さんは、あの男とはもうなんの関係もなかった。『娘』の私はともかく。
反面、私は道義的には責められる立場かもしれない。
でも、「父とはもう二十年以上会ってませんし、親だから『一度見に行く』って言っただけです。てっきり病院とか福祉の方でお世話になってるものだと思ってましたぁ」で受け流せば済む。
そういうの気にするような人間じゃないのよ、私は。残念ながら。
ああもちろん、対象が母さんなら別だけど。
全三話です。