【1】
「あれ、ジェイは? なんでいないの!?」
ある日小学校から帰ると、いつも尻尾を目一杯振って出迎えてくれた飼い犬が見当たらなかった。
小さな頃からずっと傍にいた、私と一緒に育った中型のミックス犬。
知り合いの家で飼ってた柴犬が生んだ仔を貰って来たんだ。外飼いだったし『お相手』、つまりお父さん犬は不明らしい。
だから柴のハーフ、になるのかな。お母さんより一回り大きくなっちゃったけど、色と顔は柴犬っぽかった。
一人っ子の私の、兄で弟で友達だったの。とても大切な『家族』の一員。
そのジェイがいきなりいなくなって、私はパニックになってあたりを探し回った。
近所の人も一緒に心配してくれてたわ。だけど……。
地方都市郊外の住宅地に並んだ建売の一つ。
庭に繋いで飼ってた犬が、首輪も残さず消えるなんて普通じゃありえない。
そう、『普通』ならね。
「騒ぐな、和美! どうでもいいだろ、あんなうるさい犬。勝手に逃げたんだよ、バカだから」
父親に怒鳴られて、私はわかってしまった。
──ああ、こいつだ。こいつがジェイを始末したんだ。
母さんと私が可愛がってた犬を、こいつが邪魔に感じてたのは知ってた。
でも世話は全部私たちがやるから何もさせたことないし、ジェイは無駄吠えもしないから「うるさい」なんて勝手な言い草でしかない。
本当は室内飼いしたかったけど、父親が強行に反対して仕方なく外で飼ってた。「犬なんて汚い。家に上げるなんて冗談じゃない」ってさ。
犬がいなくなったって、誰もお前を必要としないし愛さないのに。その程度のこともわからないの?
……わかる頭があれば、最初からそんなことしないか。
仕事だけはできたらしいけど、プライベートでは『知人』の一人もいなかった中身のないつまらない男。
どんなろくでもない奴にだって、友達まで行かなくても子どものころから繋がってる知り合いなり学生時代の同級生くらいいるでしょ。
それが「ただの一人もいない」でもうお察しよ。
母さんは高校卒業してからずっと県の役所勤めで、十分一人で生きていく経済力があったわ。
結婚後も私が生まれてからも仕事はそのまま続けてたからね。
あいつは辞めろってしつこく責め立てたんだって。でも、母さんはそれだけは絶対に聞かなかった。
だったらなんでこんなのと結婚したんだろう、って不思議で仕方なかったのよ。
「当時はまだ『結婚しないと』って圧力が影に日にあったから負けちゃったの。つい気弱になって失敗したと思ってるわよ。でも、結婚より離婚の方がずっと大変だって本当ね。あなたはよく考えて」
母さんが離婚したあとうんざり顔で言ってたな。
私には知らせないようにしてたけど、離婚自体何年もずっと話し合ってたそう。
あいつが承知しなくて長引いたんだってさ。
結局は「養育費も家の権利もいらない」ってことでようやく話つけたらしい。自宅の名義は半分が母さんで、当然お金もその分出してたのに。
だけど私も母さんも、くれるって言われても断るよ。あいつの臭いの沁みついたあんな家なんか。
自分が「離婚される」なんて体裁悪くて耐えられなかったんだろうね。
どうせ誰も気にしやしないってのに。
周りもみんな大人だから口にしないだけで、「こいつなら家族に見捨てられて当然」だとしか思われてないよ、お前。
母さんが離婚してくれて本当に良かった。
ジェイと離れなきゃならなかったのは、ただ辛かったし今も辛い。
だけど、あいつと離れられたのには喜びしかないね。
全三話です。