59 力の秘密
「故郷って……どういうことですか? ルファール殿下は私の何を知っておられるんです?」
ルファールに反抗したい気持ちと協力したい気持ちの両方を持ちながら、エステルは相手に不審な目を向けた。
今はナトナに心を操られて、焦る気持ちや恐怖心に無理矢理蓋をされ、変に落ち着いてしまっている。けれど凪いでいるのは心の表面だけで頭も混乱していた。まずはルファールの目的が知りたい。
「逆に君は自分のことを知らないのか? 本当の両親は死んだと聞いたが、その両親から何も聞いていないのか?」
「聞いていませんし、両親のことは覚えていません。私が赤ん坊の頃に亡くなったので」
「そうか。私も君の親のことなど全く知らないが――」
ルファールはエステルに同情する様子はなく淡々と言う。
「我が国アウェーサムには、サーフィアという名の一族がいた。彼らは高い地位こそ与えられていなかったが、私たち王族に長い間陰ながら仕えてきた者たちだ。だが、現在ではアウェーサムにサーフィアの一族はいない。今から八十年ほど前に、当時の若き当主が少ない親族を連れて亡命したからだ」
「何の話ですか?」
エステルは訳が分からなかったが、ルファールは前を見たまま続ける。
「亡命したのはアウェーサムでの待遇に不満があったからだろう。傲慢にも、自分たちはもっと評価されるべきだと勘違いしたのだ」
「その一族と私とどういう関係が……?」
困惑して尋ねると、ルファールはエステルの方に顔を向け、黒い瞳でじっと見つめてきて言った。
「サーフィア家の者は皆、奇妙な薄桃色の髪と金色の瞳をしていたらしい。君と同じだ」
そう言われるとエステルはハッと息をのみ、膝の上のナトナを両手で優しく掴んだまま固まった。
ルファールは、冷たいけれど執着を含んだような視線をエステルに向けたまま話をする。
「逃げた当主は、おそらく君の四代前の先祖になる。彼がどこに逃げてどう生きたのかは分からないが、彼の子供はドラクルスに行き着き、そこで竜人の伴侶を得た。エステルに八分の一竜人の血が入っているということはそういうことなのだろう。我々の捜索の手から上手く逃れて、君たちサーフィアの一族はドラクルスでひっそりと生き延びていた」
「でも、私……」
「戸惑う気持ちは分かるよ。でもエステルはサーフィアの一族で間違いない。珍しい髪と瞳の色だけで十分証拠になるが、この闇の精霊の存在も、君がサーフィアの者であることを裏付けているんだ」
「どういうことですか?」
特に愛着もなさそうな動作でナトナの頭に手を置いたルファールに、エステルは尋ねる。
「サーフィアの一族もまた代々強い魔力特性を持って生まれてくる。その特性とは、〝精霊を生み出す力〟だ」
「精霊を生み出す……? そんなことができるなんて聞いたことがありません」
エステルは戸惑いながら呟く。精霊とは自然に生まれるものだという固定観念があって、人が作り出せるなんて思いもつかなかった。
だけどもし自分にそんな力があったなら――と、エステルは一瞬のうちに過去の出来事を思い返した。
(ナトナは屋敷の地下牢にたまたまいた訳じゃなく、私が作り出したということになるわ……。魔法使いの男に連れ去られた時に助けてくれた仔イタチも、ネズミの姿で池に落ちた時にそこにいた小さなナマズも、みんな……)
確かにエステルが精霊を作り出していたのなら、幼い精霊とばかり遭遇するのも納得できる。彼らは本当に生まれたてだったのだ。
そしてみんな、エステルが恐怖や危険を感じて助けてと願った時に現れている。
「助けを求めて、私が作り出した……」
全てが腑に落ちて、エステルは呆然としながら宙を見つめた。――自分の先祖は元々アウェーサムにいた、精霊を作り出すことができる一族だった。その事実がゆっくりと体に染み渡っていく。
仔イタチや小さなナマズが消えてしまったのは、エステルを助けて役目を終えたからだろうか? 逆にナトナが残ったのは、当時まだエステルは義家族にいじめられ続けていたのと、レクスという頼れる相手がいなかったからかもしれない。その時のエステルはナトナだけが味方だったから、消えずに側にいてくれたのだ。
「ナトナ」
エステルは膝の上のナトナを見て呟く。この小さな狼は自分自身が生み出した精霊で、エステルを助けるために生まれてくれたのだと思ったら、今まで以上に愛情が湧いた。
自分の先祖や本当の能力を知って感激したのもつかの間、エステルはハッと気づいて隣りにいるルファールへ顔を向ける。
「そのサーフィアの一族の力が『精霊を作り出す』ことで、あなた方王族の力が『精霊を支配する』ことなら、ルファール殿下が今従えている精霊たちは……」
エステルの言葉を受けて、ルファールも視線を返して冷淡に言う。
「そう、サーフィアの一族に生み出させたものだ。精霊なんて普通はまず出会うことはないが、我々はサーフィアを従えていたから簡単に精霊が手に入った。精霊をサーフィアの一族に生み出させるには多少のコツが必要だったらしいが、まぁ彼らに恐怖や痛みを与えたり、その程度だ」
何でもないことのようにルファールは言ったが、エステルはゾッとした。自分が精霊を生み出した過去の三回とも、思い出したくないような経験をしたのだ。特に三回目は死にかけた。それをルファールの一族は、長い間サーフィアの一族に行ってきたということなのか。
エステルは恐れなのか怒りなのかよく分からない感情で顔を歪ませながら尋ねる。
「そうやって得た精霊は、せめて大切に扱っているのですよね? 最初は支配する力を使っていても、そのうち情が移って友達のようになって……」
訊きながらも答えは分かっていた。そして彼は想像通りの返答をする。
「友達? 同じ人間でも我々王族の友になどなれる存在はいないというのに、精霊なんかが対等な関係になり得ると思うか? 精霊とは使役するモノだ。国内の不穏分子や他国への脅しの道具であり、戦争で使える強力な兵器だ」
きっとルファールの一族全員がこういう考え方をしていて、だからエステルの先祖は逃げ出したのだろう。苦痛や恐怖を受けて精霊を生み出すことを強要され、しかも生み出した精霊たちは支配されて道具のように扱われる。したくもない殺戮をさせられて悲痛な表情をする精霊を、サーフィアの人たちはこれ以上増やしたくなかったのだ。
四代前の逃げ出した当主の気持ちを理解して、エステルは泣きそうになった。サーフィアの一族も精霊たちも、まるで奴隷のように扱われていたのだ。
震えるエステルとは反対に、ルファールは機嫌良さそうに話を続ける。
「今回こうやってサーフィアの末裔が見つかって良かったよ。我々の魔力特性も精霊がいなければ意味がないからね。君たちがいてくれないと力を発揮する機会もなくなってしまうんだ。だから何としても――例え君がドラクルスの王子の番であっても、絶対に我が国に連れて帰る。一生私の手元に置いておく」
ルファールは静かだが強い口調で言った。端正な顔に収まっているけれど淀んでいるように感じる黒い瞳にじっと見つめられ、鳥肌が立つ。簡単に逃げられそうにないと思った。
(でもアウェーサムに入ってしまったら終わり。きっともう二度とドラクルスには帰れなくなるし、私の自由もなくなる)
叫び出したいくらい怖くて、ルファールの隣で馬車に乗っているなんて耐えられないのに、ナトナの力の影響でただ大人しく座っていることしかできない。ルファールのためにこのまま付いて行かなくてはと思ってしまう。
「私のことはどうやって知ったのですか? レクス殿下の婚約者になったから、髪や瞳の色とか外見的特徴の情報がアウェーサムにも伝わったのでしょうか?」
エステルの質問に、ルファールは足を組んで前を見たまま答える。
「いや、君の情報はもっと前に裏の筋から回ってきた。そもそもアウェーサムの国民でさえ、一般人はサーフィアの一族のことはよく知らないんだ。私たち王族が精霊を支配できることもね。だからみんな――レクスもそうだろうけど、アウェーサムの王族は精霊魔法を使えて、代々精霊を引き継いで契約しているだけだと思っている。もっと強制的な力で精霊を従えているとは知らないし、我々に幼い精霊を提供してくれる一族がいることも知らない。長い歴史の中で、サーフィアのことは隠し通してきたからね」
アウェーサムの王族の本当の力、そしてサーフィア一族の魔力特性を知っているのは、限られた者だけのようだ。
ルファールは続ける。
「サーフィア一族の力が世間に知られれば我々から彼らを奪おうとする者も現れるし、何より私たち王族の威光が半減してしまう。サーフィアあっての王族の力だったのだと民に思われたら王族の地位は揺るぎ、逆にサーフィア一族が権力を持ってしまうかもしれない」
ルファールの一族は徹底的にサーフィアの有能さを隠し、彼らに権力を持たせないようにしつつ、自分たちのためだけに利用してきた。これはとても恐ろしいことだと、エステルは自分の先祖たちが受けてきた仕打ちを想像して心を痛めた。
「それでそう、サーフィア一族のことを知る者は少ないが、当時の当主が逃げ出した時から、私たちは裏で手を回して何とか彼らを探し出そうとしていた。表立って大々的には探せないからね。それでも長い間消息は分からなかったが、去年の秋頃だったか、ついに有力な情報を掴んだ」
「去年の秋?」
エステルは思わず聞き返す。今から四ヶ月ほど前だと、エステルはフェルトゥー家の養子になったかならないかくらいの時期で、当然レクスの婚約者にもなっていない。そんな前からどうやって存在を把握されていたのだろうか。
移動の間の暇つぶしのつもりか、ルファールは淡々と、しかし割と丁寧に説明してくれた。
「その時期に、とある手紙が私の忠臣の元に届いた。その手紙を届けた男は情報屋のようなもので手紙の差出人ではない。差出人は別にいて、ドラクルスに住む竜人らしかった。私はその竜人のことは知らないが、十中八九悪人だろう。何故ならそいつは裏の世界で回っている情報――『アウェーサムの王族は、金の瞳と薄桃色の髪を持つサーフィアの一族を捜している』ということを知っていたからだ。手紙には、サーフィアの一族かもしれない女を見つけたと書いてあった」
エステルは話を聞きながら自分の記憶を探ったが、ルファールがさらにヒントをくれる。
「だがその竜人は、その手紙を送ってきたきり音信不通になったらしい。情報屋が調べたところ、どうやら若い女を攫って捕まったようだ。心当たりがないか?」
ルファールがスッとこちらに視線を向けてくる。エステルは戸惑った顔をしながらも、心当たりはあった。
(学校帰りに私を攫った魔法使いの男……。時期も一致するし、あの人がきっと私の情報を売ったんだわ)
短い黒髪の、冷めた目をした男の顔を思い出す。かつての義姉ロメナに雇われ、エステルとナトナの精霊契約を解除しようとし、その後個人的にエステルに興味を持って誘拐した男だ。
彼はエステルが精霊に好かれる魔力特性を持っていると思って、異国の権力者に売ろうとしていた。だが男はその時すでにエステルがサーフィア一族の末裔である可能性に気づいていたのかもしれない。
『その髪と目の色が気になってな。俺も噂程度にしか知らないが、万が一ということもあるし』
そんなようなことを言っていた気がするし、エステルが仔イタチを作り出した後はサーフィアの一族だと確信していた様子だった。
(あの場で手紙を書いて出している様子はなかったから、私を攫う前にすでに情報屋に手紙を送っていたのかも)
きっとそうに違いない。
一方、ルファールはまた前に視線を戻して言う。
「金が欲しくて嘘の情報を持ってくる奴ももちろんいる。だから今回の情報もあまり信じていなかった。それでまずは色々調査したんだが、まさか大当たりだとは思わなかったよ」
王都の石畳を走る馬車はカタカタと揺れている。今日は冬にしては暖かく、街行く人々もいくらか軽装だ。だが不安からかエステルの体は冷えていく一方で、ナトナに触れている指先も冷たくなっていく。
「願わくばレクスと婚約する前に、いや、フェルトゥー家の養子に入る前にエステルを国に連れ戻したかったが仕方がない。特に君が魔法使いの男に誘拐されてからフェルトゥー家の養子に入るまではかなり迅速だったから。それもレクスが手を回したんだろうけど、でも彼は君の真の価値に気づいて囲っていたわけではないんだね。もしそうなら学校なんてとっくに辞めさせて監禁しているはずだし、私と会わせたりもしなかった」
人間であるルファールは、竜人が番に持つ愛情を理解できないだろうが、もしかしたら普通の愛や恋も分からないのかもしれない。と、監禁だとかそういう言葉を当たり前のように出してくる黒髪の王子を見てエステルは思った。
『我々若い世代も仲良くやっていこうという意思表示がしたいのだろう。これを機会に次期国王同士友好を深めたいんだ』
レクスはルファールの訪問についてそう言っていた。だが、残念ながらそれは違った。ルファールはただエステルを奪いに来ただけだ。
「別にドラクルスと戦争がしたいわけじゃない。できれば仲良くありたいと思っているよ。だが、お前の一族だけは決して他国に取られるわけにはいかないんだ。精霊を生み出せるというのはとんでもない力だからね」
そう言うルファールに、エステルは反論する。
「そんなすごい力だとは思えません。私が生み出せるのは力の弱い赤ちゃん精霊だけです」
「今その赤ちゃん精霊をたくさん作り出しておけば百年後にどうなるか、そういう話だよ」
エステルはぐっと奥歯を噛んで小窓の外を見つめた。何をどう言っても逃がしてくれそうにない、と絶望しながら。




