56 隣国の王子
深窓のお嬢様軍団とやり合ったエステルに、ルイザが近づいてきて言う。
「やっぱりあなたって意外と強いわよね。一言言ってやろうと思ったけど、私の出る幕がなかったわ」
褒められているのか皮肉を言われているのか、ルイザの表情からは読み取れなかった。けれどおそらく褒められているのだろうと、エステルはにっこり笑う。
「私にはルイザという味方がいますから。強気で行けました」
実際、美人で気の強い公爵令嬢であるルイザに歯向かう同年代の少女はここにはいないと思った。
ルイザはフンと鼻を鳴らしながらも、エステルに頼られて悪い気はしていなさそうだ。
と、そこへフェルトゥー家の長男のエリオットがやって来て、いつも通り顔をしかめながら厳しく言う。
「エステル、あまり一人でうろうろするな。貴族なんて皆、計算高く狡猾な者ばかりだぞ」
エリオットは、レクスよりもルノーよりも過保護だ。狼の群れに迷い込んだ子羊を助けるがごとく、エステルの腕を掴んで回収していく。
「ごめんなさい、エリオットお兄様。ルノーお兄様たちと少しお喋りしようと思って」
「ルノーとなんていつでもお喋りできるだろう。今日はお前のお披露目パーティーなのだから、レクス殿下のお側にいた方がいい」
「はい、そうします」
過保護な上に真面目なエリオットは、そう言ってエステルをレクスのところに連れて行った。
するとレクスは、「ちょうど良かった」とエステルの肩を抱いて自分の方に引き寄せる。
そして目の前にいる人物にこう紹介した。
「ブラントン卿、彼女が私の婚約者のエステルです」
「は、はじめまして、ブラントン公爵」
エステルは慌ててスカートを持ち上げ、挨拶をする。どうやら今自分たちの前にいるのは、少し遅れてパーティーにやって来たブラントン公爵――つまりレクスやリシェが〝特に扱いに気をつけなきゃいけない要注意人物〟として名前を上げていた竜人だからだ。
王族も蔑ろにできない権力を持つ純血主義者。かと言って純血には無条件で優しいわけでもないらしく、偏屈で扱いにくいらしい。
「ふむ」
ブラントン公爵は厳しい目つきでエステルをねめつけてきた。年齢は八十歳くらいの白髪頭のお爺ちゃんで、中肉中背。眼鏡をかけて杖をついている。顔も手もシワだらけで背中も少し曲がっているのに、立ち姿はしゃんとしていて威圧感があった。
「まさか殿下の番が混血だとは思いもしませんでしたが……これも運命なのでしょう。お二人のご婚約を祝福いたします」
いきなり嫌味を言われることも覚悟していたので、思ったより柔軟な態度でエステルは驚いた。
しかしブラントン公爵は、次にはぐっと眉を吊り上げてレクスに詰め寄る。
「ただしレクス殿下、番が混血だからといって将来人間に甘い政策を取るなんてことはなきよう、お願いしますぞ」
「ええ、もちろんです。エステルを愛しているからといって、全ての混血や人間に気を許しているわけではありませんから」
「ああ、全く……。殿下は厳しく冷たい純血主義の王になられると思っておりましたのに。そういう王が受け入れられる時代ではなくなってきているのか……」
後半は独り言のようにぶつぶつ呟くと、「それでは私はこれで」と、会話もそこそこに去っていってしまったのだった。
「あれ? もう行ってしまわれましたね。私と話をするのは嫌だったのでしょうか」
「いや、公爵はそういうタイプの人じゃないよ。嫌いな者からは離れるんじゃなく、むしろどんどん嫌味を言いに行って圧を出す人だ。だから今回はちょっと様子が変だな」
エステルとレクスは、安心したような拍子抜けしたような気持ちになりながら、ブラントン公爵の後ろ姿を目で追った。
「もっと話したいことがあったのですが」
「え? ブラントン公爵と?」
エステルの呟きにびっくりしてレクスが返した。あの偏屈な爺さんと何を話したいことがあるのだと驚いているのだろう。
「殿下に貸していただいた本、『ジェリー・ブラントンの研究日誌』の著者はブラントン公爵家の生まれなのです。発刊された年や、本に書かれていた自分の一族についての記述を読むに、今のブラントン公爵の大叔母に当たる人物です。だから公爵と『ジェリー・ブラントンの研究日誌』についてのお話ができたらなと……」
「エステルも物好きだね。扱いにくい純血主義の権力者とそんな本についての話がしたいなんて。やめておいた方がいいと思うけど」
しかしそこでしゅんとしたエステルの顔を見て、レクスは番の願いを叶えるべく意見を変えた。
「そんなに残念そうにしなくても。話したいなら止めないよ。私も一緒に行こうか」
「いいえ、一人で大丈夫です」
レクスもブラントン公爵は苦手そうに見えたので、気を遣ってそう言った。同じく心配してついて来ようとしたエリオットにも大丈夫だと言ってから、エステルは公爵の後を追って歩き出す。
他の貴族からも敬遠されて遠慮がちに挨拶されるだけで親しく話しかけられはしないまま、従者と一緒に大広間の端までやって来たブラントン公爵。その背中にエステルは思い切って声をかけた。
「ブラントン公爵、すみません! 私、『ジェリー・ブラントンの研究日誌』のお話をしたくて!」
公爵は片眉を上げて訝しげに振り向くと、エステルをじっとり睨んだ。
「ジェリー・ブラントンの? あの本を読んだのですか? 一体どうして? ああ、この老いぼれとの話題を探してわざわざ読んでくださったのですね」
少し嫌味な言い方だったので、もしかしたら公爵はエステルが媚びを売るために本を読んだと思っているのかもしれない。
「いえ、あの、番とは何なのかを調べていて……、いくつか本を読んだのですが、その中に『ジェリー・ブラントンの研究日誌』がありまして」
「そうですか。読んでどう思われましたか?」
ブラントン公爵は教師のように感想を求めてきた。口だけで「読んだ」と言っているのではなく、しっかり中身を知っているか確かめているのかもしれない。
けれどエステルは感想を尋ねられて待ってましたとばかりに生き生きと喋り出した。
「感銘を受けました。女性一人で番に関する調査をするのは大変だったと思いますが、彼女は最後までやり遂げていますし、自分なりの答えを出しています。彼女の考察は私も読んでいて納得できるもので……ちゃんとした番研究の本らしくなった第五章から順を追って話をしてもいいでしょうか? そこに座ります?」
本の前半はジェリーの愚痴を含んだただの日記なので省いた。エステルが壁際においてある椅子を勧めると、ブラントン公爵はあまりに乗り気なエステルに一歩引きつつも頷いた。
二人で椅子に座るとエステルは話し出し、公爵は基本的に聞き役だったが、時折入れる相槌の言葉から彼もまたジェリーの本を読み込んでいることがうかがえた。
「そうとも。研究しても金が入るわけじゃない、名誉もない、それどころか女が外に出て何かを調査したり研究するなんてことは当時も当然煙たがられた。それでも彼女は調査を続けた。意志の強い女性だったのだ」
「そうですよね。第六章でジェリーが研究を馬鹿にする自分の婚約者とやり合うところなんて格好良いです!」
「世間でも我が一族の中でもジェリーは評価されていない。結局婚約も破綻になって、独身のまま生涯を終えた馬鹿な女だと言われている。けれど私は子供の頃に大叔母に会っていて、綺麗で面白い人で好きだった」
懐かしむように公爵は言う。
「面白い人……きっとそうでしょうね! 会った時はどんなお話をされたのですか?」
エステルとブラントン公爵が笑って話をしているのを、周囲の竜人たちは驚きに目を見開いて見ていた。
レクスやリシェたちも呆気にとられている中で、エステルはしばらく公爵と談笑を続けると、そろそろ帰るという公爵の言葉を聞いて立ち上がる。
「今日はあなたの顔を見に来ただけなのでね。だが、話ができて良かったよ」
「私もとっても楽しかったです。お時間をいただいてありがとうございました」
そうして去り際、ブラントン公爵は言う。
「私はあなたが混血だろうと気にしない。何故ならジェリー・ブラントンが出した結論を知っているからだ。――番は強い子を生むための本能ではなく、もっと大きな目的のための本能。つまり、ドラクルスを繁栄させるため、一部の竜人が持って生まれる本能なのだ」
公爵は本の一文を引用して言った。
「あなたが番に選ばれたということは、レクス殿下は混血を受け入れるような柔軟な思想を持たないといけないのかもしれない。そちらの政策を取った方がこの先のドラクルスにとっては良いことなのでしょう。何にせよ、あなたの存在はドラクルスに大なり小なり繁栄をもたらすはず。もっと自信を持ちなさい。賢く、話も面白いのだからね」
最後に少し笑って言うと、ブラントン公爵は従者を引き連れて帰っていったのだった。
「エステル、大丈夫だった?」
公爵がいなくなるとすぐにレクスがやって来て言ったが、エステルはほほ笑んで返す。
「ええ、とても良い方でした!」
「……あのブラントン公爵と仲良くなるなんて、驚いたよ」
レクスは唖然としつつ言いながら、楽しくお喋りするあまり少し乱れていたエステルの前髪を整えてくれる。
「すみません、私ったらはしゃいでしまって」
「まぁ、そういう素直なところをブラントン公爵は好意的に見てくれたんだろう。エステルは意外と社交上手なのかもね」
そうしてレクスは続ける。
「実は再来週、今度は異国の要人とエステルを会わせる機会があるから、そこでももしかしたら私より上手く外交するかもしれないね。ただそっちは若い男だから、今回のように二人で楽しげにお喋りはしないでほしいけど」
「若い男性? 異国の要人がですか?」
ブラントン公爵にすら若干嫉妬しているレクスに聞き返す。
「そうだよ。隣国アウェーサムの人間の王子がやって来るんだ。確か歳は私と変わらなかったはずだし、容姿も悪くなかったはずだけど……興味を持たないようにね?」
「も、もちろんですよ!」
レースの手袋越しにエステルの鱗にキスをしてきたレクスに、エステルは慌てて言う。
けれどレクスという運命の人がいるのだから他の男が気になるなんてことはないと、本当に自信は持っていたのだった。
エステルのお披露目パーティーが終わってから一週間後。雪こそ降っていないが身を刺すような冷たい空気が王都を包む、そんな気候の中を隣国から客人がやって来た。
アウェーサムはドラクルスの東にある人間の国で、国土や国力はドラクルスと変わらないと言われている大国だ。
「かつて何度か戦争が起こったが、お互い失うものが多いから、無駄な戦いは止めようと今は表面的には友好関係を保っている。だが完全に信用はできないし、お互い相手の国を監視しているような状況だよ」
レクスはエステルにそう教えてくれたし、エステルも自分で勉強してその辺りの情勢は把握している。
「今すぐ喧嘩になるようなことはないけれど油断ならない相手、ということですよね? そんな国の王子が今回はどんな用件でドラクルスにやって来るのですか?」
「私の婚約を祝いたいらしい。まぁ、我々若い世代は仲良くやっていこうという意思表示がしたいのだろう。これを機会に次期国王同士友好を深めたいんだ。それくらいしか目的が思いつかない」
「それは良いことですね」
緊迫した状況にはならなさそうだと安堵しながら、エステルは王城でアウェーサムの王子――ルファールを迎えた。
「お久しぶりです、レクス王子。そして初めまして、エステル様」
玄関ホールで待っていたレクスとエステルに、ルファールはにこやかに挨拶をする。
彼は耳の辺りまで伸びた黒髪に黒い瞳の、整った顔立ちをした若者だった。レクスのように目の覚めるような美形ではないけれど、華がある。
身長はレクスより少し低く、ルノーと同じくらい。白い衣装のレクスとは対象的に黒い貴族服を着ていて、タイプは違えど王子様らしい容姿だ。レクスは他を寄せ付けない雰囲気なのに対し、ルファールは気品がありながらも優しげだ。
「初めまして、ルファール殿下。お目にかかれて光栄です」
挨拶を返すと、ルファールは黒い瞳を細めてエステルを見つめてきた。
目はすぐにそらされたが、見つめられた一瞬、心がざわついた。そわそわするような変な気持ちだ。
(私ったら、格好良い王子様を前にして舞い上がってるのかしら? レクス殿下の方が素敵なのに)
試しにレクスをちらっと見てみると、その横顔を見ただけで心がきゅんとする。
(大丈夫、正常ね)
番であるレクス以外の人間に一目惚れなんてしたいと思わないので、エステルは胸を撫で下ろした。
一方、ルファールはエステルの足元にいたナトナを見て、再び嬉しそうに目を細める。
「これは精霊ですね? エステル様は精霊魔法が使えるという話、私の耳にも届いていますよ」
「ええ、この子は闇の精霊のナトナと言います」
「闇の精霊ですか。火や水、風の精霊なんかは多いですが、闇は珍しいですね。私も初めて見ました。確か人の心を操る能力があるとか」
「はい、ナトナは人に同情心を起こさせることができます。ですが誰彼構わず力を使うなんてことはないのでご安心ください」
変に隠してあらぬ疑いを持たれるのは嫌だったので、エステルは正直にナトナの能力を話した。
するとルファールは楽しげにこう返す。
「大丈夫ですよ。心を操られるんじゃないかなんて疑っていません。ご存知かもしれませんが実は私も精霊魔法が得意で、精霊のことには詳しいんです」
「ええ、伺っています」
アウェーサムの王族は昔から精霊魔法を使うということは、レクスから聞いて知っていた。
『つまりアウェーサムの王族は、フェルトゥー家のように精霊に好かれやすい一族ということなのですね』
『そうだろうと思う。精霊魔法に対する魔力特性がかなり強いらしく、フェルトゥー家と違って一人で多くの精霊と契約しているようだし、しかも同じ精霊を代々引き継ぐこともあるらしい。そしてそれがアウェーサムの強さの根幹となっている』
そんな会話を思い出しながら、エステルは目の前にいるルファールに尋ねる。
「では、今日も精霊を連れてきておられるのですね」
「はい、一体だけ。大きいので透明の姿のまま城の外に待たせています。炎の精霊でドラゴンに似た外見をしているのですが、ドラゴンの三倍くらいはあろうかという巨体ですので」
「まぁ! そんなに大きな精霊もいるのですね」
「長く生きて強くなると大きくなっていく精霊は多いですよ。あとは人型になって喋ったりする精霊も出てきますが、物言わぬ獣の姿でいてくれた方が扱いやすくはあります」
「そうなのですか?」
言葉が通じた方が意思疎通がしやすいし、何より楽しいのでは? とエステルは首を傾げた。詳しく聞きたいが、玄関で長々とするような話ではない。
(それにしてもルファール殿下はそんなに大きく強い精霊とあとどのくらい契約しているのかしら?)
そう考えると目の前に立っている優しげな青年を脅威に感じた。
と、二人で精霊の話で盛り上がっていると思ったのだろうか、レクスが少しだけ不満そうにこちらを見てきたので、エステルは一旦精霊に関する会話を終わらせて、ルファールを国王夫妻の元へと案内することにしたのだった。




