52 国王夫妻
王家の馬車に乗って、エステルはレクスとナトナと共に城に到着した。レクスも今日は白い衣装を着ていつもより華やかだし、ナトナも首に赤いリボンを巻いてもらっている。
城の正面まで来てから馬車を降りると、そこには中に続く赤い絨毯が敷かれていて、左右に騎士が並んで迎えてくれた。騎士は儀礼用の円筒形の帽子を被っていて、全部で二十人ほどいる。
かなり派手な出迎え――とまではいかないけれど、それでもナトナは落ち着きなく周りを見回し、エステルは緊張のあまり卒倒しそうになっていた。
「エステル、大丈夫かい?」
後ろから別の馬車に乗ってついて来ていたマルクスとターニャも追いつき、エステルに声をかける。
「だ、だだだ」
「大丈夫じゃなさそうだね」
何度も頷いているが震えて言葉は紡げていないエステルの背に、レクスがそっと手を添えた。
「しょ、正直、心臓が口から飛び出そうです」
「そんなエステルも可愛いよ」
「え?」
今のどこに可愛いポイントがあったのかとエステルが混乱していると、レクスは続けて言う。
「何も緊張することはない。君は私が選んだ人だということを忘れないで。自信を持って」
そう言われて、確かにレクスに選ばれたことはすごいことなんじゃないかとエステルは思い直した。ただ番というだけで好かれているんじゃない、人となりを知って尚好きでいてくれているのだ。
(完璧なレクス殿下に選ばれた私……)
そんなふうに考えると少し勇気が湧いてきた。誰かに好かれて認められているという自信は、エステルの震えを止めてくれる。
「だ、大丈夫です」
改めて言ってから、宮廷使用人の案内に従ってレクスたちと一緒に城の廊下を歩く。前に一度来た時も思ったが、王城は廊下すらも絢爛で、立ち並ぶ白い柱も、天井から吊り下がっているおしゃれで大きなランプも、飾られた絵画も、大理石の床も中央に敷かれた絨毯も、何もかもが美しかった。
楽しげに大理石の床と絨毯の上を行ったり来たりしながらナトナは蛇行して歩いていて、エステルはそのお尻を眺めながらさらに緊張を解こうとする。
そして騎士が控える広間に通されると、エステルは深呼吸を一度してからそこに足を踏み入れた。
明るい広間は天井が高く、空を飛ぶドラゴンたちの天井画が圧巻で、見たことがないほど大きなシャンデリアも目を引いた。
中央には鈍く金色に光るテーブルと、それに合わせた椅子が六脚置いてあり、そのうちの二つに国王夫妻が座っていた。エステルは国王夫妻の顔を知らなかったが、豪華な衣装や二人から放たれるオーラのようなものからひと目見て察することができた。
夫妻は立ち上がり、まず国王の方がエステルに声をかけてくれた。
「よく来てくれた。会えるのを楽しみにしていたよ」
「エステル・フェルトゥーと申します。お目にかかれて光栄です、国王陛下」
エステルはヘマをしないよう慎重に膝を曲げて挨拶を返す。国王であるロベリオはレクスを柔和にしたような雰囲気をまとっていて、統治者らしい威圧感はあるものの、冷たい印象ではなかった。
白髪が少し混じったような銀色の髪は長めで、肌にもしわが見えるものの、健康的で若々しい。
目元はレクスより優しげだが、鼻梁の美しさや唇の薄さはそっくりで美形だった。
「マルクス侯と夫人もよく来てくれた。会うのは先々月ぶりだろうか。元気でやっているか?」
「ええ、お陰様で。陛下も変わらずお元気そうで何よりです」
マルクスとロベリオはほとんど同年代だろうが、ロベリオの方が僅かに若く見える。ターニャと王妃であるシルヴィを比べてもシルヴィの方が年下のようだ。
シルヴィはきらびやかな青灰色のドレスを着て、エステルのことを睨むでもなく、笑顔を浮かべるでもなく見ていた。彼女はスタイルが良く、髪はレクスと全く同じ銀色で、頭にはティアラをつけている。
(目がレクス殿下そのままだわ)
シルヴィの一見冷たく見える鋭い目はレクスそっくりで、エステルはちょっとほほ笑ましくなった。愛しい人を思い出すから、王妃の前でも思ったより萎縮しないでいられる。
「ごきげんよう、エステル」
そう声をかけてくれたシルヴィからは敵意は感じなかったが、僅かに不安そうな顔をしていたのが気になった。
「ごきげんよう、王妃様」
そこから国王夫妻と侯爵夫妻のちょっとした世間話が始まり、精霊のナトナを紹介して、その後テーブルについてから本題に入る。
「それでレクスは彼女のどういうところを気に入ったんだい? いや、そんなことは分からないか。番なら、ひと目見ただけで相手の全てを好きになるのだから」
ロベリオは穏やかな口調で言い、レクスはこう答えた。
「いや、分かるよ。私はエステルの真面目で努力家なところが好きだ。不幸な生い立ちであっても腐らず、向上心を失っていないところも尊敬している。確かにひと目見て強烈に惹かれたけれど、そういう内面的な魅力も感じている」
「そうか、まぁレクスにも番がいたというのは良かった。精神的な支えになるからな。それで結婚はいつ頃するか考えているのか?」
ロベリオがあっさりと尋ねてきたので、エステルは驚いて聞き返す。
「え? あの……反対はされないのでしょうか?」
「反対? そんなことはしないさ。私はレクスを信用しているし、息子が選んだ相手を否定したりはしない」
ロベリオはそう言って自慢気にレクスを見た。優秀な息子のことを心から信頼している様子だ。
けれど次にはエステルとも視線を合わせて続ける。
「君も大変な経験を色々としてきて、それでも今ここでこうして背筋を伸ばして座って、清らかな瞳を私に向けている。それは驚嘆に値することだと感じている。王族として生まれた我々とはまた違う苦難があっただろう。レクスが尊敬すると言ったのも納得できる」
思いがけず優しい言葉をかけてもらって、エステルはちょっと泣きそうになった。この国の王にこんなふうに言ってもらえるのなら、これまでの大変な目に遭ったことも無駄じゃないと思える。
「あ……ありがとうございます」
「混血だということでも肩身の狭い思いをしたことだろう。それはこれからも続くかもしれないが、私はそういう差別はなくすべきだと考えている。君が伸び伸びと暮らせるような国を作れば、それは全ての国民にとっても住みやすい国になるはずだ」
「はい」
「王家に新しい風が吹くことを喜んでいるよ。これからは我々も君の味方だ」
穏やかに目を細めて言われ、じんと胸が熱くなる。こちらの不安を全て包みこんでくれるような親身で優しい声だ。
初対面のエステルに対して、言葉にも声や態度にも一切冷たさがないというのはすごいことに思えた。こんな態度を取られたら、こちらもそれに応えたくなる。
(今まで特に国王様を敬愛していたわけではないけれど、心動かされるわ)
竜人を統べる王なんてもっと威圧的で恐ろしいかと思っていたが、恐怖で支配をするような浅い人物ではないようだ。ロベリオからは余裕と器の大きさを感じるし、こんな主君にはついていきたくなる。巷ではロベリオの人気は高いと聞いたが、それも頷けた。
「ありがとうございます」
エステルの座っている位置からだと、ロベリオを見る時に隣りにいるレクスも視界に入る。なので今、レクスが冴えない顔をしてテーブルに視線を落としているのにも気がついた。
自信のない子供みたいな、普段のレクスがあまりしない表情だ。
どうしたのかと気になったが、ロベリオが話を続けたので聞けなかった。
「シルヴィ、君はどうだ? 二人の結婚について異論はないか?」
話を振られて、氷のように美しい王妃は静かに口を開く。
「ないわ。わたくしたちも番だから分かるけれど、周囲が結婚を反対しても別れを選んだりはしないでしょう? 番と添い遂げることは竜人にとって一番の喜びでもあるし、レクスの好きになさい」
シルヴィは気乗りしない表情をしているように見えたが、反対はされなかった。エステルは少しもやもやしつつも、国王夫妻に感謝を伝える。
「結婚を認めてくださり、ありがとうございます。ですがもしかしたら今はまだ……ご不安があるかもしれません。私も、私がレクス殿下の婚約者でいいのかという不安はあります。でも決意したんです。殿下を側で支えると。大好きだからどんな困難にも一緒に立ち向かいます。そして何より自信を持って言えるのは、私は決して殿下を裏切ることはないということです。どうかそこだけは信頼していただけると嬉しいです」
自分の気持ちが伝わるように、エステルは胸を張って言った。レクスを好きな気持ちは誰にも負けない自信がある。
こうして国王夫妻との顔合わせは無事に終わったが、エステルはシルヴィがずっと息子の婚約に対して喜びの感情を表さなかったのが気になった。
(やっぱり私が混血で元庶民だからかしら)
国王夫妻と別れ、エステルはレクスに庭を案内してもらいながら考える。ナトナは側にいるが、マルクスとターニャは一足先に帰宅してここにはいない。
「ちょっと寒いね。中に入ろうか」
「はい」
エステルが難しい顔をしていることに気づいたのかは分からないが、レクスは散歩を中断した。そして城の中に入ったところで、エステルは意を決してこう言う。
「あの、レクス殿下。王妃様はまだあの広間におられるでしょうか? 私、まだ話をさせていただきたくて……」
「話って? 一緒に行くよ」
「いえ、一人で大丈夫です」
レクスは少し逡巡したものの、結局エステルを先ほどの広間に連れて行ってくれた。そこにはちょうどシルヴィだけが残っていて、レクスは使用人たちを下がらせた後でエステルを中に呼び込む。
「エステルが母上に話があるらしい。私は廊下で待っているよ」
そうして広い部屋に二人きりになると、エステルは緊張しつつも真っ直ぐシルヴィを見つめた。シルヴィは先ほどと同じく椅子に座ったまま、優雅にお茶を飲んでいる。
「話とは何かしら? あなたも座ったらどう?」
「いえ、すぐに終わりますので。あの、王妃様……」
勇気を出して切り出す。
「王妃様が私たちの婚約に良い顔をなさらなかったのは、私が混血で庶民だからでしょうか?」
シルヴィを責める気持ちはない。むしろ申し訳ない気持ちで尋ねた。賢くて優しくて見目麗しい自慢の息子が連れてきたのが、同じように完璧なお姫様や貴族令嬢じゃなかったなんて、母親としてがっかりするのは当然だ。
「あなたが混血で庶民だから? もちろんそうよ」
シルヴィは眉根を寄せてあっさりと認める。
その返答はエステルの胸をズキッと痛ませたけれど、続けられたシルヴィの言葉は冷たくはなかった。
「貴族の生まれであったわたくしでさえ、妃という立場の重圧に負けそうな時もあったのよ。王子に選ばれるなんてみんなに羨ましがられるけれど、苦労も多いの。あなたのような純粋そうな子にそんな苦労をさせてしまうことが心苦しいのよ。人間の血も混ざっているということで、臣民から嫌なことを言われることもきっとあるでしょう」
そんなふうに言われて、エステルはびっくりすると共に安心した。
(やっぱりこの方は優しいレクス殿下のお母さんなんだわ)
冷たく恐ろしい王妃ではないのだ。改めて話をしにきて良かったとエステルは思う。
「王妃様、心配させてしまって申し訳ありません。けれど私はそんなに弱くないのです。昔の私なら他人からの言葉を気にしてしまったでしょうが、今の私はレクス殿下に愛されている私なんです。絶対的な味方がいるんですから、どんなことがあってもくじけません」
力強く明るく言うと、シルヴィは可愛らしく笑ってくれた。エステルをきゅんとさせる、レクスにそっくりの笑顔だ。
「今も一人でわたくしのところに乗り込んできたのですものね。大した度胸だわ」
「ありがとうございます」
「小柄だけれど、きっと強い女性なのね。目を見れば意志の強さは分かるものよ」
シルヴィは真っ直ぐ目を見て言う。
レクスと国王夫妻がいてくれれば、自分はきっと色々なことを学んで良い妃になれる。と、今日の顔合わせを終えてエステルは感じたのだった。




