表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/65

番外編 レクス視点

 まともな親、親しい友人、高い地位、余るほどの金、知性に容姿。

 自分は全てを持っていて、人生は何不自由なく満たされているはず。

 この国の王子であるレクスは、ずっとそう思い込んで生きてきた。誰よりも恵まれた生まれで幸せでないはずがないと。


 次代の王になる重圧、一人で国を背負って立つ恐ろしさ、他に同じような立場の者がいない寂しさ。そういうものを感じてはいたけれど、それは友人に話しても心から理解してもらえるわけではないし、表には出さないように隠してきた。

 そうして見えないふりをすれば、やはり自分はこの国で一番恵まれている存在だと思う。


 通っている学園でも、レクスの存在を一番に考えない者はいない。廊下を歩けば皆端に寄って道を開けるし、食堂ではメニューを頼む行列に並ばなくても全員順番を譲ってくれる。

 しかしそれが当たり前になると、元々傲慢ではなかったレクスも少し増長していった。父から「学園は学ぶ場だ。あまり王族という立場をひけらかすべきではない」と言われていたにも関わらず、食堂でこちらに気づかず順番を譲らない者がいると不機嫌になってしまう。


 そうしてレクスが本来の謙虚さを若干失ってしまっていた頃。まるで天からの試練かのように出会いはやってきた。


「レクス~? 邪魔なんだけど」


 食事のトレーを受け取った後、ぴたりと立ち止まったレクスにリシェが言う。

 けれどレクスにその声は聞こえていない。目の前にいる見知らぬ女子生徒に目を奪われていたからだ。

 小柄で驚くほど可愛らしい顔をしていて、天使だとか妖精が本当に存在するのならこんな姿をしているのだろうと思うくらいの可憐さだった。丸い瞳は光を閉じ込めたような金色で、髪は桃色の花びらを溶かしたみたいに優美な色をしている。

 

 レクスはこれまで美人と呼ばれる多くの女性を見てきた。自分の母もルイザもリシェもよく容姿を褒められているが、正直、この少女には誰も敵わない。

 こんなに美しい存在が何故こんな食堂に普通にいるのだろうと不思議に思う。清らかな森の奥深くとか、汚れ一つない神殿の中とか、そういう場所にいるべきだ。


 そんなことを考えている間にも、心臓はどくどくと脈打つ速さを加速させていく。彼女に出会えた喜びのようなものが体中を駆け巡って、溢れた感情で体が爆発しそうだった。

 今まで自分は恵まれていたと思っていたけれど、そうじゃなかった。彼女が存在するこれからの人生こそが、本当に幸せなものになるはずだ。その証拠に今、周囲の景色は一気に色づいて鮮やかになった気がする。心は一瞬で満たされ、彼女を目にしているだけで謎の満足感を得られた。


 でもまだ足りない。まだ彼女の声を聞いていない。それに彼女の体温も感じていないのだ。

 レクスは食事のトレーを持っていることも忘れて、目の前にいる女子生徒の手に触れようとした。

 しかし――、


「ちょっとぉ、先に進んでよ」


 後ろからリシェが声をかけてきて、レクスは正気に戻った。桃色の髪の女子生徒から目を離すと、彼女にどうしようもなく惹き付けられてしまう引力みたいなものが少し弱くなる。


(魔法か……)


 レクスは自分の席に向いながらちょっと冷静になってそう考えた。人の心を惑わす魔法というのはないわけではない。いわゆる惚れ薬というのも昔からある。

 ただ、そういうものは実際のところ大した効果はないと聞く。心に作用する魔法というのは難しいのだ。


(となると、彼女はかなりの使い手だ)


 さっきの衝撃は忘れられない。今もまだ動悸がしていて、まるで恋に落ちたかのように気分が高揚している。

 そっと、けれど情熱を含んだ強い視線を彼女に向けると、相手はこちらを見ておらず、がっかりする。


(まずいな。目を合わせている間だけ影響を受けるわけではないらしい)


 自分は今、彼女に心を奪われている。

 レクスは深く息を吐いて気持ちを落ち着けようとした。


「どうかした?」

「さっきから様子がおかしいわね」


 ルノーとリシェが順番に言ってくるが、レクスはそれには答えず、食事にも手を付けずにただ心が静まるのを待ったのだった。



 そしてその日はずっと衝撃を引きずっていて、ベッドに入ってもなかなか眠れなかった。

 学園から城に帰ってすぐに宮廷魔法使いに調べてもらったが、レクスには何の魔法も呪いもかかっていないらしい。


(なら、この気持ちは何だ)


 脳裏には常にあの女子生徒が浮かんで、時おりレクスに笑いかけてくる。早くまた彼女に会いたいと思ってしまうし、好きで好きでたまらない。


(好き……?)


 ハッと気づくが、そんなわけないと即座に考えを打ち消す。自分がこんなふうに強烈な一目惚れをするタイプだとは思えないからだ。自分はもっと冷静で理性的なはずと自負していた。まだ話したこともないのに簡単に人を好きになって、その相手のことばかり考えてしまうような者のことは軽蔑すらしていたのだ。


(ありえない)


 頭ではそう考えながらも、まるで恋煩いをしているように胸はずっと苦しい。

 そうしてその日はよく眠れないまま、翌日も浮かない顔で学園に向かう。とにかくもう一度彼女に会って確かめなければと思った。昨日はたまたま、食堂の照明や陽の光の当たり方によって彼女が天使のように可愛く見えただけかもしれない。


 ――が、弁論大会で登壇した彼女を見て、レクスは昨日と同じく衝撃を受けることになった。

 ひとつは、やはり彼女は驚くほど可愛かったという衝撃。そしてふたつ目は彼女が混血だったという驚き。

 レクスのスピーチの後でステージに出ていった彼女は、エステル・ドールと名乗り、少しおどおどとした様子で話し始めた。


 名前を知れたこと、そして声を聞けたのは嬉しい一方、エステルが混血だったという事実を受けてレクスの脳内では記憶が目まぐるしく駆け巡る。


(私はさっきのスピーチで何と言った……? 彼女を侮辱するようなことを言ってなかっただろうか? これまでの学園生活で、混血の彼女に何か不利益を与えるような言動を取ってこなかったか?)


 昨日までエステルのことは知らなかったし、純血主義者とはいえレクスは混血をいじめたりなど一切していない。

 だが、レクスが純血主義という考えを持っているだけでも混血の者は傷つくだろう。そして王子という立場の者が「混血は必要ない」と言うだけでその言葉は大きく周りに影響を与え、地位の低い混血の者が色々な被害を受けることになる。


(私は……)


 自分の言葉によってエステルがどんな思いをしてきたかを想像して、レクスは顔を青くした。巨大な後悔の念が押し寄せてくる。

 けれど己の中の純血主義が消え去って、一気に人間や混血を好きになったというわけではない。人間や混血は簡単に受け入れるべきではないという主張はまだ持っているものの、あの子だけは……エステルだけは混血だろうが何だろうが関係ないという気持ちになっている。

 自分勝手で不平等で一貫性のない、民の上に立つ者として最低の考えだ。


「レクスの反論者として出てきて、ちゃんと反論してるの偉いな!」

「ええ、そうね。というかあの髪色見てよ。素敵! 私もピンクにしようかな」

「まぁリシェは何色でも似合う」


 エステルのスピーチが終わると、隣でバルトとリシェがそう言い合いながら拍手していたのだった。

 


 そしてそれからの一週間、レクスはよくエステルを観察し、身辺調査もした。学園には二年からの入学で、入学時に闇の精霊と契約していると届け出ている。が、宮廷魔法使いによると闇の精霊によってレクスの心が操られている可能性もないという。


 そうしていよいよレクスも自分の気持ちを認めざるを得なくなってきた。

 自分はエステルに一目惚れして、もうどうしようもなく好きになってしまっているらしいと。


(もしかしてエステルは私の番なのかもしれない)


 その可能性はわりとすぐに思いついた。逆に番でなければこの激情の説明がつかない。寝ても覚めてもエステルのことを考えて、学園で姿を見られれば舞い上がっている。と同時に彼女が自分のものでないことが辛く、胸が苦しい。いつだってエステルの声が聞きたいし、笑顔が見たいと思っている。


(恋をしたら自分がこんなふうになるとは)


 正直ショックだった。頭の中がエステル一色になっている自分に失望している。そしてそれでも止まらない恋心を煩わしく思った。

 こんな激しい恋心なんていらない。恋愛なんてどうでもいいものに囚われたくない。

 しかしそれでも今日もエステルが可愛くて、自分でもどうしていいか分からなかった。


 そして次の一週間は学園を休んだ。リシェたちにも最近変だと指摘されたが、自分が恋をしておかしくなっていると白状できずにただ一人になることにした。

 もしかしたら、会わずにいればこの恋心は少しずつ薄くなっていくのではないかと期待もした。

 

 けれど結果は正反対で、会わないでいるとどんどん恋情が募っていく。恋の病とは言うけれど、本当に病気なのではと思うくらいの苦しさで、レクスは一週間で音を上げた。

 そうしてエステルが不足して死にそうになりながら学園に行くと、レクスと同じく少し遅れて登校したバルトと玄関で出会った。


「あれ? レクス? 体調はもう大丈夫なのか?」


 バルトはいつもと変わらぬ明るい調子で声をかけてくる。けれど表情は心配そうだ。


「風邪か何かか? リシェはただの体調不良じゃなさそうだって気にしてたけど」


 リシェは鋭いところがあるので、もしかしたらレクスがエステルのことをよく見ていることにも気づいているかもしれない。


(リシェとバルトは番同士……。二人もこんな衝撃の出会いを経験したのか)


 番の先輩としてアドバイスが欲しい気持ちと、恋に落ちたことを言いたくない気持ちの両方があって、結局レクスは口をつぐんだ。たった一人の女の子に翻弄されて冷静でいられなくなっていることに気づかれたくない。

 でもたぶん、友人たちには近いうちにバレるだろうという覚悟もあった。それくらい今の自分は様子がおかしいと自覚している。


(とにかく、今日は冷静さを失わないように。竜人の本能などに惑わされない――)


 階段を上がっていてふと足元に落ちる影に気づき、顔を上げると、そこには今日も完璧に可愛らしいエステルがいた。

 レクスは驚いて立ち止まる。彼女と目が合っている間、ずっと弱い雷に打たれているようなビリビリとした感覚が体中を駆け巡っている。

 一週間ぶりに会うエステルは自分の頭の中にいるエステルより可憐で、「好きだ」という気持ちが火山のように一瞬で爆発しそうになった。


 しかしエステルはやがてさっと目をそらすと、慌てている様子で階段を降りていってしまった。

 行ってほしくなくて、擦れ違う瞬間に思わず手を掴みそうになったが何とか理性で耐える。


「レクスー? 早く行こうぜ」

「ああ」


 こわばった声でバルトに返事をし、再び階段を上がり始める。


(もうすぐ授業が始まるのに、一体どこへ?)


 階段を降りて教室から遠ざかっていく彼女のことが気になった。そういえばエステルと擦れ違う前に、他にも女子生徒が二人階段を降りていった。後ろからついてくるエステルを嘲笑っているかのような、嫌な笑みを浮かべて。


「……」

「おーい、レクス? お前本当に大丈夫か? 何かぼーっとしてるしまだ休んでた方がいいんじゃないか?」


 廊下でまた立ち止まったレクスにバルトが言う。


「いや……大丈夫だ。だが少し用事を思い出した。先に教室に行っていてくれ」

「え?」


 鞄を預けてバルトと別れると、レクスはエステルの後を追って廊下を引き返した。


(どこへ行った?)


 玄関から外に出て学園の敷地内をうろうろと探していると、校舎裏でエステルと女子生徒二人の姿を発見する。

 レクスが見た時にはエステルは校舎の壁に追い詰められていて、女子生徒二人から小瓶に入ったよく分からない液体を飲まされそうになっていた。


「でも混血なんて元から化け物みたいなものだから、別に誰も悲しまないんだしいいでしょ?」


 女子生徒の一人がそう言い、小瓶をエステルの唇に押し付ける。


「……――化け物だと?」


 自分の口から恐ろしく低い声が出て、怒りで視界が歪む。一気に憤怒の炎が吹き上がり、目の前で真っ赤に燃えているかのようだ。

 魔力の制御もできずに感情のまま放出してしまい、辺り一帯の重力が増したような感覚になる。草木がざわめき、小鳥が警戒の声を上げて飛び立った。


 殺してしまう、と思った。

 このままではこの女子生徒たちを殺してしまう。


 けれどその時、こちらに気づいて怯えているエステルの表情が目に入って、すんでのところで怒りを堪えることができた。エステルを怖がらせるのは本意ではない。

 爪が肉に食い込むほど強く握った拳をそのままに、レクスは目を閉じて息を吐いた。この燃えたぎるような怒りの感情を何とか外に出そうとする。


(この二人を目の前で殺したりなどしたら、エステルがショックを受ける)


 それにレクス自身もそんなことは本当はしたくなかった。二人がエステルをいじめていたのは明らかだが、だからといって問答無用で殺すなんてまるで獣だ。


(本能に抗え……。私はドラゴンではなく理性のある竜人だ)


 エステルを怖がらせたくないという思いと自分のプライドから、レクスはどうにか怒りを収めた。

 冷や汗をかき、身をすくめながらこちらを見ている女子生徒二人に言う。

 

「頼むから消えてくれ」


 氷のように冷たい声が自分の喉から出る。


「早くどこかへ行け」


 女二人が困惑しながら去っていくと、彼女たちと同じように戸惑った顔をしたエステルが後に残った。

 エステルはまだ少し怯えている様子で、探るようにこちらを見ている。純血主義の王子がどうしてこんなところに来て、あの女子生徒たちを追い払ったのか、訳が分からないのだろう。

 レクス自身、感情に流されて行動してしまっていてこれからどうするつもりなのか決まっていなかった。


 だが震えているエステルの目尻から涙がこぼれ落ちたのを見て、とっさに手が伸びた。

 彼女の涙を、これ以上なく優しく自分の指が拭う。


「ぇ……? ど、どういう……?」


 動揺しながらこちらを見つめてくるエステルにハッとして、レクスは手を引っ込める。


(何をやっているんだ、私は!)


 心の中で叫びながら無言で顔を覆う。表情を見られたら、自分の中の恋心が全部バレてしまうのではないかと思った。


(勝手に指が涙を拭っていた。勝手に……)


 理性を保とうとしているのに、時々本能に乗っ取られてしまう。エステルはさぞ驚いただろう。気持ち悪いと思ったかもしれない。

 彼女を不快にさせたくないのに、今もすぐ側にいるエステルを抱きしめたくて仕方がない。大丈夫だったかと尋ねて、自分が守る、もう泣く必要はないと言って抱きしめたい。ちょっとでも気を抜けばエステルが持つ強烈な引力に引き付けられてしまう。


 こちらの方が圧倒的に立場が強く、何か言えばエステルはそれに逆らえないからこそ、迂闊なことを言ってしまわないか怖い。

 エステルは混血だから竜人の本能も弱い可能性が高く、レクスが感じているほどの激しい想いは抱いていないだろう。そんな相手に自分の感情を押し付けることはできない。


 体が勝手に動き出さないよう、レクスが何とか自分を律しながらぐるぐると考えていると、その間にエステルはまるで逃げるかのようにこの場から走り去ってしまった。

 そのエステルの後ろ姿を目で追いながら、安堵する気持ちと悲しく切ない気持ちが湧き上がる。こんな自分からは逃げて正解だと思うが、エステルには側にいてほしいとも思うのだ。


 もう会いたくないし、今すぐに顔を見たい。触れるのは怖いが抱きしめたい。関わりたくないのに声を聞きたい。

 矛盾する思いが胸の中を交錯し、レクスはしばらくその場から動けなかった。エステルを自分のものにしたいという本能を理性が止めているけれど、いつ負けるか分からない。

 それでも最終的に、

 

(エステルからは離れたほうがいい。それが彼女のためでもあるんだ)


 という結論を出して校舎に戻るため歩き出した。


(私ならできる。自分を律して、番の本能に勝ってみせる)


 強く決意していつも通りの冷静な顔に戻ったレクスだったが、その翌日には男子生徒に鱗を触られそうになっているエステルを見つけ、決意は簡単に崩壊することになるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ