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5 呼び出し

 エステルの鱗を触ろうとしたポートの肩を掴んだのは、レクスだった。

 エステルは思わずレクスがさっきまで座っていたはずの席を見たが、当然そこには誰もいない。レクスと一緒に昼食を食べていた友人たちは、みんな少し驚いた顔をして食事の手を止め、こちらを見ている。


「レ、レクス殿下……? な、何かご用でしょうか?」


 片方の肩をがっしり掴まれたままのポートは、ビクビクしながら尋ねている。


(何だかまた空気が重い)


 レクスから圧を感じて呼吸がしにくくなる。


「あ、あの……」


 ポートは今にも目を回して失神しそうだ。

 するとレクスはこの場が凍りつきそうなほど冷たい声でポートに言った。


「席を替わってくれるか?」


 口調は丁寧なのに、声音が氷のようだ。そして顔は無表情だった。


「は、はひ……」


 ガタガタ震えながら食事のトレーを持って、ポートは席を移動した。途中で足がもつれて転んでいたけど、みんなレクスに注目していて誰も気にしていない。

 そうして空いた席にレクスが腰を下ろす。


(え? ちょっと、あのっ……)

 

 一人残されたエステルは心の中で動揺をあらわにした。突然のことに緊張して声は出ない。

 座ったはいいものの、レクスも少し気まずそうにして何も話し出さなかった。

 周囲の生徒たちは、レクスが庶民も多く座る食堂右側の席まで来たことに驚いてざわめいている。みんなレクスとエステルを見て何事かと話していた。

 レクスも騒ぎになっているのに気づいて、エステルと何故か目を合わせないようにしながら小声でこう言う。


「放課後、三年一組の教室に来てくれるか? 少し話がしたい」

「…………は、はい」


 拒否できる立場ではないのでコクコクと頷いて返すと、レクスは立ち上がり、元いた席に戻っていった。

 食堂はまだざわついているし、ポートも離れた席から見てくるが、エステルは自分のことで精一杯だ。


(呼び出し……!? 何を言われるのかしら? 昨日逃げたから?)


 処刑を待つ罪人のような気持ちになりながら、エステルは真っ青な顔で放課後までを過ごしたのだった。



 そして放課後。行きたくはなかったが、王子の呼び出しを無視するのはもっと恐ろしいので行くしかない。

 エステルは授業が終わった後に自分の教室で十分ほど時間を潰した後、こうしていても現実は変わらないと諦めて、いつでも逃げ帰れるように鞄を持って三年の教室へ向かう。

 今はレクスに会える嬉しさより何を言われるんだろうという恐怖の方が勝っていた。

 ――と思ったが、三年一組の教室に入ってレクスの姿を見ると、エステルの青かった顔色も一瞬で良くなり心は沸き立った。レクスと相対すると、自分と彼の周りに花が咲き乱れる幻さえ見える。

 こんな時にも頭がお花畑になっている自分の頬をひっぱたきたくなったが、レクスに変人だと思われそうなのでやめた。


「レクス殿下……、遅くなり申し訳ありません」


 開いていた後ろのドアから教室に入ると、自分の席に座って本を読んでいたレクスに恐る恐る声をかける。中にはレクス以外の生徒はいなかった。


「いや大丈夫だ。入ってくれ。人払いはしておいた」


 こちらをちらりと見てからレクスは本を片付け、エステルを隣の席に座らせた。


「何のお話でしょうか……?」


 蛇に睨まれた蛙のように緊張しながら、鞄を抱きしめつつ浅く椅子に座る。恐怖と恋心で、心臓が破裂しそうなほど大きな音を立てて鳴っていた。

 レクスはエステルの方に軽く体を向けたが、視線は自分の机に向けたまま言う。


「突然すまない。話したいのは……そうだな、まずは弁論大会のスピーチのことだ」

「え?」


 昨日のことで何か言われるのかと思ったので少し意表を突かれた。けれど弁論大会でエステルはレクスに反論するスピーチをしているので、それに関する話でも緊張と恐怖しか湧かない。

 エステルは挙動不審になりながら慌てて言う。


「あ、す、すみません……っ! 私……!」


 先生に言われて仕方なくスピーチしただけなのだと弁解しようと思ったが、スピーチの内容は実際にエステルが考えていることだったし最後は本音を話した。だから「先生に言われて適当にスピーチしただけなんです」という嘘はつけなかった。


「私……は、別にレクス殿下と敵対したいわけではなくて……」


 エステルは抱きしめている自分の鞄に視線を落としながら自信なさげに言う。


「私は混血なので、殿下の主張の全てに同意することは出来ませんが……でも逆らうつもりもなく……! 何とか平和的にこの問題を解決できたらと考えていますっ……!」

「そ、そうか」


 勢いに任せて喋るエステルに押されつつ、レクスは頷く。二人の目が合い、ハッとして同時に顔をそらす。


「私は君のスピーチに何か言いたかったわけではないよ。むしろ私のスピーチを謝りたかった。気を悪くさせただろう、すまない」


 レクスはまた机を見ながら静かに言った。意外な言葉にエステルは目を丸くし、そらしていた顔を再びレクスに向ける。


「別に君のように人間の血も混じっている者を排除したいとかそういう考えは……なくはなかったが、でも……。いや……」


 迷っているというよりまだ考えがまとまっていない様子で言い淀んだ後、レクスは話題を変えた。

 

「昨日の女子生徒二人のことももう怖がらなくていい。二度と君に関わらないよう言っておいた」

「どうして……」


 信じられない気持ちで呟く。純血主義者のレクスは彼女たちをけしかけることはあっても、注意することなんてないと思っていた。

 レクスは眉間にしわを寄せて言う。


「私は純血主義者だったが、卑怯で陰湿な真似は嫌いだ。それが人間や混血に対しての行為でも嫌悪感を持つ。あの二人が昨日君に何をしようとしていたか……」

 

 素人が作った魔法薬を無理やり飲ませるのは確かに酷い行為だ。でもレクスが怒りを見せているのには驚いた。


(正義感や倫理観はあって、話せば分かる方なのかも)


 混血というだけで問答無用でエステルを排除しようとする人物ではなさそうだと分かり、ちょっと安堵した。

 そして再び申し訳無さそうにレクスは続ける。


「私のスピーチのせいで、純血以外の者を攻撃していいと生徒たちに勘違いさせてしまった。申し訳ない」


 竜人の王子が自分なんかに何度も謝るなんて、こちらも申し訳なくなって居心地の悪さを感じた。

 そわそわしてしまうエステルだったが、レクスの次の言葉でぽかんと思考が停止する。


「だからその認識を改めるために、明日以降もたまに君に声をかけると思う。私が混血の君を気にかけていると分かれば、いじめもなくなるだろうから」

「うぇ?」


 喉から変な声が出る。


(たまに声をかける? レクス殿下が私に?)


 発言の確認を頭の中でするが、なかなか理解できない。意味は分かるが、どうしてレクスがそこまでしてくれるのだろうと思う。

 混乱しているエステルにレクスは続ける。

 

「今日話したかったのはとりあえずそれだけだ。急に呼び出して悪かった」

「いえ、そんな!」

「今日はもう家に帰るのか?」

「えーっと……いえ、図書室で勉強してから帰ります」

「そうか」


 レクスはそこで何か考えるように斜め上を見つめた。そして「いや、無理か」と小さく呟いた後、椅子から立ち上がって言う。


「私はこれで帰らせてもらうが、あまり帰りが遅くならないように気をつけて」

「は、はい……!」

「じゃあ」


 レクスは軽く手を上げて教室から去った。エステルはまだ椅子に座ったまま動けないでいる。

 

(一瞬だったけど、色々ありすぎて……)


 頭を落ち着かせるのに時間がかかる。


(殿下、良い人だったな)


 エステルは教室の天井を見上げて表情を緩める。それは本当に嬉しいことだった。


(いえ、やっぱり性格は悪い方が良かったかも)


 そうすればレクスのことを知れば知るほど嫌いになれたし、鬱陶しい恋心も消えてくれたのに。

 でも現実は、レクスはエステルにとって完璧な人だった。冷静な話し方や落ち着いた声のトーン、姿勢の良さ、まつげの長さや鼻の高さ、耳の形、何もかもが好きだった。エステル自身も知らなかったエステルの好みをぎゅっと集めた相手、それがレクスなんじゃないかと思えてくる。


 けれど彼と自分は立場が違いすぎて結ばれることはない。それにエステルは恋にうつつを抜かしている余裕はなく勉強に専念しなければいけない。

 そんな状況でレクスはこれからたまに声をかけてくるという。


(殿下が話しかけてくれるっていうのは、天国のようで地獄かもしれないわ)


 レクスがこちらのことを気にかけてくれるたびエステルの胸は高鳴るだろう。つまりレクスと関わりがあるうちは、決して叶うことのない邪魔なだけの恋心が持続し、消えることはない。

 そう考えてエステルは顔をしかめ、痛くなってきた頭を擦ったのだった。

 


 家に帰ると、義姉のロメナがエステルを待ち構えていた。帰宅した途端、使用人にロメナの部屋へ行くよう言われたのだ。

 言われる内容に察しをつけつつ、鞄を置いてから大人しくロメナのもとへ向かう。部屋を訪ねると、ロメナは椅子に座って足を組みながら扉の前に立っているエステルを睨んだ。

 ロメナの部屋は広く、家具も内装も彼女の好みに合うよう赤色を基調にして豪華に仕上げられている。壁紙の薔薇も少し派手だが可愛くて、子供の頃は羨ましかった。


「昼間のあれ、何?」


 不機嫌を隠そうともせず、ロメナは問い質してくる。


「昼間の……ですか?」

「レクス殿下に声をかけられてたでしょ!」


 ちょっととぼけてみたが無駄だった。学園の食堂でレクスがエステルの隣に座ったところを、ロメナも見ていたらしい。


「殿下はすぐに離れられたけど、何か言われてたでしょ。遠かったけど見てたのよ! 殿下のあのお顔、あんたを罵倒してる感じじゃなかった。何をおっしゃったの?」


「失せろ、混血」とか「混血がいると食事が不味くなる」とか、ロメナとしてはそういう言葉をエステルにかけてほしかったのだろう。だけどそうではなさそうだと推測してイライラしている。

 レクスに優しくされたと話してロメナの怒りを煽りたくないが、レクスは酷いことを言ってきたという嘘もつきたくなかった。レクスを貶めるようなことはしたくないのだ。

 エステルは適当に嘘をつく。


「弁論大会で私がスピーチしたのを覚えておられて、『君は混血なのか?』って聞かれました。それで『はい』と答えたら頷いて去っていかれました。それだけです」


 ロメナはエステルが放課後呼び出されたことまでは知らないようだから、この嘘で何とかなるだろう。

 

「弁論大会から二週間以上経っているのに、今更? 気になったなら弁論大会の直後に確かめられたら良かったのに」

「私も殿下の意図は分かりません」

「まぁでも、混血かどうか改めて聞いて確かめたってことは、あんた明日から覚悟しておいた方がいいかもね。殿下はきっと混血に容赦ないわよ」


 言いながらロメナは立ち上がり、エステルのすぐ前まで来て、唐突に薄桃色の髪を乱暴に掴む。そして髪を引っ張りながら残酷に笑って言った。


「私なんかよりもっと冷徹かも。あんたがどんな酷いことをされて家に帰ってくるのか楽しみだわ」


 抵抗すればもっと痛いことをされるので、エステルは髪を引っ張られる痛みに耐えて何も言い返さなかった。ロメナはイライラが積もったり、言葉を使ってエステルをいじめるのが面倒になったりするとすぐに暴力を振るうのだ。

 髪が何本か抜けるかも、と思いながら我慢していると、ふとロメナの手の力が緩んだ。エステルが顔を上げてロメナを見ると、申し訳なさそうに眉を下げていた。

 急にエステルをいじめることに罪悪感を感じたようだ。


「……ああ、もう!」


 しかし次には頭にかかったもやを払うように首を左右に振り、再びエステルを睨みつけてくる。


「あんたまた精霊に力を使わせたわね!? 姿を見せなさい!」


 ロメナは今度はエステルの足元を見て命令した。

 するとそこにいた闇の精霊のナトナが、黒い仔狼の姿で現れた。ロメナに向かって小さく唸って、まだそれほど恐ろしくない牙をむき出しにしながら怒っている。


「ナトナ、いつの間に」


 エステルは少しびっくりして言う。精霊は透明になれるから、そばに来ていても分からない時があるのだ。


「白々しい。あんたが力を使わせたんでしょ。この精霊が力を使うと、あんたのことを可哀想と思ってしまうから鬱陶しいわ。私があんたに同情するなんてありえないし、すぐに精霊の仕業だって気づけるから、はね除けられるけど」


 眉を吊り上げて言い、こう続けた。


「レクス殿下にもあんたが精霊を使うことは言っておかないとね。知ってさえいれば、精霊の力に惑わされてあんたに同情してしまうこともない。その精霊、あんたの唯一のお友達なのに力は弱いものね」


 ロメナは馬鹿にしたようにナトナを見て言うと、「もういいわ。出て行って」とエステルを部屋から追い出した。

 エステルは廊下に出てため息をついた後、自室に向かって歩きながら、後をついてくるナトナに声をかける。


「ナトナ、ありがとう。私を助けようとしてくれたのね」


 昔からエステルが家族にいじめられていると、そばにいる時は力を使って助けてくれる。闇の精霊は心を操る魔法が使えるらしいのだ。


「ロメナの言うことは気にしないで。ナトナはすごい力を持ってるわ。私も何度も助けられた」


 ナトナが力を使っても義家族はすぐに精霊の仕業であることに気づいてしまうが、しばらくの間多少の影響は残るのか、興をそ削がれてその時はエステルをいじめるのをやめるのだ。時間が経てばまた元通り、エステルへの同情心など綺麗さっぱりなくなってしまうようだが。


 エステルがナトナを抱き上げると、ナトナは嬉しそうにきゅんと鳴いて頬を舐めてきたのだった。

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