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43 期末試験

 季節は冬に入り、秋学期もあっという間に終わりに近づいてきた。朝晩はしっかり冷え込むようになって、街路樹は黄色く色づき、コートを着て登校する生徒も増えた。


「馬車で登校できるなんて本当に贅沢です。ゼルクさんや馬たちが凍えていないか心配ですが……」


 エステルは学園に向かう途中、馬車の中でルノーに言った。ゼルクとはフェルトゥー家の使用人で御者をしている中年男性だ。


「馬はこれくらいの寒さ平気だろうし、ゼルクも防寒具を着込んでいるからね。心配いらないよ」


 ルノーはくすっと笑って返す。けれどこれから雪が降るようになるとゼルクは辛いだろうから、彼が今持っているものより良い手袋を買ってあげたいなとエステルは思った。そのために竜舎の掃除をして得られるお金は貯めておかないといけない。

 そんなことを考えながら学園に着くと、玄関を入ったところでレクスと鉢合わせた。


「おはよう、レクス」

「ああ、おはよう」

「おはようございます」

「おはよう」


 最初にルノーが声をかけてレクスも親しげに返し、次にエステルが挨拶をすると、レクスは教室に行くために体の向きを変えながら言葉を返してきた。やはり視線は合わない。

 挨拶を無視されないだけ十分だと自分に言い聞かせつつも、どうしても寂しさは残る。レクスが気さくに話しかけてくれていた日々が遠い昔のようだ。


 先に一人で教室に行ってしまったレクスを見てエステルが悲しげな顔をしていると、ルノーが困ったようにほほ笑んで頭を撫でてくれた。レクスがエステルに少し冷たいこと、ルノーも気づいているのだろう。おそらくリシェたちも気づいている。

 けれどレクスがエステルのことを考えて親しくし過ぎないようにしていることも分かっていて、これ以上どうにもできないでいるのだ。


(私も何もできない……)


 自分からレクスにもっと仲良くしたいと言うことはできないので、ただレクスの気が変わるのを待つことしかできなかった。


(いえ、私がレクス殿下に分不相応な想いを寄せるのを止めれば、それが一番早いのだけれど)


 分かってはいるが、恋心はエステルの胸に根を張っていて簡単に取り去れそうにないから厄介だ。


「おはようございます」


 と、そこでエステルとルノーに声をかけてきたのは、特待生のベルナだった。 

 彼女はこの一週間ほどで、仕草や言葉遣いをどんどんエステルに寄せてきている気がする。


「今日も寒いですね」


 ベルナは控えめに笑って言う。外見は全く違うのに、声の大きさや抑揚も似ていて、エステルは何だか不思議な気持ちになる。自分が二人いるようで、正直少し気味が悪い。

 毎日ではないものの、昼食を食べる時もいつの間にかエステルたちのいつものテーブルに座っている時がある。とはいえ勝手に座っているわけではなく、ベルナをエステルの友人だと思っているリシェが誘っているらしい。

 ベルナがいるとルイザの機嫌が悪くなるのだが、エステルとしてはわざわざリシェに「ベルナは私の友達というわけではないから連れてこなくて大丈夫です」なんて言うのも気が進まない。

 なのでエステルは、ベルナが自分の居場所をじわじわと侵食してくるような不気味さを感じながらも、拒否することができないでいた。


「じゃあエステル、途中まで一緒に行きましょう。ルノー様、それでは失礼します」

「ああ、またね」


 ルノーは「ああ」でベルナに答え、「またね」でエステルを見たのだった。

 その後、ベルナとも別れて自分の教室に入ると、一限目の授業が始まると同時に担任の教師が話を始めた。


「この前中間試験が終わったばかりな気がするが、もう期末試験の時期だ。春学期と同じく、期末試験は主に魔法実技の試験になる。魔力のある者は皆、試験のためにこれから伝える魔法を練習しておくように」


 学園には魔力のない生徒もいるにはいるが、多くの生徒は魔力持ちだ。それはこの学園に庶民が少なく貴族が多いことにも関係しているかもしれない。

 権力者は優秀な子供を作ろうと魔力持ちを結婚相手に選ぶことが多いから、必然的に貴族には魔力持ちが多くなる。


「練習してほしいのは『エルァロランゼ』という拘束魔法だ。これを今日から期末試験までの一週間で習得すること。試験内容は全学年共通で、一年生に難易度を合わせている。だから日々真面目に授業を受けて復習していれば、二年生の諸君らにとってそれほど難しい魔法ではないはずだ」

「試験はどんなことをするんですか?」


 生徒の質問に答えて教師は続ける。


「試験では、学園の敷地内に魔法で作った幻影動物を複数放つ。猫や鳥、犬やネズミなどになるだろう。これらの動物は襲ってこないがひたすら逃げる。だから『エルァロランゼ』を使って捕まえるのだ。従って『エルァロランゼ』以外で捕まえるのは禁止とする」


 話を聞くに、魔法実技と言えど危険は全くなさそうな試験内容だ。学園には貴族の子息が多いので、生徒に怪我をさせないよう配慮しているのだろう。


「ではこれから外に出て、『エルァロランゼ』のやり方を教えよう」


 そうして教わった魔法は、教師が言うように難易度は高いわけではなさそうだった。近くで同じように『エルァロランゼ』を教わっていた隣のクラスのベルナはすぐに習得している。


(さすが上手ね)


 ベルナの様子を見てエステルは感心する。自分も挑戦してみたが、全く魔法が発動する気配はなかった。難易度は高くないとはいえコツは必要で、練習もいる。


(だから試験まで一週間の猶予があるのね。でも私は一週間あっても習得できるかしら?)


 何らかの強い魔力特性があるせいでその他の魔法の才能は全くないエステルは、この拘束魔法を身に付けられるか不安だった。

 けれどとにかく練習するしかないので、その日から寝る間も惜しんで特訓する日々が続いたのだった。



 そして試験前日。あっという間に期末試験は明日に迫り、けれど未だに課題の魔法を習得できていないエステルは焦っていた。

 毎日の授業の予習復習や、侯爵令嬢としてのマナーや知識の勉強、竜舎の掃除の手伝い。『エルァロランゼ』の練習以外にもやることはたくさんあって、少し寝不足気味だ。


(勉強も魔法の練習も楽しいけど、『エルァロランゼ』は全くできる気配がないわ)


 コツを掴もうとして何度も何度も手を伸ばすが、その手は空を掴むばかりで何にも引っかからない、そんな感じが続いている。

 学年は違えど同じ試験を受けるルノーやレクス、リシェたちはもう習得したようで、ルノーはエステルにコツを教えてくれようともした。


「でも精霊魔法が使える僕も魔力特性があるわけで、その他の魔法は得意じゃないんだよね。不得意な僕が下手に教えてもエステルは混乱するかもしれない。魔法を発動させる時の感覚って人それぞれだと聞くし。ただ確実に言えるのは、呪文は正しく発音するということくらいかな」


 確かに人によって魔法を発動させる時の感覚は違うらしく、リシェは「サァーってやってスッって感じ」というよく分からないアドバイスをくれたし、ルイザは「この魔法は落ち着いてやればできるわよ」と言っていた。


「エステルまだ習得できそうにないの? コツを教えてあげましょうか?」


 そしてベルナも放課後にわざわざそう声をかけてきてくれたので、エステルは藁にもすがる気持ちで聞くことにした。彼女は魔法実技の実力だけで特待生になっているのだから、アドバイスをもらうのにこれ以上適した人物はいない。


「別にそれほど難しい魔法じゃないんだけど、他にも習得できてない生徒が多いみたいね。『コツを教えてくれ』って貴族のお坊ちゃんお嬢様たちが何人も聞きに来たわ。普段は私たち庶民の特待生のこと見下してるくせにさ、こんな時だけ都合がいいわよね」


 ベルナは愚痴を言いながらフンと鼻を鳴らす。エステルと二人の時は素のベルナのまま、特にエステルの真似をしたりはしないようなので、気味悪さを感じずに話ができた。

 そしてベルナは丁寧にコツを教えてくれる。


「いい? 呪文を唱えている間、体を流れる魔力は停止させておくのよ。そういう感覚を持っておくの。そして呪文の最後を唱え終わると同時に一気に魔力を爆発させて放つ感じね。その時の魔力は赤色ってイメージ。攻撃魔法を放つ時とやり方は一緒よ。最後は感情のままに打つの」

「なるほど……。できるかどうかは分からないけど、とっても分かりやすいわ。ありがとう」


 魔法の才能がある人は言語化も上手いのかもしれないと思いながら、ふと気になってエステルは尋ねる。


「私、最近試験勉強のために寝不足なんだけど、ベルナもちょっとクマがあるように見えるわ。大丈夫?」


 ベルナも自分と同じような、ちょっと寝不足で疲れた顔をしていると思ったのだ。

 するとベルナは乾いた笑いを漏らしながらこう返す。


「まぁね。習得したい魔法がいくつかあって、夜も練習してるから寝不足なの」

「『エルァロランゼ』以外の魔法ってことよね? すごいわ」


 他の魔法を練習しているということは、『エルァロランゼ』はもう完璧にできるのだろう。試験前の切羽詰まった時期なのに、ベルナは余裕があるようだ。


「じゃあ私はこれで。放課後も練習したいからね。エステルも『エルァロランゼ』を練習する時は私の言ったコツをしっかり意識するのよ」

「ええ、ありがとう」


 試験前日だというのに課題を習得できていないということで、この日は竜舎の掃除をお休みさせてもらい、フェルトゥー家の屋敷に戻って広い庭で一人練習をすることにした。

 エリオットがプレゼントしてくれたうさぎのぬいぐるみを芝生の上に置き、それを的にする。


「よし。もう呪文は完璧に覚えたから……」


 制服のまま着替えもせず、気合を入れて手をかざすと――、


「お嬢様、頑張れー!」

「エステル様ならきっとできますよー!」


 ゼルクやシャナンといった使用人たちが一斉に応援を始めた。みんなエステルを応援しようとぞろぞろ集まってきたのだ。

 いつの間にかナトナもそちらに加わって、キャンキャン鳴いて声援を送ってくれている。


「温かいお茶もおやつも用意しておきますからねー!」


 母のターニャまで庭に出てきてしまって、困るような嬉しいような気持ちだ。応援されるというのは慣れない。


「あ、ありがとうございます。頑張ります……!」


 しかしエステルが律儀に返事をしていると、ルノーがやってきてナトナを抱き上げ、応援団を回収してくれた。


「みんな、一生懸命やってるエステルを応援したくなる気持ちも分かるけど、集中できないだろうから一人にしてあげて」


 そうしてエステルにも「庭は寒いからほどほどにね」と言って、彼らは屋敷に撤収して行ったのだった。


「お兄様、ありがとう!」


 正直、見守られていると緊張して成功する気がしなかったので有り難かった。

 広い庭に一人になると、エステルは深呼吸して集中する。


(ベルナに教わったコツを思い出して……)


 そうやって何度も魔法を発動させようと試みたが、やはりなかなか難しい。エステルの実力だと、コツを聞いたくらいでは上手くいかないのかもしれない。

 夕日が沈む頃、「風邪を引くよ」とルノーに屋敷の中に入れられて、「試験には体力もいるでしょう」とターニャに食事を勧められた後もエステルは練習をしたが、真夜中まで何度繰り返しても結局習得はできなかった。

 エステルは自分にがっかりしつつ、応援してくれた使用人や家族たちも落胆させてしまうだろうなと、不甲斐ない気持ちになりながら眠りについたのだった。



 そして翌日。朝も早起きして練習してみたものの結果は変わらず、課題を習得できないまま無常にも試験の時が来てしまった。


「幻影動物は校舎内にも校舎の外にも放たれる。生徒の数以上に動物はいるし、制限時間も一時間あるので、争うことなく捕らえるように」


 全生徒を玄関前に集めて教師が説明をしている間も、エステルはしょんぼりと肩を落としていた。拘束魔法が使えないのに試験を受けても意味はない。


(いや、でも……! 試験中に成功させれば……)


 とにかく最後まで諦めずにやるしかない。透明の姿でいるナトナが、励ますようにしっぽをバシバシ足に当ててくる。

 とそこで、少し離れたところにいたレクスと目が合った。レクスが先にエステルに気づいてこちらを見ていたようだったが、視線が合うと自然にそらされてしまう。

 しかしレクスの隣にいたリシェも同じようにエステルに気づくと、「エステルー!」と手招きしてくれた。レクスやリシェの近くには、ルノーとルイザ、バルトといういつものメンバーがいる。


「エステル、魔法は習得できた?」

「いえ、それが……」

「昨日も夜遅くまで頑張ってたんだけどね」


 しゅんとして言うエステルに、ルノーが付け加えた。

 エステルはぐっと拳を握って言う。


「でもまだ諦めません! 試験時間いっぱいまで挑戦します!」

「その意気よ! 頑張って! コツは『サァー、スッ!』 だから」


 リシェは手をかざして表現してくれたが、やはりよく理解できなかった。


「リシェは感覚的過ぎるんだよなぁ」

「その感覚も人によって違うしね」


 バルトとルノーが順番に言ったかと思うと、ふいにレクスが口を開く。


「確かに魔法を発動する時の感覚は人によって違うが、ある程度の共通点はあるはずだ。今回の『エルァロランゼ』の場合、私は魔力を青い鋼鉄に変えるイメージをしている。焦ってやっても成功しない。この魔法は冷静さが必要だ」


 レクスがアドバイスをくれたことにびっくりして、エステルは目をぱちぱちと瞬かせた。


「冷静さ……。あ、ありがとうございます!」


 喜んでお礼をいうと、レクスは「いや」とまた視線をそらした。


(そう言えばルイザ様も『落ち着いてやればできる』って言ってたし、リシェ様の『サァーってやってスッ』も静かな音のイメージだわ。でもベルナに教えてもらったコツはちょっと違うのよね……)


 結局どうすればいいのかエステルが少し混乱しているうちに、教師の合図で試験は始まってしまった。我先にと駆け出していく生徒もいるが、のんびり歩いて探しに行く生徒が多い。


「じゃ、私たちも行きましょ。固まって動いてもあまりメリットはなさそうだし、バラバラに行動しましょうか」

「了解」


 リシェとバルトが一足先に歩き出し、ルイザがそれに続く。そしてレクスはじっとルノーを見た後で出発した。

 ルノーはその視線を受けて呆れたように小さく笑うと、エステルに向かって言う。


「エステル、お兄ちゃんと一緒に行こうか」

「え? いえ……!」


 自分のことをお兄ちゃんと呼ぶルノーに少しきゅんとしてしまったし、有り難い申し出だったけれど、エステルは断ることにした。


「足を引っ張りたくないですし、私は一人で行きます。その方が集中もできそうですし」

「そうか、分かった。じゃあ健闘を祈ってるよ」

 

 そうしてルノーと別れると、エステルは自分に気合を入れて歩き出したのだった。

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