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混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない  作者: 三国司
第二章

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39 フェルトゥー家に引っ越し

「でもどうして私を養子にする話を侯爵夫妻に持ちかけてくださったんです?」


 ナトナを含めた三人きりの馬車の中、エステルはレクスに尋ねた。

 するとレクスは腕を組んで、エステルとは別の方――小窓から外を眺めながら少し考え、その後静かに話し出す。


「君はたくさんのトラブルに見舞われているから、庇護者が必要なんじゃないかと思っただけだよ。侯爵令嬢になればいじめもなくなる。だけどもう少し早くこの話を進めていれば、君を誘拐したあの魔法使いの男にも厳罰を科せたかもしれないね」

「どういうことですか?」

「庶民をほんの小一時間誘拐しただけじゃ大した罪にはならないんだ。ロメナに協力して他人の精霊契約を勝手に解除した件を含めてもね。あの男は時が経てばまた世に出てくる」


 その話を聞いて、また狙われたらどうしようとエステルは少し怖くなったが、レクスはちらりとこちらを見て安心させるように言う。


「だが心配しなくていい。明日にでも正式な手続きをして君が侯爵家の人間になったら、あの男もそう簡単に君に手は出せなくなる。もし捕まれば極刑だってあり得るし、あまりにリスクが大きいからね。フェルトゥーの名はこれから先、様々な悪人からきっと君を守ってくれる」


 レクスの話を聞けば、彼がエステルのことを思ってフェルトゥー家の養子にしてくれようとしたのは明白だった。


(やっぱり優しい人……)


 じんわり胸が温かくなり、また泣きそうになったが何とかこらえる。

 そして言うかどうか迷ったが、勇気を出してレクスにこう尋ねた。


「私が侯爵令嬢になったら、レクス殿下はまた……以前のように私に話しかけてくださいますか? 私が庶民でなくなれば、殿下とまた楽しくお喋りができるでしょうか?」


 すごく厚かましいことを聞いている気がしたが、どうしても気になって尋ねてしまった。答えを聞くのが怖くて声は震えて、か細い声しか出せない。


『君が嫌がらせを受けていたのは、私がエステルに近づいたせいだ。自分の立場を顧みず、仲良くしようとしてしまった。王族や貴族は、庶民とあまり仲良くしないほうが良いのかもしれない』


 前にレクスはそう言って、それからエステルに他人行儀な態度を取るようになった。だがエステルも貴族になったらレクスの懸念点も解消されて、きっと以前のようにほほえみを向けてくれるのではないだろうか。

 そんなふうに淡い期待を抱いたエステルだったが、レクスの返答でまた絶望することになる。


「いや……、余計な嫉妬を受けないためにも、やはりあまり親しくしない方がいいだろう」


 一瞬息ができなくなって、呼吸の仕方を忘れてしまう。大げさではなく、レクスの言葉はエステルの血の気が引くような残酷なものだった。


「でも……」


 何とか息を吸って声を出す。反論したいし泣きたかったが、どちらもできずに中途半端に言葉は途切れた。自分と仲良くしてくれ、なんてわがままを王子相手に言えるわけがない。素直に受け入れるしかないのだ。


「分かってくれるね?」

「……はい、殿下」


 こちらを見て言うレクスに、拒否する権利を持たないエステルは目を伏せて頷いたのだった。



 翌日、エステルは学校帰りにルノーと一緒にフェルトゥー家に行き、書類にサインをして養子になる手続きをした。今日はレクスはついて来てはくれず、挨拶くらいしか会話もできていない。

 レクスと他人に戻ってしまった悲しみと新しい家族ができた喜びはエステルの中で同時に存在していて、ふとした時に寂しくて泣きたくなったり、高揚して幸せな気持ちになったり、精神的に落ち着かなかった。


 そのさらに翌日は休日で、エステルはさっそく寮からフェルトゥーの屋敷に引っ越すことになった。とはいえ、家具はなく、まともな服も制服と体操服くらいしか持っていないエステルの引っ越しは、鞄一つ持って迎えの馬車で移動するだけだった。


「ナトナ、これから私たちは新しい家族と暮らすのよ。あなたもハーキュラやモネと一緒にいられるようになるから嬉しいでしょ?」


 馬車の中でエステルが尋ねると、ナトナは状況をある程度理解している様子で明るく「きゃん!」と鳴く。

 そうしてフェルトゥー家に到着すると、まずはルノーが出迎えてくれた。


「やぁよく来たね、エステル、ナトナ。これからはここが君たちの家だよ。……ところで荷物はそれだけ?」


 ルノーはラフな私服姿で、爽やかな白いシャツがよく似合っていた。長めの髪を耳にかけるといつものピアスが覗き、きっちり制服を着ている時より気怠い雰囲気をまとっているけれど、エステルを迎える表情は優しい。

 持っている鞄をルノーにじっと見られて、エステルはおずおずと答える。


「はい、あの、恥ずかしながら服とかあまり持っていなくて。すみません」

「謝ることじゃないよ。むしろ買い甲斐があるって母さんたちは喜ぶ」

「買い甲斐……?」

「まぁまぁ。ところでエステルの部屋は二階に用意したよ。家族の部屋は大体二階にあるんだ」


 二人で階段を上っていくと、マルクスとターニャ、それに初めて会う若い男の人が廊下で何やら立ち話をしている最中だった。

 しかしエステルたちが来たのに気づくと話を止めて、こちらに笑みを見せる。


「エステル、待っていたよ」

「よく来てくれたわね」


 二人に順番に抱きしめられると、エステルの表情は自然に緩んだ。


「あの、今日からよろしくお願いします……!」

「そんなに緊張しないで。さっそく部屋へ案内したいところだけど、まずは私たちのもう一人の息子、エリオットを紹介させてちょうだい」


 ターニャの手がエステルの背中をそっと支える。そしてエリオットの方に向き直るとこう言った。


「長男のエリオットよ。歳は二十二歳で、今は領主見習いといったところかしら。この前は仕事で会えなかったから、今日は領地から来てもらったのよ」

「よろしく」


 エリオットは眉間に軽くしわを寄せながら、真面目さを感じさせる固い声で挨拶をする。


「は、初めまして。エステルと申します」


 エリオットは眉がキリッとしているが、目元は父と弟に似ていて垂れ目でまつ毛が長かった。特に下まつ毛が特徴的だ。全体的にルノーよりもはっきりとした顔立ちで、柔和さに欠け、少し威圧感がある。

 身長はルノーと同じくらいで、母親譲りの明るい茶色の髪を短く刈り上げていた。


「よろしくお願いします」

「ああ」


 エリオットは無口なようで、返ってくる言葉は少ない。しかも今はよく知らない庶民の子を値踏みするようにエステルを見ていて、厳しい表情だ。

 ちょっと怖い、というのがエステルのエリオットに対する第一印象だった。

 そしてその印象通りに、エリオットはきつい口調で言う。


「両親や弟には気に入られたようだが、私は君のことをまだよく知らないし、養子に迎えるのを正直賛成はしていない。けれどもう手続きも終わったようだし、今更私の一存でどうにかなるものでもない」

「はい……」

「とにかくこうなってしまったからには、フェルトゥー家の一員だという自覚を持って家の名に恥じない人物になることだ」

「はいぃ……」


 震えて間延びした返事になってしまった。エステルが小動物のように怯えて両手をきゅっと握ると、エリオットは少しバツが悪そうな顔をした。


「エリオット、妹を怖がらせないの!」

「私はまだ妹とは認めていません。私に相談もなしに勝手に決めて……」

「相談はしたじゃないの! ちゃんと手紙を送ったでしょう?」

「あれは相談じゃなく事後報告というんですよ、母上」


 母子で言い合う姿を見て、自分は出ていった方がいいんじゃないかとエステルがただただ震えていると、マルクスが安心させるように声をかけてくる。


「すまないね、私たちがエステルを気に入るあまり性急に事を進めてしまったからエリオットへの連絡が遅れて、すねているんだよ」

「別にすねているわけではありません。父上も母上も他人に対して警戒心が薄いところがありますから、私が気をつけなくてはと思っているだけです」


 エリオットの言い分にエステルは、『私のことをフェルトゥー夫妻を騙すような人間だと思ってるということ?』と怒るところなのかもしれないが、全く怒りは湧いてこない。

 エリオットはきっと真面目な人物で、そして家族想いなのだろう。突然現れたエステルをいきなりその家族の中に入れろというのは無理な話だ。

 すると今度はルノーがエステルの頭をポンと撫でて言う。


「兄さんはちょっと厳しいところもある人だけど、悪い人じゃないんだよ」

「ええ、分かっています」


 頭を撫でられて照れながらエステルは返した。奇妙なピンク色の髪を撫でるなんて、ルノーは気持ち悪くないんだろうかと心配になりながら。


「母さん、エステルに部屋を紹介してあげて」

「そうね、こっちよ」


 ターニャは嬉しそうにエステルを手招きし、とある部屋まで案内してくれた。絨毯の敷かれた廊下はふかふかだけど歩きやすく、ナトナははしゃいでぴょんぴょん跳ねている。


「ここは寝室、隣は衣装部屋ね。とりあえず必要そうなものを揃えてみたけれど、いるものがあったら遠慮なく言ってちょうだいね。ドレスはこれだけじゃ足りないだろうから、今度また一緒に買いに行きましょう」

「え? いえ、あの……こんな良い部屋を私に? 衣装もすでにたくさんありますけど……」


 寝室のベッドには四本の柱が支える天蓋があり、小花柄の可愛らしいカーテンが垂れ下がっていた。フリルのついた白い枕に布団カバーも小花柄で、壁紙はエステルの髪色に似た薄桃色だ。全体的に可愛くメルヘンな部屋だった。

 そして衣装部屋には色とりどりのドレスや靴、鞄やアクセサリーが並んでおり、エステルは目を丸くして圧倒される。自分のためにこれを用意してくれたのかと思うと嬉しさよりも申し訳なさが勝ってしまった。


「すみません、ありがとうございます、すみません……」

「ふふ、謝らないでちょうだい。準備するのは楽しかったのよ」

「一気に見せすぎて受け止めきれてないのかも。でもまだ私室も用意してあるんだよね」


 ターニャが笑って言った後、ルノーは寝室の向かいの部屋を指さした。


「ま、まだあるのですか……」

「まぁ見てみて」


 贅沢すぎてめまいを起こしそうになっているエステルに、ルノーは私室の扉を開けて見せた。

 そこは寝室よりいくらか甘さを控えめにした、けれどやはり可愛い部屋だった。部屋の中央には毛足の長い円形の白い絨毯が敷いてあり、その上に白と金の丸テーブルと椅子が置かれていた。

 壁紙は薄い水色の縦ストライプで、カーテンは黄色い花柄、本棚も二つ置いてあり、窓際には勉強机が設置してある。


「あ、本棚! 勉強机も!」


 エステルの表情がパッと華やぎ、声も弾んだ。


「いいのですか、こんな素敵なもの? 本もこんなにたくさん、私が読んでもいいのですか?」

「もちろんだよ」


 マルクスは笑って返す。

 エステルはおもちゃを与えられた子どものように目を輝かせると、まず本棚に近づいて本を眺めた。


「まだ空きがあるから、本が好きなら本も買いに行こう」

「えぇ!?」

「そんなに驚かなくても」


 マルクスの提案に驚きながらも、エステルは頬を紅潮させて喜びを隠しきれなかった。


「本を買ってもらえるなんて、こんなに嬉しいことはないです」

「衣装部屋を見た時よりも嬉しそうね」


 ターニャはほほ笑ましそうに言う。するとエリオットが厳しい顔をしたまま、エステルに向かって口を開いた。


「本が好きなのは結構なことじゃないか。フェルトゥー家の一員になるなら賢くあってもらわねばならないからな。家庭教師もつけて勉強も行儀作法も社交界のマナーも徹底的に身に着けてもらおう。学園にもこれまで通り行って毎日勉強漬けだ」


 そう言えばエステルが怯むとエリオットは思ったのだろう。実際、庶民の子が貴族令嬢になるというのはそれなりの覚悟が必要だ。ただ贅沢な暮らしができるようになるだけじゃなく、本人にも色々な努力が求められる。

 けれどエステルは勉強したくてもさせてもらえなかった子供時代を過ごしてきた。努力したいと思ってもできる環境じゃなかった。

 だから『毎日勉強漬け』なんて言葉でたじろぐことはないのだ。


「家庭教師に、毎日勉強漬け……!? 本当にいいのですか、そんな贅沢! 行儀作法や社交界のマナーまで身につけられるなんて! 嬉しい! 本当にありがとうございます!」

「……あ、ああ」


 エステルの勢いに押されて、怯んだのはエリオットの方だった。おしゃれや恋愛にしか興味がなさそうな年代の女の子が、『勉強漬け』にこんなに食いつくとは思っていなかった。


「何にせよ、喜ぶ顔が見られて良かったよ」


 幸せそうなエステルを見て、マルクスは満足そうに言ったのだった。

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