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3 混血

弁論大会から二週間が経った。前半の一週間、エステルはレクスの姿を毎日学園で見かけていた。やたらと廊下ですれ違ったり、食堂で出くわすことが多かった。レクスはもう食事を終えている様子なのに席を立たず、これから昼食を摂ろうとするエステルを観察するように見てきたりするのだ。


(私の勘違いじゃなければ、レクス殿下は私のことを――とても警戒している)


 レクスとよく出会ったり目が合う理由について、エステルはそう考察した。


(きっとこの学園にふさわしくない混血の私を警戒しておられるのよ。学園の品位を落とすような行動を取るんじゃないかって)


 あるいは、純血主義に反対する勢力を学園内で増やそうとしているんじゃないかと疑われている可能性もある。

 この国の王子に目をつけられているという事実にエステルは怯えもしたけれど、好きな相手でもあるレクスを毎日見かけるのは嬉しくもあった。と同時に嫌だとも思う。レクスを見るたびドキドキしてしまって感情を乱されるからだ。


(複雑……)


 エステルの気持ちはそれ以外に言い表しようがなかった。

 そしてそんなエステルをさらに翻弄するかのように、レクスは次の一週間学園を休んだ。ぱたりと姿を見かけなくなったのだ。


(レクス殿下に私は嫌われているだろうし、私から見ても殿下は良い人じゃない。そんな相手をしばらく見かけないからってどうして……)


 レクスを見かけなくなって八日目の朝、エステルは自宅のベッドで目を覚ますと同時にレクスのことを考えてしまっていた。


「どうして不安で寂しくなるの!?」


 エステルが叫ぶと、枕元でお腹を見せて寝ていたナトナがビクッと目覚めた。

 エステルは訳が分かっていないナトナを抱きしめると、古いベッドの上でゴロゴロとのたうち回る。


「何かあったのかな、体調が悪いのかなって心配しちゃうし、会いたくて居ても立っても居られない!」


 恋とはもっと穏やかで優しくて、心が温かくなるようなものだと思っていた。


「この恋心、本当に嫌になるわ。私はナトナをこうやってもふもふしているだけでよかったのに」


 エステルに抱きしめられてもナトナはされるがまま、様子のおかしいエステルの頬をペロペロ舐めるだけだ。


「今日はレクス殿下、学園にいらっしゃるかしら?」


 このまま会わないでいたら気持ちは冷めるかもと思っていたが、どうもそうはなりそうにない。顔を見ないとおかしくなりそうだ。


(恋に狂うってこういうことを言うの? 私ったらどうしてよく知らない相手をここまで好きになれるのよ)


 ため息をつくと、エステルは起き上がってナトナを思う存分撫でた後、朝の支度を始めた。


 

 準備を整えると、朝食を摂るため、ナトナを連れて屋敷の一階にある食堂へ向かう。『混血が我々と一緒の部屋で食事をするなんて贅沢だ』と義母や義姉に言われたことがあったが、義父の考えでエステルも一緒に食事を摂るようになった。義父としてはエステルの様子を毎日監視して、何か勝手なことをしていないか確認したかったらしい。


「おはようございます」


 使用人だけがいる食堂に入って席に座る。ナトナはごはんを食べないので、エステルの足元であくびをしている。

 エステル用の小さなテーブルと椅子は義家族とは別に用意されたもので、食事のメニューもエステルだけ使用人と同じだ。

 エステルのテーブルに女性の使用人がパンとスープを雑に置いていくが、食事がもらえるだけありがたいので何も文句はない。


 そしてエステルが食事を始めようとしたところで、義家族の三人も食堂にやってきた。

 義父は身長は平均的だが小太りなので体が大きく見える。着ているスーツのベストはパツパツだ。茶色い髪は量が多く、後ろに撫でつけてはいるがいまいちすっきり見えない。口ひげは綺麗に整えられていた。

 義母は長い黒髪を豪華に結っていて、化粧やドレスも派手だ。胸元の露出も多く若作りしている印象だった。顔つきは娘のロメナにそっくりで、意地が悪そうなツリ目が特徴的だ。

 義姉のロメナはエステルと同じくすでに学園の制服を着ていて、エステルと目が合うと不愉快そうに眉間に皺を寄せた。


「おはようございます」


 エステルは立ち上がると、義家族と目を合わせないように軽く視線を下げる。すると義父はエステルではなく足元にいるナトナを見てこう言った。


「精霊には姿を隠させろといつも言っているだろう」

「あ、申し訳ありません。ナトナ」


 エステルがナトナに声をかけると、ナトナの姿は絨毯の上からスッと消えてしまった。精霊は透明になることができるのだ。

 エステルは可愛いナトナをいつも視界に入れておきたいが、義父は違うらしい。ナトナの姿は仔狼だから、獣が家の中をうろついているのが嫌なのかもしれない。


 義家族もナトナが闇の精霊であることは知っている。というか、エステルより先に義父の方がナトナの正体に気づいた。

 

 エステルが九歳の時、義父への朝の挨拶が僅かに遅れたという理由で、罰として丸一日地下牢に入れられた時があった。地下牢にはそれまでに何度か入れられていて、真っ暗で静か過ぎるあの空間はエステルにとって恐怖でしかなかった。地下の灯りは義父がわざと全部消してしまうのだ。

 だからその時も牢に入れられた後に怖くてシクシク泣いていた。そうしたら可愛い子犬の鳴き声がして、エステルの手にふわふわで柔らかい何かが触れた。それがナトナだった。


 暗闇の中で姿は見えなかったけど、今よりさらに小さかったナトナはずっとエステルのそばにいてくれて、地下牢から出る時も一緒についてきた。

 明るいところで見たナトナには目がなかったが、エステルは毛の下に隠れて見えないだけだと思っていた。けれど義父はナトナをひと目見て精霊だと気づいたようだ。精霊には瞳がない、というのは一般によく知られていることらしい。

 精霊の姿を実際に見たことのある者はごく僅かだが、絵本などで描かれる精霊にも目がないため、子供でも知っていたりするのだ。


 ナトナが透明になった後、朝食の席でそれ以上義家族と言葉を交わすことはなかった。口を開いてもエステルへの嫌味や罵倒しか出てこない義家族なので、無視されるのが一番マシではある。


 こんなに嫌いならどうして養子になんかしたのか、とエステルは何度も思った。そして実際のところ、義父がエステルを家に迎え入れたのは世間からの好感度を上げるためでしかなかった。『可哀想な混血の孤児を我が子として育てる優しい夫婦』というイメージは、事業にも良い影響を与えると考えたのだろう。

 事実、薬の売り上げはエステルを養子にしてから右肩上がりになっていた。


(薬の売り上げが良いと家族の機嫌も良くなって、子供の頃よりは怒鳴られたりする回数も減った。地下牢へも、もう何年も入られてないし)


 しかし義家族がエステルを愛してくれる日はこの先永遠に来ることはない。それはエステルもよく分かっていたのだった。


 

 家を出て学園に着くと、ナトナはもうエステルのそばからいなくなっていた。元々透明になっていたが、エステルが声をかけても鳴き声を返してこないので、どこかへ行っているのだろう。


(どこか暗いところにいるのかな。それこそあの地下牢とか)


 そんなことを考えながら教室に入ると、同じクラスの男子学生、ポートが声をかけてきた。


「おはよう、エステルさん。魔法薬学の宿題やってきた?」

「おはよう。もちろんやってきたわ」

「難しいところもあったけど大丈夫?」

「大丈夫だと思う。今まで習ったことの復習だったから」


 実際に魔法薬を作れという宿題ではなく、問題に対して答えを記述するだけのものだったから、教科書を見て調べれば難しくはなかった。


「へー、分からないところなかったの? できてなかったら手伝ってあげようと思ったんだけど」

「ありがとう、大丈夫よ」


 ポートは優しいが、エステルのことを若干下に見ている節があった。同じ特待生だが、自分の方が賢いと思っているのかもしれない。

 とそこで、別のクラスメイトの女子二人がエステルを呼ぶ。


「ねぇ、ディタロプ。ちょっと来て」

「ディ? ……何ですか?」


 聞いたことのない単語で呼びかけられてエステルは戸惑った。女子二人はクスクス笑っている。彼女たちは下級貴族の令嬢で、よくエステルをからかってくるので苦手だった。

 するとポートがこう教えてくれる。


「古代ドラクルス語だよ。この学園では一年の時に勉強するけど、君は二年から入ってきたから……」

「古語なのね。じゃあディ何とかってどういう意味なのかしら?」

「いやー……」


 ポートは気まずそうに言葉を濁した。一方女子生徒二人はエステルの机に近寄ってきて、強めの口調で再度言う。

 

「ちょっと来てって言ってるでしょ。ディタロプは耳も悪いの?」

「じゃあ……僕はこれで」


 ポートはいそいそと自分の席に戻ってしまい、他のクラスメイトも助けてくれることはなかったので、エステルは半ば強引に女子生徒たちに連れられ教室を出た。


「どこへ行くの?」

「ひと気のないとこー」


 前を歩く二人に問いかけると、笑い声と共に答えが返ってきた。ついて行ってもいじめられるだけだろうが、ついていかなければ後々さらに酷い目に遭うかもしれず、逆らえない。この学園にエステルを助けてくれる人物は一人もいないし、教師も頼りにならない。耐えるしかないのだ。


(一時間目の授業に間に合うように切り上げてくれるといいけど)


 勉強するためにここに来ているので、その機会を奪われるのは嫌だった。

 暗い気持ちで女子生徒の後ろを歩き、階段を降りていると、下から目立つ銀髪の生徒が友人と一緒に上がってきたのが見えた。


(レクス殿下……!)


 不意打ちで出くわしてしまい、エステルの心臓は一度大きく跳ねる。そのまま胸から飛び出していってしまいそうだ。


(ずっと休まれていたけど、今日からまた学園に通われるのかしら?)


 喜びが勝手に身体中を駆け巡る。

 階段の途中で立ち止まっているエステルに気づいてレクスもふと顔を上げた。そして見る見るうちに目を見開いて驚いた表情をする。


(混血って、もしかして殿下の中ではお化けみたいな扱いなのかしら?)


 急に混血が現れるとびっくりしてしまうのかも。意外と冷静にそんなことを考えながら、エステルはレクスからさっと目を逸らして再び階段を降り始めた。妙な緊張を感じながらレクスと擦れ違う。


(良い匂いがする)


 香水でもつけているのかなと思いながら足早にそこから立ち去った。


「レクスー? 早く行こうぜ」

「ああ」


 レクスも一緒にいた友人――褐色の肌の男子生徒――に促され、教室に向かったようだ。


(朝から顔を見られてラッキーだった)


 恋心は封印しようと思っても、どうしても喜んでしまう。暗い気持ちだったのを一瞬忘れさせてくれた。

 胸に温かな気持ちを残しながら女子生徒二人について行くと、着いたのは校舎裏だった。確かにひと気のない場所で、これからここで彼女たちに何をされるのかと思うとまた気持ちが沈む。


(殴ってきたりはしないと思うけど……罵倒されるだけでも心にくるのよね)


 罵倒されながら育ったようなものなのに、いつまで経っても平気になることはない。ある程度受け流せるようになっても無傷ではいられないのだ。

 

「全然学園辞めないんだもん。あなたいい根性してるわよね」

「休んだりしてくれたらまだ可愛げがあるのにねぇ」


 エステルを校舎の壁に追い詰めた二人は、絶対的に弱い存在をいたぶろうとしている者が浮かべる嫌な笑みを見せて続ける。


「混血がずっと視界に入ってくる私たちの身にもなってよね。目が腐っちゃう」

 

 弁論大会でスピーチしたせいで全生徒に混血だと知れ渡り、エステルをいじめてくる人間は増えた。今のところ「混血は学園に来るなよ」とかそういう言葉を笑って投げつけられるだけだが、エスカレートしていきそうでエステルはビクビクしている。

 今目の前にいる二人も含めて、エステルをいじめてくる竜人たちはおそらく純血主義者ではない。そんなにはっきりとした自分の主張は持っていない。ただ、いじめてもいい対象を見つけて喜んでいるだけか、純血主義者のレクスに媚を売りたいのだろう。


「同じ空気を吸うのも嫌だわ」


 片方の女子生徒が嫌悪感たっぷりに言う。

 弁論大会以来、酷い言葉をより一層受けるようになったエステルは、将来を悲観して思った。


(勉強することが唯一の希望みたいに思ってたけど、私みたいな混血はどれだけ賢くなって独り立ちしても、どこへ行っても嫌われ者で、誰からも愛されることはないんじゃないかしら? 誰かに大事にしてもらえることなんて一生ないんじゃないかって思えてくる)


 人間の国に行っても、竜人の血が入っていると嫌悪されそうだ。左手の鱗なんて見られたらどういう反応をされるか。半端な自分はどこへ行っても受け入れてもらえないに違いない。

 人に意地悪されたくらいでは泣かないと思っていたのに、瞳が潤んでいくのが自分でも分かる。


「あら。泣いちゃうの? 大丈夫、今日は酷いことはしないわよ」

「ただ私の作った魔法薬を飲んでもらいたいだけよ」


 一人の女子生徒がそう言って制服のポケットから小さな瓶を取り出した。中に入っているのは濁った緑色の液体だ。


「教科書を見ながら一生懸命作ったのよ。飲んでくれるわよね」


 小瓶の蓋を開けると、それをエステルの口元に近づけてくる。


「や、やめて……」

「逃げないでよ。せっかく作ったのに」


 二人がかりで体を抑えられて唇に小瓶の口を押し付けられた。エステルが必死で閉じている唇をこじ開けようとしてくる。


「これ飲むと髪が緑色に変わるらしいんだけど、私って魔法薬作るの得意じゃないし、全然効果がないかもしれないから一か八か試してみてよ。あなたのその下品なピンク色の髪が可哀想だと思って作ったのよ」

「もしかしたら肌の色とかも緑色になっちゃうかもね。でも混血なんて元から化け物みたいなものだから、別に誰も悲しまないんだしいいでしょ?」


 誰も悲しまないという言葉にエステルは胸を刺され、ポロポロと涙がこぼれ出てきてしまった。

 と同時に全てが嫌になって諦めてしまい、口を開けてしまいそうになる。


(誰も悲しまないならいいのかな)


 唇が開き、魔法薬が流し込まれそうになった――その時だった。


 突然その場の空気がぐんと重くなり、身がすくむような圧を感じてエステルは息をのむ。目の前の女子生徒二人も同じような反応を示して顔をこわばらせ、ハッと右を見た。確かにそちらから圧力のようなものを感じたので、エステルも恐る恐る同じ方向へ顔を向ける。

 するとそこに立っていたのは、怒りに燃えているような表情をしたレクスだった。


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