19 城への招待
「リシェ、彼女と仲良くなったんだな」
緊張して食事に手を付けられないでいるエステルを見て、褐色の肌に短い黒髪の男子生徒がリシェに聞く。背が高く、快活で陽気そうな雰囲気の青年だ。
「そうよ、もうすっかりお友達。ルイザも仲良くなったみたいだしね」
「ルイザが?」
意外そうに呟いたのは残る一人の男子生徒だった。細身の美形で、肩につく長めの金髪はルイザのものより色が薄い。雰囲気は気だるそうでもあり柔和そうでもある。気品もあるけれど耳につけているピアスのせいか不良っぽくも見える。
「別に仲良くなってはないけど……」
きまり悪そうにルイザが呟いたので、緊張していたエステルも「え?」と彼女に視線をやった。
「何よ?」
「いえ、昨日……仲良くなれたと思ったので……」
しょぼんと肩を落として言うと、ルイザはさらに居心地悪そうにして、ニヤニヤしながら自分を見てくるリシェたちを睨み返していた。
リシェはルイザをからかうのを止めると、エステルに向かって隣に座っている褐色の青年を紹介する。
「エステル、私の番を紹介するわ! 彼はバルト・ローニーよ。バルトって呼んで」
「番……?」
「よろしく!」
ずいっと手を差し出されたので、自分のような混血の庶民が貴族と握手をしていいのだろうかと思いながらエステルも恐る恐る手を伸ばす。バルトの骨ばった手は大きくて温かかった。
「彼は伯爵家の長男なの。それでこっちが侯爵家の次男、ルノー・フェルトゥーよ」
「え、あ」
番のことを詳しく聞きたかったが、金髪の青年を紹介されたのでとりあえずそちらを向く。
「よろしく」
席が離れていたので手を差し出してはこなかったが、ルノーは目を細めて大人っぽくほほ笑んだ。初対面の相手に緊張しているエステルを愉快そうに見守っている感じだ。
ルノーは格好良いし、バルトも素敵だ。エステルは自分の好みを把握していないが、特にルノーは見た目が好みなのかほんのちょっとだけ惹かれるものがあった。けれどレクスが眩しすぎてその感情はすぐに消えていってしまう。
「よろしくお願いします」
だからエステルもぎこちなく精一杯の笑顔を返しながら返事をした。格好良いとは思いながらも、ルノーに対して顔が赤くなってしまうことも、時が止まったかのように喋れなくなることもなかった。
紹介が終わって次に何を話そうかと心配する間もなく、リシェがエステルに尋ねる。
「エステル、昨日転んだんだって? 大丈夫?」
「はい、治癒魔法をかけてもらったので問題ないです」
まだ違和感は残っているが大したことはない。話題がちょうど怪我のことになったので、エステルはレクスに今朝のことを謝った。
「で、殿下……。朝は失礼な言い方をしてしまって申し訳ありませんでした。私みたいな者があんな……。どんな罰でも受けます」
「罰?」
エステルがテーブルに付きそうなくらい頭を下げて言うので、レクスは驚いたように返す。
「罰なんて与えないよ。失礼な態度を取られた覚えもない。私は気にしていないよ」
レクスがとても優しく言ってくれたが、それを聞いたリシェとバルト、ルノーは「口調が……」と言いながら何故か笑いを堪えていた。
「こいつらのことは気にしないでいい。何でもおかしい年頃なんだ」
「そうなのですか」
レクスはエステルにそう言った後でちらりと三人を睨んだ。よく分からないが気の置けない関係なのだろう。王子に気後れせず接してくる友人の存在は、レクスにとっても大切なはずだ。身分など関係ない普通の友人関係に見えた。
「仲良しで羨ましいです」
エステルがほほ笑んで言うと、リシェは「私たちも仲良しじゃない」と言ってエステルの手を握った。
しかしすぐに離すと、手つかずの食事を見て言う。
「さぁ食べて。お昼休みが終わらないうちに」
「あ、はい」
リシェたちも食べるのを再開したので、エステルも慌ててフォークを手に取る。時折リシェが食べるのを中断してバルトたちとお喋りしているのを聞きながら、緊張で味のしない食事を口に入れていく。自分の食事マナーがきちんとしているか気になって仕方がない。レクスたちはみんな食べ方さえ美しかった。
口に入れたものをきちんと飲み込んでから、エステルはリシェに尋ねる。
「リシェ様とバルト様は番なんですね」
二人が話している様子からも仲が良いのが読み取れた。
「そうよ。出会ったのは子供の頃だけど、ひと目見て好きになったの」
「あの時の衝撃は今でも覚えてるな」
「初対面の一言目で結婚を申し込んできたからね。まぁバルトが言わなきゃ私から言ってたんだけど」
「す、すごいですね」
二人の馴れ初めを聞いて、番ともなると初対面でプロポーズしてしまうのかとエステルは圧倒された。
「エステルはそれくらい強烈なひと目惚れしたことある?」
「……いえ、そこまでのは」
レクスとの出会いは強烈だったが、思わず結婚を申し込んだりはしていないのでそう答えた。
すると一瞬、騒がしい食堂でこのテーブルだけしんと静まり返る。
エステルが動かすフォークが皿に当たる小さな音がやけに響く中、レクスは最初に食事を終えてこう切り出した。
「エステル、悪いが今日も竜舎の掃除は手伝えそうにない。最近少し忙しいんだ。調べないといけないことがたくさんあって……」
「いえいいんです、掃除は本来私一人の仕事なので」
エステルは慌てて言う。もう来なくていいと言いたいが、言い方が難しい。レクスとは会いたいし本当は来てほしいけれど、やはり王族は掃除なんてしなくていいと思うのだ。
「私のことは気になさらず、放課後は好きにお過ごしになってください」
エステルがそう言うと、バルトとルノーが残念そうに続ける。
「そうか、今日はレクスは掃除しないのか」
「働きぶりを見学に行こうと思ったんだけどな」
「お前たちはよほど時間に余裕があるようで羨ましいな」
レクスは辛辣に返した後、エステルの方を向いて言う。
「ところでエステル、明日は休日だし時間が作れそうだから、もしよければ城に来てくれないか? 色々聞きたいことがあるんだが、学園の中だとゆっくり話せないからね」
「お城にですか? 私が?」
エステルは自分の耳を疑った。お城とは王城のことだろうか? レクスは何か違う『オシロ』のことを言っているんじゃないかと考えた。
固まるエステルにレクスはさらっと言う。
「そうだ。招待したい」
「わ、私が……混血の私がお城に入って大丈夫なのでしょうか?」
そう尋ねるとレクスは驚いたように目を見開き、返す。
「そんなことは関係ないよ。何も問題ない」
「そうですか……」
少しホッとして冷静になり、こう考えた。
(お城に招待されるって素敵なことのように思えるけど、レクス殿下は『色々聞きたいことがある』とおっしゃったし、もしや尋問のようなことをされるのでは?)
王子である自分が関わる相手のことはしっかり調べたいのかもしれない。
(それなら気を引き締めて行かないと。お城に招待なんて遠慮しようと思ったけど、断ると後ろ暗いところがあるのかと怪しまれるかもしれないし、素直に応じたほうが良さそうだわ)
妙に緊張感のある面持ちになったエステルに気づかず、レクスは少し嬉しそうにほほ笑んで言ったのだった。
「明日、エステルの家に迎えの馬車を行かせるよ」
その日の放課後に竜舎に行くと、なんとアリシャが産卵していた。アリシャは落ち着いた様子で卵を温めていて、リックはそんなアリシャの体を濡れタオルで拭いて労ってあげていた。
「あ、エステルちゃん! ちょうどいいところに! アリシャがさっき無事に卵を産んだんだよ」
「わー、本当ですか!? 良かったです! アリシャ、頑張ったね」
エステルも鼻先を撫でてやると、アリシャは得意そうに口角を上げる。
「一ヶ月くらいしたら赤ちゃんが出てくるよ」
「まだ結構かかりますね。でも楽しみです」
そんな会話をした後、リックは「ところで」と話を変える。
「エステルちゃん、腕を怪我したんだって?」
リックは昨日、エステルが怪我をしたことには気づかなかったのだ。心配をかけさせないようエステルが言わなかったせいもあるし、リックが何故か竜舎にいる公爵家のお嬢様――ルイザに気を取られていたせいもあり、レクスのように鋭く感づくことはなかった。
「どうして知ってるんですか?」
「レクス殿下がさっき来て、エステルちゃんが昨日転んで怪我したんだって言ってた。だから今日は代わりの子を手伝いに行かせるって。エステルちゃんが来たら帰るよう伝えてってさ」
「そうなんですか」
「無理しないで今日は帰りな」
「じゃあお言葉に甘えて……」
怪我はほぼ治っているし掃除くらいはできそうだったが、結局エステルは帰ることにした。
そうして家に戻ると、夕食の時間、ロメナにこう追及された。
「どうしてあんたが殿下たちと一緒のテーブルに座ってたわけ!?」
一人別の席に座って質素な食事を食べているエステルに、ロメナは憎々しげに言う。義両親も大きなテーブルを囲んで豪華な夕食に舌鼓を打っている途中だったが、少し遅れて食堂にやってくるなりエステルに向かって文句を言うロメナに事情を尋ねた。
「どうした、ロメナ」
「一体何の話をしているの?」
「こいつが学園でレクス殿下やご友人たちとお昼を一緒に食べていたのよ!」
ツカツカと歩いてきたロメナに髪を引っ掴まれ、エステルは「痛い」と顔を歪めた。と、透明になっていたナトナがさっと姿を現し、エステルの膝に飛び乗ってロメナを威嚇するように見上げる。
「何よ、バケモノ」
と言いながらもロメナはナトナが力を使う前にエステルの髪を乱暴に放し、苛々しながら両親と同じテーブルに座った。
「なぜだか分からないけどレクス殿下がこの混血のことを気にかけているのよ。混血にも優しいところを周囲にアピールするという意図だとは思うけど腹立たしいわ」
「あの純血主義の王子がエステルに優しく?」
義父のダードンは目を丸くして呟き、義母のマリエナも食事の手を止めて言う。
「国王陛下と同じ穏健派に変わるおつもりかしら?」
「そうなんじゃない? そのためにこいつを利用しているだけでしょうけど、殿下が混血と同じテーブルで食事するなんてありえないわ。ちょっと! このグラス汚れがついてる!」
最後は使用人に怒鳴りつけながらロメナは言った。
(利用してる……)
確かにそういう理由があるなら、レクスが自分に親切にしてくれることに納得がいくとエステルは思った。
けれどただ利用しているだけにしては優しすぎるとも感じる。レクスは確かに善人だと思うのだ。
「殿下がエステルのことをなぁ……」
ダードンは最初こそ戸惑っていたものの、少し考えてこう言う。
「まぁ王族と繋がりができるのは良いことだ。本当はロメナにレクス殿下を射止めてほしかったんだがそれは難しいとも分かっていたし、代わりにエステルが気にかけてもらえているならそれでも構わん。利用されているだけでもな」
「お父様!」
ロメナは不満をあらわにした甲高い声を出す。
しかしダードンは満足そうだ。
「顧客からの好感度も意外と上がらんし、醜い混血などを養子に迎えたのは間違いだったかもと思っていたが、やっと私たちに利益をもたらしてくれたか。王族が客になってくれれば、うちの会社の名も上がる。国中が知っているような大きな会社になって社会に影響を与えれば、貴族の称号を得ることも夢ではないかもしれんな」
「まぁ、素敵!」
ワハハと笑うダードンの言葉にマリエナも目を輝かせた。二人とも高い地位や身分への憧れが強いのだ。
一方のロメナは、とにかくエステルが良い思いをしていることが気に食わないらしく、悔しそうに奥歯を噛んで両親のことを見つめている。
「レクス殿下に気に入ってもらえるよう、しっかり媚びを売るんだぞ。そうだ、うちの薬を後で渡すから、それを殿下に差し上げろ。殿下はまだ若いから国王陛下でも王妃様でもいい、とにかく必ず飲んでもらうんだぞ。一度でも飲めばきっと継続して買ってくださる」
ダードンの会社で作っている薬は若返りをうたった貴族向けの高級なものだ。飲めば肌艶が良くなり、体力が戻るらしい。薬は多く売れて顧客は順調に増えているらしいので、ある程度の効果が実際にあるのだろう。
「はい……」
ダードンに逆らえずにエステルは頷いたが、気は進まなかった。