13
「私の母は王都で店をやっていてね。ドレスから手袋や下着まで、何でもデザインして作ってるの。自分の好きなものだけを売ろうと始めた店らしいけど、今では結構人気になってるのよ」
街中を走る馬車の中で、リシェは楽しげに話してくれた。リシェ自身も個性的でおしゃれだが、それは母親譲りのセンスなのかもしれない。
「それで今日は母の店に行こうと思って。もうすぐ着くわ」
馬車の小窓から外を見てリシェが言う。王都の大通りは石畳で、脇を歩く歩行者と中央を通る馬車道がきちんと分けられている。道沿いには大小色々な店が連なり、見ているだけでもエステルは楽しかった。
「さぁ、ここよ」
そうして到着した店は、黒いシックな外観で、上品で洗練されていた。予想していたより大きくはないが、知る人ぞ知る店という感じだ。看板はないけれど小さなショーウィンドウにドレスとそれに合う帽子、手袋、靴が飾られている。
(お、おしゃれ……)
馬車から降りたエステルは店を見て気後れしてしまった。お金も服のセンスもない自分が入ってはいけない店だと、ひと目見て分かるからだ。
「青い顔して震えちゃってどうしたの? 行くわよー」
リシェは気楽に店に入っていく。リシェは優しいが、生まれた時から全てを持っている生粋のお嬢様なため、『気後れする』という感覚も今のエステルの気持ちも分からないらしい。
仕方なく、エステルも全財産の入った封筒を握りしめて後に続いた。
店に入ると、若い店員が迎えてくれた。古めかしいドレスではなく膝丈の黄色いワンピースを着て、大ぶりの耳飾りを付けたスタイルのいい女性だ。
「リシェ様、今日はどうされました?」
「友達の手袋を買いに来たのよ。この子、エステル。ところでママはいる?」
「奥にいらっしゃいます。お呼びしましょうか」
「後でいいわ」
店内はそれほど広くなく、ドレスやワンピース、帽子、靴、それに男性用のシャツやズボンまで所狭しと飾られている。ガラスのショーケースにはブローチやアクセサリーもあった。
身一つでここに来れば、きっとリシェの母親が全身完璧に仕立て上げてくれるのだろう。お金さえあればだが。
「手袋はここよ。エステル、こっちに来て!」
おしゃれさに圧倒されてぼーっと突っ立っているエステルを、リシェが呼ぶ。
「うちは基本オーダーメイドなんだけど、サイズが合えば店に置いてあるものを買ってもらっても大丈夫なの。手袋はすでに出来上がっているものがたくさんあるし、今回は急ぎだからとりあえずここから一つ選んだら?」
リシェは棚に飾られている手袋からエステルに合いそうなものをいくつか選んでショーケースの上に置いてくれた。店員も裏から手袋を持ってきて見せてくれる。
「どれがいい?」
「ど、どれ……」
どれも素敵でよく分からず、エステルは一人で慌てていた。これまで服は義両親に与えられた義姉のお古をただ着ているだけだった。選択の余地などなかったのだ。
だから自分で何かを選ぶということにエステルは慣れておらず、選んでいいと言われても困ってしまうのだ。
(特にこんな手袋なんて、自分のセンスにも自信がないから選べない……)
選んだものを、リシェに「え? それがいいの?」なんて言われたらどうしようと思ってしまう。
すると目を泳がせているエステルに気づいて店員が助け舟を出してくれた。
「女性なら白が無難ですが、エステル様の髪や目の色に合わせて淡いピンクや黄色もいいと思います」
エステルの瞳は金色だが、金色の手袋は今ここにはないようだった。
「髪や目の色ですか」
エステルは弱々しく呟いた。ピンクの髪や金色の瞳を持つ人を、自分の他に見たことがない。奇妙で下品な色だと義家族から散々弄られてきた色だ。だからこの色はコンプレックスで嫌いだった。
「白にしようかな」
シンプルなものを探したが、一番大人しいデザインのものが総レースの手袋だ。学園につけていくには上品過ぎる気もする。
それにこんなおしゃれなものを買ったら義家族になんて言われるか。家では手袋は外すつもりだが、きっと学園でつけているのをロメナに見られてしまう。
エステルはしばらく考えてからこう言った。
「あの、やっぱり私にはここの手袋はもったいないです。こんな良いもの身につけていたら家族にも叱られてしまいます。だから学園指定の手袋を買おうかなと思うのですが……」
「学園指定の手袋ッ!?」
リシェは目を丸くして驚いている。
「あんなダサいのつけてる子いる?」
「そ、そんなにダサくはないと思うんですけど……。特待生の男の子でつけてる子いましたよ」
学園指定の手袋は、白か紺か生地を選べて、手の甲の部分に校章のワッペンがでかでかとつけられている。学生らしくて良いのではとエステルは思っているのだが、リシェは違うようだ。
「そんなの絶対許さないわ! これとかどう? あとこっちも似合うんじゃない?」
リシェが手袋を選んでくれるが、どれも自分にはもったいないとエステルは思った。それにやはり義家族の反応が気になってしまう。
エステルがどれもやんわりと拒否すると、リシェはかなりねばった末に一旦諦めることにしたようだった。
「分かった。今日は学園指定の手袋を買いに行きましょ。今日はね。私の友達が学園指定の手袋つけるなんて許せないけど仕方がないわ。可愛いの買ってエステルの義家族に捨てられても嫌だし」
「え、友達?」
リシェの言葉に、エステルはパッと反応した。
「今、友達って……」
「そこが気になったの? 今日お友達になったでしょ? 私たち」
「えぇ!?」
エステルは両手で自分の口を覆って頬を紅潮させた。生まれて初めての同性の友達に感動して泣きそうになる。
「どうしてうるうるしてるのよ。私が怒られちゃうから泣かないで!」
「だって……」
誰に怒られるのだろうと思いつつも視界は滲んでいた。混血の自分に友達ができるなんて信じられない。リックやレクスには親しみを持っているが相手はどう思っているか分からないし、ナトナはお互い友達だと思っているはずだけど、やはり精霊と人ではまた別なのだ。
夢じゃないかと両手で両頬を引っ張るが、興奮しているせいかあまり痛くないのでやっぱり夢かもしれない。
「なぜ急にほっぺをつねるの?」
リシェは慌ててエステルの手を取り、頬から離させた。そしてふと気づいて尋ねてくる。
「もしかして、嬉しいの?」
小首を傾げて大きな瞳でこちらを見つめてくるリシェは可愛かった。エステルは素直に頷いて答える。
「もちろんそうです! 私、今まで友達なんていなかったから」
「そうなの!?」
リシェはびっくりしていたが、すぐに人懐っこい笑みを浮かべ、エステルの手を繋いだまま言う。
「じゃあ私がエステルの初めてのお友達なのね」
「はいぃ」
エステルは半泣きだったので声が震えてしまったが、リシェは楽しそうに笑っていたし、店員もほほ笑んで新たな友情の芽生えを温かく見守ってくれた。
と、そこへ奥から四十代くらいの女性が一人出てきて、エステルたちを不思議そうに見て言う。
「あなたたち、何をやっているの?」
「ママ!」
どうやら女性はリシェの母親らしい。リシェと違って背は高めで、髪は紫色、同じく紫のつばの広い帽子を被っていて、フリルの襟がついたブラウスにパンツスタイルという変わった出で立ちだった。
化粧もしっかりしているが、年齢を誤魔化すためというよりおしゃれのためで、目尻で跳ねているアイラインが特徴的だ。
エステルがこの格好を真似したらとんでもなくダサくなってしまうだろうが、リシェの母親は格好良く見える。
「ママ、この子が例の子よ。昨日話したでしょ、店に連れて行くって」
「あら、その子が」
リシェの母親に値踏みするように観察されてエステルはたじろいだ。
「その髪や目の色は魔法で変えているの?」
「いえ……」
恥ずかしくなってエステルは下を向いた。義家族のように罵倒の言葉こそ吐かないけれど、きっと下品な色だと思われているのだろう。
「生まれつきということ? いいわね」
「え?」
リシェ母は「いいわね」と言ったように聞こえたが、この髪と目の色が褒められるわけないので聞き間違いかもしれない。
(生まれつきそんな恥ずかしい色をしているのに堂々と外を歩けるなんて図太くていいわね、という意味かも)
ぐるぐると深読みして考えているエステルに、リシェ母は言う。
「ところであなた、裏にいらっしゃい。服を見繕って髪型も変えてあげる。私、輝けるはずの子がおしゃれしていないのって許せないの」
「ママ、待って」
エステルを引っ張っていこうとする母親をリシェが止める。
「気持ちは分かるけど今は抑えて」
「なぜ? もっと可愛くしてあげるのに」
「いいえ、あまり目立たせるとエステルが親に叱られちゃうわ。でもそのうち必ずこの子を思う存分飾り立てられる日が来るから。それまで我慢して」
エステルを置いてけぼりにして、リシェと母親の間で話がまとまった。おしゃれにしてもらっても家に帰れば義家族に馬鹿にされるだけなので、確かに放って置いてもらった方が有り難い。が、そのうち飾り立てられる日が来るというのはよく分からなかった。
「……仕方がないわね。じゃあその時は必ずうちに来て頂戴ね」
リシェ母は不満を残しつつも納得したようだった。そうして未練たっぷりの視線を受けながら、エステルとリシェは店を後にした。
「近くに学園指定の制服を扱っている店があるから、そこに行きましょ。きっと指定の手袋もあるわ」
待たせておいた馬車に乗り、リシェの案内で店に行く。そこでエステルは無事学園指定の白い手袋を二つ買うことができた。
馬車に戻ると、さっそく一つ左手につけてみる。するとそのダサさにリシェは頭を抱えてしまったが、大きなエンブレムがついているだけのシンプルな手袋の何が駄目なのか、おしゃれ初心者のエステルには理解ができなかった
「まだ日が暮れるまで時間があるし、カフェにでも行きましょうよ」
気を取り直したリシェが、エステルの左手を見ないようにしながら言う。ダサいものが目に映るのが我慢ならないらしい。
「カフェですか? カフェ……カフェってあの、お茶やお菓子がいただけるという噂の?」
「そうよ」
カフェと聞いて動揺し始めたエステルを、リシェが笑って見ている。
「私でも入れますか?」
「もちろんよ。その様子だと今まで行ったことないのね」
リシェはエステルのことをだんだん掴んできたらしく、挙動不審になっても驚くことはなかった。
「お金はこれで足りるでしょうか?」
ガタガタ震えながら封筒から硬貨を取り出す。手袋を二つ買ってお金はほとんど残っていないのだ。
「足りないわ。でも私が出すから心配しないで。お友達になれた記念に奢らせて」
人は誰かと友達になったらカフェで奢るという儀式を行うのだろうか、とエステルは考えた。儀式なら素直に奢られた方がいいのかもしれない。
「分かりました。ありがとうございます。じゃあ次は私がお金を出しますね。竜舎の掃除をして貰うお給料を貯めておきますから」
「ふふ、ありがとう」
エステルの申し出を、リシェも嬉しそうに受け入れてくれた。
そしてベージュのレンガの可愛らしい外観のカフェに着くと、二人で窓際の席に向かい合って座る。テーブルには花が、壁には素敵なリースが、出窓には白い馬車の小物が飾られていた。小花柄のテーブルクロスも上品過ぎず、安っぽくもなく、ちょうど良くおしゃれだ。
「お待たせしました」
店員が運んできたチョコレートのケーキも食器も、全部が素敵だった。
「すごいです」
今日一日でおしゃれなものを目にし過ぎた結果、語彙力が飛んでしまったエステルは、四角いチョコレートケーキを見つめながらそう言った。カフェに興奮して頬は薄く染まり、瞳はきらめいている。
そうしてケーキを一口食べれば、その美味しさに表情はさらに輝いた。
「あー、しまった。私が初めての経験貰っちゃった。この反応、取っておいてあげればよかった」
喜ぶエステルを見て、リシェは嘆く。
「エステル、そんなに喜ばないで~。喜びも興奮も、いつかのために取っておいてよ」
「えぇ? 難しいことを言いますね」
エステルは、いつかっていつだろうと思いながら困って返した。
それから他愛もない話をしながらケーキを食べ終えたところで、リシェがふと尋ねてきた。
「エステルって誰か好きな人とかいないの?」
その質問にビクッと反応してからエステルは即座に言う。
「い、いないです、好きな人なんて……!」
頭にはレクスの姿が浮かんでいたが、この想いは口に出すのもはばかられる。混血の自分が王子を好きになるなんて罪だ。リシェもきっとエステルのことを厚かましいと思うだろう。
けれど気持ちを隠しきれなくて、エステルの顔は真っ赤になってしまった。
「いるのね」
リシェは唇の端を持ち上げて笑う。
「可愛い反応しちゃって。……いえ待って。これ別の人だったらと思うと怖いわ……」
後半は小声で呟くように言った後、リシェは続けた。
「ねぇ、その好きな人ってレクス?」
「……っ!? え、な、なぜ……!? というか、すすす好きな人はいないんですって……!」
「あー、まぁ良かったわ。安心した」
リシェは胸を撫で下ろしてさらに言う。
「でもその好きな人にさ」
「ですから好きな人はいないと」
赤面したままエステルは否定するが、リシェは聞いていなかった。
「好きな人に恋人ができたらって考えたりしない? そうなったら耐えられる?」
その質問にエステルは一瞬黙ったが、手のひらをぎゅっと握って答える。
「か、悲しいですけどその人が幸せなら耐えるしかないというか……。私なんてそもそも恋人になれるとは思っていませんから。あ、好きな人はいないんですけどね」
リシェは腕を組んでため息をつくとこう独り言を言う。
「なるほどね。エステルはエステルで身分の違いや自制心の強さ、自信のなさが障害になってるってわけ。本能に抵抗しようだなんてどっちも無駄なことをして」
「……?」
「ちょこっと押してくれれば、理性とかプライドなんて簡単に決壊すると思ったんだけどな。エステルもこれじゃ難しいか」
ブツブツとリシェが話す。
「面倒な人たちねぇ」
「す、すみません!」
何が面倒なのかもよく分からなかったが、エステルはとりあえず謝っておいたのだった。