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11 レクスの番

 次の日、授業が全て終わって放課後になると、エステルはいつも通り体操服に着替えて竜舎に向かった。


(今日はレクス殿下は来られるかしら?)


 昨日に引き続き、今日もナトナは学園に来てくれている。ナトナは授業中ほとんどどこかへ行っていていないようだったが、放課後になってまたエステルのもとへ戻ってきてくれた。

 昨日ドラゴンたちと竜舎の前で軽く追いかけっこしたりして最後の方はかなり仲良くなっていたので、今日も遊ぶ気満々で来たようだ。


 竜舎が見えてきたところでナトナが透明化を解き、黒い仔狼が足元に現れる。顔は竜舎の方を向いていて、わくわくしながら足取り軽く歩いていた。

 と、そこへ後ろからレクスがやって来て声をかけられる。


「エステル、少しいいかな?」


 白い制服姿のレクスは、普段より神妙な顔をしているように見えた。


「あ、レクス殿下!」


 今日もレクスと言葉を交わせた嬉しさが最初に来てしまったが、エステルは慌てて表情を引き締めてナトナを抱き上げた。


「あの……」

「その子が君の精霊? 闇の精霊と聞いているけど」


 レクスは目のない仔狼を見ても驚く様子はない。やはり昨日ロメナから話を聞いたのだろう。


「向こうで座って話をしよう」


 レクスは竜舎の近くにあるベンチを指さした。ベンチの前には小さな花壇があるが、わざわざこの辺りまで休憩しにやって来る生徒はあまりいない。

 エステルは騎士に連行されているような気持ちで緊張しながらレクスの後をついていく。


(心を操る闇の精霊は危険だからって、ナトナが何らかの処分を受けることになったらどうしよう)


 人と契約している精霊は学園に連れて来てもいいことになっているし、学園もそういう精霊を危険視はしていないはず。けれどレクスは違う考えを持っているかもしれないし、レクスが闇の精霊を警戒するなら学園もルールを変える可能性がある。


 のんきにしっぽを振っているナトナを抱っこしたまま、エステルはレクスと少し距離を開けて隣に腰掛けた。


(もしも殿下にナトナを処分するように言われたらどうしよう! いえ、そうなったらナトナを連れて逃げるしかないけど……)


 どこに逃げたらいいんだろう、と冷や汗をかきながら考えているエステルに向かってレクスが口を開く。


「君の家族のことについて聞きたいんだけど」

「え? 家族ですか?」


 予想していた質問とは違ったのでエステルはきょとんとしてしまった。


「君は養子だと聞いたけど、ご家族とは仲が良いのかな?」

「えっと……」


 質問の意図が分からず、戸惑う。レクスは何故うちの家族仲を気にするのだろう。

 素直に答えていいのか嘘をついた方がいいのか迷って、結局嘘をつくことにした。酷い扱いを受けているとレクスに言って、それが回り回って義父たちの耳に入れば、彼らはエステルに折檻するかもしれないからだ。


「まぁ、普通……だと思います」


 嘘でも仲が良いとは言いたくなくて、そう答えた。


「そうか」


 レクスはエステルからさらに何か答えを引き出そうとするかのように、こちらを見てしばらく黙った。

 けれどそれ以上義家族について言いたいことはなかったのでエステルも黙る。緊張したまま、手持ち無沙汰に膝の上のナトナを両手で揉み、さらに自分の薄桃色の髪を意味もなく触る。

 気を取り直してレクスが尋ねた。


「本当のご両親のことは覚えているのかな?」

「いえ、全く覚えていません。私が赤ん坊の頃に流行り病で亡くなったようですし、義両親も私の両親とは面識がなかったらしいです。間に人を挟んで、私はドール家へ貰われました」


 だから義両親に尋ねても、両親がどんな人たちだったのか教えてくれることはなかった。エステルの生みの親に興味がなく、本当に何も知らないようだった。


「寂しい思いをしたんだね。義理のご家族はエステルに良くしてくれているのかな?」


 レクスは悲しげに眉を下げてエステルの話を聞いた後、質問してきた。最初の質問を言い方を変えてもう一度尋ねてきたように思えた。


「あの……はい」


 虐待を受けていると他人に助けを求めるのは、かなりの勇気が必要だ。エステルにはまだその勇気がなかった。暴露することでレクスにも迷惑がかかったり、今よりもっと酷い状況になるのでは、という心配もあった。


「そう」


 レクスは困ったような、ちょっと寂しそうな顔をしてから話を続けた。


「君の義父のダードン・ドール氏の噂は私も聞いたことがある。彼が売っている薬は貴族の間でも評判だからね。飲めば肌の艶が良くなったり、体力が戻ったり、若返りに効果がある薬を多く作っているようだね。本当に効くのかは知らないが、貴族たちはそういうのが好きだから」


 レクスが呆れたように言うのを、エステルはただ聞いていた。


「でも薬だけでなく、ドール氏本人も評価されているみたいだ。差別されがちな混血の孤児を引き取って大事に育てているって。それが君のことだったんだね」


 レクスの薄いブルーの瞳と目が合って、エステルはさっと下を向いた。自分は大事にされてこなかったと言ってしまいたい気持ちと、恥ずかしくて言いたくない気持ちがせめぎ合う。

 

「何か困ったことがあればいつでも言って。助けになるよ」


 黙ったままのエステルにレクスは最後にそう言った。彼が聞きたかったのはエステルと義家族の仲のことだけらしく、それ以上質問してくることはなかったので、エステルからおずおずと切り出す。


「あの、ナトナのことは……? てっきり私が闇の精霊と契約していることを問い質されるのだと思っていました」

 

 すると今度はレクスがきょとんとして返してきた。


「いや、君が闇の精霊と契約していることは少し前から知っていたよ。精霊と契約している者は入学時に学園に申告することになっているだろう? だから学園に尋ねればエステルが闇の精霊と契約していることは教えてもらえる」

「あ、そうなのですか……」


 確かに入学する時にナトナのことは学園に正直に伝えた。精霊と契約している人はめったにいないらしく驚かれたのを覚えている。

 レクスがエステルのことを学園に尋ねたのは、王族ゆえに付き合う相手をきちんと調査して選ばないといけないからだろう。


「闇の精霊は人の心を操る能力があるんです。ナトナはまだ幼い精霊ですけど、強制的に同情心を起こさせたりすることができます」

「そうなんだ」


 怖がられたり忌避されることも覚悟して話したが、レクスは軽く頷くだけだった。


(昨日ロメナからすでに聞いていたから驚かないのかしら)


 そう考え、ハッとして説明する。


「でもナトナはむやみやたらに力を使ったりはしません。私に親切にしてくださる殿下に力を使うようなこともないと思います。この子は優しい子なんです!」


 ナトナの脇に手を入れ、持ち上げると、レクスの目の前にずいっと差し出す。ロメナがナトナのことを悪く言っていないか心配になって、思わず力が入ってしまった。

 レクスは少し驚いて目を丸くしていて、状況をよく把握していないナトナは平和な顔で小首を傾げている。


「す、すみません……」


 あわあわとナトナを引っ込めると、レクスはほほ笑みを零してこちらに手を伸ばしてきた。


「ナトナを撫でてもいい?」

「あ、もちろん……!」


 慌てて再びナトナを差し出す。レクスはナトナを出したり引っ込めたりするエステルを面白そうに眺めながら、ナトナの頭を撫でた。


「私の友人にも精霊と契約している者がいる。今度紹介するよ」

「え? そうなんですね! それは是非……! そのご友人がお嫌でなければ、是非お願いします!」


 エステルは瞳を輝かせて前のめりで言った。ナトナ以外の精霊を見てみたいという気持ちもあるし、自分以外に精霊と契約している人と話してみたいとも思う。仲間を見つけたようで嬉しかった。


(その精霊はどんな姿をしてるのかしら? ナトナみたいにまだ幼いのかな?)


 仔狼のナトナと小さな動物の姿をした他の精霊が遊んでいる様子を思い浮かべて、エステルはほんわかした気持ちになった。

 自分の空想にフフとほほ笑みを漏らした後、レクスの視線を感じてハッとする。レクスは何故だか不満げな顔をしていた。


(いや、これは気味悪がっている顔かも。私ったら一人で笑っていたから)


 エステルが表情を引き締めるとレクスの顔も普段通りに戻っていたし、いつもと変わらず優しく言う。


「そろそろ竜舎に行こうか」

「はい!」


 竜舎に着くと、そこにはリックとドラゴンたちもいた。学園に友達のいなかったエステルはその賑やかさに幸せを感じつつ、掃除に勤しんだのだった。

 

 

 翌日の正午、エステルは昨日の余韻を残したまま、気分がほわほわするような、明るく優しい気持ちで食堂に向かった。


(私にあんなにたくさんお友達ができるなんて)


 レクスやリックはエステルのことを友達とまでは思っていないかもしれないが、エステルはすでに二人のことを〝ただの知り合い〟以上に思っている。レクスのことは最初から好きだったとはいえ、知れば知るほど好感度は上がっていくばかりだ。

 ナトナはもちろんドラゴンたちのことも友達だと思っているし、こんなに幸せな学園生活が送れるとは想像していなかった。


 と、ニコニコしながら階段を下りていると、前方にレクスを見かけたので、何も考えずに早足でそちらに近づいた。

 そしてすぐ後ろまで来てから正気に戻って声をかけるのをやめる。


(私ったら、何を気軽に声なんてかけようとしてるの?)


 今はレクスは友人たちと一緒にいるし、周りには食堂に向かう他の生徒もたくさんいる。そんな中でレクスに親しげに話しかけることが許されるわけがない。放課後一緒に竜舎の掃除をしてくれたりと、レクスが優しいから勘違いし始めていた。

 立場を弁えなければとエステルが改めて思った時、レクスとその隣りにいる友人の女子生徒の話が聞こえてきた。

 女子生徒は、いつもレクスと一緒にいる上品だけど気の強そうな金髪の美人だ。


「それで結局、番だったってわけ?」


 女子生徒は歩きながら隣りにいるレクスの方を見上げて不愉快そうに言う。

 

(番……?)


 聞き耳を立てるのは良くないと思ったが、気になって耳を澄ませてしまった。食堂に向かう他の生徒たちの喋り声で辺りは騒がしく、レクスたちは後ろにいるエステルに気づいていない。


「いや、番ではないと思う」


 レクスは自信なさげな、でも強がっているような固い声で言う。

 レクスの他の友人三人も一緒にいるが、彼らは前を歩いていて会話に加わっていなかった。


「でもあの子のことずっと気にしているじゃない」


 金髪の女子生徒は終始不機嫌そうだ。

 レクスもこの話題を避けたそうに、無愛想に返す。


「気にしてしまっていることは認めるが、流石に違う」

「なら冷たくしてみせてよ。番じゃないならできるでしょう?」

「……別にそれくらい簡単だ」

「『目障りだから学園から出ていけ』くらいのことは言ってね。そうじゃなきゃあなたの威厳に関わるわ」


 後ろから表情は見えなかったが、レクスは小さく「ああ」と返したようだった。そこでレクスたちとエステルの間に教室から出てきた他の生徒が割り込んできて、距離が空いた。


(レクス殿下に番がいるの?)


 胸に刃物を突き刺されたかのようにズキンと痛む。レクスが幸せならそれでいいと思いながらも、彼のほほ笑みや優しさが他の女性に向けられるのは辛い。自分の中に湧き出る独占欲やどろどろした感情が嫌になる。

 いっそ誰かに本当に心をズタズタに刺してもらって何も感じなくなりたい。そうして恋愛感情という余計なもの抜きで、ただレクスと仲良くできたらいいのにと思う。


(さっきまで幸せな気分だったのに、一気に沈んじゃったわ)


 レクスの言動に左右され過ぎる自分に嫌になる、というのを毎回繰り返してそれも嫌になる。


(でも殿下は番とは認めていなかったし……)


 番という決定的な存在がレクスにできませんように、とエステルは願ってしまったのだった。



 放課後、竜舎の掃除をしながらエステルはまだレクスの番のことを考えていた。


(レクス殿下の番ってどんな人なんだろう?)


 きっと美しくて優しくて、自分など勝てる部分が一つもないような完璧な女性なのだろうと思う。


「悲しいわ……」

「何の話?」


 エステルがドラゴンのドクに話しかけると、横からリックが尋ねてきた。


「いえ、何でもないんです」


 誤魔化しながらドクを撫で、彼を房の外に出そうとした。これからドクの房を掃除するからだ。

 今日はナトナは来ておらず、レクスもまだいないが、行けないとは言われていないのでそのうち来るかもしれない。

 ドクはやんちゃさが残る若いドラゴンで、元気のないエステルの様子に気づいたのか顔を舐めて励まそうとしてきた。けれど距離感を見誤って鼻先でエステルを押してしまい、結果エステルは後ろに転ぶことになった。


「わっ……!」


 お尻を打ったが大したことはない。フンも落ちていなかったので体操服も汚れていないだろう。

 ドクは最初慌てていたが、エステルの様子を見て平気そうだと分かると、悪戯っ子のような表情になってはしゃぎ始めた。普段ずっと立っている人間が地べたに座っているのが新鮮で面白いのかもしれない。

 エステルが立ち上がろうとすると、大きな鼻先でチョンと押して邪魔をし、無邪気に牙を見せて笑っている。


「ふふ、もう、ドクったら」


 エステルも笑いながらドクを撫でようとした時だ――。


「エステル!」


 竜舎の出入り口からレクスが駆けてきて、素早く、けれどとても丁寧にエステルを助け起こした。体を抱き抱えて、鋭い牙が覗くドクの顔から引き離すように立ち上がらせたのだ。

 

「何をしている」


 厳しい表情をしたレクスが睨むと、ドクは首を縮こませてしっぽを丸め、数歩後ろに下がった。眉尻を下げ、まさに叱られた子供みたいな顔をしている。

 リックと他のドラゴンは一瞬の出来事にぽかんとしていて、エステルも同じく口を開けて固まっていたが、ドクが可哀想になって慌てて言った。


「あの、違うんです、レクス殿下! ドクと私は遊んでいただけで……!」


 おそらく竜舎に入ってきたレクスの方からは、笑っているエステルの顔がよく見えなかったのだろう。だからドクがエステルを襲っていて、エステルが怖がっていると勘違いしたのだ。


「遊んでいた?」

「はい、それだけなんです」


 確認するようにこちらを見たレクスは戦々恐々としていた。人がドラゴンに襲われていると思い、怖かったのだろうとエステルは考えた。

 レクスはエステルを守るように片腕で抱いていたが、その腕にも力が入っている。

 

 レクスは黙って周囲を見回し、エステルが怪我をしていないことやリックたちがぽかんとしていることに気づき、やっと正確な状況を把握したようだ。

 息を吐き、エステルを抱いていない方の手で自分の目元を覆った。何か失敗をした人が、「やってしまった」と頭を抱える仕草に似ている。


「……」


 どうしたらいいんだろう、とエステルは顔を赤くしながら動きを止めていた。レクスはまだ片腕をエステルの腰に回して抱いているからだ。


「あの……」


 緊張と恥ずかしさで震えながら声を出すと、レクスは顔を上げてエステルから少し離れた。表情は落ち着きを取り戻している。


「すまない」

「いえ」


 エステルに謝罪した後、レクスはしゅんとしているドクに手を伸ばし、鼻先に触れて言う。


「悪かった。勘違いした」

「ギャ?」


 ドクは目をパチクリさせて首を傾げた後、すぐにいつも通りの明るさを取り戻した。根に持つタイプではないようだ。

 レクスは改めてエステルを見て言う。


「だがドラゴンと遊ぶ時は十分気をつけてほしい。あんなふうにドラゴンの前で座り込むのは危険だ。うっかり踏みつけられたり、のしかかられたりしたらひとたまりもない」

「はい」

「私も早とちりだったが、無事で良かったよ」


 レクスはもう一度深く息を吐いた。


(そんなに心配してくれるなんて、本当にお優しいなぁ)


 誰かに心配された経験がほとんどないので、嬉しく思うと共にそわそわするような気恥ずかしい気持ちになる。


(でも私には優しいということは……)


 エステルは今日の昼休みのことを思い出した。食堂に行く時、レクスと友人がしていた話を。


『なら冷たくしてみせてよ。番じゃないならできるでしょう?』

『……別にそれくらい簡単だ』


 レクスは番かもしれない相手に冷たくすると言っていた。けれどエステルには今日も優しい。

 つまり番かもしれない相手はエステルではないということだ。


(分かってたけど)


 エステルは悲しい気持ちになって顔を伏せたのだった。

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