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 翌日。昨日ナトナは元気よく返事をしていたから、てっきり一緒に学園に来るつもりなのだと思っていたが、一限目が始まる頃には気配が消えていた。

 

(朝登校する時も、授業が始まる前に図書室で本を読んでた時もいたのに)


 それで満足して帰ってしまったのだろうか。それともエステルが本を読んでいて暇だったからどこかへ遊びに行ったのかもしれない。

 

(幼いナトナが放課後まで私のそばでじっとしてるのは難しいか)


 そう考えてナトナとドラゴンたちを仲良くさせる計画は一旦諦めたのだが、昼になるとナトナは再びエステルのもとへやって来た。

 食堂へ向かう途中で足にモフッとした何かが擦り寄ってきたのだ。


「ナトナ?」


 エステルが行先を変更して近くの空き教室へ入ると、黒くて可愛らしい小さな狼が姿を現した。脚もまだ短く、顔は丸みを帯びていて、狼の格好良さは今のところ見当たらない。

 数時間離れていただけなのにナトナはエステルに会えて嬉しいのか、お座りをしながら舌を出して笑い、しっぽを振っている。精霊には目がないが、感情は簡単に読み取れた。


「昼間に私のそばに来るの珍しいわね。ドラゴンを見に来たの?」


 エステルが聞くとナトナは鳴いて返事をする。


「ちゃんと覚えてたのね。でもドラゴンのところには夕方に行くの。今はまだ行かないのよ」


 説明を聞くと、ナトナはがっかりすることもなくエステルの足に飛びついた。撫でろと言っているのだ。

 要求通りにナトナの全身を撫で、ナトナが満足したところでエステルは教室を出る。


「これからお昼ごはんを食べに行くけど、ナトナもついて来る?」


 エステルが尋ねると、ナトナは透明になり、トトトと走って後を追ってきたのだった。


 食堂に着くと、出入り口のところでレクスと義姉のロメナを見かけた。どうやらロメナがレクスに話しかけているようだ。


(何を……)


 レクスに何の用事があるのだろうとエステルは疑問に思ったが、すぐにこの前ロメナが言っていたことを思い出してハッとする。


『レクス殿下にもあんたが精霊を使うことは言っておかないとね。知ってさえいれば、精霊の力に惑わされてあんたに同情してしまうこともない』


 ロメナはレクスに警告しようとしているのだ。

 レクスは最初ロメナに声をかけられて怪訝そうな顔をしていたが、次にはロメナの言葉に興味を示した様子で二人でどこかへ行ってしまった。

 二人が何を話すのか気になるが、こっそり後をついて行くわけにもいかない。盗み聞きしているとバレてレクスに軽蔑されるのが怖かった。

 

(ナトナの能力を知ったら、殿下はもう私に話しかけてくださらないかもしれないわ)


 きっと闇の精霊に心を操られることを警戒するだろう。

 ナトナの力は弱いし、誰彼構わず心を操るわけではない。そもそもエステルに優しくしてくれているレクスに、ナトナが力を使う理由もない。

 けれどそう説明しても、レクスは見知らぬ闇の精霊のことを信用できるだろうか。


(でも、私からもナトナのことを話しておかないと)


 ロメナはナトナのことを悪く言っているに違いないので、自分の口から紹介したいのだ。

 

「大丈夫だからね。ナトナの可愛いところ全部伝えるから」


 エステルは自分の足元を見てそう言った。透明になっているナトナの姿は見えないが、おそらく首を傾げているに違いない。



 昼食を食べ終わり教室に戻ってからも、エステルは「殿下は実際にナトナを見たら、この可愛らしいもふもふの黒い仔狼を好きになるはず」と考えていた。この世に混血を嫌悪する人はいても、子供の狼を嫌いな人などいないからだ。自分がレクスに好かれる自信はないがナトナが好かれる自信ならあったし、ナトナの可愛さにも胸を張れる。


 ところが午後の授業が始まってしばらくすると、またナトナはいなくなっていた。ナトナはよくエステルの脚に擦り寄ってくるし、エステルの足の甲を枕にして寝ることも多いのに、途中から脚に当たるふわふわの毛皮の感触が一切なくなったのだ。

 結局そのまま放課後になってもナトナは戻ってこなかったが、エステルはトイレで体操服に着替えて竜舎に向かうことにした。


(今日、竜舎でレクス殿下にもナトナを見てもらおうと思ったけど仕方がない)


 がっかりしながら玄関まで来たところで後ろから声をかけられた。レクスだ。


「エステル」


 レクスはいつも一緒にいる四人の友人たちと一緒で、申し訳なさそうにエステルに言う。


「すまないが今日は一緒に竜舎に行けない。用事があって……」

「あ、そうなんですね」


 エステルは寂しい気持ちになりながら慌てて返す。


「私はもちろん一人で大丈夫ですので! 気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「いや」


 友人たちの前だからなのかレクスは言葉少なだった。そして「じゃあ」とエステルに言って離れていく時に、女子生徒がレクスにくっついて腕を組んだ。レクスの友人の、金髪ウェーブの冷たい雰囲気の美人だ。

 レクスはエステルにもう背を向けていたが、美人の女子生徒はエステルの方を振り返って不機嫌そうな顔をし、レクスを引っ張って校舎から出ていく。

 

「付き合ってるのかな……」


 レクスに彼女や婚約者がいるという噂は聞いたことがないが、友達のいないエステルの耳には届いていないだけかもしれない。

 

(お似合いの二人過ぎて嫉妬心も湧かない)


 レクスのことは大好きだが、彼に自分は相応しくないと分かっているので『なんで彼女がレクス殿下と』とか『殿下は私のものなのに』という気持ちは全く湧かない。

 ただ、胸はどうしようもなく苦しい。

 

(誰かに心臓をぎゅううって握り潰されているみたい)


 この胸の苦しさとは一生の付き合いになるだろうから今から慣れておかないと、とエステルは思った。

 そしてその後、竜舎に着くと、リックに開口一番こう言われる。


「体調悪い? 元気がないみたいだけど」


 そんなに分かりやすいだろうかと、エステルは何とかほほ笑みを浮かべて返す。


「いえ、体調は大丈夫です」

「そう? ならいいけど」


 リックはアリシャの大きな体をブラシで擦りながら言った。アストロとドクはそれぞれの房で、自分の順番を今か今かとしっぽを振りながら待っている。今日は三頭とも放牧からすでに戻ってきているようだ。

 ここ数日、卵をお腹に抱えているアリシャがほとんど竜舎にいるようになったので、他の二頭も放牧を短く済ませて帰ってきているらしい。


「手伝いましょうか?」

「いや、エステルちゃんはいつも通り掃除の方を頼むよ。今日はレクス殿下は?」

「用事があって来られないみたいです」

「そっか」


 リックはホッとしたような気の抜けた顔をした。


「まさかドラゴンのフンの掃除までしてくれると思わなかったし、俺、あの王子すごい好きになったけど、やっぱり側におられると緊張するんだよな。粗相があっちゃいけないし」

「それは分かります」


 苦笑しながらエステルはアリシャの鼻先を撫でた。リックにブラシで擦ってもらって気持ちいいのか、伏せをしたまま眠そうに目を閉じている。

 が、突然耳をピクピク動かしたかと思うと大きく目を見開く。そしてそのまん丸になった目でさっとエステルの足元を見た。


「どうしたの?」


 エステルもつられて自分の足元へ視線をやると、そこにはナトナがちょこんと座っていた。

 リックもブラシを動かす手を止めて驚く。

 

「子犬が何でこんなとこに……。前見えてるか、お前」


 瞳のないナトナにリックが言う。毛で目が見えていないだけだと思っているのだろう。

 アリシャや他のドラゴンたちもナトナをただの子犬だと思っているのか、混乱している様子はない。自分たちの脅威にはならないと判断して、竜舎に来た珍しい客の匂いを嗅ごうとみんな首を伸ばして鼻を近づけてくる。自分たちの房にいるアストロとドクの鼻はナトナには到底届かないのだが、気になって仕方ないらしい。


「えっと、この子はナトナです。私と契約している闇の精霊なんです」


 エステルはリックにナトナのことを説明した。まだ精霊として幼いが、人の心を操る力があることも。


「特に他人に同情心を起こさせるのが得意みたいです。私に意地悪する人に、私に対する同情心を持たせたりとか」

「へー」


 リックは感心したように相槌を打った後、ぴたりと動きを止めて何やら考えている。

 そして戸惑いながら尋ねてきた。


「……あれ? もしかして俺がエステルちゃんに持ってるこの気持ちもナトナが? 同情心と言うか、優しくしたくなるような気持ちなんだけど」

「いえ……ナトナが力を使う相手は私をいじめる人です。リックさんのように最初から親切な人には使う理由がありません。それにナトナの力の効力はずっと続くわけではないので、私に同情心を持つにしても一時的なんです」


 ナトナが勝手に力を使ったと思われないよう、エステルは必死に説明する。リックにもナトナを嫌ってほしくないからだ。

 するとリックは少し考えた後で、閃いたようにポンと手を打って言う。

 

「俺がエステルちゃんに優しくしたくなるのは、単にエステルちゃんが真面目で良い子だからだな。精霊は関係なさそう」


 ナトナが嫌われることはなさそうだったので、エステルは安心して笑みをこぼした。

 リックは続ける。


「しかし精霊と契約してるなんてすごいな。精霊なんてドラゴンよりも数が少なくて、ドラゴンよりも人に懐きにくいというか、そもそも人前に姿を現さないだろ?」

「そうなんですか?」


 確かにエステルもナトナ以外の精霊を見たことがないし、自分と同じように精霊と契約しているという人に会ったこともなかった。精霊は絵本や劇、色々な創作の中に登場するので存在は広く知られているが。


「ドラゴンも野生で育った奴を捕まえて育てるのは危険すぎて不可能だ。育てるなら卵か赤ん坊のうちに拾ってこなきゃいけない。ここにいる三頭も、人に育てられた母親から生まれて野生なんて知らない奴らだよ」

「精霊も人と関わらず大人になったら、ずっと自然の中で生きて一生人前には出てこないんでしょうか? ナトナは幼いから私の前に出てきてくれたのかな?」


 途中から独り言のように喋りながら、エステルはナトナを抱き上げた。抱っこしてもらってパタパタとしっぽを振っているナトナは丸っきり犬だ。


「本当に精霊だよな?」


 平和なナトナの姿を見て、リックが疑って言う。


「精霊ってもっと厳格で、潔癖で、崇高な感じかと思ってた」

「ナ、ナトナだって崇高ですよ……! ただまだ幼いだけで……。人だったら五歳くらいなんじゃないかと思ってます」

「まぁこれはこれで可愛いじゃん」


 リックはそう言ってナトナの頭を撫でてくれた。ドラゴンたちもナトナに警戒心は持っていないようで、一番若いドクは新しい遊び相手を見つけたとばかりに興奮して鼻息を荒くしている。


(この調子でレクス殿下にもナトナを受け入れてもらえたらいいんだけど……)


 不安を抱きつつ、エステルは思ったのだった。

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